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    ur6ue

    @ur6ue

    気ままに色々。進捗とかが主です

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    ur6ue

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    辺獄👁💧本編の裏話とか入り切らなかったシーン纏めました。自分で読み返しててドン引きしております。米袋くらい内容重たいので閲覧にはご注意下さいね

    #父水

    こちらは私の闘病日記です。こんなんと3ヶ月戦ってたらそりゃ気が狂ってアカ作る(開幕、一番最初にメモしてた走り書きから失礼します。悪夢はここから始まりました。)

    「ずーーーーとばーーーか暗い表情で死にそうになりながら雨の中煙草吸ってる水木が見たい。気分は常に最悪の土砂降りで、体調は悪いか最低のどちらか。
    世界観は毎度世紀末。飯も宿も汚れてなきゃいい方。雑魚は基本苦渋を舐めるので、水木達はパワーで押し勝ってる。
    強者故に匼輩が耐えないので、無言でパン投げたりとかはしてるだろうな。
    目の下とかバカ濃ゆい隈出来てて、顔色クソ悪い。基本何も食べないから肉は少ないんだけど、体型はがっしりしてる。
    神経質でダウナーなのに、目玉に向ける敬愛は本物。絶対に危ない目には合わせないし、ピンチの時には飲み込んででも守る。
    何故って聞かれても互いに「惚れてるから」で生存者0人な場所に土足で乗り込んで記録を更新していくようなバディ。
    生き残って煙草が無くなったら、目玉に口付ける。そんな風な父水。でないか」



    でたよ。
    死ぬかと思った。

    生前両片思いだった父水が地獄に落ちてやっと報われた話。互いにクソ重感情抱えてるタイプ。

    街の名前はラテン語。
    イメージ曲はモノノケダンス。
    世界観や住人の参考は『パプリカ』『鬼灯の冷徹』『AKIRA』
    神社や調停の間はほぼ空想です。

    再会シーンの包帯キスは、支部の方で有名なオリジナルBL漫画様のオマージュです。問題あれば消します。


    目玉が餞別に『再会』を望まなければ、2人はほぼ100%会えていませんでした。辺獄は無限なので。
    3つしか望めない餞別を1つにして、しかもそれがまさか確定では無い願掛けを選んでいる相棒の大博打と酔狂具合にラスト水木は笑い転げております。2人揃って狂ってる。

    水木とゲゲ郎の死因は明言しませんが、いずれも家族を守る為に身体を張ったことは確かです。ゲゲ郎は水木を。水木は鬼太郎を。残された鬼太郎も数十年は荒れましたが、周りのお陰で立ち直り、立派に人間界の英雄を務めています。報せの手紙が届いたのは、そんなある日でした。

    勘づいている方も多いと思いますが、青年の正体は水神様です。いつか絡ませたいと思っていたので満足しております。

    以下は本編からカットした屍達です⤵︎ ⤵︎


    (最初に水木達が足を踏み入れた街は色のない本当にモノクロの街の予定でした。酒場から逃げ出すも元締に捕まってしまい、『工場』に連れてこられた脱獄劇ifです)
    (一応ハッピーエンドだけど、内容かなり過激&初期設定なので重々しい。看守を惑わせて脱走する水木と、同僚に目玉の事を話す水木が書きたくて産まれましたがマジで長いし重すぎたのでカットしました。せっかくなのでこの場にて供養させて頂きます)


    ⚠️(閲覧には十分ご注意下さい)





    誰かの悲鳴で目を覚ます。

    「……」

    重たい瞼を押し上げて、水木はぼやける視界に瞬きを繰り返した。耳鳴りが止んだ頃を見計らい、水っぽい咳をする。
    硬い地面の上で寝ていたから関節が痛い。

    「……何処だここ」
    「! 水木、目を覚ましたか」

    パス、と髪の隙間から目玉の声が聞こえる。良かった、離れ離れにはならなかったらしい。
    薄暗い景色の中、水木は反射で薄ら笑う。

    「無事かゲゲ郎」
    「何ともない。それより、まずい事になったぞ」
    「……何が」

    言いながら起き上がる水木は、相棒の声のトーンから既に事態の不穏を感じ取っていた。
    頭が痛む。体調不良は酷くなる一方だった。そんな中、ふと右に首を巡らせれば、鉄格子が目に入る。高さは3メートル。立派な牢獄だった。
    気絶していた水木と目玉はここに放り込まれたらしい。
    頭痛が悪化した。

    「……クソ」

    煙草三本を代償にゲゲ郎と合流出来たとは言え、囚われの身には変わりない。
    早いとこ体を見つけて、この無限インフルエンザみたいな体調を治したいのに。
    げっそりしながら、水木は掌で目元を拭う。そして気が付いた。

    「うわ……最高だ。全部無ぇ」

    刀、煙草、着流しまで。
    水木は身ぐるみを剥がされていた。ここまで来ると、目玉を髪の中に隠したのは英断とも取れる。全裸に下着だけの間抜けな格好で、水木は盛大に溜息を吐いた。

    「……来て早々これとか。俺達らしいな」
    「懐かしいのう。昔も2人揃って敵陣に幽閉されたもんじゃ」
    「あの時とは状況が違うけどな」

    ヤニ切れに貧乏揺すりをしつつ、水木は耳を牢屋の外にすませる。人の気配はなし。だが、何処かから延々悲鳴が聞こえている。
    穏やかな場所では無いことは確かだった。

    「道中何か見てないか?ゲゲ郎」

    恐らくここは、『工場』で間違い無い。古い油の匂いと、ベルトコンベアらしき音がここからでも聞こえて来る。
    来客に気付けるよう鉄格子に背を預けていれば、髪の中で目玉がゴソゴソする気配を感じて、水木は咄嗟に手のひらを持ち上げる。
    案の定、そこにコロリと落っこちて来た。

    「ウム。道中くらいしか見れはせんかったが、粗方はな」
    「頼む」
    「無論じゃ」

    小さな腕を組んで、目玉は真っ直ぐ相棒を見詰める。
    この世界じゃ、彼の瞳孔の赤すら分からない。

    「あの後、ワシらは荷車のようなものに乗せられた。30分程揺られたか。その間街中では悲鳴がずっと聞こえていたんじゃがな、ふと、それが止んでいる事に気が付いた。次第に人の声はしなくなり、代わりに草木や強い風の音なんかがよく耳に入って来た」
    「ここは町外れにあるってことか」
    「外の様子をチラと見ていたが、岩山を超えた事は間違い無いじゃろう。道も整備されてなくてな、酷い揺れじゃったわい」
    「岩山、ねぇ」
    「しかし、小一時間が経過した頃、急に揺れが無くなった。ゴウンゴウンと重たい音がしたから、多分扉を開けたんじゃろう。次に鎖の音、何かの電子音、ここらからまた悲鳴が聞こえだしたのう。酷い声じゃった。街中のものとは比べ物にならん。たった今、酷い目にあっていると分かる声が、延々響いておった」
    「………」
    「すまない。ここから先はワシもよく見えんかった。荷車から降ろされたお主が衣服を剥ぎ取られ、隠れるのに必死だったんじゃ。奴らの会話を聞く限り、やはり外のものは貴重らしい。喜んでおるのがよく分かった」
    「捨てられて無いならいいけどよ」
    「なんでも、綺麗にしてこれくしょん?するんだとか言っておったな」
    「趣味わりぃ」

    水木はズリ、と少し横に移動する。同じ場所に寄りかかってたんじゃ背中が痛くて敵わん。

    「敵の数は。特徴とか分かるか」
    「音の反響的にかなり大きな施設らしいのう。こりゃ相当な人数が働いとる。全員が敵とも言いきれんが」
    「……脱出が最優先だ。こんな所に留まってたんじゃ、何時まで経ってもお前の身体を取り戻せない」

    また横に1つズレるも、水木はとうとう鉄格子から身を離した。背中を丸めて、目玉を覗き込む。

    「ゲゲ郎。お前なんとも無いのか?俺は頭が痛くて死にそうなんだが」
    「ウン。どうやらこの世界に溢れかえる怨念や醜い感情が空気中に蟠り、妖力と混ざった気圧を生み出しているようじゃのう。ワシは生まれた時から幽霊族じゃからある程度の事には耐性があるが、半妖の水木には酷じゃろうて」
    「そうか。お前が平気なら良い。我慢には慣れてるからな」
    「水木……」
    「ゲゲ郎。どうやら状況は思わしくない。俺たちなら慣れっこだが、これからはそれを踏まえて行動しようぜ」

