万葉くんのジェラシー稲妻へと航海中の死兆星号。
激しい嵐をどうにか乗り越え、永遠の国まであと一歩という所まで到達していた。
穏やかな潮風が髪をなびかせる。昼食を済ませた私は甲板に座って、流浪の少年・楓原万葉の声に耳を傾けていた。
「…といった、画期的な作戦で彼は見事自軍を勝利に導いたでござるよ」
「すごい!賢い!!」
今聴いていたのは昔に稲妻で起きた戦の話。機転をきかせて劣勢をひっくり返し、城を落とした凄腕軍師とやら……らしい。万葉は難しい言葉を沢山知っていて最初はちんぷんかんぷんで頷いていたのだが、そんな私に気付いて途中からは噛み砕きながら説明してくれた。彼の頭の良さが窺える。
「そこまで思い通りに進んだら気持ちいいだろうね、面白い〜!」
「そうであろう?」
興奮して、良かった場面をあれこれと矢継ぎ早に言う私。語彙力がなさ過ぎる感想にも関わらず彼は決して笑ったりしない。優しい人なのだ。
「ねぇねぇ、他には他には?」
「ふむ。この手の話は幾らでも聞かせてやれるのだが……」
万葉が言葉を濁したのに気付き、彼の視線の先を見る。思わず立ち上がってしまった。
「わあっ……!」
稲妻だ。
遂に目前に迫っていた。既に見たこともない形の建物がチラホラ目に入って……。
興奮している私に万葉が微笑みながら隣に並んできて、
「良かったでござるな、無事に着いて」
「うん、うんっ……!」
兄に漸く近付けた気がして嬉しさに二回も相槌を打ってしまった。すると、万葉がくすりと笑って頭を撫でてくる。
「可愛いな、お主は」
「あ、子供扱いしてる!」
「そう捉えるか……難しいな」
一体何が難しいのだろう?
「先は長い」、呟きつつどこか楽しんでいる風の万葉。目を閉じて何やら頷いている。
とにかく、だ。
喜ぶ理由は兄についてだけではない。風で乱れた髪を直している万葉を見上げ、高揚する心を隠しもせず言った。
「遊びに来たわけじゃないけど……っ稲妻に着いてもいっぱい話そうね!万葉の好きな店とか、場所とか、たくさん教えて?」
せっかくの縁だ、これでお別れだなんて寂し過ぎる。彼のことをもっと知りたい気持ちもあった。どんな景色を見て生きてきたのだろう、とても興味がある。
快い返事を当たり前のように期待したのだが……。
「ああ。……そう言ってもらえるのは、光栄でござるよ」
笑いかけては、くれたのだけれど。
(なんか……歯切れが悪かった、ような)
少しだけ、困った風に見えるのは気のせいだろうか。
「どうしたの?」、聞こうとした瞬間に船員から「ほらほら、降りる準備しろよー」なんて言われてしまったので、有耶無耶になったまま荷物を取りに行くこととなった。チラッと万葉を振り向いてみたが、いつもと変わった様子はなく。
万葉の真意を掴めたのは稲妻に降り立ち彼と別行動になると知った時だった。
(そっか……考えなくても、分かることだったな)
彼はお尋ね者だ。一般市民と肩を並べてこの国を歩ける筈がなかった。悠長に別れの挨拶をする暇もなさそうだ。
(気遣わせちゃったな……)
きっと私が楽しげにしていたので、「それはできない」などと水を差すのは躊躇われたのだ。人の気持ちを汲み取り行動するのが上手な、彼らしい判断だった。
下船してすぐにトーマという青年を紹介してもらえたことで、何とか雷電将軍への第一歩を踏み出せた。心の底から感謝しかない。
しかし……。
(万葉、もう会えないのかな……)
休む間もなく飛び込んでくるミッションに忙殺されつつも、残念に思う気持ちがいつまでも後ろ髪を引っ張っていた。
「お嬢、凄く喜んでたよ。ありがとう、旅人」
「ううん、私こそ」
神里屋敷から出た所でトーマが声を掛けてきて、歩きながら今日起きた出来事について話す。人好きのする笑顔が特徴的な彼に自然と心を開いている自分がいて、緊張感はすっかり和らいでいた。
