One Day 6================
二〇二×年九月△日
アキのぶたいを見た。
アキはまるでべつ人みたいだった。
でも、なんか昔のアキに似ててさ。
おれは思い出して、ちょっとなみだが出た。
久しぶりだから、びっくりした。
いきが苦しくなって、アキがたすけてくれた。
そのあとは、アキがピアノひいてくれた。
いっしょに歌ったけど、おれはへたくそだった。
アキ笑ってた。たのしかったな。
やっぱ、だきしめてほしいな。
ぜーたくなの、わかってるよ。
================
デンジは今日、アキの舞台を見に来ていた。
新しい舞台が始まるからと、初回公演のチケットをアキがくれたのだ。
稽古で多忙だったアキは帰りが遅くなることも多かったが、朝食は必ずデンジと一緒にとった。デンジが「もう飯は自分で作れる」と言っても、アキは「甘えとけ」と言って、夕飯も全部作り置きしてくれていた。その分と思いデンジが掃除や洗濯をしておくと、また子どもにするみたいに頭を撫でてくれるのだ。
アキの死後は何から何まで一人でやって、ナユタを育てていたデンジである。誰かに甘やかされるのは久しぶりで、アキへの恋心はますます膨らんでしまった。もともと持て余すほど大きかったのに、一体どうしたら良いのだろう。
客席でぼんやりとパンフレットを読んでいると、照明が消えて舞台が始まった。パンフレットによればアキは準主演で、かなり重要な役どころ。ヒロインの相手役である。
それは、悲劇のミュージカルだった。
不器用で幸せな恋のシーンから、物語は動き出して行く。
ヒロインと想い合っているのに、呪いをかけられているため気持ちを告げられない男。アキが演じる役だ。身分も年齢も、何もかも釣り合わない二人。しかも男の最期は近いと決まっている。
男の葛藤と悲哀を歌うアキは、まるで憑依されたかのように狂おしい熱を放っていた。舞台なんて見慣れていないデンジだけれど、思わず釘付けになってしまう。
物語は、ヒロインの恋の喜びと苦しみを主軸に進んでいった。彼女にはやがて、身分の釣り合った婚約者が当てがわれる。精悍な婚約者は誠実で、ヒロインを心から愛しており、文句のつけようがない。彼女は一度、己の恋を諦めることを選ぼうとする。
けれど終盤、事態は急変した。
アキが演じる男にかけられた呪いが、発動してしまうのだ。本来の人格を失い、化け物になって発狂する男。それに涙して、ヒロインは恋する男をナイフで殺す。
"もう苦しまないで。"
"殺してごめんなさい。"
"貴方を愛してるの。"
最初で最後の告白シーン。
死にゆくアキは心の中で正気を取り戻し、慟哭する。最期の魂の叫びの歌。ヒロインの歌と交錯するようですれ違うそれは、虚しかった。二人は決して交わらない。けっきょく男は最期まで、想いを告げることができないのだ。
舞台が終わり、役者紹介と挨拶に移った時――デンジは自分が心を抉られ、一筋の涙を溢していたことに気がついた。
「…………嘘、だろ」
久しぶりの涙だ。
アキを殺してしまった頃以来の、涙だった。
デンジは自分の呼吸が浅く細かくなり、動悸がひどくなるのを感じた。
息が苦しい。
酸素がうまく取り込めず、喉元を両手で押さえた。
わかっている。
あれはアキであって、アキでない。けれど死にゆく男の演技をするアキに、デンジは――前世のアキの最期を重ねて見てしまったのだ。
復讐に生きたアキ。
寿命を捧げてしまったアキ。
銃の魔人に乗っ取られたアキを。
――アキに戻れよ。
――戻れよ。
――アキ、ごめんなさい。
――殺してごめんなさい……。
「デンジ。……デンジ!大丈夫か?」
どのくらい時間が経ったのかわからないが、気づいたらアキに肩を掴まれていた。周囲を見渡すと、もう観客はほとんどいない。
「……はっ、アキ…………かはっ」
「過呼吸だな」
心配そうな顔をしたアキが、ビニール袋をデンジの口元に当てた。
大きな手にゆっくり肩をさすられる。
――アキが生きてる。
その事実を認識しただけで、デンジの呼吸は次第に落ち着きを取り戻していった。青い目を見つめながら何度もはくはくと呼吸をして、やっと入ってきた酸素にくらりとする。目からまた涙が滲んだ。
