閉じた世界 5ゼイユ達がツバっさんを連れて行ってくれたのを確認してから、僕はシャガさんへ向き直った。
筋骨隆々で背が高く、口元が見えないくらい髭を生やしている。確かに細身で幼い顔立ちのツバっさんとはあまり似てなかった。ただ、こちらも聞いた通り髪と目の色は殆ど同じで。
「…………………………」
孫と真逆で無口なのかもしれない。黙って静かに見据えられて、ちょっと怯みそうになってしまった。この目に睨まれるのは、想像したより怖い。
だけどダメだ。ちゃんと話をしないと、彼は本当にツバっさんを休学させてしまうかもしれない。そんなことになったら、皆きっと悲しむ。状態からして仕方ないと納得出来ても、それでも僕は全員と一緒に居たいんだ。
なにより、ツバっさん本人の望むところではないらしいから。なにがなんでも止めなきゃ。
「勝手に話を進めてしまってごめんなさい。だけど、どうしても話さないといけないと思ったんです。僕達も、カキツバタくんも」
「…………では何故あの子を引き離した?」
「先ず整理をすべきだと感じたからです。貴方とカキツバタくんの間には、どうにも壁があるように見えた。考え無しに会話しても状況は変わらないと思うんです」
この程度の威圧なら何度も受けた。トップの笑顔の方がまだ怖い。
息を吸い込んで、余計なお節介を承知で告げる。
「だから、僕に貴方達が話すのを手伝わせて欲しい。きっと彼は貴方のことが嫌いなわけではないから」
金色の目が見開かれる。
多分、互いに誤解やすれ違いがあるんだ。それもただの喧嘩ではない、喧嘩にすらなれない大きなものが。ツバっさんが自分の状態を伝えたくないと思う程に。
でも、まだ間に合う。仲直りは出来る筈だ。
『ボン・ボヤージュ!』
だって二人はちゃんと生きてて、ああして再会したのだから。
「一度座りましょうか」
僕は屋上へと出ながらそう言った。シャガさんは無言でついてくる。
……こんな子供のお説教は聞かれないかも、と危惧していたが杞憂だった。さっきの会話で見せた表情といい、見た目が怖いだけで結構落ち着いた人なのかもしれない。
近くのベンチに腰掛ければ、シャガさんは少し間を空けて隣に陣取った。
「……それで、ハルトくん」
「はい」
「…………あの子は、カキツバタは私のことが嫌いではないと言ったが。そうなのか?」
悲しげな顔で確認されるので、即座に頷く。
「恐らく」
「何故そう感じた。あの子は先程……私はあの子を見放したのだと。どうでもいいのだと」
「まあそう捉えられるだけのことはしたのかもしれませんね」
「む…………」
ここで容赦するほど優しくはないので、ハッキリ切り付けた。反抗期だとしてもそこまで言うならよっぽど環境が悪かったとしか思えない。大事な親友のことだから、そこはちゃんと怒ります。
と、伝えた上で続けた。
「でも、本当に嫌いならハッキリ『嫌い』と言いますよ。彼はそういう人間です。アレにデリカシーなんてあると思います?」
「きみも中々言うな?学友ではないのか?」
「だってあの人、チャンピオン陥落したばかりの後輩に『元チャンピオン』とか言う人ですよ?本気で嫌いな身内に手加減とかすると思いますか?」
「そんなことを言ったのか」
「公衆の面前で堂々と言いましたね」
「むむ…………育て方を間違えたか…………?」
「まあ本人達はそこまで気にしてないようなのでそこはいいとして」
「良くはないぞ」
ツバっさんとスグリの因縁は置いといて。
「とにかく、『嫌い』と言ってないならそうではないんでしょう。それに、僕だったらそんな相手に『どうでもいいくせに』とか吐き捨てません」
「そういうもの……だろうか…………」
「そういうものです。ああいう言葉は……人によりますが、構って欲しい相手に向ける方が多いかと」
そこそこ簡単で単純な話な気がするのに、シャガさんは腑に落ちていないっぽい。
人の機微に疎い、というか、家族に関して不器用なのかな……?なんかツバっさんに同情する。
「そうだとして、では私はどうすれば……」
「話がしたいんでしょう。すればいいんです。さっきも言ったけど、僕も手伝うから」
肩を竦めて見せれば、段々友人の祖父と目が合うようになってきた。
彼は僕に底冷えする眼差しを、しかし迷子のような顔付きで向ける。
「有難いことだが。きみは、どうしてそこまで?」
「親友を助けたいのは当たり前の話です」
「……『もう後悔したくない』と言っていたね。アレはどういう?」
「………………………………」
まあ随分とズケズケ尋ねてくる。やはりこの祖父とあの孫は似ていない。
でも隠し事をしては信頼を損ねそうだ。溜め息を零して仕方なく答えてあげた。
「アカデミーの親友に、居るんです。家族と喧嘩別れしてしまった子が」
特徴的な髪型と口調の、あの心優しい男の子を思い浮かべる。
「彼は、ずっと独りぼっちでポケモンだけが家族で。でも、反抗期になりながらも、人間の家族とも……母親とも会いたがっていた。愛して欲しいと願ってた。その為に全てを失いかけて、大嫌いなコライドンを連れた僕に頼ってまでして………だけど、彼のお母さんは、とっくのとうに死んでいた。死に目にも会えずさよならも言えないまま別れちゃった。誰にも言ってないけど、僕、ずっと後悔してるんですよ」
あまり詳細に話せばあの子は怒りそうだから、名前は出さずなにがあったかも黙ってたが。
「どうして僕は、もっと早く彼らと出会えなかったんだろうって」
主人公?最強?天才?
