無題「新しい任務?」
『ああ、今度は“内”の仕事だよ』
訝しげになるのも仕方なしと長義の目の前に立つ50代の男性上司は肩を竦めワザとらしくははっと空笑いをした。
時の政府の広報部所属だった山姥切長義がこの監査課に配属されて日は浅い。まだ此処の人間との信頼関係をしっかりと築いたと言うには早すぎる。
と言うのも先日の初任務でとある島の現地調査に赴いたばかりである。その任務には長義の他ににっかり青江と膝丸、髭切が当たる事になった。
青江は刀としての年数は近いが刀剣男士としての実戦経験は上だ。それに血の気の多い源氏の兄弟刀と一緒となっては若干の不安を感じなくは無い。然しその心配は別の意味で塗り替えられた。
詳細は省くがとある時代の離島の怪奇現象を調査する為に赴いた。船で向かう時から天候は悪く波は大荒れであったし上陸してからも不可解な危険な目に何度も遭った。それでもなんやかんや折れずに済んだのは後援部隊が来たからに他ならない。
怪奇の原因は島の女神が大失恋したせいで一時的に男を視界に入れたくないと言う余りにも身勝手迷惑極まりないものだった。
『顔がいいから大丈夫だと思った』
済ました顔で政府施設に戻り手入れされる長義らを見舞いながら上司はしれっと言って退けた。
斬れない鬼上司がいるねぇと笑ったのは隣で同じく手入れを受ける髭切だ。何時もは兄のするやる言う事に突っ込む事が多い膝丸もこの時ばかりは何も言わずうんうんと頷いている。
青江も長義と目が合えばこれまた意味深と言った笑みを浮かべている。どうやらこう言った事は日常茶飯事の様だ。
長義はとんでもない所に来たと脳内で何度も何度も異動願いを上司の机に殴りつけた。否顔にも数回投げつけた。
ブラック、ではないと思うけど仕事はえげつないと言っていたのは約三年前に本丸に配属になった監査官の同位体の一言だ。
(いやほぼブラックだろ!ほんとふざけるなよ“顔”ってなんだよ!)
その後援部隊と言うのも普段は本丸に配属されている常態固定バグで“女士”の刀達で政府から業務委託と言う形で任されていたものであった。そういうのがいるなら始めからそうしろと言わずには居られない。政府内では故意に男士を女士に出来ないのなら尚更である。
閑話休題――
「断るって言ったら」
『君にその権利はないね。大丈夫一文字則宗の世話役だよ』
「一文字則宗?」
長義は整った眉を顰めた。
以前所属していた部署には居なかったが、この無駄に広い施設内で何度か見掛けた事はある。然し取り扱う業務が大分違うので会話も挨拶程度でしか無かった。
勝手な印象としては職員や他の刀と話している時は大体笑顔で気前の良さそうな好々爺だ。
先にあった初めての慶応甲府の開催で本丸に配属となりこの監査課には一文字則宗の席は空席になっていた。
また新しく政府の人間が顕現させたのかと長義が思っていれば
『世話と言っても幾許は此処(政府)の記憶が残ってるから』
記憶が“残っている”。どういう事かと問えば
『簡単に言ってしまえば“出戻り”だね』
「出戻り」
世間一般の“人間社会的”に言えば結婚した女が相手と離縁し実家に戻る事。時の政府施設は実家では無いし刀は審神者と婚姻を結んだ訳でも無いが。
優を取った本丸に配属となったが何かしらの“不祥事”で政府に戻って来たと言う事だ。折れたのならその分霊は本霊に戻るまでまさかそんな事があるのか。
“不祥事”と言ってもその多くは審神者が男士(或いは女士等)に褥を強要するケースだ。然し余程の“内部告発”で無ければそれは露見しない。そもそも政府はその件については目を瞑っている節がある(任務に支障がない場合があるとグレーゾーンの部分もあるせいだろう)
あれこれ長義が思考を巡らせていれば扉の向こう側から声が掛かり上司の部下と共に刀が一振り入って来た。同時に微かな菊の香りが鼻を擽る。
「初めましてだな、山姥切の坊主」
現れたのは一文字則宗だ。特別変わった印象は受けない。ただ以前に見掛けた黒のインバネスコートに首元に赤いフリルのリボンでは無く、白を貴重とした一文字派揃いの姿であった。