    薄暗い牢屋。男前が笑う。

    「いざって時は、飲み込んででも守ってやっからよ」

    冗談半分でそう言っていれば、遠くから扉が開く音が聞こえ、2人は顔を上げる。

    「やべ」
    「水木、邪魔するぞ」
    「ん」

    黒髪に目玉が飛び付いのとほぼ同時に、牢屋の向こうから、複数人の影が水木の背中を覆い隠した。



    ⬛︎

    そんな会話が、1ヶ月前である。



    「────おい、水木」
    「………………」
    「水木!手を動かせって!!また鞭でぶっ叩かれるぞ!」
    「!!」

    後頭部をどつかれて、水木はハッとする。
    振り返れば、水木と同じくらいの歳の男がこちらを睨んでいた。
    手にはピッケルを持っている。水木はハンマーを持っていた。
    互いに泥だらけで、頬にまで砂が付着している。服装は、揃って炭鉱夫そのもの。支給された薄いツナギの作業服、ベルト。靴も上等な物じゃないから、足に何か落っこちて来たら骨折は免れない。
    ヘルメットすら被っていない頭には、ヘッドライトが煌々と光っていた。

    「ノルマまであと少しだろ。サボんなよ」
    「……悪い」

    唇だけで謝って、水木は両手にハンマーを握り直す。もう、大量に出来たマメも潰れちまってる。その痛みすら薄い。
    崩しても崩しても無くならない自分の持ち場に戻ると、岩肌の前で、水木は両手を振り上げた。


    ⬛︎


    牢屋から連れ出された水木は、清潔な会議室でボスと思われる女と対峙した。雪女のように肌が白かった。

    「おはよう。今日からここが貴方の家です。精々頑張って、お勤めに励みましょう」
    「辺獄に来てまで宗教の勧誘に合うとは思わなかったよ。俺が生きてたら塩撒いてるね」
    「なんとでも喚きなさい。頭が痛くて死にそうな顔色では、虚勢を張っているようにしか見えませんよ」
    「!」
    「無理矢理従わせるのは簡単です。けど、私は自主的な従業員が欲しい。力だけで捩じ伏せていたんじゃ、夢見が悪いでしょう」

    雪女がパチンと細い指を鳴らす。
    それを合図に、水木の両サイドに立っていた男が2人、それぞれの肩を押さえ込みにかかる。

    「なにす……ッ!」

    反発したが、多勢に無勢。膝を着いてしまった水木は、逃げられないよう拘束されてしまった。
    その首筋に、ヒヤリとした針が触れ、息を飲む。
    注射器だった。内容物は呆気なく肌の裏側に投与され、拘束を振り解く頃には全身を巡る。

    「てめ………!何を、」
    「安心してしなさい。即効性ですから、直ぐに良くなる」
    「…………………………?」

    片膝を着いたまま、水木は違和感を覚える。
    気分が軽くなるような心地がした。あれ程煩わしがった頭痛が、スーッと引いて行く。充血していた思考が平穏に戻り、水木は意味もなく息を吐いた。

    「………治ってる」

    「?」の顔をして、水木はカチャリと手錠の音を立てながら指先で頭に触れた。背後で男達がニヤニヤ笑っている。
    雪女も同様だった。

    「これが報酬です。痛みが無くなったでしょう?私達は長年の研究の末、この辺獄における慢性的な気圧のストレスによる体の不調を和らげる薬の開発に成功したのです。」
    「……」
    「『工場』は常に人手不足に見舞われています。頑丈そうな貴方なら期待出来ますね」
    「……すまないが、俺はこんな所で油を売っている暇は無いんだ」
    「どういう事でしょう」
    「俺は元々、自主的にこの世界に降りてきたんだ。本来は来るべき奴じゃない。ここは1つ、例外的な括りで見逃しちゃくれねぇか。礼なら用事を済ませてからいくらでも払うから」

    頼む、と頭を下げる水木に、男達は顔を見合わせる。本気で言っているのか?と書いてあった。
    その様子にフム、と顎の下を触った雪女は、少し考えて、口を開く。

    「宜しい。出してあげてもいいですよ」

    「! 本当か!?」
    「但し、仮釈放の名目です。頑張った方には褒美も用意するのが我社の方針なので」
    「褒美だ?」
    「えぇ」

    カツン、とブーツを鳴らして雪女が立ち上がる。2歩、3歩、水木に近付くと背筋を伸ばして、胡散臭く笑った。

    「手始めに100年ここで働きなさい。そしたら仮釈放を認めます」

    「………は?」

    「ご心配なく。仲間は沢山居ます、寂しくありませんよ。この世界はまず死ぬ事が許されないので、1つの肉体も長く使えます。300や400年働いている者も珍しくありませんので、やり方はそちらから聞いて下さい。作業にはすぐ慣れます」

    雪女は、まるで話を終わらせようとしているようだった。
    頭の整理が一向に追いつかない水木を差し置いて。

    「報酬は日に1回の緩和剤投与です。働きたくないならそれでも構いませんが、欠勤やサボりが判明した場合にはその日より永続的に薬は与えませんのでご注意を。部屋の隅で苦しんでなさい」
    「……おい、ちょっと待てよ」
    「何ですか」
    「100年て言ったか?正気か?」
    「教えて上げましょう新入りさん。ここでは時間の概念は有って無いような物です」

    そこで言葉を切った雪女は、水木を見たまま手を2回パンパンと鳴らした。
    それを合図に、部屋の左側を隠していたワインカラーのカーテンが開かれ、巨大な窓ガラスが現れる。
    水木は釣られるようにその向こうを一瞥し、硬直した。

    「……」

    立ち上がって、窓辺に歩み寄る。誰も止めなかった。水木が驚いている事に、リアクションも無かった。

    「綺麗でしょう。自慢の職場なんです」

    背後で雪女が何事か言っているが、水木には聞こえていなかった。

    そこには、『色』がある。
    忘れるなかれ、この世界はモノクロだ。酒も服も肌も空も、全部が白か黒か灰色で構成された世界である。
    そんな無味の景色が延々続いていた最中、突如目の前に現れた『色』。

    「……鉱石」

    水木がポツリとそう零した。
    窓の向こうには炭鉱があった。水木はいつの間にやら地下に運ばれていたらしい。
    野球場によくあるような照明塔が計10箇所、地面から伸びており、広大な岩肌を照らし出している。
    ここから1番近い小山から、水木はまず『赤』を見る。表面に滲んでいるのだ。中の鉱石から輝きが漏れ出している。
    濃紺の岩肌から、豆粒サイズの人影が各々採掘工具を用いてその色の在処を掘り起こしている。
    視線を廻らせれば、その奥の山は『緑』、その隣は『紫』、その隣は『青』と。
    そんな岩山がいくらでも奥に続いている。
    本当に広い。見える場所だけでゴルフ場が2個は入るだろう。この工場が建設された理由として、まずこの炭鉱の為に違いない。
    もっとよく見れば、荷台に掘り起こされた鉱石が1箇所に集められている。手のひらサイズの宝石達が、バラバラと色別にベルトコンベアで運ばれて行く。
    その先がどうなっているのかまでは確認出来ないが、水木は口を開けて硬直する他ない。
    街とは打って変わって、この場所には『色』があった。

    「……ここまで貴方が見て来た景色が、本当は正解なんです」

    背後で雪女が口を開く。水木は振り返って白い肌を睨んだ。

    「気の遠くなるような昔から、辺獄において、この街だけが白黒でした。身を潜めやすい事から特に荒くれた方達がここに集い、町は混沌を極めていたのです。ある日、気の狂った力の強い男が行き場のない絶望を晴らそうと、この土地の地面をむちゃくちゃに掘り進めました。この炭鉱が見つかったのは、それがきっかけです。馬鹿みたいでしょう」

    雪女は水木から少し離れた隣に立つと、自らも窓の外の景色を眺めている。寒空のように冷静な目で、昔の情景と重ねていた。

    「この街が何よりも求めていた『色』。無論、戦争が起こりました。負けたのは西側。貴方がこの世界に現れた土地の方角です。勝ったのは、東側」

    つまり。

    「この工場は街の中心にあり、鉱石より抽出される『色』を使えるのは東側のみです。戦に敗れた西側はもう何千年と、白と黒の世界で生きている。野蛮な狂人だけが残った色無しの街のまま」
    「……」
    「何故西側の街が残されているのか、気になりますよね。全部潰して色が溢れる街にすればいいのにと、そう思いますよね」

    冷たい目が水木を見る。

    「ここで長く働いた者は、例外なく色覚異常を発症します。寧ろ、色付いたものを見ると眼球に激痛が走るようになる。原理は不明です。呪いの様なものでしょうね。西側の街は、そんな人達の為に哀れみで残された僅かな安寧の地なんですよ」