呼ばれる度に、『友達をその手で独りぼっちにする主人公が何処に居るんだ』と叫びたくなる。
どうしようもなかったとは分かってる。誰も僕を責めていない。後悔したって仕方ないんだって。
だけど、もっと、なにか出来たのではないかと。
せめてあの本を差し出してしまわなければと、時折夢にすら出る。
それでも全て包み隠して"皆のヒーロー"として走るんだ。
「だって僕は、その為に動き続けなきゃ、ただの鈍感で最低な子供だから」
まあ、動けなくなるくらい気に病んでるとかじゃないけど。僕割と能天気だし。
心を強く、誰より強く、そう願う前にとっくに強くなってしまっていた。そんなんだからスグリを狂わせてしまったのかも、なんて。
「…………きみはただの子供だろう」
「あ、そういうこと言います?話聞いてました?」
「事実を述べたまでだが………いや、すまない。不快だったのであれば謝罪する」
シャガさんはふと、何処かなにかを懐かしむような面持ちになった。
「しかしそうだな……私は、きみのような子を知ってる気がする」
「?」
「ただの子供である筈なのに、強く輝きポケモンと未来を見据え続け……皆を救い、英雄となった若きトレーナー。きみ達はよく似ている」
「ふぅん。『主人公みたい』って?」
「あまりそのような表現はしたくないが。そうだな」
イッシュにも居るんだ、そういう子。ちょっと会ってみたいかも。
いや……むしろ出会わない方がいいのかも。向こうが自分の境遇をどう受け取ってるかは知らないが、少なくとも僕は良い顔を出来る気がしなかった。
「で。僕の話はそろそろ終わりにして。貴方とカキツバタくんですよ」
「随分あっさりしているね……」
「だって今はどうでもいいでしょ。そもそも友達のお祖父ちゃんに人生相談とか気まずいし。他人の僕より実の孫のこと考えてくださいよ」
「…………カキツバタがきみを気に入る理由が分かってきた気がするよ」
「それはどうも」
何度目かのそれは置いといてジェスチャーをする。
中々話が進まない。僕も僕で、彼と親友のウマが合わない訳の一端を察したような。
「『話がしたい』と言うくらいなら、なにか伝えたいこととかあるんでしょう?」
「ああ……しかし聞く耳を持ってくれそうになく」
「まあシャガさんちょっと話しづらいですからね」
「なっ……!?いや、口下手な自覚はあるが……きみもそう思うのか」
「はい」
「…………………………」
「あ、絶句してる。スマホロトム写真」
「きみは私のことが嫌いなのかい?」
「冗談です。カキツバタくんならやりそうだなと」
「やらないだろう」
「あの人はやりますよ」
「その絶対的な信頼はなんだい……?カキツバタ、きみは一体学園でなにを……??」
本当に話が進まない。いや今回は大体僕が悪いけど。
ジョークで取り出したスマホを仕舞いつつ、うんうん悩んだ。
「具体的にどんな会話をしたいかは」
「…………上手く言えるかは分からないが……心配しているのだと、帰りたくないならばその理由を教えて欲しいと」
「それだけですか?」
「…………………………マズいだろうか」
うーんこのジジイ。もっと言うべきことは沢山あるって。
思わずツバっさんのようなツッコミを内心入れて、遠い目になる。
「なんでどうでもいいどうこう言われたかとか、そういうのは?」
「勿論それも訊きたいが、しかし拒絶されているのにいきなり踏み込むのも……」
「あの!!ですね!!そうやって後手に回ってたら!!なんにも解決しません!!」
もーっ不器用大人!!気を遣うところが的外れ!!なんで皆こういう家族抱えまくってるんだか!!
