シークレット・ラヴァーズ③「富岡様ご夫妻、正面玄関にお着きです」
「了解、お迎えに上がります」
「河上様がB会場からご退出なさいました。A会場に向かわれます」
「分かりました、エレベータ前でお待ちしております」
カラス銀行創立記念謝恩パーティー当日。特別イベント開始時間が逼ると、次から次へと上顧客であるVIP達が到着し出迎えの為に特五の行員達が足早に行き交っていた。
場所は何時もの如くクロウホテル、観客を入れるゲームも行われる広い吹き抜けのバンケットホールが特別業務部四課・五課合同主催の特別イベントの会場だ。
此処は行内では通称A会場と呼ばれている。普通課が主催している一般的な式典やパーティーなどを行っている一階の大ホールはB会場と呼ばれており、カラス銀行として何方に力を入れているかは呼び方一つでも良く分かる。
吹き抜けはフロア三階分に及び、すり鉢状に段差を付けて客席が配置されている。一番底の部分に当たるメインフロアではゲームを行う為のテーブルやドリンクを供するバーコーナー、ビュッフェコーナがあり、気が早い来場者は主に其処に集まっていた。
客席は専らVIP達の為にあり、彼等の安全確保のためにもギャンブラー達はメインフロアから出る事は許されておらず、メインフロアから客席へと繋がる箇所には特五の行員が立ち、越境しようとするギャンブラーがいないかどうか目を光らせていた。
「――さて。そろそろ我々の仕事が始まります」
そんなメインフロアの片隅に、特別業務部四課宇佐美班の面々――のうち、主任の宇佐美と渋谷、しいなと榊が集まっていた。
「改めてこれからの予定を確認しましょう。十八時に真経津様、獅子神様、村雨様が到着予定です。出発は少し遅れたようですが到着は予定通りになるとのこと。我々は担当行員の所属班としてまずはご挨拶をしましょう」
到着時に所属班の行員全員からの挨拶を受けるというのは本来最上位であるワンヘッド所属のギャンブラーの特権だ。1/2ライフ所属ぼ場合は担当行員のみが、4リンクならばフロアで顔を合わせた行員が適宜挨拶をする事になっている。
とはいえ同じ場所――獅子神邸――から同時に来る三人に扱いの差を付けても、付けられた方は気分は良く無いだろう。
「おいジジイ、何でお前は行かねぇんだよ」
今回参加するギャンブラーの担当行員は彼等を迎えに行く事になっている。癖が強く気分屋な面が目立つギャンブラーが多い為、彼等の急な心変わりとドタキャンを防ぐ為の措置だ。
1/2ライフ所属村雨礼二の担当でありながらこの場に残っている渋谷に榊が詰問する。
「だって村雨くんが来なくて良いって言うんだから仕方がないだろう?」
「まぁどうせ同じ所から来るんだから三人は要らないですよね」
「そうですね、此方でも他に仕事はありますし。ご挨拶後はゲームテーブルへご案内を。真経津様は難しいかもしれませんが、獅子神様にはご参加頂けるでしょう」
金よりも名誉よりも権力よりも、何よりも「楽しい事」を最優先するあのワンヘッドギャンブラーにはVIP相手の温いお遊びなど退屈極まるだろう。
無理に参加させようにも大人しく座ってくれるタイプでは無い。なによりこういう場に滅多に姿を現さない、最上位であるワンヘッドのギャンブラーはその場にいるだけで注目を集め、勝手にVIP達が盛り上がってくれる。
事実今日この場にワンヘッドのギャンブラーを招く事に成功したのは宇佐美班だけだ。下手を打って機嫌を損ね、速攻で帰宅されるのだけは避けたい所である。
「村雨くんは出来る限りVIPのお相手をしてもらうって事でいいんですよね」
この場所でゲームの相手ではなく健康診断をさせようというのも中々不思議な発想ではあるが、VIPのご要望である。何より複数の特五行員からの申し送りにも要望があるのだ。
渋谷の確認に宇佐美は頷く。
「はい。特五からの申し送りだと、村雨様に診て貰いたいというご要望は七名のVIPの方々から入っています」
「全員診て貰うまで機嫌が持ってくれると良いんですがね」
渋谷の言葉に全員が肩を竦めた。ギャンブラーの機嫌など与り知らぬしコントロールも出来ないものだ。
宇佐美の話がひと段落した瞬間、全員のメッセージアプリが同時に受信を告げる。
『今ホテル地下駐車場に到着しました。真経津様並びに獅子神様、村雨様をA会場までご案内します』
送信者は梅野だ。さて、宇佐美班の仕事の本番の始まりである。
*
『真経津様、獅子神様、村雨様ご来場です』
アナウンスと共にドアがゆっくりと開かれる。
「へぇ、豪華な会場だね」
「今日は銀行も特に力を入れているパーティーなので」
御手洗に案内されて最初に入場してきたのは真経津だ。
その後に梅野が続き、そしてその後から残る二人が現れる。そして二人の姿に、多くの驚きに満ちた視線が集まった。
それは真経津一行の前に出ようとしていた宇佐美班の面々すらも同様で一瞬目を見張る。
本日参加予定の中では唯一の女性ギャンブラーである彼女、獅子神敬は漆黒のドレスを身に纏っていた。胸元は深いVネックにカットされ、豊かで女性らしい曲線を美しく浮かび上がらせている。
夜闇を、或いは彼女の隣に佇む男を想起させる黒いドレスには腰のあたりから床に触れそうなほど長い裾に掛けて密度を濃くしていく煌びやかなゴールドの模様が散りばめられ、会場の明かりをキラキラと乱反射していた。