腫れものに触るなとはこの事か。
政府の記憶がどこまで残っているのか分からず監査課の人間は見定めているのか遠巻きに“出戻り”の一文字則宗に軽い挨拶程度で深入りはしない。忙しいのもあるがそれはあくまで建前であろう。
『あの則宗さんの事なんですけど・・・』
休憩時間、監査課担当の一人であるこの部署最年少の女性職員が長義に紙コップに注がれた珈琲を手渡しながら切り出してきた。
上司と則宗は席を外している。記憶がどれ位残っている詮索も兼ねているのかもしれない。長義自身も人見知りと言う訳でも無いが一個体の“彼自身”の事は何も知らないのでこれから知っていくしかない。
その則宗の所属していた本丸の情報を見たが創建して2年ちょっと。初期刀は山姥切国広の姉妹の審神者がやっていて特に目立った問題も無い事しか分からなかった。当然だほんの僅かな時間にか則宗は居なかった訳であるし報告書等表面上は幾らでも綺麗に改竄が利く。
懐古趣味と言った風体の古めかしい木材を基調としたオフィスに一振りと一人。他は皆出払っている。新人の彼女がどこまで彼の事を知っているのか刀剣男士専用の厚生施設送りでも刀解でもないこの異例の事態に少し興味があった。
「どうかしたの?」
長義が彼女の方を向けば出入り口と周囲を見渡し椅子に座ると一度肩の力を抜き深呼吸をした。
『配属となった本丸で“あの”則宗さんを巡って男士同士で抜刀沙汰があったらしいです』
ひどく深刻な顔つきで彼女は言ったが自分達は刀である。実戦は別に手合わせでも演戦でも本体を使う事は間違いでは無い。然し自分は実際に本丸には行った事も見た事も無い紙面だけの知識でどうこう言える立場でも無い。個々の審神者の判断で規則なり制約なりで実戦以外刀の禁止、手合わせは木刀のみにしている事もあるだろう。ただ則宗を巡って話し合いでは無く抜刀沙汰は穏やかでは無いが。
「へえ、その原因は?」
『そこまではちょっと・・やっぱ恋愛関係でしょうか?』
「あ、そう」
(馬鹿馬鹿しい)
と長義は呆れた。別に誰がどう付き合うかは仕事に支障が無ければこちらには関係の無い事だ。然し恋は人を変える。恋した乙女を鬼にもしてしまうと言ったのは髭切だ。一番人に近く模した刀剣男士も同じ様なものかもしれない。
『魅力的な刀ですし彼に悪気は無かったのでこの様な対処なのかもしれませんね』
「災難だったな、いきなり男嫌いの神の相手とは」
所要を済ませ、部署に戻ればうははと豪快に笑う則宗の手元にタブレット端末がある。どうやらこの間の事案の報告書を読んだらしい。果たしてその機材の使用方法を誰かに教えを請いたのかそれを操作する記憶は残っているのか。
「笑いごとじゃない」
「此処の連中は刀使いが荒いのは前からだからな」
「それは直ぐに分かったよ」
「何だ?もうお手上げなのかい?」
「上げていない」
まだ監査官の仕事としては始まったばかりでたまたま運の悪い任務に当たってしまっただけだ。それに余程の理由でもない限り異動願いは受け入れられそうにないだろう。
「そうかそうか」
世話役を言い渡されているのもあって席が隣同士に充てられている。仕方なしに則宗の左隣の席に座る。他に職員は離れた席に数人に居るが目の前の仕事に一杯なのか誰一人こちらに視線を寄越さない。
それ以外に特に話す事も無く長義は自分のタブレット端末を立ち上げる。
則宗は手持無沙汰なのか髪の先をいじってみたり、オフィスチェアに座って回転させて遊んでいたがふと長義の方で止まる。
「珈琲飲むかい?」
「飲みたい、ですけど」
この部署の珈琲は美味しい。何と言っても上司がQOLが爆上がりするとかで導入したと言う豆から全自動で挽き一度に2杯同時に抽出が出来る海外製のお高いエスプレッソマシーンがある。この際税金で何買ってるんだとツッコミは無しだ。
「じゃあ淹れよう」