「ちゃんと事情を訊く!!話してもらえなくても根気強く待つ!!あとあの人どう見ても自己肯定感終わってるからちゃんと『愛してる』とかそういうのも言葉にして!!」
「あ、愛してるか…………確かに口にした記憶が無いような…………」
「はぁ〜〜〜〜〜〜っ!!!なんで言わないの!?!?うちのママは毎日電話で言ってくれるんだけど!?!?」
「あの子は一族の子で後継候補だ……ベタベタと甘やかし過ぎるのは好ましくないと…………」
「は????ブッ殺しますよ」
「突然殺意を向けないでくれ」
一族にしか分からない体裁やらなんかそういうのもあるんだろうが、こんなんじゃそりゃあの人も捻くれるわ。保護者失格過ぎる。むしろよく留年程度の素行不良で済んでるよ。
「あの人を!!!子供だと!!!可愛い孫だと思うなら!!!もっとちゃんと言葉にする、褒める!!!正直もう僕は貴方よりツバっさんの為だけに言ってますからね!!!許されるのなら殴りたいくらいです!!!」
「…………面目無い」
「それは僕じゃなくて彼に言ってください!!!」
そもそも家族だろうが自分とは違う人間だ!!言葉にせずとも伝わるなんて夢物語!!厳しくし過ぎたって逆効果だし!!
「ドラゴン使いの一族なんてどうせロクなヤツ居ないんでしょう!!!なら貴方が甘やかさないでどうするんですか!!!」
「我が一族はきみの中でどういった評価を受けているんだ」
「学校に押し掛けて大嘘吐いて同情誘って僕達生徒からハッサク先生取り上げようとして誰も彼もに迷惑掛ける馬鹿野郎共です!!!!」
「ハッサク殿……なにがあったんだ………」
最初から叱るつもりだったけど、本当にもう腹立たしくてムカついて怒鳴り通してしまった。
だけど若干冷静さを取り戻した僕は、深い深い溜め息と一緒に改めて開口する。
「貴方が貴方なりにお孫さんを想ってきたのは分かります。それはなんとなく通じました。でも、マジで全部的外れです。僕に通じても本人には通じてません。それじゃあ更々意味が無い」
「……………………」
「大切なら大切と、好きなら好きと言わないと。『どうでもいい』人が今更心配だけしたって、そりゃ信じられませんよ。おまけに今の彼は貴方の顔すら見えないんです。……僕は家庭の事情は詳しく知りません。でも言葉にしてください。これ以上拗れる前に。取り返しがつかなくなる前に」
ほぼ懇願のように頭を下げて、あの人の心を汲み取ってくれて願えば。
シャガさんは僕を撫でながら頷いた。
「必ずきみに報いよう。我が孫をここまで想ってくれたきみに」
「……言っときますけど、カキツバタくんを大事にしてるのは僕だけじゃないですからね。リーグ部の人は、皆彼が大好きです」
「…………つまり?」
「なんかあったらリーグ部と一緒に貴方も一族もボコボコにします」
「それは恐ろしいな。肝に銘ずる」
あれ、この人もしかして、
「なに笑ってんですか」
髭で見づらかったがなんとなくその口元が弧を描いているのが分かり、睨んでやった。そろそろ本当に手ぇ出るぞ。笑顔を向ける相手を間違えるな!!
