満月の魔法にかけられて「師匠、えっちしましょう」
顔を赤くして鼻息を荒くした若者が目の前にいる。この若者は影山茂夫でしげおの読み方を音読みでモブ。それがこいつのあだ名だった。俺もモブと呼んでいる。
俺とモブはお付き合いをしている。その関係は世間一般におっぴろげることができない不健全な関係だ。なにせ14も歳が離れているのだ。しかも俺とモブが出会ったのはモブが11歳のときだ。未成年淫行と言われれば俺は捕まるだろう。
小児性愛、児童性愛、小児愛、ショタコン、ペドフィリアこの類似語を並べ、お前はそう。と言われれば認めなければいけないのだろうか。
正式にはお付き合いをはじめたのは、モブがギリギリ高校2年生のとき、3年生に上がる直前だった。モブに初めての彼女ができた、そのあとだった。
モブは高校生になっても、筋トレ部なる部活の合間を縫ってちょこちょこ相談所に顔を出してくれ、あいかわらず俺のことを師匠と呼んでくれていた。
師匠と呼ばれる資格はない、と俺はモブに再三伝えていた。俺には力がないこと、これまで嘘をついてきてしまったことは、すでにモブに伝えていた。
それは俺のアイデンティティである師弟関係、いわゆるモブとの関係を壊してしまうことが怖くて、これまでなかなか伝えることができなかったことだった。
モブはもっと広い世界で成長していく、俺が囲いこんでしまっては、モブのためにはならない。俺はモブを手放すことを、断腸の思いで決めたのだ。
あいつはこれまでと変わらず、俺のことを師匠と呼ぶし、俺が師匠じゃない、と伝える度に、あいつは師匠は師匠です。と当たり前に答えてくれる。正直嬉しかった。
俺はモブのことがどうしたってかわいかった。あいつの成長をこれからも見守っていきたいと思っていた。それが許された気がした。
モブが高校生になってからは、俺たちはたまに友人のように仕事以外のときを一緒に過ごすようになった。
モブが俺のうちに遊びにくるようになったことは、これまでは一切なかった変化だった。モブは、たまに泊まって行くこともあった。
俺はモブのことがかわいかったし、こうして慕ってくれているのは嬉しかった。
高校はどうだとかバイトをするとかしないとか彼女はできたかどうかとか――。モブと俺はたくさん話をした。
そんな関係が続いていたあるとき、モブから
「彼女が出来ました」
と報告を受けた。
「おぉ、おめでとう……! やったな! 大切にしろよ」
俺は心からの祝福をした。嬉しかったのだ。
モブは人間味のあるいい男だ。それを誰かが分かってくれたのが本当に嬉しかった。俺はモブが誇らしかったんだ。
それ以降はモブから彼女の話をたくさん聞くようになった。俺はモブがそれを話してくれて嬉しかった。信頼されてるっていう充足感があった。俺はモブに世界一幸せになってもらいたかった。そのためなら俺にできることであればなんでもやる。そのくらいの気持ちでいた。
今思えばあの頃から無意識に好きになってしまっていたんだと思える。でも俺はその瞬間までそれに気付くことはなかったんだ。
あの時の衝撃は忘れない。特段変わったことはしてなかった。それはいつもの俺たちの日常だったんだ。
いつものようにモブが泊まりに来ていた。適当に買った弁当、惣菜などを食べて、ひと通りテレビを見たり、たわいもないことを話して過ごした。そのあと俺は風呂から出て、いるはずのモブの姿が見当たらないことに気付いた。
「モブ……?」
俺が名前を呼ぶと、モブはすぐに俺に気が付いて、ガラガラとベランダの窓を開けた。
「あっ師匠お風呂出たんですか? 凄いんですよ。こっち来てください」
と穏やかな笑顔で俺を手招く。
なんだなんだとベランダに出ようとするが、サンダルはモブに履かれており履くものがなかった。玄関まで取りに行く気にもなれず、まあいいか、となるべくつま先だけで歩くようにしながら裸足でモブの隣に踏み出す。
俺さっき風呂入ったばっかなのにな……、と思いながら、ふとモブを見た。
――その瞬間、俺の目に映るモブが輝いて見えた。
いつも見ているモブの横顔に、俺の記憶にあるまだ出会った頃の幼い横顔が重なって見えた。あの時よりも大人びた横顔が、真っ直ぐ夜空を見上げている。
――綺麗だった。
