薬さに導入だけ　19時、仕事を終えて帰路に着く。すっかり日は落ちていて、夜桜が潮風に揺れている。なんというか、暫くまともに日光を浴びていない気がする。年度の切替の時期だから事務仕事がてんてこまいで、19時に帰れただけでも両手を挙げて喜びたいぐらいの多忙さだ。
　今日は早く帰って寝よう。年度末決算に備えて１ミリでも英気を養いたい。一刻も早くお布団に入って体力を最大まで回復したい。

　人通りの少ない住宅街を急ぎ足で歩いていると、鞄に入れていたスマートフォンが揺れる。電話だ。発信元は“担当さん”……政府の担当者さんだ。何事かと思い電話に出ると、酷く取り乱した様子の担当者さんに繋がった。

『繋がった！良かった！！ご無事ですね？？今どこにいらっしゃいますか？？』
「えっ、家に帰る途中です」
『不味いな...早く自宅に戻って非常時用のゲートを通ってきてください。』
　
　普段の冷静でインテリめいた彼からは想像もつかない焦りように驚く。

「何かあったんですか？」
『ああ...話してる時間が惜しいので家に向かいながら聴いてくださいね。あとどのぐらいで着きますか？』
「玄関までなら10分程度で」
『わかりました。なるべく急いでください。
　以前大侵寇の予兆についてお話しましたね？あの時、最悪政府まで侵攻の懸念があると言いましたが、想定を越える規模での侵攻になり』
　
　大侵寇。最近の面談で担当者さんから聞いた話だ。襲撃の規模が大きい場合、私のような休職中の審神者も召集される可能性があると言われた。

「なるほど、それで人員不足なんですね。すぐ向かいます。」
『いや、それもですが、政府の方で時間遡行軍の動きを観測していたところ、一部の部隊が政府でも本丸でもない場所に向かっていることがわかり』

　マンションまであと5分ぐらいかと言う所で、懐かしくもおぞましい気配が背後から漂うことに気付く。

『おそらく休職中の審神者たちの所だと思われます。』

　振り返ると4体の時間遡行軍がこちらに歩いて来るのが見えた。

「……その通りのようです。」
『逃げれますか？』
「身体が大きく機動が低い刀種のようです。なんとか逃げます。」

　私は走り出した。市街地の夜戦は大太刀や太刀に不利だったはず。住宅街とはいえ田舎だから、真っ暗で夜目が効かない刀種は相当不利だろう。私は急いで駆けた。

　程なくして私が住むマンションが見えた。
　あと少し、部屋のゲートを越えれば...と思ったところで、手前の一軒家の庭にあるツツジの垣根が揺れる。
　まさか、と思って足を止めると、垣根から骨ばった敵の短刀が飛び出してきた。
　
　これは終わったかもしれん。
　ギュッと目を瞑り死を覚悟した。
　
　刹那、キンと鋭い刀の音がする。
　同時に鞄の中にあるはずの香袋の匂いが辺りに漂う。
　驚いて目を開くと、何処からともなく現れた黒い影が、敵の頭をぶっすりと刺していた。

「＿＿！！無事か！！」

　この声は＿＿
　
　その顔を確認する前に、一層濃さを増す匂いに酔って、私の意識は遠退いていった。




「もー！本当に大変だったんだからね！」
「そうだよ。清光ずっと枕元で折れそうな顔してた。」
「お前だって今にも闇落ちしそうな顔してたろ！」
「申し訳ありません…………」

　あれから、気が付いたら懐かしい本丸の自室で、初期刀の加州清光と大和守安定が私の枕元にいた。目覚めて初めて目にした光景が、死にそうな２振りの美人の顔面だったのでもう一回気絶するかと思った。