「きみは保護者という存在に手厳しいのだな……」
「相手がマトモな方ならそうでもないですよ。でもさっきの話の通りですから。僕まだあの人のこと許してないし一生許す気も無いんで」
「……きみもカウンセリング等を受けた方がいいのではないかい?」
「ご安心ください。我がオレンジアカデミーの先生は何処かの誰かさんよりも大人なのでそれくらい既に受けさせられてます」
雑談なんて持ち掛けるな、もっと諸々深刻に捉えろこの野郎、という気持ちを込めてチクチク刺し続けたら、お祖父さんは流石に悄げた。
僕はニコリと笑って、追い討ちをするかどうか悩んで……止めておいてあげる。そろそろツバっさんに怒られそうだし。
「…………僕も皆も、彼が休学してしまうのは、歓迎は出来ません」
最後に僕も僕なりに自分の気持ちを教えた。
「カキツバタくんは、凄い子なんです。だらしないように見えていつも皆のことを見ている。お調子者に見えて芯の通った強い人で。バトルも強くて、揶揄ってくるけど優しくて、それで……大切ななにかの為なら、自分が嫌われるのも傷付くのも厭わない人なんです。それがどんなに大変なことかは僕には分からない。曝け出してくれないから、彼が実際何処まで傷を負ってるかも分からないです。でも、だから、その…………」
誰かを頼れるようになって欲しい。いっそ自分達じゃなくてもいいから、弱音を吐いて相談出来る相手を手に入れて欲しい。
家族にくらい、目一杯真正面から讃えてもらって欲しい。
これ以上嫌な思いはしないで欲しい。
「だって、大好きなんです」
…………なにがなんでも止める、と意気込んだものの、本人が納得するなら休学も仕方ない。あんな状態だと色々危ないし、悪意にも晒されてるから、保護者として心配なのも分かる。
でも、いきなり実家に戻されるのもそれはそれでストレスだろう。今の彼に心理的負担はあまり良くない。だから丸投げはしないけれど。
休学させるなら、せめてちゃんと本人も皆も納得させて欲しい。いきなり現れて「帰って来い」は、ちょっと酷いと思う。
貴方はもっとお孫さんの声に耳を傾けるべきだ。
長くなったし辿々しいものだったが、全部吐き出した。
シャガさんは暫し固まった。僕の言い分を咀嚼してくれてるのだろう。
「根気強く待て」と言った身だから、それを体現しようと僕も待つ。待って、待って、それで。
そのうちシャガさんは、顔を覆って首を縦に振った。
「分かった。……大人として情けないが……きみが正しいとより痛感したよ」
「それなら」
「ああ。先程も言ったように……もっとしっかり話してみる。休学に関しても色々と考え直し、話し合う」
きみは凄い子だな、と称賛される。僕は、そんなことないとしか返せなかった。
僕はいつもいつも人に頼まれて流されてばかりだ。こうもハッキリ自分の意見をぶつけた経験は、正直あまり無い。
でも理解を得られて良かった。やはりシャガさんはちょっと不器用で強面なだけで、悪い人ではないのだろう。
この人がドラゴン使いの一族の中の『例外』で安心した。
「それじゃあ、カキツバタくんを呼んで来ます。ここで待っていてください」
「いや、私が呼びに」
「いいから!!待ってて!!ください!!」
「…………はい」
すっかり僕のことも信頼してくれてるみたいだ。怒鳴りつけたら大人しくなる。なんかタロちゃんとツバっさんのやり取りを思い出した。……あの人はこんなに素直じゃないけど。
僕は立ち上がって伸びをして、シャガさんに一礼してから屋上を去った。
扉を閉めて階段を下り、ゼイユに連絡を取る。『カキツバタは病室に戻した』『今は一緒に居る』とのことだ。
このままゼイユに連れて来てもらった方が早いかな?そう一瞬過ぎったけれど、こういうのは直接呼んだ方がいいかもしれない。
「……よし」
僕のやることは大体終わっただろうけど。
緊張と期待を胸に、あの一室へと早足で向かった。
どうしたもんか。なんにも見えねえや。
ゼイユとハッサクの旦那、あと同室の患者達に心配されながら内心独りごちた。
多分ちゃんと笑っていつも通り振る舞えてるが、明らかにさっきよりも視界が悪い。ボヤけてる、暗いどころの騒ぎじゃなかった。
マジでなにも見えない。なんかやらかした記憶も無いのに、悪化していたのだ。
「ちょっとカキツバタ!聞いてんの!?」
「聞いてる聞いてるー」
ゼイユに噛み付かれてへらりと返す。
にしても困ったなあ。原因よく分かんねえし、これ言わなきゃマズいよな?いや全然黙っててもバレる気は…………
……ハルトにはバレるか。うん、話そう。かったりぃけど言った方が弊害少なそうだ。
「あのさ、」
「あ、ちょっと待って。ハルトからメッセージ」
「おや、シャガさんとのお話は終わったのでしょうか?」
タイミング〜〜〜。
ゼイユがなにやらハルトとやり取りをし始めたようで、オイラは黙るしかなくなった。
視線を下に下ろして、手を握ったり開いたりする。行動としてはそうしてると認識出来たが、やはり一切見えない。なんか変な感覚だなあ、と他人事のように思う。
「ハルト、今から戻るって。なんかカキツバタに用があるみたい」
「え〜、今度はなんでぃ。検査もあるってのにさあ」
どっか行けって言ったり用があるって言ったり、忙しねーこと。
大方ジジイと話し合え〜とかそういうんだと思うけど。マジで余計なお節介は程々にして欲しかった。
どうせジジイの気持ちは変わんねえのに。
オイラだってもうどうだっていいのに。
「カキツバタくん」
誰かに肩を叩かれる。多分ハッサクの旦那だ。
「シャガさんは、確かにキミのことを想ってくれています。それだけは信じてあげて欲しいですよ」
「…………ふーん」
旦那が言うことかね、それ。
あまり響かなくて生返事してしまった。
間も無くハルトの声が病室にやってきて、それからオイラはまたあの屋上へと向かわされた。
「……あの、ツバっさん大丈夫?なんかさっきよりフラフラして………」
道中、案の定バレたし取り繕うのも面倒になって、あっけらかんと笑った。
「うーん、ちょっと悪化したのかもねぃ」
「「「えっ!?!?」」」
「なんでそれ言わないのよ!!!」
「言うタイミングがなあ」
本格的になにしてんのかよく見えなくなったけど、旦那が深刻そうに唸るのが聞こえた。
「ハルト、もしかして……」
「うん…………」
彼らはなにやら原因に心当たりがあるらしい。別に教えてくれなくても結構だが、本人に言いづらいことだったりすんのかねぃ?
