出会いまだ萬軍破が西幽の国境の防人の要として、西部総督を任されている時だった。
「閣下、魔剣の所持にて詮議いただきたい人物がございます」
総督府の砦の執務室で萬軍破が書類に目を通している最中に、取次の文官が急を知らせた。
文官が事の起こりを説明するには、先日の春の嵐で土砂崩れが起きて野外訓練中の部隊の上に大岩が転げ落ちて来た。
そこに走り寄った男が一撃で大岩を砕き、隊員達の命を救った。
そのあまりの威力に、あの男が所持しているのは木剣に見せかけた魔剣ではないか、と疑いがかけられたのだ。
西幽では魔剣は厳しく管理されている。
しかしごく稀に魔族や魔法道具作りに長けた工人が、作った魔剣を密かに巷に流すことがある。
風来坊の旅の男が魔剣を所持するとは、この地の治安維持を兼務する将軍として放っておけない。
護印師も専門家も居ない西部の辺境では、神誨魔械や聖剣の知識のある人物は萬軍破しかいない。
萬軍破は、男が捕らえられている地下へと急ぎ、鉄の扉を開いた。
魔剣の疑いありと剣を取り上げようとすると、男は抵抗したため拘束され連行されたのだ。
男は木剣を離さないように抱えている。
「お主がその剣を手放したくないのは分かった。
しかし、西部の民の生活と治安を守る者の務めとして、その剣が魔剣か審議する必要があるのだ。」
男はしぶしぶと剣を差し出した。
「返してくれ。
拙劍でもないと困るんだ」
見るからにただの木剣だ。
「木の棒でも練った気を込めれば鉄も岩も砕く」
魔剣の威力でなく、この男の内功の力なら確かめるのは簡単だ。
萬軍破は、壁から木の棒をとって渡した。
「ならば、この木の棒で鉄の扉を砕いてみよ」
男が気を込めて一振り、一瞬で鉄の扉は弾け飛んだ。
その鮮やかさに知らずにほぅと小さな驚嘆の声が上がった。
「失礼つかまつった。
我が砦の兵士の命の恩人の言葉を疑い、失礼を心からお詫びする」
許しを乞い頭を下げる。
頭を下げた先の男の腹からぐぅぐぅーと情けな音が大きく鳴った。
気まずい沈黙が流れる。
なんとか表情を取り繕って顔を上げた。
「腹が減って仕方ねぇ。
何か食べ物を貰えねぇか」
「承知した。
食事だけでなく、宿も提供しよう。
せめてもの詫びとして客人としてもてなしを受けてくれ。
貴殿、名前は?」
「殤不患」
男を尋問した兵士が提出した報告書によると、殤不患が語るには、『自分は異国へ向かうしがない旅人である。
先ほどの大嵐で食料と地図が流されて道に迷った。
道を探す内に、たまたま事件に遭遇した』とのことである。
話におかしい所はない。
内功の剣の達人という以外に、取り立てて注目する点も見当たらない。
間諜の可能性は低いと結んであった。
早くに起床して、萬軍破は簡素な訓練用の服に着替えると、広く開けた中庭に向かった。
早朝特有の張り詰めた澄んだ空気の中、無心に青龍刀を振るう時だけが、自分本来の姿に戻れる貴重な時間だ。
数十斤はある青龍刀を片手で振り回す剛力は、西幽に並ぶものなしと自負している。
後ろで人の動く気配がした。
「誰ぞ!」
ひょっこりと姿を現したのは、昨日の魔剣騒動の男だった。
「俺は青龍刀の心得はないが、凄いもんだな。」
珍しそうに眺めている。
「飯と宿の礼を言おうと思ってな。
天井のある部屋で寝たのは久しぶりだ。
ありがとな。
邪魔して悪かったな。」
身を翻し、去ろうとする。
「待たれい」
後ろ姿を呼び止めた。
「手合わせ願おう」
あの鉄をも穿つ太刀筋を見た時から、萬軍破の武人の血が疼いている。
「おう、いいぜ」
気軽に応じた男の声に、萬軍破は青龍刀を置き、訓練用の剣に持ち替えようとした。
「いや、そのままでいい。
俺もこの剣で青龍刀と打ってみたい」
そう言って木剣を腰から抜いた。
萬軍破は身の内に沸いた怒りを抑えた。
この男はこの俺の剣の腕をみくびっているのだ。
「しかし、それでは貴殿の分が悪かろう」
青龍刀と木剣では威力が比較にならない。
「実戦では、そうも言ってられねぇだろ」
幾多の戦場を駆け抜け百撃成義と功名を挙げた俺に実戦を説くとは、舐められたものだ。
「よかろう」
互いに向き合い刃を構える。
殤不患の構えは無造作に見えるが隙がいっさいない。
この男の実力を剣技を、己の技で試してみたいと気持ちが昂る。
しかし木の剣でこの青龍刀を受け止められるか?