「今日満月みたいですよ。学校の友達が言ってたの思い出したんです。あーすごく大っきいですね。雨予報だったのに外れたからこんなに綺麗に見えるなんて思いませんでした」
ゆっくりこちらを向いて、
「月が綺麗ですね」
なんて言ってきた。多分モブは分かってない。その言葉が持つ、もうひとつの意味を。
結局俺は月を見ることなんてできなくて、ボーッとモブを眺めて、その場からしばらく動くことが出来なかった。
――恋に落ちるってこういうことなんだ。
それと同時に、この恋は叶うはずのないもの、叶ってはいけないもの。だという絶望に襲われた。誰にも悟られてははいけない。この想いは隠し通して、墓場まで持って行かねばならない。と心に強く誓った。
その日から俺は変わってしまった。
モブが事務所に顔を出す。モブが会いに来てくれる度モブの顔を見る度に、事務所内にパッと花が咲き乱れたようで、顔は笑顔に心は自然と踊り出す。
好きだと思った。どうしようもないほどに。
俺はあいつのことが恋しくて愛おしくて……そして同時に苦しかった。
会いに来てくれるのはすごく嬉しくて、もっともっと会いたい、一緒にいたいと思ってしまう。でもモブの目を見ることもできなくなってしまったし、当然今まで話してくれて嬉しかったモブの彼女の話も聞くことが出来なくなってしまった。
そんな俺のことを知らないモブは今日も当たり前に
「今日泊まっていいですか?」
とか聞いてくる。
俺はどうしても今までと同じようにモブと接することができなくなっていた。だが、お得意のポーカーフェイスで、お得意の相手を丸め込む話術で、俺の気持ちをうまく隠して、何とか悟られることなく過ごすことができていたと思う……たぶん。
うちに泊まる? そんなこと今の俺には無理だ。今までうちに来ては、二人っきりで、当たり前の友人の範囲内での身体に触れる行動もしていたし、一緒にベッドで寝たりもしたこともある……信じられない。
「あー悪いモブ。今日は仕事が溜まっててな。終わらせなきゃいけない案件があるんだ。また今度な」
とかなんとか言って、何回かはするりとかわした。
そのうちそれが続くと、モブの表情に違和感を感じるようになった……それはそうだろう、突然の俺のこの態度……いくらそういうのに鈍感なモブでも気付くだろう。
それに俺の方も毎回のお誘いを断るのがメンタルに来ていた。
この気持ちに気付いてしまってから、喜びと絶望の感情のジェットコースター状態が続いており、俺のメンタルはモブのことに関してことさら不安定だった。
だからついに我慢らなず言ってしまったんだ。
「モブ、もう二人で遊んだりとか泊まるとかは辞めよう。お前彼女いるだろ、なんか言われないのか? もっと彼女を大事にしてやれ。頑張れよ彼氏さん」
俺たちの間に緊張が走った。
モブの髪がユラユラとなびき、ふわっと事務所の物が浮かび上がった……モブの超能力が溢れ出している。この状態は久々に見た。しまった……と思った時には遅かった。俺は確実に間違えた。
「なんでですか? 僕は師匠と過ごすのが楽しかったんです。最近、師匠は僕と目も合わさない。僕何かしましたか? 何かしたのであれば謝ります」
モブは悪くない。謝る必要なんて全然ない。俺はモブに何を言わせてしまってるんだろう。俺は何か言わないと、と思って頭を働かせていた。
「師匠の気持ち、ちゃんと言葉にしてくれないと……全然わからないよ……師匠!」
俺はなにも言うことができなかった。モブの目から流れ落ちる涙を拭ってやることもできずに、立ち竦んでいた。
もっとうまくやれたんじゃないかとか、もっとうまく伝えられたんじゃないかとか。俺、そういうの得意だと思っていた。だけど、蓋を開ければこの有様だ。お得意のポーカーフェイス?お得意の相手を丸め込む話術?全然できてないじゃないか。しかも彼女のことを持ち出して本当に最低だ。どういう神経してんだ。
俺の気持ちの問題なのに、モブは悪くないのに、モブを傷付けた。モブを泣かせてしまった。それは俺の過ちに違いなかった。
――数日後、モブが半年ほど付き合った彼女と別れたらしいと、トメちゃんから聞いた。
それから俺とモブは、会うことも連絡をとることもしなくなった。たまにトメちゃんからモブのことをきいたりもしたが、俺が特段モブの様子を聞くなんてことはしなかった。
