アシンメトリー・メモリーズ 11退院した翌日から、デンジはあっという間に前世の記憶を取り戻していった。なんと三日間ほどで、ほぼ全ての記憶を取り戻したのである。
「相当混乱してるだろ。平気か?」
アキはかなり心配したが、デンジはあっけらかんとしていた。
「いや、そうでもね〰︎。俺、女になったけどさぁ、あんまり性格とか変わってなくね?」
「……まあ、確かに」
「ポチタのことは、思い出せてほんとーに良かったけどな。アキとパワーが大事なのも、変わんねえし。ポチタとナユタにも、そのうち会えっ気がする。だからよ、あんま変わんね〰︎な。アキは、男の俺の方が良かったあ?」
「そんなわけないだろ。デンジはデンジだ」
「……ふへっ」
ふへへ、とデンジは笑った。今日も相変わらず壮絶に可愛いな、とアキは思った。もうずっと頭が馬鹿になっている。恋とは恐ろしいものだ。
「あっ、でもォ、変わったことはあっかも」
「何だ?」
デンジは訝しむアキの耳に口元を寄せて、頬を染めて悪戯っぽく微笑んだ。
「えっちの、知識は…………男の時の方が、あったから」
「!」
「男のロマンも、わかってるからぁ……アキ、楽しみにしてて……?」
アキはすんと真顔になり、黙ってデンジを押し倒した。こればかりは、煽った方が悪い。
「パパパパワ〰︎〰︎!!!ワシ参上!!!」
唇を貪りあっているとドアがバンと開いて、元気いっぱいの声が響いた。パワーだ。
いや、一応、今日来る予定ではあったが。それに一応、もしもの時のために、パワーにも鍵を渡してあったが。何故、勝手に入ってきているのか。
アキは口をひくつかせながら、低い声を出した。
「……パワー、ピンポンくらい、鳴らせ」
「ワシの家のピンポンを、何故ワシが鳴らさねばならんのじゃ!!昼間から乳繰り合っておる方が悪い!!」
アキは黙って枕を投げつけた。
デンジはパッと顔を輝かせ、アキを押し除けてパワーの元に駆け寄っていく。
アキはいつだって、パワーには敵わないのである。
「パワー!!早かったなア〰︎〰︎!!」
「デンジが記憶を思い出したら、すぐ来る予定だったからの!もう、ここはワシの家じゃあ!!」
アキは自分でその手配をしたにも関わらず、頭を抱えた。なんだか頭痛がする。
そう。今日からパワーも一緒に住むことになったのだ。荷物は後から追って来る予定である。
デンジが記憶を思い出さなくても、そのうち迎える予定ではあった。しかし、話がややこしくなりそうなので先送りにしていた。デンジは「パワーなら大丈夫だったのによ!」と言っていたので、気を遣いすぎたのかもしれない。
「ワシは腹が減った!!アキ、飯!!」
「俺も俺も〰︎!!」
「……なんでだ……。俺はこれを望んでたはずなのに、頭と胃が痛い……」
「なんでじゃ!?ははあん……さては、嬉しすぎて気が狂ったか!?」
「なんでそうなる!」
「パワー!!部屋ぁ案内してやるぜぇ!!」
「おうおうおう!!はよう案内せい!!」
二人の賑やかな声があっという間に遠ざかっていったので、アキは困ったように小さく笑ったのだった。
♦︎♢♦︎
白薔薇で埋められた教会の中に、讃美歌が響いていた。
美しいステンドグラスの光に包まれながら、花嫁が入場してくる。バージンロードを父親の代わりに付き添うのは岸辺だ。「今日くらいは酒飲まねえどくか」と言ってくれたのが、とてもありがたかった。
花嫁のデンジは伸ばした髪を結い、大きな白薔薇の生花を一輪さしていた。オーガンジーが幾重にも重ねられたエンパイアラインのドレスは、純粋な彼女によく似合っている。
ヴェールごしに見る彼女は、あまりにも儚くて美しくて、何だか遠い人のようだった。でもその彼女が自分の元に来てくれるのだと思ったら、アキはそれだけで泣きそうになってしまった。本当に、奇跡みたいなことだ。
ドレスの長いトレーンには精緻な刺繍が施されており、きっと後ろ姿までも美しいだろう。
