無題地球人が月を見上げ、どこかしみじみとした気持ちに浸るように。
私にとって地球はそんな存在だった。青い星、美しく、儚くそしてどこか脆い。
思い出深い惑星だからこそかもしれない。この広い宇宙上でいつも目を引くのは地球だった。
戻りたいと思うときはある。姫というのは、長というのはいいことばかりではない。
だが戻ったところで何があるのだろう。もう私の過ごした街とは違うというのに。
でもやっぱり思うのだ。何かに耐え切れなくなったときに、ふと。
いつもはとどまることができた。ただ今日はどうしてもダメだった。
お兄ちゃんの誕生日だ、と気づく。お父さんとお兄ちゃんと毎年お祝いしていた日。
ケーキが出てきて御馳走が出てきて、お兄ちゃんもお父さんも楽しそうで、もちろん私も楽しくて。
そんな思い出に浸っていたからかもしれない。
一瞬後、私は竹藪にいた。お父さんに拾われた場所。
二度瞬きして一度頬をつねって、やっと現状を理解する。
簡単な話で、地球にワープしてしまったのだ。
あまりにもあの日と変わらない風景に少し驚く。
ただ違うのは、拾ってくれる人はもういないということだけ。
なんて思いながら一歩足を踏み出す。ざくざくと土を踏む心地よい音が竹藪に響く。
意外とすぐに抜けられた。小さなころはもう少し広いと思っていたのに不思議だ。
さて、地球に来たとてどうしようか。
全くのノープランで来てしまったため、行く当ても目的地もやりたいこともない。
「にしても、あんまり変わらないものなんだなぁ…」
いつも通っていた道。買い物に訪れた商店街。通っていた保育園。
意外にもあまり変わらない街並みに心が躍る。
この町の発展としてはよくないと思うけれど、私にとっては喜ばしいことだ。
思い出に浸りながら一通り町を歩いたのち、私は一つ行きたいところを思いついた。
「やることないし、小学校でもいこうかな」
そうと決まればふわりと宙に浮かぶ。竜宮小学校に行ってみたかった。
お兄ちゃんと、お兄ちゃんの友達と、そして私が通った小学校。
色々不思議な学校だ。10年生まであるし、修学旅行はうどん屋さんだし、裁判所があるし、門にはレーザーが巡らされているし。
もしかしたらもうないのかもしれない。でもあってほしいと思いながらあたりを見渡す。
「あ」
確かにそこに小学校はあった。あまり変わらないままで。自然と笑みが零れる。
静かに門の前に着地した。さすがにレーザーは撤去されていた。
あれ危ないんだよなぁと苦笑しながら中に入る。
幸いというべきか門は空いていた。
今は警備体制が緩いのだろうか。にしても開けっ放しはまた極端なと思う。
そこに帰宅する子供の集団が見えた。
仲の良さそうに上げる笑い声にどこか懐かしい気持ちに浸る。
「あの、お姉さん、何か御用時ですか?」
あまりじっと眺めていたからかもしれない。少し不安げに声をかけられた。
「あ、ごめんね、ちょっと私ここが懐かし」
振り返ったとたん言葉が止まってしまった。
だって私はあったことがあるような気がしたから。
否違う。見覚えは確かにあった。というより見覚えどころの話ではない。
青色のオーバーオールに、赤い蝶ネクタイ。
そしてお世辞にもおしゃれとは言えない青い帽子が何よりそうだ。
「君…な、名前は…?」
そう尋ねずにはいられなかった。
言ってからこれでは唯の怪しい人だと気付く。が、もう遅い。
だが、その子は少し怪訝な顔をした後答えてくれた。
「え、、僕は松田名作です…」
「松田?名作?ほんとに?」
何度も聞き返してしまう。だってそんな訳…あるはずがないのに。
「何で僕が嘘つくんですか…」
心底困ったような表情で見つめ返される。その顔も懐かしく感じる。
そこにいたのは確かに名作お兄ちゃんだった。
私に出会う少し前の、まだ少し幼さの残っている、お兄ちゃん。
「噓でしょ…だって、そんなはずは…」
そんなはずはない。だって私はこの目で確かに見届けたのだ。
お兄ちゃんが冷たくなっていく瞬間を。肉体が骨へと変わる瞬間を。
この世からいなくなってしまった瞬間を。
信じられない気持ちと、もう一度会えて嬉しいような何とも言えない感慨深い気持ち、そして本当にお兄ちゃんなのか疑わしい気持ち。
この三つが交差して私の脳内はこんがらがってしまった。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
「う、うん、大丈夫…ごめんね、じゃあ」
何だか居たたまれなくなって、咄嗟にその場から逃げ出す。
どう考えても、あり得ないのに確かにそこにお兄ちゃんがいる。
その事実をうまく受け入れられなかった。
…あるいは受け入れたくなかったのかもしれない。
戸惑うその子の声が遠く聞こえる。