答えはかみさまのみが知る はじめて心が跳ねたのは、一緒にオモテ祭りに行った夜のことだったと思う。異国情緒あふれるお祭りの景色のなかで、真っ赤なりんご飴を差し出してくれたスグリの笑顔が、今でも鮮やかに、ハルトの記憶に焼き付いている。
林間学校という生まれて初めての行事に浮かれて、見知らぬ遠い地の風景に心を躍らせて、強いと褒めてもらえたことがうれしくて、スグリと回った看板巡りがずっと楽しくて。そのぶん、後にオーガポンをめぐって起きた出来事は鋭い棘のように、ハルトの心に強く深く突き刺さった。
後悔した。どこかでなにかを掛け違えてしまったことに気づいてから、自分はどうすればよかったのか、スグリに何と言えばよかったのか、何度も思い返しては考えることを繰り返した。答えは、今も出ていない。
そうして長いあいだ胸に抱き続けた想いの正体を知ったのは、ブルーベリー学園で、四天王のネリネに挑んだときだった。ネリネがスグリを救いたい。彼女の言葉を聞いて、自分の中に焦りのような感情が生まれたことを知覚したとき、
(――あ。……そっか、僕。好きなんだ)
唐突に理解が降りてきて、ハルトの中で、すべてが腑に落ちた。
再会したスグリを見たとき、棘が刺さったままの場所に、より深く、新しい棘が突き刺さる感覚がした。やつれた姿で血を吐くような言葉をぶつけられるたび、彼が酷く苦しんでいることが痛いほど伝わってきた。
こわくて、苦しくて、同時に、自分にその資格はなくても彼を救いたい、助けになりたいと、強く願う気持ちが湧いた。
またあんな風に笑えるようになってほしい。
自分には何ができるのか。限られた時間の中で考え抜いた末に、ハルトは、全力でスグリにぶつかっていくことを選んだ。
「やった! 俺、カジッチュさ出す!」
ぱち、と。ハルトは思わず、目を丸くしてまばたきをした。スグリの口からカジッチュの名前を聞いて、パルデアに引っ越す前に耳にした、ある噂話の存在を思い出したからだった。
〝好きな子に告白するとき、相手にカジッチュをプレゼントすると――〟
「……いま、僕も準備するね。ちょっとだけ待っててもらってもいい?」
「うん、わかった!」
なるべくいつも通り落ち着いて見えるように気をつけてスマホロトムを呼び出しながら、そっと、横目でスグリのほうを見てみる。スグリはほんの少し顔を赤らめてにこにこして、そわそわと左手を揺らして、『うれしい!』『楽しみ!』といった感情を全身で表現している。タロちゃんの受け売りではないけれど、スグリのこういうところは本当にかわいいなぁと、見るたびにいつも思う。
(この感じだと……スグリは噂のこと、知らないのかな)
あくまでガラルの噂だから、スグリが知らなくても無理はない。それに、誰もがこの噂を知っていたら、みんな気軽にカジッチュを交換に出しづらくなってしまいそうだ。
少し悩んで、ハルトは決心した。ボックスの中からポケモンを一匹選んで呼び出す。捕まえたときからたまたま珍しい〝証〟を持っていたその子に、自分の気持ちと、ちょうど今日作ったばかりのわざマシンをひとつ、託した。この学園でもう一度頑張ってみると決意して再スタートをきったスグリへ、自分なりの〝エール〟を込めて。
――お願い。僕のかわりに、スグリを守って。
ボールに口元を寄せてささやく。自分の勝手な都合でいくつもの感情を託すことを、ボールの中の小さなポケモンに少し申し訳なく思いながら、すべての準備を終えたハルトは、お待たせ、とスグリに向き直って声をかけた。
「パルデアで捕まえたカジッチュだよ。この子、珍しいリボンがついててね……」
緊張を悟られてしまわないように。あれこれと話をしながら、ポケモン交換の手続きは滞りなく進んでいく。そして。
スグリから送られてきたモンスターボールを、どきどきしながら、ハルトは両手で受けとめた。手のひらにわずかな重みが乗った瞬間、腕が震えかけたのを頑張ってこらえる。カジッチュってりんごみたいでかわいいなと前から思ってはいたけれど、スグリがくれた子だと思うと、より一層、愛らしく見えた。
「これからよろしくね。カジッチュ」
話しかけたボールの中から、元気な返事がした。
スグリが前髪の先のほうを指で弄りながら、ちらちらと視線を向けてくる。ハルトは弾む気持ちのまま、スグリに笑顔を向けた。
「交換してくれてありがとう。大事に育てるね!」
スグリははっとしたように慌てて前のめりになる。
「俺も! ハルトのカジッチュ……俺、絶対大切にする!」
「うん! ……ねえ、スグリ、」
「うん?」
勇気を出して、息を吸う。
――全力で。
「僕、スグリのこと大好きだよ!」
にっこり笑って、素直な気持ちをスグリに伝えた。
〝好きな子に告白するとき、相手にカジッチュをプレゼントすると結ばれる〟。
……もし、スグリにその気がなくても。僕のほうから告白しちゃえばいいよね!