そういえば目ってのはストレスに弱いとか聞いたことがある。そこそこ感じてた自覚もあったし、そういうこと……かもしれない、かもなんて。
「まーちょっと酷くなったくらいで変わんねえ変わんねえ!オイラ元気だし!気にしなさんな!」
「いや気にするよ!」
ハルトが怒って繋いでいた手を強く握る。
「あっ」
「ゔっ」
そこで曲がり道だったようで、オイラは無様に壁らしき物に激突した。痛え。ウケる。
「ごっごめんなさいツバっさん!!大丈夫!?」
「さっきから思ってたけど病院で大声出すな〜」
「急にマトモなこと言うんじゃないわよ!カキツバタのクセに!」
めちゃくちゃ理不尽。流石はゼイユ。
へらへら笑ってそう指摘すれば、「あたしはこっち!」なんて頭を掴まれ違う方に向けられた。どうやら誰も居ない方を見ていたらしい。音に敏感になってるとはいえ、特別音感に秀でてるワケでもないから許して欲しいなあ。
「シャガさんにもお伝えしなければ……それと学園の皆さんにも」
「そうでやんすねえ」
「相変わらず他人事みたいに!あ、もう直ぐ着くから!ドアと階段気を付けなさい!」
「ゼイユ様優しい〜〜」
「茶化すな!!手ぇ出るよ!!」
なんだかんだこうなってから一度もオイラに手を出していないゼイユは、間を置いて急に溜め息を吐いた。あ、もしかして本気で構えてた感じ?確認に近かったのかもだけど分からなくてごめんなあ。
「……階段、上れそうですか?」
「任せなキョーダイ。さっきも上ったし」
「信用ならない」
「小生が抱えましょうか」
「結構でーす」
そこで階段に差し掛かって。
秒で躓いた。
「「「…………………………」」」
「小生が抱えましょうか」
先程も落ちそうになったりはしたけど。それでもここまでではなかった。一段目すら視認出来なくて急速に自信が無くなる。
あーあ、真面目にヤベーかも。なんて時差で実感した。
「カキツバタ?大丈夫かい?」
「げっ」
いっそ場所を変えてもらおうかというところで、オイラが来たことを察知したらしいジジイの声が。
タンタン階段を下る音がする。
「ハッサク殿、どうしたと言うんだ」
「それが、この短時間で目の調子が悪くなってしまったようで」
「本当か!?カキツバタ、どれほど見えていないんだい」
「…………………………」
「…………………………」
「カキツバタ……」
だんまりを決め込んだら、ジジイの声が酷く揺れた。なにをそんなに動じてるんだ。同情か?まあアンタは誰にだって優しく接するし、ここにはオイラ以外にも人が居るもんなあ。
「カキツバタ。いつまでそんな反抗期みたいな真似してんの?スグみたいなお子ちゃまじゃないんだから、じーちゃんの質問には答えなさい」
「ゼイユ、言い方」
「…………マジでなにも分からない。さっきまでは影とか光はぼんやり見えてたけど、今はさっぱりだ」
ゼイユのお叱りに、嫌々答えれば誰かに肩を掴まれる。
手の大きさ的にゼイユでもハルトでもない。となると旦那……いや、まさかジジイか?