「可愛い友達ができて嬉しい」
「それ、お嬢に言ってあげてよ」
「め、面と向かって言うのは恥ずかしいの」
「はは、変な所で照れるんだな」
本当に話しやすい人物だ。綾華が彼を信頼する気持ちも分かる気がする。何というか、安心感があるのだ。
不意にトーマが立ち止まった。
「そうだ。なかなかに綺麗な場所が近くにあってさ。行ってみる?」
「え!行きたい、連れてって!」
はしゃぐ私を見て笑ったトーマが歩き出す。
十分ほど経って着いたのは小高い丘で。
「すごい……!」
大木を見上げて感激した。
サクラ、という木らしい。薄いピンク色の花びらがとても美しい。
「だろ?稲妻ならではの風景だよ」
もう、言葉が出ない。こんなに綺麗な木があるなんて。
(空にも見せてあげたいなぁ……)
ちょっとだけ、切なくなりつつも見惚れる。
ふと、万葉から以前聞いた話を思い出した。
「ねぇ、トーマ」
「ん?」
「カエデも、近くにある?」
『拙者が一番好きな木でござる。あの紅より美しい色はない』
万葉が、そう言って懐かしむような表情をしていたのだ。あれからずっと気になっていた。
「カエデは、ないな……あったとしても今は見頃じゃない」
トーマが一瞬キョトンとした後に答えてくれる。
「そうなんだ……。万葉が教えてくれてね、見てみたかったなぁ」
少しガッカリしたが仕方がない。トーマに気を遣わせまいとまたサクラを見上げて笑顔を取り戻していると、
「へぇ。君にそんな話したんだ」
意外そうに言われたので小首を傾げる。すると、
「彼にとって大切なものだろうし……」
へー、ふーん。何やら納得した様子のトーマ。全くもって意味が分からない。
困惑していると彼が「あ、しまった」などと言い出して。
「用があるんだった、屋敷に帰らないと」
「そうなの?気にせず行って、道は分かるから大丈夫だよ」
「悪いね。また明日!」
足早に遠のいていくトーマに「ありがとー!」と大声でお礼を言い手を振る。
ポツンと一人になった所でサクラにもたれながら息を吐いた。
(そっか……カエデ、お預けかぁ)
見頃、と言うくらいだから仮に今見つけても綺麗な紅とやらは拝めなさそうだ。
トーマがいなくなった寂しさもあるが、何だか気持ちが落ち込んでいってしまう。
そうして無意識に、
「万葉……」
呟いて。
「呼んだでござるか?」
「わああああ!?」
サクラの中から逆さまに万葉が覗いてきて飛び上がった。おでこを見せたまま「あはは!」と笑って軽やかに着地してくる。危うく腰を抜かす所だった。
「な、い、いたの!?」
「うむ。拙者が先客でござるよ」
ぜ、全然気が付かなかった。
「だ、大丈夫なの、出てきて」
「もうすぐ夜であるし、そうでなくともこのような辺鄙な場所、誰も来ぬよ」
確かに、ここに用がある人などきっといない。サクラ以外何もないのだから。
漸く驚きでバクバクしていた心臓が収まってきて、おずおずと言った。
「万葉、その……ごめんね」
「む?」
「私、考えなしで……」
甲板で彼に気を遣わせてしまったこと、謝らなければと思っていたのだ。
「万葉、大変な目に遭ってるのに」、言い終わるか終わらないかのタイミングで万葉が自身の髪にくっついていたサクラの花びらを取って渡してきた。
「え?」
「可愛らしい色。お主にぴったりでござるな」
そう言って彼が柔らかく笑ってくるものだから、ポカンとして受け取ってしまう。間近で見る小さな花びらは万葉の言う通りとても可愛くて、つい見入った。
「時にお主、稲妻には慣れたか?」
「あ、う、うん!あのね、女の子の友達ができて……」
綾華との交流を万葉に話す。
話していて……気付いた。
(万葉……わざと話題を変えてくれた?)