    「あの鉱石、サイズの割に取れる色彩はほんの僅かなんです。東の街一つ色付かせるにも気の遠くなるような時間が掛かりました。まだまだ労力は必要です。西側の住人はそれを担う崇高な義務がある」

    彼女の発言に、水木は何処かで似たような発言を聞いた気がしたが、無視をした。それどころじゃない。

    「……働けば、ここから出られるんだな?」
    「そうですね」
    「やってやるさ。そいつらは、何年ここで働いたんだ?」

    もうなりふり構って居られない。見る世界が全部昭和のテレビ映像になろうと、相棒の身体には変えられないのだ。
    汗を流す水木の耳元で、目玉が小さく何か叫んでいる。

    そんな彼らに、雪女は首を傾げてうっすら笑った。

    「1000年です。1000年ここに勤めれば、外に出る権利が与えられます」



    宝石だけ、色がついた世界。


    モノクロの街、『ゲンマ』。水木と目玉は、辺獄の一角の中でもかなりのハズレを序盤から引いてしまったのである。


    ▶︎▶︎▶︎


    「水木、探したぞ」
    「ん……」

    手持ちのやかんを傾けて、注ぎ口から流れる麦茶を飲んでいる水木に、同業者が背後から話し掛ける。
    水木は反対の手で口元を拭って振り返った。手の甲が触れた頬はザリザリしていた。

    「今日の臨時収入だとさ」
    「ありがと」
    「俺にも茶くれ」
    「あいよ」

    同じツナギを着た男性が、水木に串に刺さった何かの肉を差し出す。大きさがバラバラで、肉の種類は分からなかったが、水木は彼からそれを受け取った。

    2人は作業場がお隣さんである。
    惰性で話している内につるむようになった。気の遠くなる労働作業、今は気持ちばかりの休憩時間だった。
    周囲では毒された500年代のベテラン勢がひっきりなしに作業を続けているが、まだ年数が浅い水木と男性は岩陰に隠れて座りコソコソ休憩を貰う。

    「死なない世界でも、疲れってのはあるもんなんだな……ヴ!うぇ」
    「当たり前だろ。魂だけんなっても体力が無限にある訳じゃな、ゲ、ゴポッ!」

    渡された何かの丸焼きは豚の油の塊だった。何処かから流れ着いたペットの処理部品だ。脊髄反射で嗚咽を漏らすが、何も無いよりはマシだと、水木は最悪をシャグシャグ咀嚼する。

    水木が炭鉱夫になって1ヶ月が経過した。彼が配属された持ち場の色は『赤』。記憶の中での話だが、ゲゲ郎の目の色に近い鮮やかな色をした宝石が水木の担当になった。あまり詳しくは無いが、実在する宝石ならガーネットに近しい色をしている。
    黒が強い紺色の地層の中から、工具を用いてこれを丁寧に削り出す。宝石は長く空気に触れる前に加工しなければ色が落ちるらしく、ちんたらしてたら各所に点在している看守に1本鞭で背中をぶっ叩かれるのだ。
    これがかなり痛い。来たばかりの頃大人しく従わなかった水木は、何度もこれを喰らった。初日の鞭跡が今でもまだ消えていないのだ。むさ苦しい風呂場の汚い鏡でそれを見た時、水木はゾッとした。

    「ココ最近は抵抗しなくなったな」
    「マゾじゃないんでね」
    「なんだそりゃ」
    「退勤まで後どんぐらいだ?」
    「体感で言えば5時間くらい」
    「長ぇなあクソ」

    この世界には昼も夜も無い。だが一定時間働けば牢屋に点呼として戻される。水木はその回数を一日の終わりと換算していた。
    時計もないが、体感で4時間ほど。
    休憩の終わり頃には頭痛の足音が聞こえ始める。そこへタイミング良く看守が現れて、注射を打たれ、体調が良くなった所でまた鉱石掘りが再開された。
    今日で32回、水木は牢屋と炭鉱を行き来てしている。壁を削って正の字を書いたら看守にタコ殴りにされたので、数は髪の中にいる相棒が覚えてくれている。

    元々適応能力が高い水木は、3K、いや6Kも裸足で逃げ出すようなこの現場で命からがらどうにか働いていた。
    新人いびりの洗礼を気力でクリアし、説明もされない職務内容を手探りでこなす毎日。現代だったらブラック所の騒ぎじゃない。一日で脱走者が出るだろう。しかし逃げられないので、苦渋を舐めて手を動かす。
    お陰で喋ってくれる同僚も出来た。こんな地の果てで、慰めにもならないが。

    「ゴン、お前頬から血ぃ出てんぞ」
    「あーーーさっき引っ掻いたんだよ。気にすんな」

    ゴンとは、水木が名前のない彼に付けた適当なあだ名だ。
    彼は人間では無く、前世は狐の妖怪だったらしい。
    今は作業し易いように化けているのだ。何故辺獄に堕ちたのかは教えてくれないが、水木は彼を何となく気に入っていた。
    ゴンは頭が切れるし、話も通じる。何より、血液銀行に勤めていた時に隣の席だった同僚と顔が似ていたので、謎に安心感があった。全くの別人だが、雰囲気やノリも何処か似ている。
    そんなスタンスで話しかけたものだから、元来の人誑しが炸裂してしまい、狐くんも水木に若干心を開いてしまっているのが現状だった。

    ゴンは凡そ1年前から辺獄に居る。口が軽く情報通だ。お陰で様々な事が分かった。

    まずこの世界、3大欲求が基本的に機能しないようになっている。
    食欲。
    腹が減らない。食べる事は可能だが、満腹感も得られない。空腹も無いので、何を食ったって美味くは感じられない。娯楽や嗜好品の類になっているのだ。
    睡眠欲。
    眠くもならない。これが1番キツかった。時間が長く感じられて、体力の回復にも時間がかかる。不眠由来の体調不良はなし。裏技として、気絶すれば気持ち面では楽になる気がする。
    性欲、排泄欲。
    食ったり飲んだりすれば排泄は可能。死にかければ生存本能は働くらしいが、イメージしているような気持ちのいい衝動は得られないと。

    つまり生きる上で必要な事が、味気の無いリフレッシュ要素になってしまっているのだ。
    水木は酒場での盛り上がりを思い出して、納得した。
    飯も美味くない、眠れない、欲を出しても気持ちよくない。そんな世界じゃ、スリルや痛み、刺激を1番に求めてしまうに決まっている。ここでは狂った奴から勝ち抜けなのだ。

    他にも、病気や身体的欠損、老いや飢えでは死なない事。心因性のショックや長時間の失血、強い自我の崩壊は廃人となり、実質的な死である等。
    まだまだ分からない事ばかりだが、水木はこの1ヶ月で辺獄の理をある程度把握した。
    生命としての生き甲斐すら奪われた、最悪な世界。

    故に、煙草が美味すぎる。

    「水木、1本くれや」
    「絶ッッテェに嫌だね」
    「ケチ」

    不格好な手巻き煙草に火を付けて、水木は深くそれを吸い込む。
    成果を上げれば褒美が貰える。酒や女なんかも選べたが、水木は当然そこは煙草に費やした。香り的に、恐らく依存性のある薬物の葉が使われている。巻き方も下手くそ。
    だがそんなのどうだって良かった。ラバウルでも食料より煙を優先したヤニカスを舐めて貰っちゃ困る。
    どれだけ質が悪かろうと湿気っていようと、水木は劣悪な状況に相応しく煙草を吸った。

    「いくら吸っても肺が死なないのだけは良いな」
    「あんまやり過ぎるなよ。この間みたいにハイになって暴れ出したら次は殺すからな」
    「殺れるもんならやってみろ。ゴンの分際で」
    「何目線だよ。俺妖怪だぞ。前から思ってたけど、お前本当にただの人間か?」
    「んあ?」
    「一体何やって辺獄堕ちしたんだよ。人間なんて100年足らずで死ぬんだろ?それだけの年月で、地獄で捌ききれない罪を背負えるもんかね」

    吊り上がった三白眼が、気味悪そうに水木を睨む。それを見詰め返し、水木はまた1口煙を吹かした。
    ケミカルで甘い葉の香り。この睨みを受け止めるだけでも、かなりの度胸持ちだと狐は分かっている。

    「俺は、まあ。ちょっと訳ありでな。普通に地獄で判決言い渡されたんだけど、それが気に食わなくてな。提案されたから志願したんだよ。ココに来れるように」
    「……は?おい、事前に粗方説明は聞いてんだろ?ここがどういう場所だか。泣く子も自害する辺獄世界だぞ?」
    「説明ねぇ。獄卒にはそれらしい事言われなかったケド」

