【独二】ぜんぶ夏のせいにして 蝉の鳴き声がいつからか生活音の一部になり、気にもならなくなったころ。拭っても拭っても湧き水のように溢れ出る汗をハンカチに吸い込ませてゆく。
営業成績が特別良いわけでもなく、かと言って全然ダメというわけでもないと自負している平凡な営業社員に営業車など与えてもらえるはずもなく、こうして汗を流しながら外回りをしている。
「……少し休んでも良いんだぞ」
嫌になるほど照りつけてくる太陽に向かって何となく呟いてみるけれど、こんなちっぽけな声が届くはずもなく、肌をじりじりと焦がす。
次のアポまで少し時間があったので耐えきれずコンビニに駆け込むとアイスコーナーの前で見覚えのある後ろ姿を見つけた。
暑くて一刻も早く冷たいものを摂取したかった俺は、知り合いに構っている余裕などなかったので、気付かないふりをしてアイスコーナーの一番端にあった良心的な価格のソーダのアイスを手に取った。
「あ、待って」
さっさと会計を済ませようと足早にアイスコーナーを離れようとした俺の手を見覚えのある彼が掴んだ。
「……なん、でしょう」
「なんで声掛けてくれねぇんだよ。ね、俺のアイスも買ってくれよ、独歩」
「……はい」
嫌だ、なんでだよ、どうして君の分も買わないといけないんだ、というやり取りが面倒で、彼が持っていたアイスを受け取るとそのままレジへ向かった。
会計を済ませると彼は満面の笑みで俺に礼を言った。汗でぐちゃぐちゃになっている俺とは対照的に、ほとんど汗をかいていない様子の彼は、アイスの袋を開けるとその場で食べ始めた。
「ん~、冷たくて最高だな」
「アイスは冷たいものかと」
「細けぇこと言うなって。ほら、独歩も早く食わねぇと溶けるぞ、それ」
「え、あぁ……」
心に余裕があればアイスを品定めして、新商品とかがあれば試してみようかな、と思うけれど余裕がなかったので久し振りに食べるソーダのアイスに少し緊張した。
「ごめん、冷たくて最高って感想は正しかったよ」
「だろ? ところで独歩は仕事中か?」
「仕事中だけど、少し休憩しようかと思って」
「偶然だな。俺も仕事中。兄ちゃんの手伝いで届け物してきたとこ。今から買い物の代行とか犬の散歩とかしてくる!」
元気よく話している彼はあっという間にアイスを食べ終わり、俺の方をじっと見ている。
「なぁ、それウマい?」
「美味しいよ」
「一口ちょうだい」
「え……っ?」
いいよ、も、だめ、も言っていないのに彼の口が近付いてきて俺が持っているアイスにかぶりついた。
動揺していたせいか、やけにスローモーションになって、高鳴る心臓の音が、うるさく鳴り響いている蝉の声が、頭の中を埋め尽くした。
「独歩?」
太陽の光でキラキラと輝く美しい瞳の中に、情けない顔をしている俺が映り込んだ。
「勝手に食ったの怒った? おい、無視すんな」
アイスを食べて身体の熱が引いたかと思ったのに、また熱を帯びてゆく。心臓の音のせいで声がうまく聞き取れない。
「独歩、顔赤いけど……。ていうか溶けそう」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくる彼が溶けそうな俺のアイスにまた口を付けた。
原因不明な胸の高鳴りの原因を今はすべてなすり付けても許してほしい。彼のせいだと言ってしまえばすべてを認めてしまいそうだから。
どうか今だけは夏のせいにして。