にこにこして相槌を打つ彼。そのさり気ない優しさに申し訳なさを覚えつつも、
(なんか、ドキドキしてきた……)
なんだろう、この感覚は。
あれ、今どこまで話したんだっけ……。
そうして、ぼうっとしてしまっていると。
「蛍?」
「!!」
万葉が目の前にいた。
「どうしたでござるか?顔が赤いぞ」
「え?そ、そんなこと」
呂律が回らなくなってきてワタワタする。万葉が一呼吸置いた後「面白いものに出会した」、そんな表情をした。
「ほう、どうやら一手進んだと見える」
「なんの、はなし?」
「何だと思う?」
いや、距離がどんどん、縮まってない?
取り敢えず、質問を質問で返すのはいけないことだと、思うのだが。
「……可愛いな」
ふ、と万葉が笑う。船でも言われた筈なのにやたらと変な想像をしてしまって……。
「かず、は」
意味もなく呼び、万葉がその声に対して──
「オレ、お邪魔かな?」
物凄く、真顔になった。
万葉の冷めた目つきを見て、いつの間にやら戻って来たらしいトーマが思いっきり噴き出した。
「指名手配犯、発見しちゃった」
ははは、と笑うトーマ。「捕まえちゃうぞー」、そんなお茶目を万葉が無視した。
「悪い悪い、冗談だって。お帰り」
「元気そうで何より」
溜息をつきトーマの方を向く万葉。腕を組みながら、
「用があるのではなかったのか?」
「あれ、聞いてたのか。そんな近くにいたのなら話しかけてくれば良かったのに」
「拙者は質問をしているのだが」
「はいはい。……もっと大事な用を思い出してね」
突然のトーマの登場に思考が追いつかないでいる私の方へ、彼が歩いてくる。
そして立ち止まると同時に何かを手渡してきた。
「これは……?」
「簪。オレとお嬢から。お近付きの印」
サクラの形の……おそらく髪飾りだろう。独特なデザインだ、可愛い。
「ありがとう……!嬉しいよ」
稲妻に着いて早くもこんなに喜ばしいことが起きるとは。なんて幸先の良い。
綾華の可憐な笑顔が思い浮かんであたたかな気持ちになった。
「えへへ、似合うかな?」
「似合う似合う。可愛いよ」
「ほんと?」
試しに着けてみた私にトーマがウンウンと頷いてくれる。浮かれている私から万葉に視線を移して、
「な、似合ってるよな?」
空気が、凍りついた。
(あ……あれ?)
全くの無反応の万葉。
先程からだが、未だかつて彼がこんなに真顔で誰かをスルーしたことがあっただろうか。いやない。
というか、な、なんか、刺々しくない?
「うーん、やっぱりか」
トーマがまた一人で納得している。説明してくれ。
冷ややかな万葉に気が引けながらも、本当に似合っていないと思われているのではと何故か不安になり彼の着物をちょいと引っ張った。
「へ、変かな?」
「いや、可愛い」
まさか即答されるなんて完全に予想外で赤面する。何でトーマにはなにも言わなかったの!?
不意打ちのせいで顔を覆っているとトーマがケラケラと笑った。
「その子のこと凄く甘やかしてそうだな」
「大切な友人でござる、当然だ」
「万葉って女の子に執着する印象なかったけどなぁ」
万葉がふんわりと、いつもの微笑を浮かべた──
(あ、良かった。よく分からないけど笑ってくれた)
刀の柄を握ろうとしながら。
「怒ってるじゃん!」
思わずキレのいいツッコミをしてしまう。
一連の流れを見ていたトーマが何かを考える素振りの後にふと瞳を翳らせて、
「いいね、仲良いんだ?」
などと言ってきたので、蚊帳の外にされた気分になっているのかと少し焦る。
たた、と彼の方へ歩いて、
「えっと……私、もうトーマのこと大事な友達だと思ってるよ?」
素直な気持ちを伝えてあげた。
「え?」、トーマが驚いた表情をする。
「そんな風に言われるとは……ちょっと罪悪感。でも、嬉しいな。……ありがとう」
困ったように、ちょっぴり頬を染めて笑いかけてくれた。喜んでもらえたみたいだ、安心した。
私より長い付き合いなんだし万葉だって同じの筈。そう思って彼の方へ振り向く。
「ね、万葉もトーマが大切だよね?」
笑顔のまま今度は柄をしっかり握り締めた万葉がいた。悪化してる!!