    火種を持ったままの手でカリカリ頭皮を搔けば、ゴンは更に顔を歪めて仰け反る。

    「うぅわ。ご愁傷さん。もうお前駄目だよ。何も知らずに来るにゃココは厳しすぎる」
    「どうかな。現世でも地獄みたいな人生歩んだ経験あるから、案外慣れるかも知れんぞ」
    「精子くせぇ赤ちゃんが何か言ってら。可愛いねぇ」
    「赤子の匂い知らねぇのかテメェ、ぶん殴るぞ」
    「拳でけぇなお前」

    掴みかかる手をひょいと振り払って、ゴンは片目を閉じる。
    手持ち無沙汰になったのか、近くに転がっていた自分の担当の鉱石を掴むと、ロックピックで表面についた細かな汚れを削り始めた。
    あまりサボっていると睨まれるので、水木も習って同じ作業をする。
    水木は赤、ゴンはムーンストーンに似た白い鉱石だった。
    強力な明かりに照らされて、2人の手の中でピカピカと輝いている。

    「……志願したとか言ってたな。なんか目的があるんだろ?何しに来た。理由は」
    「探しもん」
    「探し物!?ここに?」

    ガチャ、と持っていた工具が早速地面に叩き付けられる。騒がしい隣を無視して、水木は手を動かした。

    「ゴン。道具壊れる」

    「聞いた事ねぇぞ!俺は辺獄は長いが、まさかここに価値のある財宝なんかが眠ってるなんざ」
    「落ち着け。ぬか喜びしてる所悪いが、俺が探してるモノは、多分お前みたいな奴には無価値だよ」

    ここで水木は一瞥をくれてやる。それを見たゴンは、何事か言おうとして、また地面に尻を置いた。依然として、水木を引き気味に凝視したまま。

    「教えろよ。一体何を探してるんだ?」
    「体」
    「……カラダ?」
    「そう。俺の大事な奴の体が、この世界の何処かに隠されてる。それを取り返す為に地獄から来た」

    水木はここで手を止めて、何も無い正面を鋭く睨んだ。歯痒そうに、悔しそうに。塗りたくられた人間色。狐は僅かに息を呑む。

    「……」
    「何か、情報を知らないか?」

    そういやこれは初めて話すな、という顔を作り、水木はゴンに首を向けた。煙草を咥えたまま、唇の隙間から紫煙を吐く彼に、ゴンは口を開けてただただ固まっていた。

    馬鹿なのか?
    純粋に、そうとしか思えなくて、ゴンはフリーズから抜け出せない。
    純真無垢な顔でなんて事聞いてやがるコイツは。
    体を探す?ここで?この、全てのゴミが流れ着きゴミが手足を生やしたような住民が生活をしている辺獄で?何の変哲もない体を見つけ出す?
    いや阿呆だ。
    現世の物で例えるなら、サハラ砂漠に落とされたコイン、いや米粒を探すようなもの。どれだけ無謀なのか言わなくたって分かる。
    現状を把握しきれていないのか。
    少なくとも、後999年と11ヶ月は炭鉱を掘り続けなければいけないのに。その頃になれば、そんな野望なんざとっくに忘れているだろう。最悪目も見えなくなって、あの悲鳴に溢れる街で本能のまま涎を垂らすだけの屍に成り下がる。そう決まっている。
    ただの人間の、コイツなら。精神がもつ筈がない。

    「……素敵な夢デスね」
    「ありがとう」
    「褒めてねぇんだよ」

    ゴンは大息して、頬杖を着いた。心中水木を憐れむ。叶う事の無い夢に憧れる姿とは、何時見ても気持ちが陰鬱になって、同情が出ちまうってもんだ。

    「ンな探し回って。その大事な奴て誰だよ」

    間延びした声で狐は聞く。興味は無いし、戯れだった。少しばかりの好奇心である。
    今までの水木との会話の印象的に、その相手との関係性が読めない。真顔で『腐れ縁』とか全然言いそうだった。もしくは崇拝者とか、主様とか。
    この男が自分より下の立ち位置の人間に身を擲つとは思えない。
    ゴンは本気でそう考察していた。
    忘れる前に聞いてやろうと思った。

    「……」

    水木は再度前を向いたまま目を閉じて、ヤニを吸う。火種がチリチリと音を立てた。
    溜め息と混ぜて大量の煙を吐き出し、観念した様子で口を開く。

    「家族」

    それは意外な言葉だった。

    「んえ、」

    「家族だよ」

    ここで初めて、水木がゴンに向けてふかりと笑う。本当に優しくて、辺獄じゃ見た事のない慈愛に染まった微笑みだった。

    その顔に、ゴンはまんまと一目惚れした。

    これ(恋)はいつもの事である。


    「想い人さ。探してんのは、俺の好きな奴の体」


    そしてこれ(失恋)もまた、いつもの事。

    ゴンは胸の辺りが派手に崩壊する音を聞いた。

    彼の手に持っていた白い宝石が、ゴロゴロと地面に落っこちた。



    ⬛︎

    「ゲゲ郎、吸うか」
    「おぉ、かたじけない」

    その夜。牢獄。
    2人ぼっちの塒で、水木は吸いさしを目玉に手渡した。牢の中には電気が通っていない。鉄格子の隙間から伸びる廊下からの明かりだけ。
    そんな薄闇の中、なけなしの火種が丸く小さなシルエットを床に浮かび上がらせる。
    水木は立てた片膝に頬を乗せて、それを見つめていた。夏休み、砂浜で海の奥を眺める子供のように、その目は無気力だった。

    「……ゲゲ郎」
    「ん?」
    「俺ぁ、まだ生きてるか?」

    急にそんな事を言い出す。
    水木は至極真剣だった。
    この言葉の返答に、恐らく正解は無い。

    辺獄生活33日目。
    彼は既に軽く狂っていた。終始脳に砂嵐がかかっていたし、四六時中耳を突き刺す悲鳴に酔っていた。偶にこうなるのである。
    頭のおかしい環境にいれば、精神は自己防衛の為に外部からの情報を遮断する。
    これはその後遺症のようなもので、牢に帰って来ても水木は思考に若干靄がかかっており、決まって目玉に同じ質問をした。
    脊髄反射とエラーが作り出した、中身のない疑問だった。
    空っぽの蒼い瞳孔を、紅い瞳孔がじっと覗き込む。今はモノクロだが。

    「……そうさのう。もしかしたらワシも死んどるかも知れんから確証は持てないが。こうしよう、水木。今夜はもう目を閉じるんじゃ。『朝』が来れば、ワシにお早う、と挨拶をしてくれ。死んでは離ればなれでも、生きていたのなら、共に眠ってもまた会えるじゃろう」

    ニッコリ笑って、目玉はそう提案した。

    ここに朝は来ない。眠れもしない。
    数時間後、注射器と共に看守が来るだけ。
    この会話は昨日もした。全く同じ事を、しかし水木はそれを覚えていないのだ。
    これもまた自己防衛の一種。辛いばかりの現実、ざく切りで記憶は常に処理され続けている。脳内の大多数がゴミ箱に突っ込まれてしまうので、その中に相棒との小さな会話も混ざってしまう。
    水木はとっくにネジが5、6本抜けていた。目玉はそれに気付かないフリをして、彼に笑いかけるのだ。
    気を抜けば前も後ろも見失ってしまいそうな相棒を、一瞬たりとて迷わせないように。
    話の内容を合わせて、ポジティブに変換し手渡してやる。

    「………そうだな。そうしよう」

    これに水木は心から納得した様子で、大人しく横になった。勤務中は研ぎ澄まされていた感覚が、目玉の前でだけは也を潜める。
    これに気付く余裕なんざ、もう互いに残っていなかった。

    この程度の疲れじゃ失神も出来ない。精々目を閉じて、時間が過ぎる事を待つだけ。
    生きていた頃の名残だ。身体が覚えてくれている内に、水木は形だけでも眠っておきたかった。

    「また『明日』な。ゲゲ郎」
    「ウン。『明日』じゃよ。水木」

    この『明日』は恒例行事である。決まって交わされる2人の約束だった。
    せめて絶望せず、進む事だけを、真っ暗な未来を見据える、根拠も途方も無い約束。
    目玉も水木の耳の横に寝転がる。誰かが来ても直ぐ髪の中へ飛び込めるようにだ。バレたらおしまいである。揃ってすっかり野犬のように用心深くなってしまった。

    灰色のゆりかごで、2人は揃って目を閉じる。
    何処かからガラスを引っ掻くような悲鳴が響いてた。

    そんなもの、ここに来て3日でもう、慣れてしまったのだ。




    ⬛︎


    鼻を貫く刺激臭で意識が浮上する。
    何の匂いかと思えば、それは全部自分の血液だった。
    何度目だろう。数えるのも忘れちまった。



    「────水木」
    「………………」
    「水木や」
    「………聞こえてる」


    返事はすれど、仰向けのまま水木は動かない。見ずとも分かる。今素早く動けば、床にへばりついた背中が破けてとんでもない事になる。
    後で目玉に頼んで、部屋の隅の蛇口から水を持って来て貰わなければ。
    ぬるま湯を作り、ふやかしながら起き上がるのだ。これは時間がかかって参ってしまう。