「なんでぃ」
笑顔を張り付けて首を傾ければ、
突然身体が浮いた。
「!?!? は!?!?いやマジでなに!?!?」
俗に言う抱っこだ。抱き上げられてる。しかも、なんかこう、凄え恥ずかしい抱え方で。
今回は白杖を手放さないよう握るのも間に合ったが、意味分からないし屈辱過ぎるしで声を張った。
「下ろせジジイ!!」
「ハルトくん、ハッサク殿にそちらのお嬢さんも、手数を掛けたな。この子とはこれからちゃんと話すから安心してくれ。済んだら直ぐに病室に戻す」
「分かりました!」
「聞け!!話!!下ろせ!!」
助けてとはどうしても言えず、視界が視界だから抵抗も叶わず。
「じゃ、頑張りなさいカキツバタ」
「検査は時間をズラしてもらえないかお願いしてきますですよ。目の状態の報告もお任せください」
「ちょっとはお祖父ちゃんの言葉を素直に受け止めてくださいね、ツバっさん!」
無慈悲にもハルト達三人はオイラを置き去りにしたようで、足音が遠のきすっかり静かになってしまった。
途端に心臓が騒がしくなる。完全に視力を失った今ここで、祖父と二人きり。さっきまでのように減らず口を叩けるだろうか?
「少し揺れるぞ」
「っ」
言葉の後に本当に動き出すので、思わずしがみつく。見えないどころか身体も拘束されてるとか。ポケモンも居ねえし、安心出来る要素が一個も無い。
「カキツバタ、怯えなくていい。なにもしないから。誰にもなにもさせないから」
えらく穏やかというか、まるで幼子に向けるように宥められる。今日のジジイは何処かおかしい。来る前に酒でも飲んだのか、それとも頭でも打ったのか?ボケてはないと信じてえけど。
ただ「大丈夫」と言いながら運ばれて、気付けば少し前と同じであろう場所に座らされた。
慎重にオイラを下ろして支えて。なにがしたいんだよ。なんのつもりだよ。
真横からあの厳格だった筈の声がする。
「先ず、カキツバタ」
「………………」
「先刻休学を勧めたのは、安易だった。謝罪する」
「は?」
しかもいきなり手のひらを返すんだから、素っ頓狂な声が出た。
「いや、それは」
「言われてしまったのだ。『休学させるなら、先ずカキツバタも周りも納得させてくれ』と。確かに私は……少し答えを急ぎ過ぎていた。幾ら心配だったからとて、突然現れ提案され、きみが不満に感じるのも無理ない」
すまなかった。
そう頭を撫でられて、調子が狂ってしまいそうだった。別に休学しろと言うのはおかしなモンでもない。オイラだって『目がこのままなら休学か退学だろう』と最初の方から思っていた。
なのに、ジジイは謝った。確かに嫌だったけど、不満だったけど、腹立ったけど。『安易』とは違うのに。
「すまなかったな」
『すまなかった。なにも気付いていなかった』
彼はこんな何度も謝る男だっただろうか?
「後生だ。少しでいい。このダメな祖父と、一度話をしてくれまいか」
見えない。見えない。アンタは今どんな顔をしてる?
まさか、こっちを見てるのか?
「ジジイ、ハルトになに吹き込まれて………」
「手酷く叱られたよ。いっそイッシュリーグに欲しいくらいだ」
「止めとけぃ、アイツは既にパルデアリーグ委員長とチャンピオンランクが目付けてんだ。アンタらまで引き込もうとしたらとんでもねえことになる」
「そうか。残念だ」
……いつまで頭撫でてんだろ。まるで子供扱いだ。
こんな風に触れられたのは数える程で、最後の接触も随分前だった。小っ恥ずかしい。でもなんとなく振り払えない。
「それで……カキツバタ」
「……なにを話してえんだよ」
こんな風に折れるつもりは無かったが、ハルトの差し金であることも大きく聞いてやることにした。
それに……ジジイのことが嫌いとも違うし。苦手で恐ろしくて、諦めてるだけで。
相変わらず期待は出来なかったが、その言葉を待った。
「きみに伝えなければならないことがある。とても大事な話だ」
そういえば『重要な話がある』と一旦離れる前に明言してたような。
あれ、もしかしてオイラの休学云々はついででイッシュでなにか……!?
「私はきみを愛してる」
「…………………………はい????」
身構えた矢先、珍妙な発言をされ混乱した。
あいしてる……あい………愛して…………???