「ど、どうしたの!?」
慌てて止めに入るとトーマがまた声を上げて笑った。
「いやー、こんな面白い万葉が見られるとは。今日はいい日だ」
「拙者もお主の新たな一面を知ることができて良かったでござる」
何とか手を下ろしてくれた万葉だが、目を閉じて淡々とした様子。言葉と表情が合っていない。
(取り敢えずは……落ち着いた、かな?)
ゆっくりと瞼を開いたかと思えば腰に手を添え斜め下を見る万葉。まあ多分、大丈夫だろう。
ホッとして、未だ楽しそうにしているトーマを見やると彼の肩にサクラの花びらが乗っていることに気付いた。クスッと笑い、
「トーマ、サクラが」
取ってあげようとした手が光の速さで掴まれた。万葉だ。
「え?あの……」
困惑して彼を見つめると何やらハッとした後すぐにバツが悪そうな顔をして離された。またもや斜め下を見ている。
トーマがそんな万葉に物凄くご満悦な表情を向けた。何なんだ、本当に……。
結局、きっかり五分そのまんまな万葉だった。
改めて簪のお礼を言い、思い出話を聴いて。
「ああ、流石にもう行かないと」、トーマが空模様を見て再び背を向けてくる。
本格的に暗くなってきた、名残惜しいが仕方がない。
「ほんとにありがとー!気を付けてねー!」
大声で叫ぶと彼が振り返ってきて笑ってくれた。そして依然ツンとしている万葉に対し、
「……良かったよ、元気にやってて」
一言、呟いた。
歩き出した彼へ少し遅れて万葉が言う。
「……お主もな」
手を振って返事代わりにするトーマを見て……それに対し僅かに微笑んだ万葉を見て。
私は、私の知らない大切な何かを感じとってなんだか嬉しくなった。
「……それで、さ」
万葉と二人きりになり気まずさを覚えつつ話しかけてみる。
「万葉、意外と近くにいたんだね。ビックリしたよ、船でどこかへ行ったとばかり……」
「……どうしてもしておきたいことがあって、姉君に若干の猶予をいただいたでござる」
「しておきたいこと?」
聞き返したがそれについては何も答えてくれなかった。代わりに、
「どうだ?稲妻は」
「え?ああ……緊張しまくりで下船したけど、綺麗な国だね。平和になったら思う存分観光したいな」
再度聞かれて普通に返してしまう。はぐらかされたのか?
私の言葉に万葉が満足そうに頷く。母国を気に入ってもらえて喜ばない人はいないだろう。
ここに来てからの流れを話し、女友達ができた嬉しさを重ねて熱く語ると「そうか」と彼が微笑ましげにした。
「トーマもいい人だしね」
言った瞬間、万葉の笑顔が固まった……ような。
「……随分と打ち解けていたな」
「うん。喋りやすいし、頼りになるし。優しいよね」
「まあ、そうでござるな」
「背高いよね、かっこいい。女の子に人気ありそう」
「まあ……そうでござるな」
「明日も会うんだー、頼みたいことがあるんだって」
「………………」
返事がなくなってしまった。
笑ってはいる。いるのだが。
(目が笑ってない……)
どうもトーマの話になると様子がおかしくなる気がする。先程はいい雰囲気で別れの言葉を告げていたのに。どうしたのだろう。
「えっと……万葉は明日から何するの?」
「ああ……会いたい者がおってな。長旅に出るでござるよ」
「そう、なんだ」
じゃあ、きっと今度こそもう会えないかもしれない。
万葉の邪魔をしてはならないと分かってはいるのだがどうしても気持ちが沈んでしまい、彼の指先をそっと掴んだ。
「……カエデ」
上目遣いに言った。万葉が瞬きもせずこちらを見ている。
「カエデ、見せてね?」
緋色の双眸が見開く。
夜風が吹き空には月が輝き始めていて。
月光を背に、万葉が優しく微笑んだ。
「……必ずや」
その一言だけで心が満たされて、
「約束だよ!」
そう言って笑いかける。
不意に万葉が私の手を握った。
「お主……無闇にそのような顔を見せるな」
「え?」
「自覚がなさ過ぎる」
意味が分からない。
眉根を寄せて彼を見ると、奥歯に物が挟まっているかのような……妙にもどかしげにしている。
「危なっかしいことこの上ない、審査所から始まり万国商会でも…」
