星奏「ちょっと外に出てみない?良いものが見られるよ」
群島諸国への玄関口でもある港町の一角に佇む小さな宿。昼間の喧騒とも言える程の賑やかさは身を潜め、海だけが波の音を静かに奏でているそんな夜に唐突とも思えるような誘いを受けた。
こんな時間に何が、と思いつつも普段マイペースを崩さない彼からの誘いが珍しくつい素直に応じてしまった。
宿から少し離れた、船着き場と海を見渡せる広場へと足を運ぶと不思議な事にこんな夜更けだと言うのに疎らながらも幾人かの姿が見受けられた。皆揃って上を見上げている。
それに釣られて視線を上に向けると雲一つ無い満天の夜空が拡がり、その中を幾つもの星が流れた。まるで光の雨粒がパラパラと落ちていくように。
「凄いな……流星は珍しくないけどここまでの数を見たのは初めてだ」
「綺麗だろう?百数十年に一度あるかないかの現象でね。宿の女将さんが教えてくれたんだ」
そういえば二日程前だったか、滞在先である宿の女主人と旅の同行者である彼が談笑していたのを見かけたが。
「急ぐ旅じゃないならせっかくだし見ていきなよ、って」
「だからもう少し滞在しようって話になったのか」
予定では必要物資の調達と情報収集が出来次第この街を出る手筈だった。なるほど、商売上手な女将だと少々感心してしまう。
最も、彼女の言う通り急ぐような旅ではなかったしそのお陰でこんなにも見事な流星群が観られたのだからむしろお礼を言うべきなのかも知れない。
そんな事を頭に浮かべながら光の雨粒にしばし魅入っているとふと隣から呟くような謝罪が耳に届いた。
「悪かったね、付き合わせちゃって」
流星から目を離し声の主である彼、ラズロに意識を向けるとティルに見せたかったというより僕が見たかったんだ、と言葉を続けた。
「懐かしくて、ね」
呟きながらも視線は空へ向けたままだが、何処か遠い別の何かを見ているような、そんな眸だった。
そういえば先程彼は何と言ったか。
『百数十年に一度あるかないかの現象でね』
百数十年に一度の流星群など出逢えたなら正に奇跡だろう。普通の人間ならば。
だが彼、そして今の自分は違う。互いの身に宿るもの、この世界を司る二十七の真の紋章。それら全てに共通する不老という呪い。
そしてこの流星群が前回現れたという百数十年前といえば。
「……群島諸国連合が発足された頃の時代だったか」
「うん。正確にいうと連合が発足される少し前……船で群島を駆け回っていた頃だね」
此方の言わんとしている事が伝わったのか、深蒼の双眸を上空へ向けたまま肯定の意を返してくる。
「船の見張り番をしてくれていた仲間から良いものが見られるって聞いてね、皆で甲板に出て見たんだ」
まあ、そのうちに星を観ながらの宴会になっちゃったんだけど、と少しだけ困ったような色を浮かべながら語るその声はとても穏やかでいとおしそうで。
「……初めて見た時、どう思った?」
気づけば、そう問いかけていた。
「そりゃあ感動したよ。こんな一生に一度有るかどうかも判らない奇跡に出逢えたなんて自分達は幸せ者だね、って仲間達と一緒に笑い合った」
一生に一度の奇跡。仲間達と一緒に。
「まさかまた見られるなんて思いもしてなかったな……やっぱり綺麗だね、あの時と変わらないや」
そう話しながら微笑んだ蒼の眸にほんの僅か、淋しげな陰を見たような気がしたのは夜空の暗がりがそう見せただけだったのだろうか。
その見た目は自分とさほど変わらない年格好をしている。だが既に"百数十年に一度の奇跡"に再び巡り会う程の時を旅してきた人。今の自分と同じ時の流れを生きている人。
今は己の右手に眠っている親友の軌跡を辿る旅路の途中で出逢った人であり、親友が三百年という長い旅路の途中で出逢った人。
きっと今彼の眸を流れている星はこの空のものではない、かつての仲間と観たもの。だが、その星空をともに見上げ綺麗だと笑い合った“仲間達”はもう何処にも居ない。
これから先、恐らく自分も嫌という程味わう事になるのだろう喪失感や絶望、悲しみ。それらを既に数え切れない程経験してきた深い蒼。
――それでも“懐かしい”と、いとおしむ事が出来るんだな、この人は。
いつもは巧くはぐらかされてなかなか見えなかった彼の心の内がほんの少しだけ見えたような気がした。
そう思うと自然と口が動いていた。
「……次も」
「え?」
「次またこの流星群が観られるのが楽しみだな」
投げ掛けた言葉に小さく驚いたような表情を見せた直ぐ後にそうだね、と眸を細め微笑みを返してきた。
その笑みには先程までの眸に見えた陰はもう無い。
そうだ、今の自分達は同じ呪いを抱えている者、永遠に近い時の流れを生きている者。時折互いの歩む道が離れたとしてもその道がまた重なる事もあるだろう。
次の百数十年後。この流星群が再びこの地を訪れるその時にはこの深蒼の眸を持つ旅人と自分と。ひょっとしたら他にも誰かが居るかも知れない。
その光景を想像し改めて楽しみだと思いを馳せる。
夜空を彩る流れ星に願い事を、など普段の自分ならば無邪気な子どものようだと笑うだろうが今だけは違う。またこの星空が観られますように。流れては消えていく幾つもの星に小さな願いを託す。
夜のひんやりとした空気と海が響かせる波の音が心地好いこの満天の空を流れる星はまだ当分途切れそうもない。まるで星が海と一緒に小さな奇跡を奏でているような、そんな錯覚さえ覚える光景だった。