踏み込み、まず一合。
殤不患は込めた気で鉄の硬さとなった木剣で受けて返した。
重い剣戟に腕が痺れるほどだ。
ただの木の剣なら青龍刀で簡単に折れている。
萬軍破は確信した。
この者の剣技は本物だ。
久々に好敵手と出会った悦びに身震いする。
互いに隙を窺い足を運ぶ。
殤不患が誘うように剣を引いた。
それが呼水になり、打ち合いになった。
何度も攻撃を繰り出すも、それを受ける相手の剣を捌く余裕を感じる。
ならば速さと力で押し切ろうと、さらに青龍刀の猛攻を打ち付ける。
激しい連続撃は、全て木剣の手首の捻りで軽く横に流された。
正攻法が効かないならば。
一歩引いた。
青龍刀の端を持ち柄の長さで足を狙い低く凪いだ。
殤不患は跳ねて空中に高く飛び、がら空きになった萬軍破の上段から剣を振り下ろした。
青龍刀の柄の石突きで間一髪で防いだ。
反動を利用してそのまま空中から二撃、三撃、連撃が降り注ぐ。
青龍刀の柄でなんとか防戦する。
萬軍破が防ぎ切ると、殤不患は空中から身を翻した。
互いに飛び退って間合いをとる。
危うく面を割られるところだった。
萬軍破の額に冷や汗が浮かぶ。
殤不患、恐るべし。
死線ぎりぎりの恐怖が頂点に達し反転し高揚に変わる。
己の中に住む戦闘を欲する獣が赤い口を開け牙をむく。
萬軍破は殤不患に挑んでいった。
砦の朝の始まりを知らせる鐘が鳴った。
萬軍破は手を止めた。
殤不患も気がついたのか、木剣を下ろす。
激突を繰り返し、時の感覚が麻痺していた。
周囲には人だかりができ、誰もが固唾を飲んで二人の試合を見守っていた。
文官が進み出て、跪き首を垂れた。
「閣下、政務のお時間です。
どうか、そこまでになさってください」
将軍としての責務の日常に引き戻される。
これほど他人と全力で打ち合ったのは久しぶりだ。
「また、試合おうぞ!」
剣を納めた殤不患に声をかけて、萬軍破は急いで朝の職務に向かった。
朝の勤めが終わり昼時になった。
萬軍破は殤不患を探した。
泊まっていた部屋にも食堂にも中庭にも見当たらない。
客間の掃除道具を持った兵士が通りがかった。
「客人は何処に?」
「朝餉のあと、里に向かうと出立されました」
萬軍破の心に、後悔が広がった。
もっと引き留めておくべきだった。
もっと殤不患と剣を交えたかった。
午後の職務が終わり、朝の激闘を思い出しながら夕方の中庭を歩く。
惜しい人物を逃した。
その時、後ろから声が聞こえて振り返った。
「悪い、今日は軒先を貸して貰えねぇか?
夜はまた大雨になりそうだ。
里では断られちまった」
殤不患が顔を掻きながら茶目っ気のある瞳でお願いしている。
「水臭いことを言うな。
好きなだけ逗留していけ」
「ありがてぇが、飯代も宿代も礼ができねぇ。
路銀は財布ごと流されちまった」
「さすれば…」
殤不患は萬将軍の采配により、砦に剣の師範の食客としてしばらく滞在することになった。
砦の中で兵士の剣の練習に使用する中庭と滞在する宿舎は自由に行動でき、軍事機密のある部署は出入り禁止、必要な時は監視がつく。
非番の兵士の自由参加による剣の稽古だが、萬将軍との朝の打ち合いを見ていた兵士から評判になり、希望者は溢れかえるほどだった。