万葉が顎に手を添え長々と喋り出す。「社奉行所では…稲妻城でも…極めつけは木漏茶屋…」。あれ?何だか、違和感が……。
「トーマを信用し過ぎ…」
「ねえ、万葉」
「む?」
話を遮ると、彼がキョトンとして黙った。
「あの、さ……」
「うむ」
「結構……最初から近くにいたんだね」
時が止まった。
万葉がスッと口元を手で押さえ、そっぽを向く。
「もしかしてちょこちょこ風に助けられたのって、万葉?」
全く、目を合わせてくれない。
「ねぇ」、言いながら顔を覗き込もうとするがその度また逸らされて。
「万葉ってば!」
フェイントを入れて逆方向から見上げると。
「……え」
流石のポーカーフェイスで非常に分かりにくい。分かりにくかったが。
「……あまり、見るな」
目から下を袖で隠していて、ほんの少しだけ見えた頬が……僅かに、赤かった。
「……万葉の、どうしてもしておきたかったことって」
もはや何も答えてはくれない。
(稲妻に着いたばかりの私を……見守ること)
危険を冒してでも、それでも。
陰ながらずっと……守ってくれていたのか。
相変わらず視線を逸らしたままの万葉をついじっと見てしまう。
(本当に……)
優しい少年だ。
じんわりと胸があたたまっていく感覚に暫し浸った。
……が。
兎にも角にも、初めて目の当たりにする彼に何と言えばいいのか。
困っていると、万葉が息を吐いて漸く腕を下ろす。だがしかしいつも通りの雪肌で。夢でも見たのか?いやでも。
今日の彼はどうにもらしくない。
……ふとある考えが浮かんだ。
「万葉ってさ」
「何でござるか?」
「もしかして……」
「……もしかして?」
万葉の目が、細まる。
「今日、体調不良なの?」
「…………」
思いっ切り苦笑いされた。ハズレだ、聞くまでもない。
(違ったか……)
ならどうして。
うーむ、と腕組みして考えていると、
「……誠に、先は長い」
「へ?」
何と言ったのか分からなくて呆けた声を出したその時、万葉に手を引かれた。
頬に、彼の唇が一瞬だけ触れる。
そうして、
「……これならどうだ」
目の前で不敵に笑ってきた。
「……え?」
「まだ分からぬか」
「なに、が」
月明かりに蒼く照らし出された彼に現実味を失う。妖しく光るその瞳に……吸い込まれそうになる。
誰か、通りがかって。これは夢ではないのだと証明して。
(こんな辺鄙な、場所)
万葉が言っていたではないか、誰も来ないと。それもそうだと納得したではないか。
「少し、回りくどかったか?」
万葉の指が、私の唇に触れた。
心臓の音がうるさい。おとなしくして、でないと……彼に聞こえてしまう。
「自分で思っていたよりも……拙者は嫉妬深かったようでござる」
無理だ、それ以上近付かれると。
「ま、まって」
「酷なことを。散々目の前でお預けされていたと言うのに」
ちかい、ちかすぎる。
「お、おねがい」
「待てぬ」
もう、無理だ。
「っ……待ってってば!!」
思わず万葉を押しのけた。
顔が火照る。私、ちゃんと息できてる?大丈夫?
グルグルしている頭を何とか落ち着けようとするが叶わない。
「優しくしても、強引に詰めても、駄目か……難しいな、本当に」
ふふ、と笑みを浮かべる万葉。何の話を、しているのだ。
取り敢えず状況を整理しなければ。
思った瞬間すぐに諦める。悟ってしまう。
(……だって)
だってこんなの、流石の私でも。
「──難攻不落」
はっきりと響く、万葉の声。
静かに笑って彼が私に背を向ける。
そして、ゆっくりと夜空を仰いで。
「落とせぬ城ほど落としたくなる。如何様に攻めてやろうか思案して……それが上手く嵌まった時の快感はどのようなものだったのであろうな?」
その話は、かの天才軍師の。
(流石の……私、でも)
「お主も思ったろう?実に……」
万葉が、こちらを振り向いた。
「──滾る」
心の底から楽しげに笑う彼の目には、きっと数多の策謀を張り巡らせた盤上が広がっている。
駒を着々と進める先に立っているのは、おそらく。
(……気付いちゃうよ)
どうしようもなく鈍感な、私なのだろう。