「ずっと好きな奴がいる」
仙道にとって、その言葉はあまりにも予想外で一瞬時が止まった。
馴染みのファミレスの一角で、目の前に座っているのは海南大付属高校の主将、そして仙道とは旧知の間柄である牧紳一である。IH予選会場で出逢い、学年は違うがライバルとして何度も対戦し競い合って来た男が発した予想外の一言に、仙道は目を丸くして見つめ返すことしか出来なかった。
牧紳一。
出逢って以来、他校の先輩でライバルだと言うのに何かと仙道に声をかけ、さり気なく見守り、かと思えば構いたおしてくる男である。
試合会場、国体の練習会などバスケットでも、バスケット以外の場でも、顔を合わせる度に牧は仙道を気にかけて来た。
練習が無い日に食事に誘うのはもちろん、練習終わりで疲れているだろうに定期的に電話を掛けてくる。仙道が海釣りに出れば、サーフィン帰りの牧が待ち構えているのももう慣れた。
全国大会常連の強豪校のキャプテンはこんなに時間があるものなのか、と仙道が疑問に思うくらいには、牧は仙道に構い続けて来た。
当初はお互いに他校で学年も違う上にバスケ以外接点は無いし、すぐに牧も飽きるだろうと考えていた。しかし予想に反していつまで経ってもこちらと積極的に関わりを持とうとする男を、仙道は受け入れることにした。牧さんがそうしたいのならそうすればいい、と開き直ったとも言う。
そして今では、バスケットや試合に関係なく頻繁に顔を合わせ、二人で食事までするほどの付き合いになっていたのだ。
本人に伝えた事は無いが、いつのまにか長年の友人のように馴染んでしまった牧との関係を、仙道は悪くないと思っている。
その彼が、ひどく真面目な顔をして伝えてきた言葉がこれだ。
『ずっと好きな奴がいる。でも全然振り向いてくれなくて、どうしたらいいかわからん。だから話だけでも聞いてくれ』
バスケット以外の話も勿論することはあったが、恋愛話は初めてだ。しかもあの牧に靡かない相手とは。全国大会常連校のキャプテンである牧の人気ぶりは話に聞いていたが、好きな相手がいたのか。
……意外だ。
仙道は率直にそう思った。牧のことだから、好きになった相手ならば正々堂々告白しすぐに恋人同士になっているものと思っていたのに。それが出来ないくらい本気なのだろうか。
なんなんだ。オレを構っている裏で、本気の相手がいたのか。そんな相手がいるならば、オレの所に来ないでその人と会っていればいいんじゃないか。
「オレが聞いても、何の役にも立てねーすよ?」
なぜだかわからないが少しばかり面白くない気分になって、珍しく素っ気ない声が出た。
「仙道に、ただ聞いてほしいだけだ。黙って聞いてくれるだけでいい」
牧はそんな仙道を気にせず、熱っぽい瞳で見つめてくる。牧のそういう瞳に、仙道は無自覚だが弱かった。
「……どーぞ」
普段だったら全く興味の湧かない他人の恋愛話など、なぜ聞く気になったのか。その疑問から目を逸らして、仙道は牧の話に耳を傾けた。
「そいつは、気まぐれでマイペースで何考えてるのか分からん奴で、だから気の向くままふらっとどっか行っちまうような所があって、何だかんだ面倒見てる内にどんどん放っておけなくなって、いつの間にか惚れちまってた」
牧が相手について淀みなく語りだす。仙道は黙って先を促した。
面倒を見てるという事は、牧のクラスメイトや後輩とかだろうか。仙道は海南のバスケット部員しか把握していないので、牧の想い人が誰かまではわからない。
「誰に対しても自然体で愛想良くてこっちが心配になるほど色気がだだ漏れで冷静に見えて頼りない所もあって……、初めて会ってから、ずっと目が離せねえ。会う度にもっと好きになる。……止められねえんだ」
牧は試合中では絶対に見られない柔らかい表情を浮かべ、相手への思慕を熱のこもった声で語る。
この人は惚れた相手のことをこんな風に言うのか。