スグリの後ろ、テーブルのほうにいたボタンがぎょっとしてハルトのほうを振り向いた。そういえばボタンもガラル地方の出身だと、かつて聞いたことを思い出す。その隣でさっきまでボタンと会話していたペパーは心底不思議そうにしていて、むしろボタンが振り返った勢いのほうに驚いているようだ。
スグリは面食らったように何度か両目をぱちぱちとさせたものの、少し照れながら、「にへへ」と柔らかい笑顔をハルトに見せてくれた。記憶に残る姿と重なる笑顔に、ハルトの心がふわりと跳ねる。
(……いろいろあったあとだから。今は、ここまで。……でも、)
やっぱり、スグリがいい。スグリに、隣にいてほしい。これまで何度も夢想してきたように今一度、ハルトは願う。その笑顔をもっと近くで見たい。誰よりも近くで。
この気持ちを受け入れてもらえるかどうか、考え出したら、やっぱり、こわい。さっき思い出したばかりのジンクスについ頼ってしまうくらい、不安で心がいっぱいになる。……だけど挑戦しなきゃ、欲しいものは手に入らないから。
スグリも、スグリが望むものを、これからたくさん手に入れてほしい。今のスグリなら、きっと大丈夫だと思うから。
そして、もし、許してもらえるなら。スグリの背中は、僕がずっと守りたい。
(――大好きだよ)
君のことが好き。
『ハルト、いきなりカチこむじゃん』
『まじでびびった……』
ハルトが自室に戻って少し経ったあと、ボタンから、スマホロトムにメッセージが送られてきた。その場で言わずに頃合いをみて送ってくるあたりが、なんともボタンらしい。もしかしたら、この話題について触れていいものかどうか、迷っていたのかもしれない。
『びっくりさせちゃったよね。ごめんね』
『いや気にせんでいいけど』
『ペパーはなんも分かってなかったから適当にごまかしといたし』
ぽんぽん、と立て続けにメッセージが送られてくる。PCでもスマホでも、ボタンは文字を打つのがとても速い。
『カジッチュの噂、ハルトも知ってたってこと?』
『スグリのこと好きなん?』
『うん』
即答した。これも勇気が要ったけれど、本心を偽りたくなかった。
『スグリは僕のことどう思ってるのか、まだ分からないけど』
『そっか』
いつもすぐに返信が来るのに、この時は少しのあいだ迷うように沈黙したボタンは、少ししてから、新しいメッセージを送信してきた。
『がんばれ。うちは応援しとるよ』
短い一文の中に、ハルトを心配して励ましてくれるあたたかい気持ちがたくさん詰まっていることが伝わってくる。
正直に言えば、まだ、こわい。だけど背中を押してもらえて、それだけで、いくらでも立ち向かっていける気がした。
『ありがとう。がんばるよ!』
「……頑張らなきゃ。ね」
返信を送って、できるだけ声を小さくして、ハルトは自分でも自身を鼓舞した。スグリからもらったばかりのカジッチュは、ハルトの部屋をひとしきり探検し終えて疲れたのか、今はハルトのそばに戻ってきて、すやすやと寝息をたてている。
マスカーニャがニャオハだったころみたいに遠慮なく膝の上に乗ってきてもいいのに、ハルトの脚にりんごの部分をちょこんとくっつけて眠るひかえめな姿が、どこか普段のスグリを彷彿とさせた。自然と表情が緩むのを、ハルトは自覚する。目を閉じて、祈るようにつぶやいた。
「好きだよ。スグリ」
カジッチュのジンクス。叶うといいな。
[おまけの後日談]
こんなことを言うと変な顔をされたり、笑われたりするだろうから誰にも言ったことはないけれど、スグリにとってハルトは、神さまみたいな人だ。
自分と同じ年頃の子なのに、誰も敵わないくらい強くて、特別で、自分にはないものをたくさん持っていて。
その輝きを、こわいと思ったことがあった。