同じ調味市内に住んでいるのに不思議なもんだ。全くと言っていいほど会うことはない。偶然に会ったりしたら、俺はあの時の言動と行動を謝りたい。と思っている。
会いたいか? と言われれば会いたいが、会って今まで通りにできるか、と言われば話は別だ。
でも、このままではいけないと考えていた。
あのとき、俺がこの気持ちに気付かなければ、それで良かったのかもしれない。そうすれば今も変わらず、モブと過ごせてた。
どうして気付いてしまったんだ。気付きたくなかった。気付く前の俺に戻りたい。
それは無理だろうな。結局あのとき気付かなかったとしても、また違う時、違う場面で、気付いてしまうだろう。
それは何年も後の話かもしれないが、俺は遅かれ早かれ、気付いてしまう。色々と思慮に思慮を重ねても、この答えにたどり着く。
――モブのことが好き。
そんな日々が続き、いつの間にか季節は花が芽吹く春の気配を感じるようになっていた。
俺は心のモヤが晴れないまま、忙しく仕事に明け暮れていた。まるで言い訳するかのように、モブのことを考える暇がないように。仕事に没頭する日々を過ごしていた。
俺はお得意様の出張除霊の仕事を済ませ、事務所に帰るところだった。時刻は21時――あぁやっぱり遅くなっちまったな……もともとホンモノじゃない案件で時間が遅くなることも分かっていたため、頼もしい従業員の芹沢は事務所に残らせ、時間になったら帰るように伝えていた。
とりあえず帰って事務処理……考え事をしていて気付かなかった、今日はやけに明るい。ここは街灯もあまりなく暗い道という認識があった。
あ……
見上げると、あまりにも大きな月。あぁ今日は満月だったのか。
そうあれはこんな満月の日だったと俺はあの時の瞬間を思い出した。恋に落ちるその瞬間を。
――モブのことが好き。
師弟の関係とか大人と子どもとか世間のこととかそんなことどうでもいいと思った。俺はモブのことが好き。どうしたって好き。会いたい。伝えたいこの想いを。
満月の夜空の下、俺はくたびれたスーツで走り出した。
ただモブに会いたかった。
全力で走るなんて久々だったから、腰も膝も痛い気がしたが、それでも走り続けた。
はぁはぁはぁはぁ
【影山】と書かれた表札のある門扉の前に、ぜぇぜぇと息を切らし、両手を膝について頭を垂れているみっともないオッサン、もとい俺がいる。
息を整えてから……モブに電話をしよう。なにも考えてなかった。そもそもモブは家にいるんだろうか。
しばらく待っても全然整わない息と痛む膝と腰に、自分の身体に対して不満と苛立ちを感じた。
ええい、もう待ってられるか、電話してしまえ……!!!
半ば投げやりで、ガラケーを取りだし、通話履歴から【モブ】を探すが、見つからない。そりゃそうだろう。もう半年以上連絡をとっていない。これまでいつも通話履歴から電話していたのに……くそ! 俺は諦めて電話帳から【モブ】を探した。
――モブ。好きだ。好きなんだ。
「師匠?」
え? なんで? おれ、まだ電話してない。
一瞬なにが何だかわからなくなった。
突然、玄関のドアからその会いたくてたまらなかった本人が現れたのだ。じわじわと状況を理解した俺はモブの姿に目を奪われてしまった。
「……嘘でしょ。なんかいてもたってもいられなくて。そしたら師匠がいた……。ねぇ師匠、僕に会いにきてくれたんですか?」
たったの半年くらいかもしれないが、俺たちにとってこんなに会わない日々はなかった。門扉を開けて俺に近づいた弟子は少し身長が伸びたような気がした。
弟子は少し驚いたような、でも俺が来ることが分かってたような、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「師匠は僕に会いたかったですか? 僕はすごく会いたかったで…… 」
「好きだ。モブのことが好きなんだ」
俺はどうしようもないこの想いを口にした。一度口にすると、抑え込んでた想いが堰を切ったように次から次へと溢れ出てくる。
「すごくすごく会いたかった。会いたかったよ。あのときはごめん。モブは悪くないのにいっぱい傷付けた。ごめん。ごめんな」