「舞台上から、お前の様子がおかしいのが見えた。すぐに来られなくてすまない」
痛ましそうに目に皺を寄せるアキに、デンジはふるふると首を振って見せた。
「控え室まで移動できるか?休んだほうがいい」
アキに大人しく従ったデンジは、控え室まで付き添われて移動した。忙しいであろうアキは「楽にして待ってろ」と言い残し、慌ただしく姿を消した。どれだけ無理をして自分の元に駆けつけたのだろう。デンジは朦朧としながら、並べた椅子の上に横になって、彼が戻るのをじっと待った。
――アキが生きてる。
デンジはその事実を、再度噛み締めた。
自分はそれだけで良かったのだ。また触れてほしいなんて我儘でいっぱいになっていたのは、過ぎた贅沢だと思った。デンジの目からは、また一筋涙が零れ落ち、やがて乾いていった。
しばらくした後、アキが戻ってきた。ラフなTシャツ姿に戻った彼は眉根を寄せ、息を切らしながらやって来た。
「ごめん。内容が、その。悪かったよな」
「……いや、すげー良かったよ。俺、入り込んじゃってさア。泣いちゃった」
「……泣いた?お前、涙が出たのか?」
「うん。出たよ。すげー久しぶりに……」
アキを殺した頃以来だとは、言わなかった。けれどアキは、大方わかっているのだろう。美しい目を細めて、苦しそうに口元を歪めた。
「なんかさ、アキに重ねちった。具合悪くなって、ごめんな?」
「……いや。俺としても、思い入れの深い舞台だったんだ。俺が舞台俳優になろうって決めたのも、これを観たのがきっかけで……。だから、お前に観てほしかった。ショックを受けさせてごめん」
「はは、お互い謝ってんな〜」
「……そうだな」
デンジがへらりと軽薄に笑って見せると、アキの口元も緩んだ。それを見てほっとする。
「確かにアレだったな〜。ハマり役。それに、熱演ってやつ?」
「……だろ?」
「すごかった。俺はもー大丈夫。休んだしよ〜」
「顔色は……戻ってるな。なら、俺の行きたい場所に付き合ってくれるか?お前を連れて行こうと思ってた場所があるんだ」
「お〜、いーけど」
アキとはもともと待ち合わせて、出かける予定だったのだ。特に予定もないデンジは快諾した。
♦︎♢♦︎
「すげ〜!なにここ?」
「レッスンするためのスタジオだ」
「え、俺入っていいの?」
「今日はそのために俺が一部屋予約してるから、問題ない」
アキがデンジを連れて行ったのは、スタジオの小さな個室だった。立派なグランドピアノが真ん中に置いてある。その横には譜面台やマイクなどが並んでいた。
「お〜!ピアノだ!!」
「そう。見てな」
声を上げるデンジに小さく笑ったあと、アキはピアノの鍵盤の横にパイプ椅子を持って来て、デンジを座らせた。それからピアノに備え付けられた椅子に座って、両手を静かに置く。
覚えのある旋律が始まった。
デンジも知っている曲。先ほどの舞台の曲だ。
「アキ、ピアノ弾けんの!?」
「今回は親にやらされたから。両手があると、こういう時いいだろ?」
悪戯が成功した少年みたいに笑ったアキは、次々と旋律を奏でていった。さらに、ピアノ演奏に合わせて歌っていく。
「あ〜!これヒロインと川で遊ぶとこだ!」
「これは一回さよならするとこ!すげ〜良かったよな、あそこ」
「げぇっ!これライバルの歌じゃん!完璧すぎてさぁ、アイツむかついたんだよな」
舞台の興奮冷めやらないデンジは、素直に大はしゃぎした。もう憑依されたようなアキはおらず、楽しそうにピアノを奏でている。
そうして一通り舞台音楽の演奏が終わったあと、アキはデンジをチラリと見てから、全然別の曲を弾き始めた。
「これはわかるか?」
「えっ……これ!これさぁ昔流行ってたやつじゃん!よくパワーが歌ってた!」
「そう。お前も歌え」
「ハア!?」
デンジはどきまぎした。歌詞は知っているが、鼻歌くらいしか歌ったことがない。けれど先に歌い始めたアキが目で強く促してくるので、仕方なく声を出した。恐る恐る。
「愛してる」の響きだけで……というサビが印象的なその曲。デンジとアキとパワーが一緒に暮らしていたとき、色々なメディアで盛んに流れていたヒットソングだ。耳にタコができそうなほど、繰り返し聴いたことがあった。
デンジの歌が下手くそすぎて、アキがふふっと笑ったのをデンジは見逃さなかった。糞、と舌打ちしながら、居直って大声を出す。