自分が知らない牧の一面を目の当たりにして、仙道の胸はなぜか締め付けられるように痛んだ。
「それに最近はやっと気を許してくれるようになって、一緒に食事したり出かけたりしてる。……二人で」
振り向いてくれないと言っていたが、上手く行ってるじゃないか。二人きりで出掛けるなんて普通に考えたら相手は少なからず好意を持っているだろう。
仙道の胸の痛みをよそに、牧は続ける。
「でも恋愛対象ではねえんだ。嫌われてねえのはわかるが、オレをただの先輩として見てやがる。オレはそいつの恋人になって、甘やかして、甘やかされて、誰よりも頼りにされたい。もっともっと近い存在になりたい。オレなしじゃあ、生きていけないようにしてやりたい。ただの友達や都合のいい食事相手なんかじゃ、全然足りねえんだよ」
マジかよ、帝王と呼ばれてる人が、随分とベタ惚れじゃねーか。
「だがどうしたらいいか分からなくてだな……。情けねえ話だが八方塞がりだ。なあ仙道。こういう状況で、お前ならどうしたらいいと思う?」
自身に予想外の質問を向けられて、仙道は少々戸惑った。本気の恋愛話なんてものを牧がして来るなんて、思ってもみなかったのだ。しかもここまで青臭い恋愛をしているとは。
だが牧の瞳は真剣だ。それだけ相手を想っているのだろう。真摯にバスケット突き進んでいる男の色恋沙汰に、仙道は先程から驚きの連続だった。
「あー……、相手は牧さんがそう考えてるってことを知ってるんすか?」
「いや、そいつは何にも気づいてねえな。それに今までのことを考えると今の関係が奇跡みてえなもんだから、壊れるのが怖くなっちまって何も言えてねえ」
「相手が何にも気づいてねえんなら、告白するのも手だと思いますけど……」
恋愛にほとんど免疫がない自分にはこんな凡庸な事しか言えないが、牧は真剣に聞き入っている。仙道はそんな牧を見つめながら考える。
この人はやる時はやる男だ。バスケットに関しての圧倒的な実力も、そこから湧いてくる自信と落ち着きも、仲間から慕われるカリスマ性もある。
海南の関係者や後輩であるならば、そんな牧のことはもちろん理解しているだろう。話を聞く限り、そのままの牧らしくやれば上手くいくのではないか。
そこまで考えて、次に言うべき台詞が仙道の頭の中に思い浮かんだ。
『グダグダ考えてねーで、さっさと告白しちまえば?』
だが、その言葉がどうしても口から出てこない。もし本当に牧と相手がうまく行ってしまったら、これまでのように仙道と過ごす時間はなくなるだろう。これだけ相手のことを想っているのだ、仙道よりも恋人を優先するのは当然だろう。
牧が自分ではない誰かと、自分よりも親密になり、自分よりも多くの時間を過ごす。
───面白くねえ。
それを想像すると驚くほど気分が萎えた。お気に入りのおもちゃを取られた子供のように、モヤモヤとした感情が仙道の中で渦巻く。ただ、それを牧に悟られるような真似はしなかった。
「オレじゃなくて、もっと他の人に聞いた方がいいですよ」
先程からの自分の中で説明出来ない感情はひとまず無視して、会話を続ける。恋愛事に関しては、自分より経験豊富な人の方が数倍適任だろうと考えて呟いた一言だが、すぐに牧に否定された。
「いや、問題ねえ。本人に今直接聞いたからな」
「……ん?」
本人?
「はは、結構鈍いんだなお前は」
牧は楽しそうに笑みを浮かべ、仙道を見つめている。
「は?」
対象的に、仙道は目を見開き口をぽかんと開け唖然とした。
「お前の言うとおり、告白から始めればいいんだろ? まあ、これから口説いていくからよろしくな?」
牧は、状況が未だに理解出来ていない仙道の右手を取る。今まで見たこともないような男臭い笑みを浮かべて手の甲にキスする男を、仙道は呆然と見つめた。そして、とびっきり色気のある声で牧が囁く。
「好きだ。ずっとオレのそばにいてほしい」
その台詞は、仙道にとって宣戦布告のように聞こえた。