見事なドレスを見事に着こなす獅子神に、目が肥えている筈の女性VIP達からほう、と溜息が漏れ聞こえる。
唖然としながら、しいなは最近読んだ雑誌の中に同じようなデザインがあったことを思い出していた。海外ハイブランドの今季コレクションである筈のそれは、そういえばこの間あの二人と遭遇した百貨店にも出店していたブランドだ。あぁ、あの時に、と納得する。
同じデザインのケープが背や腕を隠し、それを残念に思った男達には紅く温度の無い視線が向けられる。
隣に立つ村雨は獅子神の腕を取り、彼女の手を優雅に握っている。獅子神は村雨の腕に自然に寄り添い、二人は梅野の先導で静かに歩き始めた。村雨の黒いジャケットの裾にも同じゴールドの模様があり、獅子神のドレスと合わせたデザインである事は彼らを見守る人間達にもすぐに知れる。
「お熱いこって……」
榊がぼそりと低く呟いた。ペアルックでエスコート、正直なところ銀行が招いたギャンブラーでなければ何処の馬鹿ップルかと蹴り出したいレベルだ。同じく招待客であるVIPの中にも夫婦などカップルで参加している人物はいるが、此処まで露骨な二人組は他に類を見ない。
チラ、と横目で渋谷は隣の宇佐美を見る。何とも言えない表情で一瞬だけ口元を歪めた宇佐美は、次の瞬間には何事も無かったかのようないつも通りの笑みを浮かべる。
そして予定通りに挨拶に向かうその背中に、渋谷はプロ根性を見て内心十字を切った。
「お待ちしておりました。ようこそお越し下さいました、真経津様、獅子神様、村雨様。本日はどうぞお時間が許す限りお楽しみ下さい」
「楽しめればいいのだが」
「村雨」
ぼそりと聞こえた村雨の皮肉に被せるように、獅子神が声を上げた。
「獅子神様、本日も実にお美しい。VIPの女性の皆様に嫉妬されてしまわぬよう、どうぞお気をつけ下さい」
村雨の発言内容には触れず、宇佐美は獅子神の方へと改まって向き直り、胸に手を当てて腰を折りながら褒める。
「プロだね~」
「え?」
そんな様子を見て真経津が感心したような、呆れたような声を上げ、村雨は片眉を跳ね上げる。真経津の隣にいる御手洗が意味を測りかねた顔で二人の顔を交互に見、そして理解する事を諦めたようだ。
そんなギャンブラー達の様子を目の当たりにし、渋谷は目元を覆いたい気分になった。
ギャンブラー達、少なくとも真経津晨と村雨礼二は完全に分かってやっている。実に人が悪い。
「世辞は良い。それで? オレ達に何をさせようって?」
せめてもの救いは本人には伝わっていない事だろう。これで獅子神敬自身も分かってやっているのなら最早腹芸が上手すぎて恐ろしい位だ。
「話が早くて助かります。真経津様、獅子神様には是非中央テーブルにてゲームをお楽しみ頂ければと。村雨様にはVIPの皆様から個人的にご相談があるとの事です」
「えー、ゲーム? それ、楽しい?」
早速不満げな表情を真経津が浮かべた時だ。
続いての入場アナウンスが流れだす。
『叶様、天堂様ご来場です』
不満そうな表情を一転させた真経津は、たった今入場してきたばかりの二人に向かいブンブンと手を振った。そんな真経津に応えるように片手を上げた叶が天堂と共に真っすぐ真経津達の方に向かって歩いてくる。
その後ろに続く、挨拶の為に叶と天堂を出迎えていた特別業務部四課伊藤班、昼間と雪村は微妙な顔だ。
ギャンブラーのプライベートなどコントロールする事は難しいに決まっているが、よりによって宇佐美班のギャンブラーと親しくされるのは……と複雑なのだろう。
「おお、敬くん凄いな! オレへの視線まで独占しないでくれよ?」
「――ほう、美しいな。神は美を愛でられる」
「なんだよ、そんなに褒めんなって」
お、と渋谷は目を見張る。獅子神にとって気安い仲――他班所属のギャンブラーだが――から褒められた瞬間、獅子神は照れたのだろう、白い頬を淡い薔薇色に染めた。それは彼女に対する大方の評価である派手で華やか、そして驕慢というイメージを覆し素の姿を想像させる。
「成程ねぇ」
「それ」で村雨は落ちたのか、と顎に手をやりつつ感心して唸った渋谷に紅い視線が刺さった。年甲斐もなく若い子にちょっかいなど出しませんよ、とハングアウトして他意は無い事を示し許しを請う。
「ユイくん、あのゲームってオレ達もやんの?」
「おう。ボスから最低でも三ゲームは回せってさ」
ふうん、と興味薄げに呟いた叶が良い事を思いついたと言わんばかりに真経津に目を向ける。
「じゃあさ晨くん、敬くん。オレらと遊ぼうぜ? カモ共から今日一番多く巻き上げた奴が勝ちって事で」
「いいね、それ。退屈しなさそう!」
途端顔を輝かせた真経津に御手洗は胸を撫でおろす。ゲームに参加してもらえないのも困るが大切な担当ギャンブラーに面白くないゲームをさせるのも嫌なものだ。別テーブルの相手を遊び相手と定めて楽しんでくれるならば、それはそれで安心できる。
「寄付を募りつつ楽しめるならば、それが一番だ」
天堂からも異論は無く、獅子神も頷き、只一人指名されなかった村雨だけが少しばかり渋い顔だ。そんな彼を宥めるように獅子神が声を掛ける。
「お前もVIPの用が済んだら参加しろよ」
「……ああ」
ギャンブル用のテーブルから少し離れた位置にある別テーブルを見やった村雨は、つまらなさそうに鼻を鳴らした。