御心 その日は定例会だった。ここの所、平和な日々が続いていたし、今日も特段、問題は無い…はず、だった。
「フィンレイ様、私の発言をお許し頂けますでしょうか?」
「何についての発言かな」
「貴族様方について、疑問がごさまいます。私の様な愚民は、貴族様方の慣例について、存じ上げない事がある様でして…」
恭しく頭を下げる主に、一同は注目する。
「なるほど…どんな疑問だい?」
「御快諾ありがとうございます。では、不躾とは存じますが…貴族の皆々様は悪魔憑きではなければならない、という規定があるのでしょうか?」
途端、会場がざわついた。隣に立つルカスから鋭い視線が主に向く。
「とても悲しい事実なのですが…残念ながら、私がお会いした貴族様方は、皆様、七つの大罪のどれかを犯している様なのです…」
「聞き捨てならないな」
フィンレイの鋭い声が会場を駆けた。
「おやまぁ…でしたら、貴族の皆々様は不本意で悪魔に取り憑かれていらっしゃるのでしょうか?それは大変です、早く悪魔祓いをしなければ。」
「悪魔執事の主、何故そう思う」
フィンレイが主の言葉に被せる様に、少し怒りを呈した声を出した。主はそんな事など意に介さず、のうのうと応える。
「そちらの貴族様とあちらの貴族様はルシファーに。こちらの貴族様はベルゼブブ、あと、あちらの後方の貴族様はサタン、こちらの通路側の貴族様はアバドン、フィンレイ様の右側にいらっしゃる貴族様はマモン、あちらのステンドグラス側の貴族様方はベルフェゴール、そちらの出入口の貴族様はアスモデウス。何れも七つの大罪へと人間を導く悪しき者達の名前です。」
「…他にも居ると言うのか?」
「ええ、私から覗いましたところ、ここにいらっしゃる貴族の皆々様には全員、悪魔が憑いていらっしゃいます」
そんなはずがない、と、怒号が飛んだ。教会にも通っているのだ、と。
「いえ、間違うはずはございません。私は悪魔執事の主、悪魔への造詣はここに居るどなたよりも深いのです。」
「確かに…それは、そうかもしれない」
フィンレイの言葉に、また、貴族達が沸く。
「お労しや…傲慢なルシファー、嫉妬のベルゼブブ、憤怒のサタン、怠惰のアバドン、強欲のマモン、暴食のベルフェゴール、 色欲のアスモデウス。皆様が少なくとも1つの悪魔に、場合によっては複数の悪魔に憑かれていらっしゃいます…教会ではきっと、貴族様方がお気に病む事を憂いて仰らなかったのでしょう。」
罵声が飛び交う中、主は意にも返さず、淡々と続けた。
「もし必要とあらば、私が悪魔を祓って差し上げますが…それとも、貴族様になられる資格の1つに、悪魔に憑かれている必要がお有りですか?」
フィンレイへと向けられた真っ直ぐな瞳。
「いや…そういった慣例は無い筈だが、実質はそうなってしまっているのだな。」
「左様でございます、フィンレイ様。唯一、悪魔憑きではいらっしゃらないフィンレイ様でしたら、きっと、超常的な事柄にも理解を示してくださると思ったのでございます。人類が天使の脅威を受けなくなったとしても、このままでは、今度は悪魔の脅威に晒されてしまいます。悪魔憑きは七つの大罪への行動しか致しません。人類を救うために天使と戦うのか、グロバナー家を救うために悪魔祓いをするのか…それは、御当主であられるフィンレイ様のご進言あってこそ、私の様な物が判断できるものではございません。」
恭しく頭を下げる主に、貴族衆は更に激昂する。我々を無視するとは何様のつもりだ、と叫ぶ声が響く。
「悪魔憑きの件や貴族としての条件に関しては、こちらで引き取る。進言、感謝する」
そんな当主の言葉に、さらに罵詈雑言が飛んだ。そんな中、主は深呼吸をして、よく通る声を出す。
「貴族の皆々様は悪魔憑きですのに、私の可愛い可愛い大切な悪魔執事を手酷く扱うのは、矛盾していると考えているのは私だけのようですね。私の可愛い可愛い大切な悪魔執事たちは悪魔と契約しているのです、悪魔憑きの様に悪魔に支配されているわけではございません。私の可愛い可愛い大切な悪魔執事たちが、悪魔憑きと同じとは思わないでいただきたいです。私の可愛い可愛い大切な悪魔執事たちは人類にとってどのような価値があるか、今一度お考え直しくださいませ。我々は人類の繁栄のために存在しておりますが、人類を裏切る事など、悪魔の力を以てすれば、容易い事ですよ。無論、私は可愛い可愛い大切な悪魔執事たちの主ですから、悪魔には詳しいのです。悪魔を召喚する事も、誰かに憑かせることも、祓うことも、可能です。ですが、現時点、貴族様には悪魔憑きである事が条件になっていらっしゃる様ですので、祓うことは致しません。悪魔憑き同士は悪魔憑きを好むのです。今、悪魔祓いをしてしまえば、貴族様方の地位に支障を来すかもしれません、その様な悍ましい事は決して、私の意向ではないのです。ですから、悪魔の恐ろしさだけは、くれぐれもお忘れ無く。」