「ジジイ、マジで頭打ったのか?」
「どうしてそうな……いや、私が悪いのか……」
「うん、いや、だって今までそんなこと一回も、なあ?それにオイラのことどうでもいいんだろぃ?」
「どうでもいいわけがない」
「嘘だ」
「嘘ではない。何度も言うが、本気だ」
杖を持つ両手を取られ、痛くない程度の力で握り締められる。
「私は。きみを見放したことなど無い。きみは私の大切な孫なのだ。例え一方通行であっても、きみの経歴にどれだけの傷があろうとも、どう罵られても……変わらない。変わりなく大事だ」
「…………なんだ、それ。そんな嘘、」
「カキツバタ」
「………………ソウリュウには、アンタも、アイリスも居るだろ。おれなんて、要らないだろ。なんで、どうしてそうなっちまうんだよ?」
「要らない家族が居るものか。確かにアイリスは優秀だ。しかし、だからきみが不必要な存在ということにはならない。きみの代わりは何処にも居ないのだから」
居るだろ、ゴロゴロ居るだろ。こんなどうしようもない落ちこぼれの代わりなんて、竜の一族なら、それこそ掃いて捨てるほど。
「きみの宝は、きっとポケモンと学友達なのだろう。私の宝はきみときみが愛するもの全てだ。……今は分からなくとも、憶えていてくれ」
見向きもされていない。どうでもいいのだと。そう思ってた。
だけどそれが違うって?なんだよ、それ?今更遅いのに、どうして?
思えば、祖父は『愛してる』とも言っていなかったが、『要らない』とも言っていない。
自分も自分で早計な決め付けをしていたのだ。周りの言葉に、環境に流されて。
本音がどうかはまだ信じられない。まだ期待するのは怖い。
けれど、嘘でも同情でも、初めて愛を囁かれて、少し浮かれてしまった。
「……私はきみが心配だ。きみを助けたい、守りたい。……家に戻りたくない訳を教えて欲しい。きみに仇なす者が居ると言うなら徹底的に排除しよう」
頬に手を添えられ、口下手な祖父にしては珍しくこちらに語りかけてくれたのが伝わり。
ポツポツと話した。知られたくもないと思っていたあの町での思い出を。
「大した、ことじゃねえんだ。陰口叩かれたり、嫌がらせされたり、そんなもんで」
「それは十分大事だ。具体的になにをされた」
アイリスに勝てない出来損ない。直系の血を継ぐクセに強くもない落ちこぼれ。どうしようもないお坊ちゃん。竜を操るどころか氷の竜に屈した。自覚が無い。弱い。臆病。なにも無い。
一人ではなく多数に毒を吐かれた。ああいう家だから、妬み嫉みは仕方なかったのに、最初は平気だったのに、否定出来ない自分が悪いのに、繰り返されるうちに頭に響いて離れなくなった。なにも悪くないアイリスに負の感情を抱き始める自分に気付いて、自己嫌悪が増した。
「他には」
お前が与えられるならさぞ良い物なのだろうと物を盗まれ、壊されることもあった。逆に欲しくもない物を押し付けられることも。ポケモンは、なんとか守ったけど。
ある時は小さな問題を自分の所為にされたりした。
濡れ衣だと訴えたのに、祖父も親も誰も自分の味方をしてくれなかったことも、鮮明に記憶している。
「…………あの時きみはまだ幼かった……魔が差して悪さをしてしまったのだと……いや、これは言い訳だな。すまなかった…………」
「いーよ、もう。時効だし」
段々と周囲が作り上げた"カキツバタ"に寄っている自覚があった。落ちこぼれで、ダメで、なんでもぞんざいに扱う、お調子者の"カキツバタ"に。
今となってはそれでもいいというか、なんだかんだ自分は自分だと思っているが。当時は一族も自分自身も気持ち悪くて怖くて、結果家から逃げた。ハッサクの旦那みたいに、二度と帰らないというほどの覚悟は決められなかったけれど。そこまでする大層な目標も無かったけれど。
「ソウリュウは窮屈で面倒で、学園は息がし易かった。それだけの話でぃ」
居場所を求めて縋って、なにが悪いのか。
そんな疑問にさえ暫く気付けなかった。空っぽだったんだ。
「…………確認させてくれ。罵倒や嫌がらせだけだったのか?誰かに手を出されたことは?」
「………………ははは」
答えられなかった。答えたら、なんか取り返しがつかなくなりそうで。
ただ、沈黙はつまり『YES』と言っているようなものだ。
途端に抱き寄せられ、息を吐く。もう何回目だよ、これ。確かに長えこと会ってなかったが、そんなにスキンシップに飢えてたのかな?
