One Day 13「おはよう」
朝目覚めると、彫刻のように整った顔にじっと見つめられていたので、デンジは腰を抜かしそうになった。
「アッアアア、アキ!?!?」
「いや、お前なに今更びっくりしてんだ?」
デンジは布団の端にズリズリと寄りながら、今の状況を思い出して確認した。昨日の交通事故。泣きながらアキに告白したこと。アキに好きだと言われたこと。
そして、家に帰って…………
「おわああああーーー!!!」
「うるせえ」
火が出そうなほど熱い頬を枕に埋めながら、デンジは叫んだ。アキは完全に呆れ返っている。
だって仕方がないではないか。朝を一緒に迎えるのは初めてのことだし、昨日の急展開にまだ心が追いついていないのだ。
「忘れたならもっかい、最初から言うか?お前の好きなところ……」
「いい!いい!ちょっと待て!待てってアキ!お前自分の面の良さを少しは自覚しろよオ!!」
アキが距離を詰めてデンジの耳に囁き入れて始めたので、デンジは布団から落っこちそうになった。完全に遊ばれている。
「えっ、つかもうこんな時間!?いつもとっくに起きてる時間じゃん!なんで布団にいんの?」
「なんでいんのってお前、恋人と初めて迎える朝に、いなくなる方が薄情だろ?よく知らねえけど」
アキは当たり前みたいな顔をして、堂々と言い放った。昨日から何かが吹っ切れたアキは別人のように、デンジに愛情を伝えてくる。今も言葉はぶっきらぼうだけれど、デンジの顔をあまく見つめながら頬をつついているのだ。再度言うが、本当に自分の顔の良さを自覚して欲しい。
「そ、それなら起こしてくれりゃあ良かったのに……」
「お前、口開けて寝てて、すげえ可愛かったから…ずっと見てた」
「みっ、みっ、見るなよぉそんなもん〜〜〜!!!」
壮大に照れて怒った声を出しながらも、デンジは幸せを噛み締めていた。アキと迎える初めての朝。夢から覚めても優しくて甘いアキ。全身をむずむずと震わせる嬉しさが駆け抜ける。
――『恋人』だって。
『恋人』だって!!
デンジは心の中で叫んだ。鼻の奥がつんとして、涙が出そうだ。そんなデンジを、アキはちゃっかり自分の方に引き寄せながら、続けて囁いた。
「デンジ、聞いてくれ」
「ん、なにぃ?」
「会わせたい人がいるんだ……実は今日、待ち合わせをしてる」
ごくり。
デンジは唾を飲み込んだ。なんだかシリアスな空気だ。
アキの家族だろうか。
それとも、劇団の仲間だろうか。
いつもへらへらとリラックスしているデンジだが、さすがに緊張する。だからネクタイを締めて、できるだけ真面目な顔でその場に向かったのだった。
♦︎♢♦︎
「全部、全部ワシの手柄じゃ………!!」
「いやお前かよ!」
待ち合わせの場所に行くと、そこにいたのは何とパワーだった。デンジは盛大にずっこけた。しかもまた虚言を吐いている。生まれ変わって初めての再会の、一言目であるというのに。
「お前の手柄じゃねーし。つかいるならいるって言えよパワー!アキも何で黙ってたわけぇ?」
「いや、コイツが言うなって言うから」
「ウヌらが面倒くさいことになっておったのは知っとったからな!!賢いパワー様は逃げたんじゃあ!!」
「ひでえ!助けろよちょっとは!!」
「関わりたくないから、問題が解決したら呼べって聞かなくてな……」
「はよくっつけと言ったのに、いつまでかかっとるんじゃウヌら!!全く手のかかる奴らじゃのお!!」
パワーはその薄桃のツヤツヤした髪を靡かせ、大きな目で睨みつけながら、ビシッと二人を指さした。心底偉そうだ。二人のすれ違いには、特に何も介入しなかったと言うのに。
アキもデンジも多大な疲労感を感じ、肩を落とした。今世もパワー様は健在である。
パワーは以前、舞台俳優のアキがテレビに出演していたのを見て、コンタクトを取ってきたらしい。家族には恵まれず施設にいるのだが、気が向いた時だけアキの元に遊びに来ていたのだと言う。
「デンジが戻って面倒ごとが片付いたなら、ワシも家に帰る!」
「おー、いいんじゃね?」
「部屋はあるからな」
デンジは異論などなあし、アキも頷いた。何なら二人がいつ来ても良いように、予め広い部屋を借りていたのだ。3LDKなので、今回のパワーとデンジは別々の部屋を持てることになる。
「今回のマンション、広いよな〜。アキさあ、俺らが見つからなかったら、どうするつもりだったんだよ?」
「見つからないわけないだろ」
「アキ……ウヌは、そういうとこじゃぞ」
パワーにまで呆れられているが、アキはあまりピンと来ていない。俺は何か間違ったこと言ってるか、と言わんばかりの顔だ。デンジとパワーは目を合わせて、それからふはっと笑った。
