大切な家族.トラブルだらけの案件を行っていた際、たまたまデスクに置いてあったカッターナイフが目に止まった。リストカットなんて死ぬ気の無い奴らがただ手首を軽く傷つけて周りに心配してほしいだけのおかしな行為だと思っていた。それなのに頭の中はいっぱいいっぱいで正常な判断なんかできていなかったのだと思う。時間的にも社員全員が退社している時間で事務所内には俺1人だけ。カッターナイフを手に取り刃を3枚程出す。右手首に刃先を軽めに押し当て少し力を入れてそのまま勢いよく切り込みを入れる。手首に痛みが走るが、昔感じていた痛みよりかは全然マシだ。切り込みを入れた部分から真っ赤な血液がゆっくりと溢れて腕を伝う。痛いはずなのに血液が溢れている部分がじんわりとして何故か気持ちがいい。なんとなく頭の中もすっきりしてきた。これでトラブルだらけの案件も片付けられる気がする。今はもう少し手首を伝う血液を眺めていたい。椅子に腰掛けて机に伏せゆっくりと瞼を閉じた。
「...ばら......茨!!」
強く肩を揺すられた衝撃と聞き覚えのある声に名前を呼ばれて目を覚ます。閉じていた瞼をゆっくりと開けると、そこにはあまり見たことのない表情をした弓弦がいた。
「あなた...!一体何を...!!」
「...え..?」
目が覚めたはずなのにまだ頭がぼんやりとして視界が揺らぐ。体を起こすと、デスクには真っ赤な血液が広がっていた。そういえば手首を切った後、止血もしないで眠ってしまったことを思い出す。死ねるレベルの自傷行為では無いはずだが、思った以上に深く切ってそのまま放置してしまっていたのか。このまま弓弦が起こしてくれなかったら俺死んでたのかな。弓弦は手首をタオルで縛ると、そのタオルの上から更に手首を強く握って止血行為を始めた。タオル越しのはずなのに弓弦の手まで俺の血液で赤く染まっている。
「弓弦..おれ...」
「何があったかは後で聞きます!とりあえずES専属救命が到着するまで頑張りなさい!」
こんな顔で俺のことを心配してくれるのあの頃以来だな。あの頃の弓弦だ。俺が大好きだった、ずっと一緒にいてくれたあの頃の弓弦。どんどん揺らいでいく視界の中、弓弦を見つめる。
「...はは、このくらいで死ぬわけないじゃん...馬鹿だなあ、教官殿は.....ねぇ...ゆづる...?...おれ...まだ眠たいや...」
「っ、!寝たら駄目です!いばら、!!起きてください!!いばら...!!」
一気に襲ってくる睡魔に耐えられず、再び重い瞼を閉じた。
目を開くと目の前には弓弦がいる。弓弦は俺の手を取って微笑んだ。
「さあ、早く行きますよ」
「...え?行くってどこに?」
「学校に行くに決まってるでしょう。わたくしたちは今日から高校生なのですよ?」
あれ?俺こいつと同じ学校なんだっけ。今日から高校生って俺たち今3年生なんじゃないの?弓弦に腕を引かれるまま後ろを着いて行くと、夢ノ咲学院の前に着いた。
「あれ...俺の学校って秀越じゃ...」
「何を言ってるのですか。貴方はわたくしと同じ夢ノ咲学院に通うのですよ」
「そう...だっけ?」
「そうですよ。わたくしは貴方とずっと一緒にいると約束したでしょう?」
俺弓弦とそんな約束したっけ。それに弓弦こんなやつだった?いや違う。こんなやつ弓弦じゃない。弓弦はこんな事言わない。
「茨?どうかしましたか?」
「...あんたのお坊ちゃんは、どうしたの...」
「お坊ちゃん...どなたの事ですか?わたくしの大切な家族は茨、貴方だけですよ」
違う。弓弦の1番が俺なわけない。家族だなんてこいつは俺にこんなこと言わない。
「ほら、早く中に入らないと遅刻しますよ。”俺”と行きましょう、茨」
腕を強めに引かれ、こいつは学院の中に入ろうとする。身体全身に悪寒がして思いきり腕を振り払った。
「違う..違う、こんなの...」
「茨?」
「こんなの...!俺が求めた楽園じゃない!!」
「おひいさん!ナギ先輩!茨が...!!」
「茨...!!」
「茨!?分かる...!?」
再び目が覚めると、目の前には閣下、殿下、ジュンの3人がいた。また変な夢だろうか。殿下に握られる手が温かい。
「ここは...?」
「病院だよ。伏見くんから茨が多量の出血をして危ないって連絡が来たんだ」
「弓弦が...?」
「もう!心配したんだからね!!手首切ってそのまま寝てたってどういうこと!?ぼくたちにちゃんと説明してほしいね!!」
「伏見さんがあんたのこと見つけてなかったらどうなってたことか...危ないことしないでくださいよ...」
「...すみません...ですがそこまで心配していただかなくても、」
「心配するに決まってるね!!茨はぼくたちの大切な家族なんだから!」
『わたくしの大切な家族は茨、貴方だけですよ』
あぁ、あれはやっぱり夢だったのか。あいつが言うわけないし思ってるわけがない。あのままあいつに着いて行ってたらこっちには戻ってこれなかったのだろう。俺にはこの3人、Edenがいる。これが俺の楽園なんだ。
「閣下、殿下、ジュン...ありがとうございます」
ありがとう、弓弦。