🐑🔮 引き戸が開く。もう大体の生徒は帰ってしまっているし、この時間にここに来るのは教師だけ。そして、わざわざ保健室に来る教師なんて、本当に限られている。
「浮奇」
待ち望んでいた声に、俺はペンを置いて振り返った。
「ふぅふぅちゃん! 今日はもう帰れるの?」
「ああ、浮奇は?」
「ふぅふぅちゃんが帰るなら俺も帰ろうかな。これ、明日でも大丈夫だし」
「そうか」
沈黙。ふぅふぅちゃんが一人、気まずそうに床を眺めている。今、何か話したいんだな。俺は生徒が座るための椅子を引っ張って、ふぅふぅちゃんに座るよう促した。
「悪い」
「ううん。どうしたの」
ふぅふぅちゃんが座ると、古臭いその椅子はギィと音を立てた。真っ暗になった窓の向こうで、風の音が鳴る。
まだ言う気にならないらしいふぅふぅちゃんを眺めて、数十秒。急に立ちあがる彼の袖を掴む。
「やっぱりやめておく…!」
「いいから。話して」
「………」
いつもかっこいいのに、俺と二人きりの時だけ、ふぅふぅちゃんはちょっと可愛い。俺に掴まれた袖を見つめて、考えて、観念したようにまた席に座った。
それでも迷って、迷って、迷って、やっと観念して、口を開く。ふぅふぅちゃんが保健室に入ってきて、今までで約五分。かかった方だな、と、ふぅふぅちゃんを眺めながら思う。
「昨日…その、A組の生徒たちに呼び出されたんだろう?」
「え? あ、うん」
「どういう要件だったんだ。もし…あの、聞いてよければ」
毎回のことだけど、情報が早いなと関心する。別に内緒にしていたわけではないけど、言う必要もないことだった。ふぅふぅちゃんに彼女がいるのか確認された話なんて。ふぅふぅちゃんはどうやら、俺に告白やら何かの類があったんじゃないかって思ってるみたいだけど。
ふぅちゃん先生って彼女いますかぁ? って冗談半分に聞かれただけなら多分、そう答えただろうけど、うち一人の生徒が本気っぽかったから、俺は肩をすくめた。
「ごめん、言えない」
「…ん、そうだな。悪い」
「ううん」
不安そうな瞳。そうだよね、俺が女生徒にわざわざ呼び出しされてたら嫌な気分になっちゃうよね。でも俺は、その表情が可愛くてむしろ嬉しくなってしまう。
生徒たちはみんな、俺ばっかりふぅふぅちゃんがすきみたいに言うけど、実は俺もめちゃくちゃ愛されてるんだから。
「………なんでニヤニヤしてるんだ」
「ァオ」
「いい話だったのか?」
「んふっ、いや…これはふぅふぅちゃんが可愛すぎるから」
「………。まあ、いいよ。浮奇が楽しいなら」
呆れたような、諦めたような目。からの、俺が幸せそうだから、本当にそれが自分の幸せだっていうような目。
立ち上がったふぅふぅちゃんと一緒に帰るために、手早く帰る準備を済ませて、その腕に絡みつく。不満そうな目を俺に向けてるけど、口元は嬉しいのを隠しきれていない。
これだからやめられない。ふぅふぅちゃんが可愛くて仕方ない。
「ねえ浮奇先生! ふぅちゃん先生って彼女いるの?」
「二人めっちゃ仲良いから知ってるよね?」
「正直に言って! ね?」
A組の女の子四人に囲まれて、どうしたもんかと考える。嘘をつくのも、知らないってはぐらかすのもあり。
えー、と考える素振りを見せると、三人は盛り上がっているのに、一人だけ静かに、じっと俺を見ている。この瞬間に全てを賭けるみたいな、熱い目で。
あーあ、若いな、わかりやすいな。俺がライバルってわかってるのかな。
その子の瞳を見て、第三の選択肢が生まれる。正直に話す。まあ、この調子だと、本命以外の二人は信じることはないだろう。
「ふぅふぅちゃんの彼氏は俺だよ。だから、手出ししないでね」
その女の子にしっかり、伝えておかなきゃね。残念ながらあなたは、不戦敗だよ。