    今日も労働を終えた水木は、自分の住処に帰って来た。筈なのに、今彼は血の海の中を優雅に泳いでいる。
    約1時間そうしていれば、黒髪の中から目玉がそっと登場し、水木の胸の上に立った。

    「出血が酷い。大丈夫か?」
    「………ん」

    今の彼は、返事もろくに出来やしない。
    ツナギの袖を脱いで、上裸になった水木の肌には、明らかに炭鉱作業に関係の無い鞭の跡が刻まれている。牢屋内の地面も赤く染っており、全て水木から流れたものだ。

    「彼奴、日に日にエスカレートしておるな」
    「下手くそだよなあ。もっと丁寧に扱えってんだ」
    「…………」
    「……怒るなよ。俺が耐えれば済む話さ」
    「馬鹿者。相棒を八つ裂きにされて、冷静に居られる男がどこにおる」

    瞳孔を細めて、目玉が鉄格子の外を睨んでいる。周囲に気配はなく、2人の声だけが響いていた。
    冷たい地面に寝転がった水木の身体は、肩、胸、鎖骨、腹筋、背中、腰までグルリと隙間なく赤が叩き込まていた。




    水木と目玉がこの世界に訪れてから180日が経過している。
    6ヶ月、つまり半年。
    1番に思う事は、心底、ゲゲ郎がいてくれて良かったと、それだけである。もし彼が居なかったら、水木はストレスで心の中にオトモダチを8人はこさえていただろう。

    水木は耐えた。ただ耐えていた。毎日、毎日、毎日毎日。
    壊れやすい鉱石を掘り出し、土を払い、荷台に積み、所定の位置まで運んで、また持ち場に戻る。削り出しの際に出た石炭が多くなったら掃除して、小山を掘り切ってもまた次の場所が宛てがわれる。
    全ての作業が重く、汚れて、暗くて、悲鳴が常に飛び交い、崩落すれば終わり。そんな場所で、毎日が繰り返し。

    厄介なのは、持ち場が変わってゴンと離れた日から、頻繁に他の作業員に絡まれるようになった事である。
    彼らは皆バラバラの種族だった。妖怪だったり幽霊だったり、怪異も居れば悪い方の妖精の姿もある。
    娯楽を得られなくて、血と刺激に飢えた獣達は、隙あらば水木を看守の居ない場所に拉致し、穏やかじゃない交流を意気揚々と繰り広げた。
    なまじ頑丈になってしまっているばかりに、痛みは筋肉の裏側にずっと響いていて、逃げていかなかった。何をしていても患部はズキズキズキズキと喧しく、時にはその部分を折り捨ててしまいたくなる程。
    気絶したら小便を引っ掛けて起こされ、バレないよう水木が働ける程度に腹や頭を殴り付けて来る。
    反撃しようにも、気付けば既に手足は抵抗出来ない有様になっており、傷が回復する前にまた暴力が与えられる。
    彼らは呼吸している間終始イライラしていた。つまりずっとだった。
    生きているだけで苦痛なのに、クソみたいな環境に囚われて労働をさせられている影響で、まともに言葉を話せない奴らばかりだった。意味不明な言語をダラダラ漏らし、ただ目の前にある水木の顔を殴るだけ。水木はその習性を理解するのに時間がかかった。それなりに生きたが、そんな生命体を今まで見た事が無かったのだ。
    連中に性欲が無い事だけが救いだった。それの代償に、必要以上の血を求められ、水木はそれに従う他ない。暴れても、数だけはある連中は、水木を抱き込むようにして離さない。争うなら気狂い同士でやればいいのに、何故か水木ばかりが狙われるのだ。
    土まみれの拳が、次々に黒い血で染まる様を何度も見た。殴りながら泣く奴も居た。泣きたいのはこっちだった。その涙に理由なんざ無いんだろう。それが悔しかった。
    この6ヶ月で、死ねない事への恐ろしさを嫌という程味わっていた。
    そして、追い討ちはこれである。

    「……飽きもせず、あの変態野郎」

    水木は、いつからか、1人の看守に目をつけられていた。中背中肉、これといって特徴も無い、男の看守である。
    彼の中で何が引っかかったのかは知らないが、ある日を境に、水木は彼に呼び出され、個人的指導という名目で定期的に仕置を受けていた。
    天井に両の腕を吊るされ、無抵抗な身体を遠慮なく鞭で殴打する。踊りたくなるような痛みは、耐性の無い者なら1発で気を失う威力だった。
    これが数時間ザラにある。最近では休憩時間でもお構い無しに牢獄にやって来て、水木を打擲するのだ。最悪な事に、股座を膨らませて。
    男の目はギラギラと濡れ光っていた。水木はそれに覚えがある。あれは、もう間もなく決壊する、欲望の瀬戸際を表していた。
    現世では色情狂だったに違いない。こんな場所に来てまで恥を見せびらかし、水木はそれの捌け口として今にも消費されようとしている。
    それでも未だ手を出されていないのは、一重にセックスが気持ちよくないから、それだけである。ただ穴に突っ込むより、手に持った棒で綺麗な横っ面を叩く方が辺獄では気持ちがいいのだ。それだけの話である。
    男は根っからのサディストだ。日頃から、口に出せないような事も散々やらされている。この数ヶ月間、ずっと。
    親の顔も見れなくなるような、他の誰とも話したく無くなるような事を。
    水木は耐えていた。

    「………つかれたなぁ」


    綿埃のように拙い声が、岩壁にポツリと響いた。

    「長かったのう」
    「うん」

    水木は閉じていた瞼をゆっくり開く。

    ボロボロの身でありながら、しかし、彼の濃紺の瞳は死んでいない。
    それは胸の上に座る相棒とて、例外では無かった。

    「また『明日』な。ゲゲ郎」
    「うむ。『明日』じゃのう。水木」

    いつものセリフ。繰り返し。
    今日限りそこに込められた「意味」なんて、2人だけが知っていれば十分だった。


    ⬛︎



    その看守に名前は無い。67番目、のみである。
    街の色を生成する工場勤務の彼は、最近楽しみを見付けた。
    ある1人の労働者の教育だ。目に傷があり、耳が欠けた美丈夫。生前の種族は人間。弱くて憐れな、どうしようもない負け犬。

    「おい帰ったぞ。寂しかったろ」

    今日もまた、作業を終えた水木の元へ、看守がニコニコと現れる。しかし返事は無い。
    水木は隅の方で壁に背中を預け、曲げた両膝の上に腕を置いて項垂れていた。
    看守はその様子に鼻を鳴らすと、牢屋の鍵を開けて、中に入る。彼が目の前に立っても、水木はピクリとも動かなかった。
    昨日与えた仕置はまだ治り切っておらず、見えている肩口の傷がピカピカ赤と白に光っている。

    「忘れたのかポンコツ。俺が来たら土下座して挨拶だ。おい、返事は」
    「……」

    水木はとんでもなく重たそうに頭を持ち上げ、看守を覚束無い目で睨み、また下を向いた。その仕草に、舌打ちが降ってくる。

    「とうとう歯向かう気力も無くなったか。最初の頃は威勢が良かったのになあ、残念だよ。お前の口が閉じるまで鞭をくれてやったなぁ覚えているだろう」

    肉厚な手が肩に触れて、意図的に強く握られる。重点的に虐めた箇所だ。しかし、水木は声も上げなかった。微かに身動いだだけ。
    あ、こりゃ不味いナ。早々に神経が馬鹿になっちまったのかも知れない。看守はまた舌打ちをする。コイツの反応が良いのが悪いのだ。毎度興奮してついやり過ぎてしまう。
    筋肉の付き方を見て長く楽しめると思ったが、所詮は人間畜生。玩具は決まって直ぐ壊れる。何時もの事だった。
    計算より早いが、次の段階に進むしか無いだろう。