アキの美しい歌声と、デンジの調子っ外れなそれが重なってゆく。
『いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい』
この曲で何度も繰り返されるフレーズを歌いながら、デンジは不思議な心地がした。
こうしてアキとまためぐり会って、一緒に歌っている。
前世ではできなかったことをしている。
アキは生きていて――こうして両手があって、ピアノを弾いている。
デンジは自分の中で、また"楽しい"感情がはじけるのを感じた。
生きているアキと歌うのは――こんなにも"嬉しい"。
二人は何度も繰り返し、大きな声で歌い続けた。
♦︎♢♦︎
「今日は付き合ってくれてありがとな」
「いや、別に俺忙しくね〜し。全然いーけどお?」
夕暮れの帰り道、デンジは照れ隠しに空を見つめながら言った。アキに言われてまた学校に通い始めたりはしているけれど、基本的にデンジは暇だ。
そもそもアキ以上に優先させる用事なんて、デンジにはない。
「お前と歌ってみたかったんだよな。……前の時、から」
「えっ、そーなのお?」
「ああ。本当は歌ってみたかったし、色んなことをしてみたかった。もともと、演技にだって興味があったんだ。前は……諦めすぎだったな。俺は」
「…そっかあ……」
前のアキがそんなことを考えていたなんて、デンジは全然知らなかった。
いつも冷静な顔をして、悪魔を狩っていたアキ。
デンジとパワーの世話を焼いて、毎日忙しくしていたアキを思い出す。
あの頃アキはデンジよりずっとずっと大人で、何かを我慢しているなんて全然わからなかった。
「歌ってる時、お前……また少し、笑ってたな」
「……マジで?」
「歌はえらい下手くそだったけど」
「うるせ〜〜!!」
アキがまたふっと笑ったので、デンジは怒って見せた。けれど本当は楽しくて仕方がない。こうやって言い合うのは久しぶりだ。
「今日は涙も流したし、笑ったし、すげえ進歩したな?」
アキは左手で、デンジの頭をさらりと撫でた。夕暮れの光を反射した青い瞳は、黄昏時の空みたいに深い。デンジは自分の心臓がまた早鐘を鳴らすのを聞きながら、その大きな手の温度にうっとりした。
アキの左手。
ピアノを弾いていた、左手。
デンジの髪を撫でている、左手。
アキのことを好きだと自覚した日を思い出す。
あの日はアキの左手がないことが、あんなに寂しかった。そしてあの日から、二人の関係は歪んでいったのだ。
今、こうして頭を撫でているアキは生まれ変わって、デンジにこんなにも優しい。けれどデンジの心の中には、あの頃から全然変わらない気持ちが溢れ返っていた。
――アキが好き。
やっぱり大好き。
また涙が零れそうになるのを、瞬きを繰り返して堪える。ずっと泣けていなかったのに、栓が開いてしまったみたいに泣きたい衝動が胸を締め付けた。
――なあ、アキ。
なんで俺に優しくすんの?
俺は、まだアキを好きでいてもいいの?
こんなに……前世よりももっと、アキを好きになっちまうけど、許されんの?
ほろりほろりと、想いが零れそうになる。本当は叫びたい。アキに直接尋ねたい。
――両手でピアノ弾いてもらうのも、すげえ楽しかったけどさ。
その両手で抱きしめてもらえたら、どんなに幸せなんだろうな…。
贅沢だって……わかってるよ。
また歩き始めたアキの背中を見つめながら、デンジは思い出していた。
アキを殺した時も、こんな風に美しい夕焼けだったことを。
――なあ、アキ。
俺に殺されたこと、どう思ってんの。
両手があるのに抱きしめてくれないのは、そのせいなのかな…。
それはずっと、デンジの胸に引っかかっていることだった。痛みがぶり返すのを感じながらも、デンジはアキの背中だけを見つめていた。
――アキがもし、俺のことを嫌いでも好きだよ。
酷くされたって、あんなに好きだった。
アキに抱かれていた時を、遠い記憶を思い出す。
その思い出は決して幸せなものばかりではなかったのに、その頃の自分が羨ましかった。
デンジはやっぱり、どうしたってアキに触れたくて、触れて欲しくてたまらないのだ。
贅沢だとわかっていても、それを止めることができなかった。