身長差ができてショックなキツネなんだか腹の底がゾワゾワする。
心臓のあたりもフワフワ。
足元はウキウキと軽く、思いきり地面を踏み切れば体はいつもの何倍も飛ぶかのよう。
まるで地球の六分の一の重力の月のように。
軽く速くどこまでも。
自分が速くなった分まわりが遅く見える。ブロックしようとするチームメイト達を軽々と飛び越え、赤い赤いリングに愛を込めて右手を叩き込む!
オレンジのボールは稲妻の勢いでゴールネットを揺らし、床へと落ちた。
キャーーー!
悲鳴があがる。
流川ファンクラブの女生徒達の歓声だ。
「絶好調ね」
昔馴染みの先輩マネージャーが満足げだ。横にいる同級生マネージャーは目がハートになっている。
流川はそれらすべてを聞き流し、体躯を屈め長い腕をのばして床を転々と弾むボールを片手で掴んだ。
大きな掌、長い指がしっかりボールを掴み上げる。
この世の何よりも手に馴染んだ感覚が伝わってくる。いつもなら持つだけで心が定まる流川の安定剤。だが今日は、今日だけは心ここにあらずだった。いや、正しくは流川は待っていた。心を浮き立たせて。
あ~あ
リョータはそんな後輩の様子を見送った。ボールを両手で持ち、部員達の列へ戻る背中は隠しきれない喜びが滲んでいる。普段はクールな男の周囲をフワフワと花が舞ってでもいそうな柔らかな空気が包んでいた。近くにいる部員達も流川の喜の感情を感じとり思わずニンマリしている。
まぁしょうがねーか
ずっと待ってたんだもんな
かくいうリョータとて気持ちは同じ。いつも以上に晴れやかな心境で部活に挑んでいる。
「みんな嬉しそうね」
隣に立ったアヤコが言う。
「そりゃあね。アヤちゃんは?」
「もちろん。皆同じでしょ。安西先生も今日は昼前から学校に来てたのよ」
だが、安西はまだこの場にはいない。最後の診察に付き合っているのだ。自分の耳できちんと確認したいと。
「あいつが焦るくらい皆成長してるかな?」
「そうじゃないと困るわ。あれから3ヶ月は経ってるのよ」
顔を見合わせ、視線で「だよね」と返せば、美人マネージャーは輝く笑顔を見せてくれた。
その時、二人の横にある鉄扉がガラリ!と勢いよく開け放たれた。鉄の扉だ。重くてそんな動きをするような代物ではない。こんなことができるのはただ一人。
「チュース!!」
大きな扉であるにも関わらず、頭がつかえるとばかりに軽く身を屈めながら大きな赤い影が現れた。
流川の待ち望んだおおらかで暖かい一際大きな声。リョータの視界で流川の丸まった背中が輝き耳がダンボのように広がった。
「お帰りなさい!」
「お帰り桜木花道」
「よく頑張ったな」
晴子、アヤコ、リョータが口々に祝福と歓迎の言葉を浴びせる。大きくてその分大人びて見える後輩は赤ん坊のように大きく口を開けて無邪気な全開の笑顔で笑った。
「ナハハ!天才に不可能はない!」
アヤコが手を伸ばせば、高い位置にあった頭が自然と下げられよしよしと撫で回される。毛並みのいい大きな大きな犬、いや虎を撫でているようなこの様子はかつてもよく見た。たった3ヶ月でもこの光景が見られない時間は長かった。晴子もリョータも思いきり撫でてやる。
この後輩に嬉しそうにされるとこちらまで嬉しくなってしまう。感情が暴力的なまでに引き込まれるこの感覚も懐かしかった。
ひとしきり撫でられ褒められ、ご機嫌に細められていた目が開かれる。切れ上がった目尻が鋭さを取り戻す。視線の先ではボールを持った流川がいつも眠そうな眼をしっかり見開き凝視したまま固まっていた。
一歩。リョータとアヤコの間をその一歩ですり抜けた。
また一歩。床に引かれたサイドラインを踏み越えた。
さらに一歩。
「よう!」
腰に手をあて赤い影が黒い影と対峙した。
!?
二つの影は明らかにサイズが違う。元々抜きん出て背が高い二人は少しばかりの差はあれどもほとんど同じ高さだった。だが今。
明らかに頭ひとつぶん上から赤い影が見下ろしていた。
「あ?なんかてめー縮んだか?」
そんなわけがない。花道が大きくなっているのだ。
ニヤリと口許が先ほどの無邪気な笑いとは真逆の下卑た優越感に満ちた笑みに歪んだ。どうしたわけか、今もさらにグングン背が伸びていく。
「フッフッフッ、天才の成長に誰もついてこれないようだな!!」
雷鳴のような咆哮が体育館を揺るがした。
バッ!
流川は気がつけば真っ暗な闇のなかにいた。心臓が早鐘を打ち、胸が痛いほど叩かれる。フル出場した試合のあとのように汗が全身を流れ落ちる。
ハァッハァッ
自分の息を感じつつも少し落ち着いてみれば何のことはない自室のベッドの上だった。
「夢……?」
わずかに肌寒くなってきた季節の涼やかな空気が汗を流す肌を冷やしてくれる。パジャマはびっしょり濡れて色が変わっている。気持ちが悪い。
やっと状況が見えてきた流川はホッと安堵の吐息をついて着替えようとベッドから足を下ろした。
昨日、桜木が部活に復帰した。
流川は心待ちにしていたのだと思う。
流川は自分の気持ちに鈍感なところがある。
昨日、ソワソワと落ち着かない自分を自覚した時に、実はどれだけあの赤頭の帰りを待ち望んでいたのか気が付かされた。自分でも驚くほど嬉しかったのだ。
だが。
「なんか、てめー縮んでねーか?」
再会したあいつは確かに以前より少しだけ、あくまで少しだけ、以前はほぼ同じ位置にあった目線が上にあった。
たった3ヶ月。
流川もまだ背は伸びている。そうでなければ困る。アメリカでプレイするには今の身長では小さすぎるからだ。
だが、しかしリハビリと体幹作りばかりしていた桜木は流川を上回る勢いで成長してた。身長が。
体はむしろ少し細くなっている。どうしても筋肉が落ちてしまうのだろうから労らなくてはなどと、らしくもない仏心を出していたというのに。
着替えながら思い出した流川は舌打ちした。
このまま差が開いていけばあの単純バカのこと。チビなどとバカにしてくる。
ましてあの身長で、あのバカみたいなジャンプ力。悔しかった。
負けるわけにいかねー
流川は夜中だというのに冷蔵庫を開け、中身を確認する。
あった
牛乳パック。あまり好きではないから普段は飲まないのだが四の五の言ってはいられない。紙パックの口を開け直接喉に流し込んだ。
明日から毎日飲む。
心に誓った。