特権は譲れない 心地よい午睡から目覚めた女は、近くに人の気配のないことに気づいて、辺りを見回した。
大きな窓から燦々と陽の差すコンサバトリーは、日光浴にうってつけの場所だ。本格的な冬を迎え、冷たい凩が吹くようになってからというもの、休日の午後はコンサバトリーで恋人と一緒に日光浴をするのが、彼女の常となっていた。
寝落ちるまで、女の隣にはミヤジが座っていたはずだが、どこへ行ってしまったのだろう。彼の低く穏やかな声で「おはよう」と言われるのが好きだから、彼女はそれが聞けなかったことを残念に思った。
「ふ、わあ……」
大きな欠伸を、隠すことなく零す。目の端に浮かんだ涙を適当に拭ったところで、女はベンチの背もたれにカーディガンが掛けられているのを見つけた。
白い毛糸で編まれた温かそうなそれは、ミヤジが着ていたものに違いなかった。寒がりな自分のためにフルーレが編んでくれたのだと、嬉しそうに、愛おしそうに話してくれたからよく覚えている。
置いていったということは、戻ってくるつもりがあるのだろう。そう判断して、彼女はそのままミヤジが戻ってくるのを待つことにした。
女はなんとはなしに、カーディガンを手に取った。厚みがあるせいか、大きさのせいか、思っていたよりずっしりと重みがある。肩のところを持って広げてみると、大きさがよくわかった。
ここまで大きいと、好奇心が湧いてくる。自分が着たら、どんな感じになるんだろうと考えて、彼女はミヤジのカーディガンを羽織ってみることにした。寝起きでいつもより理性が緩んでいたから、できたことだった。
「……思ったより大きいな」
肩はずり落ち、長い袖から手を出すのも一苦労だ。これでは着ているというより、埋もれているというほうが正しい。
女はサイズの合わないカーディガンを着ることを早々に諦め、毛布のように包まることにした。脱いでしまうには、部屋が少し肌寒く感じられたのだ。陽が傾き始めたせいだろう。
カーディガンは温かかった。それに、ミヤジのつけている香水の香りがして、とても落ち着く。包まっていると、彼に抱きしめられているようだ。
温もりに誘われるように、女は目を閉じた。眠りの波が、とろとろと忍び寄ってくる。彼女がこのままもう一度眠ってしまおうかと思ったところで、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。ミヤジが戻ってきたのかもしれない。
「おや……起きていたんだね。おはよう」
「うん。おはよう」
足音は、予想どおりミヤジのものだった。大好きな人に会えて、聞きたかった言葉も聞けて、彼女は上機嫌に口角を上げる。
「ああ、やはり取りに行って正解だったね」
大きなカーディガンに包まる恋人の姿を見て、ミヤジは持っていたものを広げた。彼が持つと子ども用にしか見えないそれは、女物のカーディガンだった。
なるほどと、彼女は独り言ちる。ミヤジはこれを取りに行くため、席を外していたらしい。目を覚ました彼女が寒い思いをしなくて済むよう、自分のカーディガンを残して。彼のほうが、よほど寒がりだというのに。
早くこれをミヤジに返して、彼が取ってきてくれた自分のカーディガンを着るのが、正しい行動なのだろう。でも、と女はサイズの合わないカーディガンの前をぎゅっと握りしめた。
「どうしたんだい?」
「これ……もう少し借りてたらだめ?」
「え? もちろん、あなたが望むなら構わないが……」
ミヤジは戸惑ったふうに、僅かに眉を下げる。しかし、彼女の希望を優先してくれるようだった。
「そんなに気に入ったのかい?」
「うん。温かくてミヤジの匂いがして、安心するの。ミヤジに抱きしめてもらってるみたいで」
「…………それは、聞き捨てならないな」
低い囁きが落ちた。上手く聞き取れなかった女が聞き返そうとすると、カーディガンは呆気なく本来の持ち主に奪われてしまった。
さっきは良いって言ったのにと、恨めしそうに見上げる女を、ミヤジの長い腕が囲う。
「本人がここにいるのだから、上着なんかで満足しないでくれ」
そうしてそのまま、ぎゅっと抱きしめられる。
ミヤジの腕の中で感じる安心感は、カーディガンに包まったときの比ではなかった。触れたところから伝わる温もりも、香りも、なにもかもが鮮明で、安心するのに、同じくらいドキドキもする。ミヤジのことが好きなのだと、痛いくらいに実感する。
「……それに」
フッと息を吐いたミヤジは、女の体を軽々と抱き上げた。そっと額を合わせられて、星明かりのような銀髪が彼女の視界で揺れた。
「あなたを抱きしめるのは、私だけの特権であってほしいからね」
そんなふうに言われたら。熱のこもった瞳で求められたら。肯うことしかできないではないかと、女は赤い顔で絶句した。
彼女はミヤジに勝てた試しがない。きっと、これからも敵わないのだろう。惚れたほうの負けとは、よく言ったものだ。
返事の代わりに、彼女は恋人の首にぎゅっと抱きついた。そうすると、ミヤジが低い声を幸せそうに弾ませるものだから。彼女は胸がいっぱいになって、その他のことは、もうどうでもよくなってしまうのだった。