    「もういいよお前。足開け」
    「………何故ですか」
    「カマトトぶるな気色悪い。生娘じゃあるまい、黙って従えばいい」

    そう吐き捨てて、横腹を足蹴にされる。水木が顔を上げた時には、看守は明るい鉄格子の近くに移動していた。

    「こっちに来い、穴が見えんだろ早くしろ。時間が無くなる」
    「……」

    もう、一々思考する気力もない。
    ザッ、と水木が片膝を立て、ふらつきながら立ち上がる。軽くて安い靴なのに、足取りは何処までも重たかった。
    顔色は最悪。整った顔立ちは血行不良により浮かんだ隈で台無しになっている。
    看守は逆光からそれを見て、もっと最初に手を出しておけば良かったと後悔した。
    その頃はまだ別のお気に入りを可愛がるのに忙しく、水木を見つけるのが遅れてしまったのだ。
    彼としては、水木が廃人になる前に何としてでも抱いておきたい。意味不明な言語を漏らしながら揺さぶられるだけの奴隷より、自我が残った薄く抵抗する奴隷を捩じ伏せる方が余程脳汁を感じるのだ。
    組み敷いて痴態を晒してやれば、この男の消えかけている野心も息を吹き返すかも知れない。
    それにもし運良く、この男がとんでもない名器の可能性だって捨てきれない。久しぶりに、暴力までとは行かなくとも、良い思いが出来るやも。
    マ、そこまで期待はちゃいないが。

    胸中そんな事を思う看守の前に、水木が歩み寄る。彼は看守と同じくらいの背丈だった。
    格子の影が白い肌に縞模様を浮かべている。心労と恐怖が塗り固められた顔は彫像のようであり、不思議と見るものを惹き付ける色気が残っていた。
    温度のない牢獄の中。造形が整った美男。
    看守の喉が鳴る。

    「ど……どうした人間。さっさと跪かんか」
    「……あの、」
    「ア?」
    「その前に 良いですか」
    「 」

    徐に。大人しかった水木が、看守の頬に手を伸ばしてきた。冷たい指先。あまりにもその仕草が自然だったので、看守は反応が一瞬遅れる。
    情事前の口付け。まさかそんな丁寧な、寝所での所作がこの男から飛び出すとは想像もしておらず。看守は握っていた手のひらをパーにして、近付いて来る水木の顔を驚きの表情で凝視していた。
    閉じられたまつ毛から匂う色気。目頭寄りの1本傷。乾いているが形のいい唇。
    男は息を飲んだ。これから始まる素晴らしき夢遊戯を想像して、期待に口角がずるりと上がる。
    こりゃあ、まだまだ楽しめるぞと、久方ぶりに腹の底から高笑いが漏れそうだった。

    が。


    ドッと、突然看守は自分の中から何かが破裂したような音を聞いた。

    「 ッゴ、」

    期待に息を吸い込んで膨らんだ土手っ腹。
    気が付けば、水木がそこへ思い切り拳を叩き込んでいた。
    ギチ、と音がする程握り込まれた拳である。

    「、」
    「___ダーリン。どうした。何時もより嬉しそうな顔して。今日給料日か」
    「 あ………ァ?」

    看守の口から体の中の空気が全部出て行った。唾液が派手に飛ぶ。飛び出しそうな程見開かれた眼球がみるみる充血する。

    「驚くなよ。俺が考えた辺獄流の挨拶さ。やったのはお前が初めてだけど。緊張したんだ。受け止めてくれよ、それが優しさだろ」

    水木は数分前まで、電池が抜けた人形だった。それが今や、まるで産まれ変わったような抑揚で看守の耳元へ話し掛ける。
    ドスンと視界が下がった。
    鼻先まで近付いていた美貌は、今や頭の上にある。蹲ってゼヒュガヒュ言う彼は、鎖骨まで真っ青だった。

    「おま……………おま なん、 なっ、何で、腕 使え、」

    ひん剥いた目ん玉が、縋るように水木を見上げる。水木は片足に重心をかけて、死体のような無表情でそれを見下ろしていた。

    彼の認識は間違っていない。そうじゃなきゃ困るのだ。『腕が使えないから水木は抵抗が出来ない』と思ってくれなければ、この計画は成功しない。

    「お前が馬鹿で助かったよ。ありがとさん」

    「…」

    時間切れである。ズルリと、気を失った体が地面に伸びる。
    水木はそれを見届けながら、ポケットから取り出した煙草に火をつけた。
    とても、機嫌が悪そうに。


    この時この瞬間の為に彼は、利き腕を守り抜いたのだ。この1ヶ月、吊り下げられる時は重心を掛けないようにしたし、リンチの際も痛むふりをして庇っていた。
    タイミング、位置、ブランク、力の采配、素早さ、視界の霞み。懸念点は山程あった。失敗する確率の方が断然高かった。

    「………チッ、ーーーーークソ………いって」
    「大丈夫か?」
    「ギリギリ」

    重労働終わり、薬の抜け始めたフラフラな身体で、どこまで出来るか不安だったが。
    渾身の1発は、上手く入ったようである。看守は白目を剥いて、散々水木の血液で汚れた地面に顔を押し付けている。

    不意打ちの対処法はシンプルだ。相手をよく観察する事。
    奇襲を仕掛ける輩は、決まって何か『合図』を出す。
    目が泳いでいたり、表情筋が1部痙攣していたりと。様子が可笑しい部分がどうしても露見し易いのだ。

    看守も一応、辺獄で生き抜いて来た強者である。こんな良くある不意打ち、対処出来なかったのかと聞かれれば、相手が悪かったとしか言いようが無い。

    水木は『合図』を出さなかった。何も怯まず、揺らぎなく、今からキスをすると、彼に教えていた。まるで本気だったのだ。
    根拠として、この数ヶ月間、水木は従順そのものだった。黙れと言われれば黙り、跪き、言う事を聞く。
    初日に水木は看守の手を噛んだ。それ以来徹底的に調教を施し、無事成功したと、完璧にそう思っていた。
    傷持ちの狂犬だろうと、自分の手にかかればこの程度だと。両手を拘束した水木を膝に乗せ、蚯蚓脹れに膨れた肌を鞭でなぞりながら。
    看守は優越感を味わっていた。水木は自分のものだと胸を張ってそう言えた。最終的に、執着し盲目になっていたのは彼なのだから。
    可哀想に。見破れる筈が無い。
    水木は生前から、装う事が病的に上手かった。
    それこそ人間には無理である。運がいい事に、水木は人間じゃない。
    かの幽霊族の血液を、妖樹の下で、そして満月の下で鬼太郎とゲゲ郎から、平等に注がれた特別な半妖である。水木の享年は200をとうに超えていた。
    そこらの妖怪じゃ体験出来ないような修羅場をくぐっている。今は頭上にいる相棒と共に。

    「俺の背中でも見てろや」

    煙ごと吐き捨てて、水木は足で火種を潰す。

    そこからの行動は早かった。
    水木はまるで日頃から着用しているのかと思える程手際よく、奪った看守服に袖を通し、違和感なく着込む。代わりに自分の作業着を男に着せると、先程の自分とまるきり同じポーズで座らせ、下を向かせた。
    離れた距離で見れば、まず一目じゃ分からない。黒髪に中背中肉、少し筋肉のある厚み。

    彼は自分が水木を見つけたと思っていた。
    実際は、水木が彼に目を付けていたのである。

    この半年間。水木と目玉が何もせずただ労働に喘ぐ日々を送っていた訳が無い。

    彼らはピンチに慣れていた。死の予感と友達だった。沢山の迎えに来た死神と肩を組んで仲良くなった挙句、背中から蹴りを入れて冥界に追い返すような極悪コンビだった。


    目が覚めた時から観察が始まる。

    「『お早う』、水木」
    「……『お早う』、ゲゲ郎」

    合言葉と、互いを忘れていないかの確認。そうしていればガチャと奥の扉が開いて、日替わりで看守が頭痛の中和剤を持って来る。
    牢屋の中から腕だけを出して注射されている間も、水木は様々な箇所を絶え間なく盗み見ていた。
    看守の顔、名前、特徴、仕草、クセ、匂い、仕事に対する向き合い方、話し方、声、水木を見る目、何に興味を持つか、どの労働者に目を付けているか。
    数ヶ月間は表向き大人しくしていた。怪しまれないよう他の奴からの暴力は貰ったが、看守の選別だけは怠らなかった。

    暫く見ていれば、水木はある1人の看守に目星をつけた。それが67の男である。
    彼はまず体型や髪色が水木と似通っていた。
    次に性格。他の看守との交流関係は薄く、プライベートを大事にしている。1人になりやすいタチだった。業務内の事はするが、能動的に動く事は殆どなく、乱闘騒ぎが起きてもまるきり無視を決め込んでいる。
    こんな姿勢じゃ人望も薄いに違いない。面倒事は嫌いなくせに、趣味のペット調教には熱心なのだから、周りも相手にしていない。サボり癖もある為、少しの間なら居なくなっても疑問に思われないだろう。
    完璧だった。成り代わり先として、水木はこれ以上ない宿主を見付けたのである。

