ねがいぼしふたつ 少し前まであれだけ遠慮なく降り注いでいた太陽の光が、秋風に追い立てられ勢いが無くなってきた頃。これからジムチャレンジで生き残ったチャレンジャー達は、キバナと、新しいチャンピオンに向かって駆け抜けてくるだろうという少し前の、僅かな休息期間。二人はワイルドエリアの片隅でテントを張っていた。
「ダンデ、こっちのテント張り終わったぞ。お前のは…おい、それ夏用のテントだろ」
「…バレたか。実は、今日家を出る前に確認したら秋冬用のテントの布が裂けてたんだ」
「この時期はいつもより天候も変わりやすいんだから、マット引いたとしてもやばいだろ」
「そうなったらリザードンに出てもらうぜ。なあ、リザードン」
「ばっきゅ…」
「リザードン、めっちゃ渋い顔してるじゃん。そうだよな〜!寒いの嫌だもんな〜!酷いトレーナーだよな〜!」
茶化すようなキバナの言葉に、ダンデは一瞬ムッと眉を寄せるが、実際自分の確認不足から起きた事だったので反論はしなかった。
「はははっ!ムッとした顔リザードンとめっちゃ同じじゃん!…そうだな…ダンデ、オレさまのテントに一緒に入りなよ」
さっきまでの意地の悪い顔から一転して、目尻を下げながら優しげな顔でそんなふうに言われたダンデは、数回瞬きをしてから言われたことを飲み込み。やがて子どものように破顔した。
「子どもの頃以来だな!楽しそうだぜ!」
そう、ウキウキした様子で自分のシュラフをキバナのテントへと勢いよく投げ込むのだった。
太陽が空の天辺から歩き出して、地平線に沈む頃。早めの夕飯として、山盛りのカレーをポケモン達と平らげた二人は、そのまま折りたたみのローチェアに腰を下ろして焚き火にあたる。手には、最近キバナが作り方を覚えてハマっているブランデー入りのココアがあり、夜も深まって冷たくなった風が、焚き火の熱とアルコールで熱くなった肌を抜けていくのがとても心地よかった。ダンデは、久しぶりにゆったりとした気持ちになりながらカップの中身を胃へと流し込む。少しほろ苦いココアと、最後に香るブランデーの甘い香りが癖になる。気付けば随分とカップは軽くなり、ダンデの心も軽くなってきていた。
「これ、ついつい飲みすぎてしまうな」
「分かる。今ベストな配分考えてる途中なんだよなそれ」
「キミ、こういう時もの凄い凝るよな」
「お前がこだわらなさすぎるんだよ」
二人のカップが揃って空になる頃。焚き火の火も鈍い鉛色へと変化していった。そこまできて、漸く二人はテントの番を担当してくれるポケモン達に声を掛けてテントへと入る。
「こうして、二人並んでテントに入るのっていつぶりだろうか」
体の大きいキバナは、テントも少し大きめの物を使っている。だが、そうは言ってもそれなりに立派な体格の男二人で並んで入れば手狭で、今は二人シュラフに体を詰め込みながら、肩が触れ合うような距離でうつ伏せになり顔を合わせている。吊るされたランプの灯りが、時折小さく揺れて二人の影を明るいオレンジ色のテントに映し出す。
「えー?確か、前に八百長疑惑言われた時以来じゃないか?」
「そんなこともあったな。じゃあ8年位前か。あの時、騒ぐ外野を直ぐにバトルで黙らせたキミ、格好良かったな……」
「だろー?でも、それがきっかけで何となくテント分けちゃったままだったんだよな」
「なんか、勿体無いことしてた気分になるぜ」
「ふふっなんだそれ」
日が暮れるまでやっていたポケモンバトルの話や、最近気になっている論文の話。生まれたベビーポケモンの可愛さに、迷子になった時に見かけた色違いのポケモンの話。二人で取り留めのない話を続けていけば、初めての委員長としてのジムチャレンジ運営と、タワーでの疲れ。それにトドメのアルコールが効いたのか。ダンデの瞼は少しずつ下がっていく。
「そろそろ寝るか」
「嫌だぜ」
「いや、そんな半分寝てるような顔で言われても説得力ねぇよ」
「…嫌だぜ。せっかく…キミと久しぶりにゆっくり話せる機会なんだ」
「そんなにオレさまのとの時間、大事にしてたのかお前」
「……キミは…オレのねがいぼし……だからな」
ねがいぼし
想像してなかった言葉がダンデの口からまろび出て、キバナは首を傾げた。
「ダンデ?」
「…っ!オレ!なんて言った!!!」
「『ねがいぼし』って言ってたけど」