長いスピーチを終えた主は、少し微笑んだ。辺りはシン…と静まり返っている。
「それでは…発言をお許しくださりありがとうございました、フィンレイ様。私からは以上でございます。」
にこやかな、優しさ。それが仮面だと気付いたのは、悪魔執事たち以外に居ただろうか。主の滔々とした語り口にその場は気圧され、そのまま定例会は閉会した。
主は一度決めたら引かない所がある。屁理屈を持ち出して論破する事も得意だ。クセは強いが、芯の通った、人間だ。いや、芯が通るなんて、生易しいものではない。異質なくらい頑固なのだ。それは大抵の事では損を見る事が多いが、時折役に立ち、また、その頑固さ故、執事たちは主を信頼し、慕っているのだ。主は私的な場面では、基本的に、事実しか言わない。主の言葉は全て、信用に足る物である。主は、執事たちを裏切る事は無いだろうし、万が一裏切るのであれば、それを事前に真っ当に告げるだろう。その言動は全て、自己の利益よりも、執事たちの利益を優先させているのだ。多角的且つ長期的に物事を捉え、様々な面の中で1つでも執事たちの利益になりそうな事があるのなら、その様に動く。主はそういう人間だ。
帰りの馬車の中で、ハウレスは思わず零した。
「主様は…悪魔を操る事が出来るのですね…」
真面目な顔のハウレスに対し、ルカスはフッと笑いを漏らした。
「ハウレスくん、あれは主様のお戯れだよ」
「え…そうなんですか?」
「そうねー…悪魔召喚も悪魔祓いも、やり方は知ってるけど行った事は無いよ。」
「やり方は知ってるんですね!さすが主様です!」
ムーがキラキラとした瞳で主を見つめる。
「主様が悪魔への造詣が深い事には変わりありません」
「私の世界にも悪魔って存在はあるからね、みんなの事が少しでも理解ればと思って」
ハウレスの言葉に振り向く事もせず、主は馬車の窓辺にもたれ掛かり、外を眺めながら気怠げに応えた。
「流石は主様。我々は主様の勤勉さに感謝しなきゃね♪」
ルカスの言葉にハウレスはハッとした。
「それって…つまり、主様はもともと悪魔への造詣が深いわけじゃなくて、俺たちのために学んで下さった…という事ですか…?」
主は景色を眺めながら、眠た気にゆっくりと瞬きを繰り返す。
「オカルトとか元々好きだから。趣味の範囲だよ。そもそも私自身は無神論者だしね。」
「主様………!」
ハウレスが主を見つめ、小さく震える。横目で、チワワか、と主は内申突っ込みながら、主は両手を広げた。
「おいで。私の可愛い可愛い大切なハウレス。」
「主様…!」
跪くハウレスを抱き締める主は、優しく頭を撫でながら、微笑む。
「主様は本当に素晴らしいお方です…俺は主様に仕える事が出来て、本当に幸せです」
「私にそんな価値は無いよ。」
目を細めながら執事たちを愛でる姿は、まるで聖母の様だ、と執事たちの間では囁かれていた。主がその様に振る舞う時は、その執事と2人きりの時が多く、それを傍目にした事がある執事は少ない。他の執事にその様に接している所を、ルカスも初めて目にした。なるほど確かにこれは聖母かもしれない。客観的に見ることは無かったので、気恥ずかしさと優越感が綯交ぜになっていた今までとは、全く違う印象となった。主はいつも『自分に存在価値は無い』と言う、そんな人間が、こんな振る舞いをするのだ。『貴方たちの存在が私の存在意義だから』と言った、彼女の言葉も嘘は無いだろう。主は自身の生活に於いては自堕落だが、仕事や執事たちに関しては驚く程毅然として完璧主義を突き通す。そのためにかける、誰も注目しない時間も労働も惜しまないのだ。
そんな様子を見ていたムーは、主と執事たちにこんな日々が続くようにと、そっと祈ったのだった。
END 2023.09.18