    これだけでは終われない。次は周囲の印象操作を行う。
    水木はわざと彼の前で加虐心をくすぐる言動を取り、接触を図った。案の定、男は普段と同じように囚人である水木に目を付け、部屋に来るよう命令する。
    ここでも水木は演技をして、大袈裟に叫んで見せた。看守はこれに大喜びして鞭を振るった。すっかり水木を嬲る事に興奮を覚えた男は、その日から何度も水木を呼び付け、牢屋に通い、一生懸命その肉体を弄ぶ。
    周りはこの光景に段々と慣れて行った。2人が共に行動し、作業に来るのが遅れても、ああなんだ、また看守があの人間を玩具にしてんだろーなと鼻で笑い、知らんフリをする。
    何度も繰り返していく内にそれは当たり前となり、その当たり前が違和感を消し去って行くのだ。
    水木はこれを待っていた。

    自分達に興味の無くなった周囲。
    入れ替わっても気付かれないような人望のない男。


    手札を揃える。
    最高位まで残り3枚。
    ここからは目玉の仕事である。




    「出るぞ 頼んだからな。ゲゲ郎」
    「任せておけ」

    水木は牢屋に鍵を掛けると、廊下を歩いて部屋を出る。帽子を目深に被り直し、看守の真似で少しだけ猫背になって堂々と歩いた。
    心臓が気味悪く鼓動している。緊張で肩が膨らみそうだったが、精神で抑え込んだ。バレたら全部がパーだ。
    依然として歩みを進める水木の右耳には、目玉が静かに隠れていた。

    水木が炭鉱作業で拘束されている間、目玉は工場内の隙間を半年間走り回っていた。
    小さな体なので時間はかかるが、幽霊族のバケモノ体力。1日かければ端まで行って帰って来れる。3ヶ月かけて、目玉は自分の中に完璧な地図を作り上げた。
    相当苦労したが、これもまた執念である。水木と共にここを出るという明確な願いの為。
    監視カメラの位置、看守の配置、何処が手薄で何処が厚いか、出入口の把握、緊急用の経路、何を使われている部屋が何処にあるのか。
    幽霊と名のつくだけあって、目玉は身を隠すのが上手い。この世界の住民は妖力に敏感だが、彼にかかれば造作もない。逃走経路は確保出来た。

    そしてもう1つ。目玉はここを念入りに計画した。
    研究室の潜入である。決められた職員しか入る事を許されない厳重に管理されたそこでは、毎日実験や薬物投与が行われている。
    目玉はそこにこっそり忍び込み、水木に使用される注射器に細工を施したのである。バレないよう日を開けて、少しずつ、少しずつ緩和剤の濃度を上げて、脱走日に水木が万全で動けるように調整した。
    お陰でここ最近の水木の体はほとんど不調に見舞われず、それを隠して鉱石を掘っていた。違和感を持たれないよう、まるで満身創痍を装っていた。
    本当は傷の回復薬も混ぜてやりたかったが、それでは看守にバレてしまう。
    頭を下げる目玉に、水木は十分すぎると笑って言った。

    薬の細工。
    逃走経路の確保。

    最後の1枚。これも目玉の仕事である。


    「ここか?」
    「ウム。今の時間なら誰も来んよ」

    ヒソヒソ話し、水木はポケットに入っていたキーカードを電子パネルにかざした。パネルの色が青になると、ドアの鍵がガチャリと開く音がする。
    ドアノブを握って部屋の中に滑り込む。電気をつけると、そこは木製の棚が並んだ倉庫だった。少し厳重な印象を受ける。

    「右の奥じゃ」
    「応」

    髪の中から首を出している相棒の指示に従って、水木は歩く。指定された引き出しを開けると、そこにはお望みのものが納められていた。

    「ありがてぇや。ちゃんと洗濯してくれてら」

    久方ぶりに自然と笑い、水木は中から畳まれた自分の着流しと刀を取り出す。煙草は残ってなかった。質の高い嗜好品はどうしても人気が高いのだ。とうに誰かに吸い尽くされている。
    堪えきれず舌打ちを漏らすが、この2つが戻って来ただけでも御の字だ。

    最後の1枚。
    武器の調達。
    これで五光の完成である。

    水木はそれらを手に、目玉の指示に従って経路を辿った。
    途中で危ない場面も何度かあったが、持ち前の口八丁で切り抜ける。バレたら気絶させ、倉庫に隠す。
    悪戦苦闘の末。
    水木と目玉は、小さな窓からなんとか抜け出し、工場を脱出する事に成功したのである。
    半年ぶりの外の空気は、湿っていたが窓の無い閉鎖空間と比べればまるで天国のようだった。
    吹く風が黒髪を揺らすが、深呼吸は許されない。

    「まだ油断は出来んぞ」
    「分かってる。ここで捕まってたまるかよ」

    ある程度離れた場所で、水木は着流しに素早く着替え、看守服を燃やした。万が一GPSが付いている事も考えて、所持品は全て処分する。体はまだ動く。緊張に強ばる四肢を叱責して、水木は足早にその場を走り去る。

    工場は灰色の森に囲まれていた。
    目玉が管理室で調べてくれていた情報と照らし合わせ、道無き道を黙って進む。
    流れた汗が全身の傷口に沁みた。
    しかし水木は気に停めない。
    もう感覚が馬鹿になっているのだ。森を抜け、砂利で形成された坂を上り、汚い川を渡り、気が遠くなるような広さのゴミ置き場を通り過ぎる。
    2人は街に向かっていた。東の色付き。木を隠すなら森の中だ。人混みに紛れれば探索も難しくなるだろう。
    最短距離を突っ切れたら早いのだが、当然厳重な警備をされている。外側を迂回する他ない。

    ゼイゼイ息を吐いて、水木は痛む手足に気が付かないフリをして地面を蹴る。
    まだ大丈夫だ。まだ耐えられる。走れないけど、歩けるから。
    耳元で目玉が心配そうな声を出した。それに小さく返事をして、水木は逃げる。

    平気なフリをしているが、2人は限界だった。もうあの地獄には二度と戻りたくなかったのだ。最悪だった。最低だった。
    毎晩、死ぬ事に躍起になった自殺者が後を絶たなかった。天井にまで飛び散った色々なものを何度も掃除させられた。一生分の痛みと屈辱を味わった。もう目玉以外の他人を信じられない身体にされた。悲鳴が抜けない。ずっと耳の奥で鳴り響いているのだ。
    爪を剥がされた指の熱さを覚えている。浴びせられた罵倒が気絶の最中も延々と襲ってくる。腐臭と鉄の匂いが鼻の奥にこびり付いて取れないのだ。
    思い出すだけで唇が震える。
    頭が痛い。身体が痛い。もう倒れ込んでしまいたい。
    でも、あの場所に自分が、ゲゲ郎が、連れ戻されるのだけは駄目だった。もうたくさんだった。
    虐げられ見下され、唾を吐かれるのは想像を絶する苦痛だったのだ。
    歩いていれば涙が溢れた。拭っても水滴は止まらなくて、でも水木は歩き続ける。

    「げげ郎」
    「どうした?水木」
    「お前これ、もしこれさ、捕まりそうになったらよ」
    「……」

    水木はギラギラと前を向いたまま口を動かした。その目に宿るは生気では無く、残った人間臭さが織り成す自由への執着だった。
    抑圧への反抗。看守が水木に惹かれたのは、隠されたこの光を無意識に見抜いていたからだろう。
    水木はあんな洞穴で腐るには、放っておけない輝きを持った人間だった。
    それが今や目を宿り、ボロボロと絶え間なく涙を流している。

    「つか、まりそうになったら」
    「うん」
    「お前……殺して、俺も、自分で首切って死ぬからな、」

    「あぁ、それでいい。すまんのう、水木」

    目玉はこの上なく優しい声でそう言った。水木はそれにまた泣いて、しかし足だけは止めなかった。


    『ゲンマ』の工場からの脱獄。歴代にも、これを成し遂げた者は数名存在する。簡単に言うが難易度は鬼だ。
    しかし長い歴史の中、確かな人数があの掃き溜めから這い出て来た。
    だが軒並み犬のように帰って来るか、道中で野垂れ死にが関の山。
    原因は1つ。薬の副作用である。
    工場で働かされる事が決まった労働者達は、2週間後、仕事に慣れてきた頃に。わざと薬が投与されない日が設けられる。何もしていなくても平等に。
    そして思い知らされるのだ。辺獄に訪れた時と比べ、何倍も強くなった頭痛と吐き気、幻視、平衡感覚の狂い。死んだ方がマシな苦痛が一晩中襲う。永遠に感じられるのだ。耐えられなくて必ず壁に頭をぶつけるので、柔い素材で作られた部屋に監禁される。
    当然水木もこれを体験した。生まれた事を後悔する痛みだった。気が付いた時、水木は自分の両手に掻き毟った髪の毛がごっそり乗っていて腹底が冷えた。
    束の間の安寧を与えられた身体は、もう元の苦痛には耐えられない。
    薬物中毒にして、逃げるという考えを頭から捨てさせる。逃げてもどうせ耐えられず帰って来るのだから、後追いは不要。
    あの雪女、中々えげつない事を考えやがる。