俺はモブに伝えた。精一杯伝えた。目を見て伝えた。身体も声も震えていた。でもこの想いを伝えたかった。頬に何かが流れてるのを感じた。やっぱり俺泣いてる……? あぁかっこ悪いな……。
自分が泣いてることに気付いて、下を向こうとしたとき
「師匠」
モブが俺を呼ぶ。そしてそっと涙を拭ってくれた。
「ほら見てください。満月。覚えてますか? あのとき思い出しますね」
「月が綺麗ですね」
「これが僕の答えです。僕も師匠のことが好きです。へへ……大人っぽくないですか?」
「お前……知ってたのか……」
「どうだと思います?」
さらに一歩近づいた弟子に、俺は目も呼吸も奪われた。
なにも考えず突っ走ってしまった俺は、あとで色々後悔することになる。
影山家の家の前で盛大に告白劇をしてしまったので、モブのご両親や弟の律にも玄関ドアからその成り行きを見られていた。
その直後あれよあれよという間に影山宅に上げられ、ご飯を振る舞われながら、ご両親、律に根掘り葉掘り聞かれ、揉みくちゃにされて俺の一日が終わった。
こうして俺たちは恋人同士になったというわけだ。
後でモブから聞いた話だか、どうやらあの日のベランダでモブが言った「月が綺麗ですね」にはなんの含みもない、満月が綺麗なことを単純に言っていて、本当に「I love you」が秘められている隠語であったことを知らなかったらしい。そりゃあそうだ。あのころ彼女がいたしな。
普通にモブにバレてしまっていて頭を抱えてしまうが、あの時の俺が少しおかしくて、自分がなにか変なこと言ったのではないかとモブはモブなりに色々調べたらしい。
その過程で知ったんだ。となぜか自慢げに顎を割っていた。
あの出来事のあと、俺の態度も急に変わったから余計だったのかもしれない。
事務所でのモブの超能力が溢れ出したあの後、モブは結構荒れたらしい。これは律にも言われたが、常にピリついており、世界の絶望とでもいうような雰囲気のときもあったとのこと。正直見ていられなかったと怒っていた。
モブに至っては、彼女と別れたことに関して
「師匠の態度がおかしくなって、突然あんなこと言われて、師匠のことしか考えられなくなってしまって、それが原因で彼女と別れたんです。どうしてくれるんですか? これからたっぷり責任とってくださいね」
とか言う有様だっだ。
荒れた日々も長くは続かず、徐々にモブは自分の感情と向き合うことができたようだ。
俺と離れていた約半年間は、俺に対しての感情がなんであるのかの答えを探していたらしい。彼女への感情と俺への感情は少し違っていたようだ。色んな人に俺とのことを相談したらしく、色んな意見をきいて自分の中でようやく答えを見つけたようだった。
どうやらモブはトメちゃんに俺の様子を頻繁きいて探りも入れていたようだ。トメちゃんからは
「モブくんが来なくなって、元気がない」
「仕事を今までより詰め込んでいるようで無理をしているようにみえる。少し身体が心配」
というような情報を入手していたらしい。
トメちゃんにも心配をかけていたようだ。俺は大いに反省した。
こうして今現在も俺たちはお付き合いをしていて、今も仲良く過ごしているというわけだ。
「師匠、えっちしましょう」
聞こえてるって……2回も同じことを言う弟子に困っていた。文句のひとつも言おうと口を開こうとすると、再度俺の口を塞いでくる。
しつこくしつこく口内を責められて、その行為から漏れだした濡れた音で、俺の耳をも犯す。
やっとのことで解放された俺は、息切れしながら言う。
「はぁっ……何言ってんだ。そういうことは20歳になるまでしない、って何度も言ってるだろ」
「分かってますけど、そんな顔して……全然説得力ないです。もう僕19歳ですよ。20歳まであと8日ですよ。よ・う・か! もうあってないようなもんです。さぁ! 思う存分えっちしましょう!」
ぐいぐいくる若者の勢いに押されて、俺は焦る。俺たちの間ではこんなこと日常茶飯事だったが、確かにあと何日かでモブは20歳になる。
つきあった直後にモブとは思えないほどスマートにキスをされてから2年とちょっと経つ。ぐいぐいくるモブを抑えながら、俺はなんとか頭を働かせて、今の状況を切り抜ける作戦を考える時間稼ぎをすることにした。
「わ……わかった、まず話し合おう」
おわり