アキは黒いタキシードを着て、長い髪は下の方で一つに括っていた。高い身長とすらりと長い手足で、基本的に何でも着こなしてしまう。「王子様みたいじゃん」とデンジに言われて、とても照れ臭かった。
見送る岸辺に目でお礼を言って、花嫁の手を取る。前世よりもずっとほっそりした、小さい手。今のデンジの手だ。
目が合うと、デンジが花のように笑った。こうして、何度でも恋に落ちる。
「新郎アキ、あなたはデンジを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
アキははっきりと答えた。迷いなんて一欠片もない。
「新婦デンジ、あなたはアキを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
デンジもまた、はっきりと答えた。その声には嬉しそうな色が滲んでいる。
「では、誓いのキスを」
ヴェールをそっと上げると、アレキサンドライトが光を受けて輝いていた。ティアラとネックレスに光るダイヤモンドよりも、やはりずっと綺麗だ。アキはそれに目を奪われながら、ふわりとしたキスを落とした。
シンプルなプラチナのリングを交換して誓約書にサインをした後、二人は腕を組んで教会を出た。
彩り豊かなフラワーシャワーで、同僚や友人たちに迎えられる。晴れ渡った春の青空に、花びらがヒラヒラと舞って鮮やかだ。
「おめでとう」
岸辺が感情の篭らない声で言った。前世でも今世でも、返しきれない恩がある。必ずこの人に報いようと思い、アキは小さく礼をした。
「おいパワー、お前泣いてんな!?」
「……っ!泣いとらん!!」
岸辺の隣に並んでいたパワーは、なんとその目に涙をいっぱいに溜めていた。アキは驚いたが、パワーもたくさん自分達のことを心配していたのだろう。
パワーが成人したら、自分達の養子に迎えるつもりだ。改めて法律上の家族になるのは、不思議でくすぐったい気持ちがする。
「デンジ君、おめでと〰︎!!本当に綺麗だよぉ!!!」
「デンジ君は絶対に綺麗な花嫁になるって、僕は思ってたよ。新郎が羨ましいな」
デンジの級友のレゼと吉田も参列していた。レゼもまた目に涙を溜めながら、デンジを見つめている。
吉田が穏やかに笑っていたので、アキは少しほっとした。大人げなく嫉妬したりしたが、今世は彼もまたアキの教え子なのである。
温かくて幸せな式だった。
デンジが18になり高校を卒業したので、二人はすぐに結婚式を挙げた。デンジは「金がかかるからいらねぇ」と言ったのだが、アキが説得したのだ。
ウェディングドレスは一生に一度しか着られない。記念を大切にして、想い出を残すことは重要なことだと言い聞かせた。
それに――何よりアキが、彼女のウェディングドレス姿を見たかった。こんなに可愛いデンジが自分のものだと、周囲に見せつけたかったのもある。
披露宴は、小規模な食事会のような形式にした。参列者ともゆっくり話せる、こじんまりとした良い雰囲気となった。デンジもリラックスして冗談を飛ばしていたので、アキはホッとした。
見送られて会場を後にしたあと、控室でデンジはほうっと息を吐いた。
「疲れたか?」
「いや、大丈夫。なんか、嘘みてぇだなって思っただけ……」
デンジは金色の睫毛を伏せた後、切なそうにはにかみながら笑った。
「俺、みんなにお祝いしてもらって、アキとちゃんと結婚できたんだなって。俺……あんなクソみたいな人生だったのにさぁ……嘘みてぇ…………」
弧を描いた赤い目から、ほろりと一筋の涙が零れ落ちる。アキは小さく笑いながら、美しい花嫁を抱き寄せた。
「式、やってよかっただろ?」
「……ゔん」
「幸せに、生きような」
覗き込む。その、大好きでたまらない瞳を。
「…………うん!!」
見つめる。
その輝く宝石を、何度でも。
これからずっと、何度でも。