    目玉が濃度を上げてくれた緩和薬。それも投与したのは昨日が最後。今の時点で、とっくに時間は過ぎている。

    「…………」
    「水木、水木!聞こえるか?分かるか?」
    「…………………分からん。多分、げん、かぃ」

    砂利道の途中、水木は足に力が入り切らなくなり、とうとう座り込んだ。鼻血が垂れる。耳鳴りが酷い。頭が割れるように痛くて、あの2週間目を思い出す。
    水木は過呼吸の音を喉から鳴らしながら、懐に手を突っ込むと、見慣れた注射器を取り出し、それを勢いよく自分の大腿に刺した。
    何本かくすねて来ていたのだ。緊急用だが、こんな場所で歩けなくなったんじゃ仕方がない。
    ガヒュガヒュ咳をして、水木は目を閉じてじっとする。全身脂汗に塗れて気持ちが悪い。

    「………っ、う」
    「水木、大丈夫か」
    「……………ぁあ」
    「すまない。お主にばかり辛い思いをさせて、本当に、ワシは情けない」
    「ん、な事、言うな言うな。俺の家族馬鹿にしたら、許さんぞゲゲ郎」

    水木は手のひらでグイ、と汗ごと前髪を掻き上げて、それを払う。息を吸って、吐いた。
    痛みが引いていく。肢体の震えが見事に消えた。
    それに目を細めて、水木はため息を吐く。
    この気が狂うような痛みに慣れていかなければ、この先厳しくなる。緩和剤も数本しかない。大事に使わなければ。
    そう思い立ち、どっこらしょと立ち上がった。

    「もう少しだろ……?」
    「間もなくじゃ」

    カチャ、と腰に結んだ刀を鳴らして、水木はまた歩き出した。
    震えが収まった手で煙草を取り出し、ライターで火をつける。風があまり無い。目に煙が入って痛かった。変わらず下品な味がしたが、幾分気分はマシになる。
    目玉にもそれを渡して、2人はあの工場の余韻を残したまま薄暗い景色をザクザク進む。

    「ゲゲ郎、これ」
    「うむ。ワシにも分かる。これは赤じゃ」

    廃墟になったデパート施設の前で、2人は立ち止まる。壁に書かれた大きな落書き。それは正しく、『赤い』スプレーで描かれていた。
    よくよく観察してみれば、そこかしこにある落書きは、様々な塗料が使われている。
    近付いている。東側の街に。色があまり高価じゃない場所に。

    「水木」
    「うん」

    目玉が肩に乗った。遠くで何かの音がする。幻聴じゃない。人の気配が聞こえる。
    水木は顔を上げて、レンガ造りのトンネルを抜ける。何も居ない動物園を歩き、今までより綺麗な川の橋を渡る。
    聞こえる、人の声。水木の足取りが早くなる。じわりと聞こえ出した頭痛の音が小さくなった。岩が積み上げられた坂道を必死に上り、頂上になんとか足を乗せた。

    「……………」

    峠の向こうを見た水木と目玉は、揃って口を開けたまま黙り込む。そんな2人を、今までより少し湿度の低い風が出迎えた。
    個性に溢れた喧騒。目に染みる色彩。

    「……ついた」

    カラフルな街並み。本物の『ゲンマ』が、眼前に広がっていた。
    水木は前を向いたまま峠を危なっかしく降り、その地へ足を踏み入れる。路地裏を抜けて街中へ出ると、西側とは比べ物にならない程文明が発展した都市が広がっている。
    流石に現代の東京とまではいかないが、ネオンがとりどりに輝いているだけでも、懐かしさに泣きそうになる程だった。
    行き交う人々は、変わらず無愛想で種族に一貫性が無いけれど。モノクロより余程心が救われた。脳が刺激されて、目が痛かった。

    「………水木!」

    棒立ちしていると、突如肩に乗った目玉が悲鳴に近い声を上げる。彼は水木を見ていた。水木もまた、目玉の姿を見て硬直し、にわかに笑う。

    待ち望んでいたガーネット。相棒の瞳孔の色が、記憶と同じ輝きでそこにあった。首から下も薄橙の手足が伸びている。

    「…………………あぁ」

    水木はクッと目の端に皺を作って、自分の手に視線を移した。傷だらけの手のひらに、滲む赤すら嬉しいだなんて。2、3回味わうように握ると、それをポケットに突っ込んで、顔を上げる。
    目玉も水木の取り戻した海色を心ゆくまで眺めた後、習って前を向く。

    2人は暫く立ち尽くして、その景色を目に焼きつける。子供が初めてテレビを見たかのように、それは果てしない衝撃だった。
    打ちのめされる事が、今1番の望みだった。
    10分間そうして、水木が背後の壁に寄りかかる。ほとんど止まる事も無く歩き続けていたので、体力は中々限界だった。

    「……して、これからどうする?水木」

    肩の上で立ったまま、目玉は相棒を見上げる。それに水木は少し考えて、んー、と唸り、ポケットをガソガソ漁ったかと思えば、何やらゴミを取り出した。

    「……」

    ゴミはくしゃくしゃになった手巻き煙草だった。劣悪な環境で有難く大事に大事に吸って、その成果が三本残っている。
    手のひらの中で身を寄せ合う筒を、水木はジッと見下ろしたかと思えば。

    「────一先ず」

    次の瞬間には袋ごと地面に投げ捨てていた。反対のポケットには、看守から奪った財布。


    「煙草買う」


    そう言って、色とりどりなネオンの街に革靴を踏み出した。








    (お疲れ様でした)
    (かなり飛びますが。ここからは青年に突き落とされて、地獄の血の池から這い上がったど根性水木のワンシーンです)


    「〜♪」

    今日は早く帰れそうだなと思っていた。
    佐吉は立派なサラリーマンである。所属地は第1階層、等活地獄。
    地獄にはお休みが無い。佐吉もついさっきまで、高台から苦しむ亡者たちの見守りに入っていた。鞭を振る腕が疲れてきた頃、交代の獄卒が来てくれた。
    後は今日の分の日誌を書いて、補佐官に提出すれば仕事は終わり。
    事務所で書いても良かったが、その日は気分が良かったので、赤い赤い空の下、悲鳴なんか聞きながらサラサラと万年筆を動かす。

    「…………?」

    ふと、佐吉は。気配を感じた。かと思えば視界の端にずぶ濡れの白い足が2本見えてギクリとする。全く気付かなかった。同僚なら話しかけてくるだろうし、亡者なら常に呻きながら血糊に濡れて真っ赤な肌をしている筈なのに。
    動揺した視野を、しかし無視する訳にも行かず。佐吉は思い切って顔を上げた。

    「……」

    そして絶句する。目と鼻の先に、えらく面の整った壮年の男が立っていた。彼はゼカゼカ息を乱し、地面まで伸びた白い長髪を引き摺って、鼻先からボタボタ水滴を落としている。
    肩には青い着流しを着た包帯まみれの男の腕を担いでおり、彼は死んだようにダラリとしている。気絶しているのだろう、かなり重たそうだった。現に長髪の男は、歯を食いしばってふらついている。だが決して倒れないのだ。
    あまりの絵面に、佐吉の手から万年筆が転がり落ちた。

    「な っん、」

    「────補佐官、」

    「…………え?」

    喋った。思わず聞き返した、次の瞬間。男は噛み込んだ歯を一気に開いた。

    「今スグ!!閻魔か補佐官呼んでこい!!!!!!!!!!!!今度は裁判所倒壊させんぞゴラ!!!!!!!!!!!!!」

    「ひぃ!!」

    天地が割れるような怒号だった。
    ギラギラと光る牙の根元には血が滲んでおり、こちらを睨む瞳孔は紅と碧が交わった異質で綺麗な色をしている。
    ただの亡者ではない。腰を抜かした佐吉はアウアウ呼吸をしながら、なんとか首を縦に動かす。
    その様子に鼻を鳴らした水木は、ずり落ちる肩の相棒をよっこら背負い直した。


    佐吉が1番奇妙に思ったのは、何故、その担がれている男はこんなにも包帯を巻かれているのだろう、である。
    膿で薄汚れた布地の隙間から覗く肌は、随分と綺麗だった。






    (ここまでとさせて頂きます。良ければまたお会いしましょう。では)
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