「面目無い……ごめん、カキツバタ」
「だからいいってもう……アンタも、気付いた時はアレコレしてくれてたんだろ、きっと」
「…………そこまで常習的に起きているとは、気付かなかった」
落ち着いた香水の匂いがする。暖かくて心地良くて、眠くなってきた。オイラこんなにチョロかったっけ。
「だから、ソウリュウに戻りたくないのだな」
「……まあ、大体はそう」
「『大体』とは?」
「……こんな体たらくだし、さあ。暫く帰らなくなると、帰りづらくもなるし。どんな顔して、なに話せばいいのか、とか、分かんなくなって」
なにも気にしない、叱られてものらりくらりと躱す自分。あの実家でそれを発揮出来る自信が無かったし。
散々言ったように祖父にも見放されているものだと考えていた。留年にしつこく口を出されることも無く、偶に手紙が届くくらいで、なんなら元々絡みも少なかったから。とうに、いや最初からどうでもいいのだと。彼の孫はアイリスだけで、自分への興味なんて……
「見て、欲しかった。でも、むりだって、諦めて、期待すんの止めて。ならなんで、帰るんだろうって」
とうとう祖父は謝らなくなった。ただただキツく抱き締めてくる。ちょっと苦しい。
「…………本気で見放したくなった?」
「馬鹿なことを言わないでくれ」
「はは、ジョークよ、ジョーク。なんか、緊張してるみたいだし?」
ジジイはなにやら呟く。
「そんな、自分を傷付けるような冗談まで……私は酷い愚か者だ……」
彼の知らないカキツバタは沢山居るのだろう。逆もまた然りだ。なにもこの人だけが気に病むべきじゃない。
初めて本音を吐いたことによって、ちょっとは落ち着いて余裕が生まれた。ロクに働かない目を伏せる。
「ほんとに、心配してくれてんの?怒ってんの?」
「当たり前だろう。孫への狼藉を許すほど私は冷酷ではない」
「許さない方が冷酷だと思うけどねぃ」
家への嫌悪。どうでもいいと思われていたと思っていた訳。
口に出してみると、ホント何処までも全員が全員しょうもないな。オイラ含めて、皆。マトモなのはアイリスくらいだ。なんだか笑えてくる。
「カキツバタ」
「うん」
「休学は嫌か?」
「……気は進まねえかなあ」
「そうか…………」
暫く包まれたままで、しかし抱き返すことも出来ずに。
そのうちそっと放された。
あーあ、なんてちょっと残念になる。
「カキツバタ、何度も質問してすまないが」
「んー?」
「……私や一族が、憎いか」
……『許してくれ』とかそういうこと言わねえんだから、ジジイはお利口さんだよなあ。
「嫌いかもしれないヤツは多いけど、憎いとかとも違うかなあ。そういうのかったりぃし」
単純に息苦しくて、合わないというか。アイリスも居るのに、そこに嫌われてばかりの自分が存在する必要があるのか、疑問というか。
「本当……どうだってよくて、期待してなかったんだ」
少なくとも居心地が良くはないけれど。好きとも言い難いけれど。憎んではない、と思う。
とはいえこの目で戻るのは不安が大きい。療養ったって逆効果になりそうなくらい。
……長期間学園を離れて帰るのは、怖い。
少しずつゆっくり伝えたら、ジジイは静かになる。確かに触れてるからちゃんと居るのだろう。オイラも黙って続きを待った。
「では、三日間」
「え?」
「三日間だけ帰って来て欲しい。三日後にはその目になって一週間が経つのだろう?もしかしたら治るかもしれない」
あー、ちゃんとそこまで知ってたんだなあ。
感慨深くなりながら回答を悩む。
「三日滞在して、治らなかったらまた話し合おう。家に居られると思えたならどうか居てくれ。やはり学園がいいと言うならば、その望みを叶えられるよう私も尽力する。……どうだろうか」
「…………………………」
「アイリスも、娘夫婦も、使用人も、皆きみを心配しているんだ……ダメだと感じたら、三日も待たずともよい。お願いだ、カキツバタ」
悲しそうに、寂しそうに、辛そうに懇願される。見えなくてもどんな顔をしているのか、大方想像出来た。
三日間。帰る。家に。皆心配を。
噛み砕いて飲み込んで、考えてみた。
こう言うが諸々検査の結果にもよるだろう。簡単に放すつもりも無いのだろう。一週間経過すると言ったって、あくまで目安だ。治らない可能性の方が高い。
どうするべきかな。どうしたら、誰も困らせないのか。
……そのうちオイラは決心して、息を吐いた。
「ん?カキツバタ、どうし」
手でジジイを探して、その肩を見つけると。
顔をそこにゆっくり押し付けた。
「分かった。三日だけ、帰ってみる」
どうせ完璧に安全な場所は無いと、知ってたし。
「まあ直ぐ帰るかもしんないけどな」
「それでも構わない。……ありがとう、カキツバタ」
髪を梳くように撫でられる。
祖父は「最後に一つ」とまた声を震わせた。
「私と、仲直りしてくれるだろうか」
なにを今更、と笑ってやった。
「別にハナから喧嘩してないだろぃ?」
光が差し込む感覚がした。