お題「休日」「折角の休日だっていうのに、君はわざわざこんなところまで来て……暇なのか?」
雨林、森。スメールの大地を見下ろす小高い丘の上、少しばかり宙に迫り出した草むらに腰を下ろしたアルハイゼンの背に、息を切らしたそんな声が聞こえて彼はわずかに眉を顰めた。
こんなことならば、ヘッドフォンの遮音装置を切るのではなかった。そう思っても、後の祭りだ。
何しろ声の代わり、さくさくと草を踏む足音がアルハイゼンへと近づいてきている。そうしてじきに、真正面を向いたままの彼の顔に影がさして日が当たった。視界の端にきらきらと映るのは太陽――ではなく、うつくしい金色の髪だ。
「人が休日にどこで何をしていようと自由だろう。それとも君には、俺の余暇の過ごし方に口を挟む権利があったのか。カーヴェ」
「権利がなければ口を出したらいけないのかい」
憮然。アルハイゼンにはそちらを向かずとも、くるくると変わる表情が手に取るようにわかる。
普段はやたらと澄ました、余裕ぶった顔でもってあちらこちらに愛想を振りまいているくせに、どうしてだかカーヴェはアルハイゼンに対してだけはその、「天才建築デザイナー」の仮面が剥がれがちだ。どころか、本人は甚だ不服だろうが吹かせる先輩風に反して年よりも随分と言動が幼くなる。きっと、間違いなく自覚はない。
(どうしても、何もないか)
アルハイゼンだって、カーヴェを前にしてはその、仏頂面が崩れることはなくともいつもより雄弁に、そして屁理屈じみた理屈を捏ねている、自覚は甚だ不本意だが、あった。
「そういう君こそ、わざわざこんなところまで追いかけてくるような暇があるのか? 言うまでもなく、俺にはここへ足を運ぶだけの時間の余裕も金銭的な余裕もあるわけだが」
「僕にだって、休暇を取る自由くらいはある!」
「そんな時間があれば、少しでも働いて今月の家賃を払ってもらいたいだけだよ」
「言っておくが、僕は別に稼ぎがないわけじゃないぞ」
「貯められないだけ、なんだろう? いずれにしても、君の手元にないのであれば、稼いでいようがいまいが同じことだ」
「結果だけを見て断じるのは、いささか視野狭窄というものじゃないか……って、そうじゃない」
まったく、カーヴェというのは一人で忙しい男である。アルハイゼンはいっかな傍らに座るカーヴェへと見向きもしないというのにぶんぶん、と大きく頭を振って、「アルカサルザライパレス」。彼は、二人の眼下に広がる広大な邸宅の名を口にした。
そう、代理賢者の職を辞したとはいえ多忙な書記官であるところのアルハイゼンが、貴重な休日を使ってわざわざ足を運び、眺めていたのは二人が同居するきっかけとなったアルカサルザライパレスであったのだ。
そんなもの、ここに来てしまえば一目瞭然だというのに、カーヴェの指摘にアルハイゼンはチッと短く舌打ちわする。
「君がわざわざこんなところに出向くなんて珍しい。何か、あそこの主相手に買い物でもあるのか?」
「あそこの主と商談をするなら、オルモス港にでも赴いたほうが確実だろう。そもそも、ふざけた言い値を払ってまで購うようなものは俺にはない」
「スメールでは手に入らない奇書や稀書ならわからないからな。そもそも君は、以前神の缶詰知識を探していたらしいじゃないか」
「いつの話をしているんだ」
終わった話だ。それも、カーヴェがあの、彼の代表作と謳われる邸宅のために全財産をなげうつどころか借財までこさえていた間の話だ。
「大体、用があるならさっさと訪ねている。こんなところで油を売るのは時間の無駄だ」
「それもそうだな。なら、なぜ」
「君には、いや、」
確かに、用もないのにあちらこちらをうろついたりする時間があるのなら、本を読むために時間を使うのがアルハイゼンという男だ。
何かや誰かに自分の行動を把握されたり、決められたりすることをも好まない。自分の時間は、自分のために使う。そういう、男だ。
「君が造ったものを見に来て、何が悪い」
やがて、どれくらいの暇があったろうか、
あるいはそれほどの時間は、経っていなかった。
それまでカーヴェを見向きもしなかった深緑の瞳が、そこで初めて正面から逸らされた。む、と唇を引き結んだカーヴェの顔を見つめることしばし、低く、小さく、少しばかり不機嫌そうにアルハイゼンはそう、口にする。
これは、機嫌が悪いのではない。
「俺は君のことをうるさいとは思っているが、君に夜な夜な建築模型を叩き壊すのはやめて欲しいと思っているが、だからと言って君の造ったものが嫌いなわけじゃない」
バツが悪い、もしくは照れている。カーヴェにはそれがわかってしまって、不満顔が途端、ぱあっと花が咲いたように破顔した。ずい、と身を乗り出してカーヴェは、逃げようとするアルハイゼンの顔をお構いなしに覗きこむ。
「アルハイゼン、君、もしかしてさっきからずっとこっちを見なかったのって」
「うるさい」
「僕が造ったアルカサルザライパレスを」
「うるさいと、言っている」
ぐるん、と勢い、それまで逃げていたアルハイゼンの顔がこちらを向く。相変わらずの無表情、だけどカーヴェは知っている。
彼の胸元を掴み、そこから先を言わせまいとカーヴェの唇を己の唇で塞いだ年下の恋人の、ヘッドフォンの下の耳が赤くなっていることを知っている。
人付き合いが悪く、多忙で、神出鬼没な書記官様が貴重な休日を使ってこんな、辺鄙なところに用もないのに訪れている。ただただ、カーヴェの作品であるところのアルカサルザライパレスを一目見る、そのためだけに。
アルハイゼンのそんないじましさを知っているのもまた、カーヴェだけだ。否、カーヴェだけが知っていればいい。
「君、本当は僕のことも大好きだろう」
ぷは、と行為に似つかわしくない可愛らしい音を立ててカーヴェとアルハイゼンの唇が離れた。至近距離で言ってみれば、
「君は違うのか? 俺は君のことが好きだが」
なんて一言が返ってくるはずもなく。
いよいよ首まで赤くしたアルハイゼンの、けして戯れや照れ隠しとは言い難い頭突きがカーヴェのその、形良い額を襲ったのだった。