風呂に入るのがひと苦労だった。砂遊びをしたわけでもないのに、洗っても洗ってもふたりの髪や身体から砂が出てくる。それから、フィガロの肌が真っ赤に焼けてしまって、終始シャワーを痛がった。
「日焼け止め、効果がなかったですね」
「それだけ日差しが強かったってことだよね」
大浴場には内湯がふたつと、露天が三つほどあった。レノックスは眼鏡をはずしてしまったため、フィガロに手を引かれながら浴場の中を移動した。段差があればフィガロが細かく教えたので、躓いたり転んだりすることなく、無事に露天へと移動する。露天には他に客は居なかった。
海に面した露天風呂は、海との一体感を出すためか柵がガラスになっており、湯船に浸かると狙い通り、自分が海に浸かっているような心地に錯覚する。
「黒湯だね」
フィガロは湯船の淵に腰掛けて、足だけを湯につけていた。彼は指先で湯に触れて、その触感を確かめた。褐色の濁った湯は、ぬるぬるとしている。
「黒湯、ですか」
「この辺りの土地が海の底に沈んでいた名残の、古い地層の湯だそうだよ。ナトリウムが溶け込んでる。日焼けに染みそうだから、俺はここにいるよ」
どこかに温泉に関する表示があったのだろう。しかしフィガロはそれきり黙ってしまい、ふたりはただ静かに湯に浸かっていた。レノックスは別段会話がなくても苦のない性格だったが、おしゃべりな性格のフィガロも黙って海を眺めている。
潮騒がふたりの沈黙を埋ていた。夕陽が背後に沈むため、眼前の海は既に濃紺色で、夜の裾が広がりつつある。
「バナナフィッシュは」
レノックスが言った。
「幸せだったのでしょうか」
「さあ、どうだろうね。少なくともバナナをむさぼっていた瞬間は、楽しかったんじゃない。でも、結局それで死んでしまうんだから。ひとりっきりで」
少し冷たい風が吹いてきた。レノックスは立ち上がって、湯船の外へ出る。
「中に入りましょう」
「そうだね、寒くなってきた」
再び、フィガロがレノックスの手を引いて、浴場を移動する。実のところフィガロに手を引かれずとも、彼の目立つ空色の髪を目印にすれば移動できないことはない。だが視力の良いフィガロには程度がわからず、レノックスの手を引いてくれる。好意を無下にするのに気が引けて、レノックスは甘んじて受け入れていた。
先刻、ベッドで手を握られたときに冷たかったフィガロの指先が、いまは温かくなっている。細い指、しかし女性的ではない。彼もまたレノックスと同じように背が高いため、手が大きい方だ。レノックスにとっては大半の人の手がとても小さため、自分とさほど大きさの変わらない手は珍しい。しかもそれを繋いで歩くというのは、浴場に来てからというものずっと、不思議な心地だった。
内湯は真水であるため、日焼けを痛がりつつも、フィガロも湯に浸かった。レノックスとふたり、隅の方に座る。内湯には先客が何人かいたため、大男たちは場所を取らないように少し縮こまった。
「他のバナナフィッシュが穴に入ってくることはあったのでしょうか」
「え、まだその話する?」
「え……」元はと言えばフィガロが始めた話なのに、と理不尽を感じつつレノックスは「はい」と答えた。