その日はパワーもマンションに来て、一緒に餃子パーティーをした。かつての賑やかさが蘇って、デンジは懐かしさでいっぱいになった。
ナユタは今頃どうしているのかな、と、ふと思う。
ここに呼んで、賑やかな中で、一緒に飯を食いたいなと思った。こいつらも、お前の家族だぞと言ってやりたい。
ともかく、早川家は再度結成することとなった。パワーは近々引っ越してくる予定である。
さらに、アキが言うには岸辺も見つかっているのだとか。今は警視庁の上層部にいて、多忙らしい。デンジとパワーも、今度会いに行くつもりだ。
♦︎♢♦︎
「なあ、アキ」
ある夜、また散々優しく抱かれた後、デンジはアキの腕に頭を乗せて言った。
「俺さあ、ナユタも探したい……あとさあ、ポチタも、見つかるかな…………」
「そう言うのを待ってた。協力する。……きっと見つかる」
アキはその目に真摯な光を乗せながら、静かに紡いだ。その落ち着いた声で断言されると、本当に見つかる気がしてくるから不思議だ。デンジは心の底からホッとした。
「ありがと、アキ」
「言っただろ?お前が心から泣いたり笑ったりできるように、俺は何でもするって、もう決めてる」
「え。それって、これから先も有効なの?」
「勿論。これから、俺が死ぬまで。ずっと有効だ」
その途方もない誠実さと優しさに晒されて、デンジはまた少し涙が滲んだ。
「俺、色々もらいすぎじゃね?どうしたらさぁ……アキに、返せんのかな」
アキに与えられる途方もないものを、デンジは返せるのだろうか。
そもそもそんな資格が、自分にあるのだろうか。
デンジは自分にその価値を見出せない。
それどころかデンジの心の奥には、一生消えない罪の意識がちらついている。
でも、アキは至極当たり前のことみたいに言った。
「……?もう、とっくに返してる」
「返してる?何を?」
静かに笑うと、晩夏の青空の光が煌めいた。それは、デンジの罪を思い出させる色。そして、デンジの大好きな色でもある。
「お前が隣で笑っててくれるなら、それ以上のものなんてないよ」
その言葉を、アキが本心から言っていることがわかったので。
デンジはやっと、あの悪夢のような晩夏の日から、少しだけ――――解放されたような、そんな気がしたのだった。
♦︎♢♦︎
九月のある日。
夏の終わりの青空が広がる下で、二人は海に浸かっていた。
「デンジ……お前、これ以上押すなって言っただろうが……!」
「ぎゃはは!二人とも尻もち付いたんだからさあ、おあいこじゃん!!」
デンジとアキの二人は服を着たまま、浅瀬で尻もちをついて、塩水に浸かっている。全身ビショビショだ。ふざけてもつれ合っているうちに、こうなってしまった。
「海の水って、べとつくんだぞ。ああー……ジーンズ、もうダメだろこれ」
「着替え買って帰ろうぜ〜。土産と一緒にさ」
「……仕方ねえな。まあ、俺もふざけたし…」
「そうだよ!元はと言えば、アキが俺に悪戯してさぁ……」
「わかった、わかった。土産代ははずむから、許せ」
「土産!パワーとナユタと、ポチタの分だろ。あと先生と、アサと〜、一応吉田にも買って帰るかぁ」
「………………吉田の分は、要らないんじゃないか」
「マジでやきもち焼きだな!ただのダチだって、いつも言ってんじゃん!」
デンジが呆れながらふにゃりと笑うと、アキもつられて笑った。
そのまま惹かれ合うように、キスをする。入道雲が広がる空の下で、何度も。
二人は静かなキスを繰り返した。
「はあ。格好つかねーけど……これやる」
「へ?なにこれ。濡れてっけど」
「濡れる予定は、なかった…………」
しかめ面になるアキを他所にデンジが箱を開けると、そこには一組のペアリングが鎮座していた。プラチナの光が、晩夏の空の下で輝いている。
「結婚しよう、デンジ」
アキが空と同じ青い瞳を向けて、真剣に言ったので――――デンジは勢いよく頷いて、その首に抱き付いた。
地獄の底みたいな一日があった。
苦しみに攫われる一日もあった。
けれど、底なしの幸せに満たされる一日もある。
もう怖くはない。
アキとデンジはこれからも、沢山の一日を重ねていけるのだから。
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二〇二×年九月△日
おれたちはけっこんした。
これからも、日記にはアキのことをかく。
ずっといっしょにいるって、やくそくしたからな!
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終