それを聞いてザァッと音が鳴るように顔を真っ青にしたダンデは、眠気なんか吹き飛んだように飛び上がってシュラフから体を起こす。いきなり動き出したダンデに驚きつつ、未だに意味が分かっていないキバナは、同じように起き上がりつつも首を傾げ続けるばかりだ。
「オレは…すまない…なんてことを…キミは人なのに…キミの努…力と研鑽を…オレは自分勝手なことを…キミは…」
ボロボロどころではない。ぼたぼたと音が聞こえるくらい涙を流すダンデが、ゴニョニョよりも小さい声で溢す言葉を、キバナは根気よく拾い上げる。そうしてようやく、欠片となった言葉のピースが全てパチリとハマった音を聞いた。
ダンデはずっと心の隅に抱えていた。
誰も彼もが自分とのバトルを諦め始めていたちっぽけな子どもの頃。
「ライバルが欲しい」
ままならない気持ちのまま空に願った時に、まさにねがいぼしのように現れたのがキバナだった。直ぐに燃え尽きてしまうのではと思うような苛烈な彼の魂は全く輝きを失うことなく、時に道が分からなくなり、朝日を素直な気持ちで受け切れなかったときに、「自惚れるなよ」とダンデのぼやけた体の輪郭を、叩き起こしてくれたのは、他でもない彼だった。
だが、キバナは人だ。人が自分の願いを叶える為に自分の所へ落ちてきたなんて考えは、その人の。キバナと、彼の仲間達の弛まぬ努力によって磨き抜かれた強さと、バトルセンス。それを駆使して駆け上がり、ずっとトップジムリーダーとしての地位を保ち続けている彼らへの侮蔑に他ならない。
本当は、ダンデはこの思いを墓まで持ち込むつもりだった。それがどうだ。疲れと酒の力でこんなにも簡単に溢れ出してしまうだなんて。申し訳無さと、虚しさと恐怖がごちゃ混ぜになった心は、もうどうしようも無いくらいに萎んでいった。それなのに。
「ははっ!それでねがいぼしか!」
てっきり、ふざけるのも大概にしろと怒られると覚悟していたダンデは、予想とは違う弾けるように大笑いするキバナに呆気に取られる。余りにも愉快そうに笑うので、思わず新しく流れそうになっていた涙も引っ込んでしまった。
「なんだお前、今更気付いたのか。オレさま、お前に向かって迷わず一直線に落ちてきたんだぜ。お前をいつか撃ち抜いて、燃やし尽くすためにな」
突き合わせている額をピンっと軽くその長い指で弾きながらキバナは心底面白そうに彼の牙を見せて笑う。
「…まだお前には届いていない熱だけど、いつか絶対お前をド派手にぶっ飛ばすから期待しときなよ」
そう言って、今度は目元を小突いたものと同じ指で優しく拭われる。睫毛に乗ってきた小さな雫が、まるで流れ星のようにするりと彼の指の上を伝い落ちる。
「お前はほんと、子どもの時から泣き虫だな」
指先と同じように、柔らかな声が耳に染み込んでくる。それに何故だか物凄く堪らない気持ちになって、ダンデは今度こそ大粒の涙を流すのだった。
バトルフィールドに響く地鳴りのような歓声に、同じ位熱量のある相棒の唸り声。ドスンと響くそれが、自分の呼吸と重なって胸の炎が燃え上がり、技を繰り出す度に熱量が上がっていく。
互いの相棒越しにかち合う瞳は爛々と輝いていて、ダンデはその光がもっと欲しいと咆哮した。その声を正しく受け取ったキバナは、答えるように叫び返す。一生続けばいいのにと思ったその時間は、背後から聞こえた相棒の地に伏せる音で終わりを迎えた。
叫びのような、胸を掻きむしりたくなるような歓喜と悔しさが頭の天辺から足の先まで、腹に響く地響きと共に駆け抜ける。シンっと水を打ったような静けさの後に割れんばかりの声達がダンデ達を囲むが、二人はその間も絶対に目を逸さなかった。
ゆっくりと震える手で、手のひらのボールの中に相棒を戻す。それをギュッと胸に抱き締めてから、ホルダーに戻した。見つめ続ける瞳は揺らがずに、まるで今のダンデの心を現しているかのような色だった。
「どうだっ!!!お前のねがいぼしが!お望み通りにお前をド派手にぶち抜いたぞっ!!どんな気分だよダンデ!!!」
しっかりと聳え立つ白銀の相棒と共に大笑いしながら、砂まみれになったバンダナを頭から外して此方へ問い掛けるキバナに、ダンデは助走をつけて走り出す。そして両手を広げて待ち構える彼の胸元へ、一直線に飛び込んだ。
「やっぱりキミは最高だぜキバナ!!!!」
飛び込んだ先のねがいぼしは、燃え尽きること無くダンデを受け止めている。その熱と、抱きしめた体越しに感じる鼓動の音が、自分への祝福に思えて。ダンデはキバナと同じように大笑いしながら思い切り瞳の中から星を溢した。