則宗は立ち上がりのマシーンの元に向かう。サイドに置いてある紙コップを2個並べてセットし迷いなくスイッチを入れ、テーブル横にある皆さんでどうぞのメモが貼られている菓子に手を伸ばす。
自分の席でその様子を見ていれば疑念は確信に変わる。
「記憶、あるんですね」
「そうだな。任務よりこう言った些細なの記憶の方が消えてそうだと思ったが。職員の名前も覚えている。“前”の山姥切の事も」
「そうですか」
(大体都合が良過ぎる)
刀剣男士には義務教育程度の教養と道徳等が備わっている。これはまだいい。流石に人間が全ての刀に一から言葉や数字を教える訳にはいかない。
政府で得た知識、例えばパソコンや端末が使える個体なんかは本丸では重宝され事務要員にされるだろうが。
「何でも出来るとと審神者に疑われそうだがな」
則宗は何も断りも無くポケットから小さい紙袋を取り出し湯気の立つ出来立ての珈琲両方にそれを入れ、片方を長義に手渡した。
渡されたエスプレッソ特有のクレマ(泡)の上に溶けずにいる小さい星が幾つか浮かんでいる。怪しいものでは無い筈である。長義の記憶が正しければこれは金平糖だ。以前の部署で土産に貰った事がある。
「勝手に入れないで頂きたい」
金平糖と言っても結局は砂糖だ。長義は珈琲はブラック派、紅茶にも砂糖を入れない派だ。
さては大皿の唐揚げでも勝手にレモンをかける人?種だなと思って居れば
「これは“根兵糖”だ。知ってるだろう?練度を上げる道具。あの上司が摂っておいてだと」
「は?」
審神者が刀剣男士に使用する便利道具のひとつ。出陣せずとも練度が上がるのでチート機能とも言う。本丸で使用するものだが政府にも刀剣男士は所属しているのであっても可笑しくはない。
「僕は一度本丸に行っているから一からやり直しなんだと。お前さんも戦闘経験は無かっただろう」
監査官は特命調査で他の先行調査員と違って戦闘に参加はしないが練度は上限に達している。
以前の部署は内仕事ばかりだったので当然レベル1のままの状態で、初任務では刀は振えるものの足手纏いもいい所で重傷一歩手前で戻って来た次第だが(相手が女神であり質が悪過ぎたのもある)何故その任務の前にくれなかったのか。若しかしてあの性悪上司の事は実験体にされたのかもしれない。
「普通に渡してください」
「いたずら心が沸いたんだ」
屈託のない少年の様な笑い方をする。中身はじじいだと言うのに。
“根兵糖”
話には聞いていたが口にするのは初めてだ。
熱に少し溶けたそれ。ざらざらとした感覚が舌の上を転がる。特に身体に何か湧き上がるだとか等の違和感は感じられない。
「甘い・・・」
「そりゃあ“糖”と銘打ってるからそうなんだろうな。仮に無味無臭を一気に食わされたら気が滅入るだろ」
それは味があってもなくても大量に摂取させるなど刀剣男士を虐待しているのではないかと思わなくもない。戦力拡大効率を考えれば悪いとは言いにくいが何処までもグレーゾーンが多い。
「貴方もそうされたので?」
「んにゃ、話で聞いただけだ。僕は本丸での出陣も無かったし」
(出陣が無かった?)
先程新人女性職員に聞いた話を思い出す。紙面だけで然も業務的な事しか知らない男士達と審神者との実態。興味が無いと言ったら嘘になる。
「・・・それは貴方の本丸では普通?貴方だけが特別だった?」
「聞いてどうする」
それこそ任務に関係無いぞ。
則宗の湖面様な色の瞳が冷ややかに長義の顔を映したが直ぐに何時もの人の好い顔に変わる。
「これは根兵糖“並”だったが“上”だとまた味が違うんかねぇ」
食べ比べ出来たら面白かっただろうにと菓子の封を開けながら笑う。
『おお、二振り共揃ってるな!』
と例の上司がご機嫌で部署室に入って来た。
嫌な予感。
長義の第六感がそう警鐘を鳴らしている。
『明日は早いから今日の業務は終了!次の任務決まったから資料は読んでおいてね!』
共有ファイルに入っているから~と言って彼は颯爽と出て行ってしまった。早い。
「家族サービスに忙しいんだと」
則宗は扇子をぱたぱたと扇ぎながら呟いた。