これが地球で最後の日でも これが地球で最後の日でも
ぼくはきっと明日も生きているのかもしれません。
消えてしまいたいという衝動とどうしようもない情動で息を殺しじっと耐えている。
忘れてしまいたい記憶も、このままじっとしていれば消え去ってくれるのだと、淡い期待を抱きながら。
慢性的なリストカットに救いなどないことくらいもうぼくはわかっていた。
切るから楽になる、はいつしか切っても楽にならないが、切らないともっと苦しいに変わっていくのだ。
マイナスにマイナスをかけたらプラスになると聞いたことがあったのに、現実はどうだろう。
マイナスにマイナスを重ねてさらに落ちていくだけだ。
「……っ……うっ……」
ベッドの上で正座して、ぽろぽろと大粒の涙を流しながらただひたすら切ることに没頭する。電気は付けていない。窓から人工的なオレンジ色のライトの光が少し入ってくる程度だ。
まだ治りきっていない傷が一刺ししただけで開く。じわりじわりと赤い血だまりは大きくなり、内側から外側へ流れていく。
ぼくはそれを黙って用意したティッシュペーパーで受け止める。真っ白い、薄っぺらいティッシュがみるみるうちに重く、赤に沈んでいく。
一枚では足りず、二枚、三枚と使っていって、やっと収まる。
収まったのを確認したら、また別の箇所に刃を突き立てる。すっと、指先に力を込めて一気に引く。
そしたら皮膚が切れて、血液が外に漏れ出ていく。流れていく。
その繰り返し。
「……っ……ぅぐ……」
涙で滲んだ視界には真っ赤な血で彩られたぼくの腕がうつる。涙のせいでゆらゆら揺れて見える。
ゆら。ゆら。
定まらない視界に、乗り物酔いのような症状まで併発されて気持ち悪い。
ティッシュを二枚ほど掴むと、それで腕を押さえつけながら寝転がる。もう座っていられなかった。ぐらぐらと身体が揺れ、力が抜けていく。かと言って、止めなきゃベッドが汚れてしまう。
「……ぅぐ……けほっ……」
風邪でもないのに、咳が出て、呼吸が苦しくなる。
ぼくがわからないだけで、風邪をひいているのかもしれない。
馬鹿は風邪ひかないって、あれ馬鹿は風邪ひいていることに気付かないって意味らしいっすよとさざなみが言っていたことを思い出した。
ぼくはちゃんと気付けたのです。
だからぼくは馬鹿じゃないのです。
「こほ……こほっ……」
怠い身体を起こし、部屋から出ることにした。
ふらふらとした足取りで、なんとか歩を進めてドアを開けて廊下に出る。
足元にひんやりとした感触が伝わる。廊下は暖房が付けられないから冷たくてもしょうがない。
「つめたい……のです……」
何故だか足を冷やしてしまうことに、少しの落ち着きを覚える。
理由は、わかりませんけど。
冷たくて身体が震えたのにも関わらず、気持ちいい。
それから、目的を果たそうとおおよそ薬箱が入っているところを探すが、うまく見つけ出すことができない。
隠している……わけでもないのですよね……? なんで……?
戸棚の中も、引き出しの中も、手あたり次第探すが、うまく見つけ出すことができない。
「どうして」
ぽつりと呟く。見つからない焦燥感で、心臓がどんどん速くなっていく。
「どうしてなのですか……」
うまくいかない。何やってもダメなんだ、それを実感して蹲って頭を抑える。
「ぁあっぁあああ」
意味のない文字列が脳を冒す。呼吸が浅くなり、頭の中が壊れていく。
「ぁあああああ……っ……あああああああッ」
うまくできない。苦しい。ぼくは完璧だったはずなのに。どうしてこうもうまくいかないの。
自信もプライドもがらがらと音を立てて崩れ去っていく。
頭を抑えて、意味のない文字列を発して、こんなの全然ぼくじゃないのに。
もう嫌だ。何もかもが嫌だ。
そんな時だった。
「どうしたんすかあんた」
頭の上から声が聞こえる。顔をあげなくても誰だかわかる。
ぼくはぴたりと背中を固めた。
蹲ったまま顔をふせたまま、口を開く。
「別に……なんでもないのです」
「そうは見えねぇんだけど。……。立てるか?」
「なんでですか」
「なんでって……。切るなとは言わねぇけど洗ってキレイにしてやっから」
「あ……」
「なんですか、今の『あ』って」
「忘れてました。あっ、えっとなんでもないのですけど」
薬を探すのに夢中で、さっきまでリストカットしていたことをすっかり忘れていた。
服に血が付かないようにご丁寧に腕まくりされた腕からは固まった血がべっとりと付着していた。
今袖を戻したらよくないのですか……?
考え込むようなそぶりを見せるぼくに、さざなみはため息をついた。
「まぁ……。忘れちまったほうがいいんだけどさぁ……」
さざなみは呆れてはいたみたいだけど、怒ってはいなかった。そのことに安堵する。
普段なら平気かもしれないけど、今怒られたらすごく悲しくなって耐えきれないと思うから。
「何探してたんすかあんたは」
「風邪薬なのです」
「風邪でもひいたか?」
「あれ……さっきまで咳が出てたはずなのに……今は出てません」
「そっか」
「はい。治ったんでしょうか」
「あんたがそう思うんならそうなんでしょうよ」
ぼくはさざなみに軽く引っ張られながら流しまで移動した。
もう咳は出ないし、呼吸もできる。
なんで、かなんてわからないけど、見る世界が明るく見えて少し安心した。
「寝るか?」
じゃーじゃーと水道水の流れる音の中でさざなみが聞いた。
「じゃあそうします」
ひとまず、今日はおやすみなさいということで。