初めて会った時から、全てにおいて、ハルトはスグリよりも数段高い場所にいた。ハルトのようになりたくて、どれだけ努力を重ねても、差は縮まるどころか、近づく以上の速さで引き離されているような気さえした。
そんな目の上の存在に、幼い頃からずっと思い焦がれ続けてきたものをいよいよ取られそうになって、スグリはひどく焦った。ハルトに悪意がないことも、自分ではハルトに勝てないことも、どこかで分かりきっていて、それでも、どうしても諦めきることはできなかった。
敵わない、と思わせる。けれど同時に強く惹かれた。見上げていると苦しいのに目が離せなくて、その存在がずっと、ずうっと、常に頭から離れなくなった。
敵わないと認めたくない一心で、ハルトを打ち負かせるくらい、バトルで強くなることばかりを考えていた。その頃の自分はなんにも分かっていなかったのだと、後になって気づかされることになる。ハルトの本当の強さは、そんなところにあるものではなかった。
散々ひどい態度をとったのに、ハルトは怒りもせずただ悲しそうに、傷ついた顔をして、それでも一度もスグリから目をそらすことはなかった。スグリの叫びを、すべて真正面から黙って受けとめていた。
どうして嫌わないでいてくれたのか、今でも理解できない。自分には到底理解の及ばない理屈で、強い意志をもって、ハルトはスグリを守ってくれた。一緒に、と。ぼろぼろになってどん底にいた自分なんかの名前を呼んで、たった一言で救ってくれた。――助けてくれた。
それがハルトの強さだった。
『また、俺と……、友達に……なってくれる?』
決死の思いで伝えた問いに迷わず頷いてくれたハルトの笑顔を、この先、一生、絶対に忘れない。
スグリにとって宝物のように大切な、大切な友達で、いつかは届きたいあこがれの人。
そんなハルトに贈ったポケモン、カジッチュにまつわるガラル地方の噂と文化について知ったのは、ハルトとポケモン交換をしてから、ひと月も経ったあとのことだった。
あまりの衝撃で、情報がなかなか頭に入ってこなくて、噂のことが書いてある雑誌の同じ部分を何回も何回も読み返した。何度読み返しても、書いてあることは変わらない。
「わ……わ、わ……」
わやじゃ、なんて声すら正常に出てこない。ここが自分の部屋でよかった。様子のおかしいスグリを心配して声をかけたり面白がって揶揄してきたりする者はおらず、スグリはひとり、姉から借りた雑誌の両端を握りしめて、青い顔のまま震える。
なんにも知らなかった当時の自分を思いきり蹴飛ばしてやりたい。ハルトはどう思っただろう。この噂のこと、もし、ハルトも知ってたら……。
そこまで考えて、思い出した。あのとき、ハルトはわざわざ、
――ねえ、スグリ。
――僕、スグリのこと大好きだよ!
「……え、…………えっ、」
…………あれ、どういう意味?
考えれば考えるほど頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。スグリが贈ったボールを大事そうに胸に抱えて、頬をほんのりと赤く染めた、まぶしいくらいのハルトの笑顔が、やけにはっきりと脳裏に浮かんだ。眩暈すらおぼえて、頭をぼふんと枕に突っ込むと、枕のそばに置いていたモンスターボールがころりと揺れる。あのときハルトがくれたカジッチュ。今はもう、カミッチュになっているけれど。
この子が持っていた、真新しいドラゴンエールのわざマシン。ちゃんと手をかけて育てられたことがわかる珍しい技構成と高い能力。ハルトも言っていた珍しいリボンに、ひとつだけつけられた赤いハートのマーキング。
ボールの表面に、指で触れてみる。心臓がうるさく暴れまわっていて息が苦しい。答えられないと知りながら、縋るような気持ちで、スグリは訊いてみた。
「……なあ。ハルトは、どんな気持ちで、お前のこと俺に寄越したんだ……?」