Night out of Hanamaru ハッキリ言って、俺の生活は、前よりは裕福になった。給料もちゃんとあるし、休暇もちゃんとある。育児には給料や休暇は無い。その点、今の俺には色々と余裕がある。そして俺は、その余裕の潰し方も知っている。酒に賭博に女、金があれば余計な事は要らない。酒を呑みながら、そんな事を考える。
「それで、お兄さんは貴族の方なのかしら?」
「いや、俺がそんなお堅い身分なわけないっしょ〜」
「そうなの?お衣装も素敵だし、何より品のある顔してるから…貴族の方がお忍びで来てるのかと思っちゃった」
まぁ、そういう奴が多いんだろう。俺が昔出入りしてた娼館とは格が違う。仄暗い裏路地で客引きもやってなけりゃ、落ち窪んで疲れた目もしてない。きらびやかに着飾って、美貌を武器に、搾り取るタイプだろう。
「貴族サンじゃないなら、あたしをお兄さんの女にしてよ」
「へぇ〜?面白い事言うねぇ。」
「本気!超タイプだもん」
「ガキが4人居たとしても?」
「ウソ!4人もスゴイ‼やっぱりお兄さん貴族でしょ!」
少し、拍子抜けした。どういう事だろう?子供が居る相手を選ぶなんて、どうかしている。
「ねぇ、お兄さんの妾にしてよ。お願い!あたしもイイコ産むよ?お兄さんとの子供ならきっと美人だし」
なるほど、と思う。ここではガキはステータスなのだ。養う子供が多ければ多い程、側妻が居る裕福な男という事なのだろう。だが、こんな所に通う男に身請けされたとして、この女は幸せになれるのだろうか。たとえ妾になったとして、男が女遊びをやめる事は無いだろう。子供を産んだとしても、新しいお気に入りが出来りゃ、愛人なんてすぐに捨てられる。躰を売って生きてきた女が、他の仕事に就けるとは思えない。きっと、俺が昔行ったような裏路地で客引きをするのだろう。老いた妾は娼婦に戻り、だとすると、その子供は…?
そこまで考えて、あの教会が頭に浮かぶ。守れなかった命。でも、愛されなかったわけじゃない。けれど…望まれていたわけではないのかもしれない…。そんなのよくある話だ、と思う。パレスの人間だって、そんな生い立ちが多いだろう。望まれない、愛されない。愛されたとしても、失う。戦争孤児も多い世情、テンプレートな不幸だ。自嘲して、俺は席を立つ。
「悪い、やっぱ今日はやめとくわ」
「えー、何でぇ?お兄さんみたいなイケメン、たまには抱かれたい〜」
「ごめんな、気分じゃなくなっちまった。ほら、小遣い追加しとくから。」
「やった!流石、お兄さん大盤振る舞い!また来てよね!」
「そうだな、またな」
娼館を出てパレスに着くまで、指先の感覚がまるで無かった。何に怖気づいているんだろう、今更。
死だって覚悟出来ているのに。
「ただいまぁ〜…って、もう寝てるか」
別邸に帰ると、ユーハンが書き物をしていた。勤勉なことだ。
「まだ起きてたのか…あんまり小言は聞きたくないんだけどねぇ」
此方を見もしないで、ユーハンは言葉を放つ。
「夜遊びに対しては、私は何も言いませんよ。節度を守って頂けてれば。主様からも言われているんです。」
「へぇ〜?主様が?俺の事?なんてなんて?」
「『色々と溜まっているだろうから夜遊びは少しくらい多目に見てやってくれ』だそうです」
「へぇ…あっそ」
聞かなきゃよかった、と少し後悔した。大切な、とか言いながら、あの人は俺が女の尻追っかけてても構わないと云う。
(否、違う、これは主様の気遣いだ)
気にしちまった方が負けだ、こんな物は。切り替えたくて、風呂にでも入ろうかと考える。湯が沸いてなくても、取り敢えず色々と洗い流したい気分だ。
そんな時にばかり、主様は俺の前に現れる。
「あれ、ハナマル、こんな時間にどうしたの?」
「あー…いや、ひとっ風呂浴びようかと思って、な」
「そっかそっか、うんうん。ハナマルは頑張り屋さんだからねぇ」
近付いた主様はそっと俺の手を取った。
「あんまり煮詰めても良くないからね。サウナでも入ってひと汗かけば、少しはスッキリするんじゃない?」
撫でる手が優しい。愛しそうに手のマメに触れる。俺がこの人の知らない女を抱いたかもしれないのに、その手を優しく撫でる。だめだ、こんな感情───
(こんな?今、何て思った…?)
一瞬、惹き込まれそうになった感覚。そんな目で見ないでほしい、そんな風に撫でないでほしい。もっと、じっとりと、見定めるように…
(嫉妬して欲しかったのか、俺は)
これじゃあ、まるで、
(まるで、こんなの、)
…笑わせてくれる。こんなナリでも一応、弁えてるつもりだ。…つもり、だった。こんな、取り返しがつかなくなる前に、手を打つべきだった。違う、わかってたのに、野放しにしたんだ。俺の甘さだ。この人の優しさに甘えて付け込んだ。そんなの、返り討ちに合ったって、文句は言えない。
(馬鹿か、俺は)
上手い軽口も思い浮かばなくて、
「じゃあ一緒にサウナ入る?」
茶化すには浅はか過ぎる。もっとマシな言い回しがあるだろうに。
「我慢比べする?いいよ、今夜は暇なんだ」
そんな言葉を返す主様に、俺は苦笑いをした。
「そりゃ御遠慮願いたいねぇ。主様がぶっ倒れたら、俺の身が保障できないからな。」
別に平気じゃない?という主様の頭をワシャワシャと撫でた。子供扱いするみたいに。自分の気持ちを見なかった事にして、いつもの様に嗤って誤魔化す。大丈夫だ、まだ。きっと。引き返せる。多分。この怒りがある間は。俺が剣を握っている間は。偽れる。そう決心して、主様の頭から手を離した。
2024.01.15 END