バツン。
そんな音が耳に届いて、ふと意識が浮上した。
「んー?おー……こりゃあ、」
目を開いて直ぐに『夢でも見てんのか』と感じる。
そりゃあそうだ。オイラの最後の記憶はベッドの上での就寝で、周囲に広がる景色は暗黒ばかりだったのだから。
それどころか浮遊感があり、事実どう身体を動かしても床や壁に当たる気配が無い。
「大層な夢だこと」
現実でないと分かれば諦めるのも早かった。平常運転でへらへら笑い、楽な姿勢へ切り替える。
寝転ぶように身体を横にして、一度伸びをしてから両手を頭の後ろで組んだ。
「ふあぁ〜〜……ま、もっかい寝りゃ覚めるだろぃ……」
独り言を零しながら目を伏せる。最近進級の為にそこそこ真面目にやってきたのだ。どうせちょっと疲れているだけ…………
『────聞こえますか』
「お?」
そこへ響く透き通った声。
思わぬ珍事に瞼を開いた。なんだ、てっきりオイラしか居ないのかと。
「誰だい?」
『私はアルセウス。貴方達ヒトがそう呼ぶ者』
「アルセウスぅ?」
声の主の名乗りに益々怪訝になる。
『アルセウス』という名を知らないわけじゃねえ。むしろ知ってるからこそ不思議だった。
なにせソイツは伝説のポケモン。実在するかもハッキリしない、神話に登場する神と呼ばれる存在のものだったから。
色々唐突だったけれど、感じたことはシンプル。
「成り切ってんねえ」
『いえ。本物のアルセウスです』
どうせニセモノ、揶揄ってきてるのだと。
だってそうでなきゃ意味分かんねーもん。なんでオイラなんかに神様が構おうとするんだ?オイラはちょーっとポケモンが強くて出自が変わってるだけで、それ以上になにも無いただのガキだ。サボり魔の嫌われ者とはいえ特段神の逆鱗に触れるような悪事を働いた覚えも無いし、当然のように疑いばかりになる。
『まあ今は分からずともよいでしょう。……さて、カキツバタ』
「オイラの名前知ってんだ。なに?」
『これから貴方にはとある大地に行ってもらいます。貴方の成すべきことを果たしてもらう為に』
「え、ヤダよ」
『え?』
「いやいや、なんでそんなことせにゃいかんの?かったりぃわあ面倒くせぇ。丁重にお断りしまーす」
なんだかよく分からんが知らん場所でなんかしろと言い出す不審者を、オイラは突っ撥ねた。
向こうは驚いてるようだが当たり前だろう。折角学園での生活も楽しく上手く行ってて、進級も決まったってのに。なんで冒険なんざしなきゃいけねえんだっての。強要とかそういうの良くないと思いまーす。
いやまあコイツの発言は一つも信じちゃいないが。面倒事の予感しかしなくて、「とにかくそろそろ目覚めさせてくれーぃ」と欠伸した。
『…………残念ながら、貴方に拒否権はありません。最早後戻りも出来ませんので』
「いやいや戻せよ。ヤダって言ってんじゃん。神様ってのは自分勝手だねぃ」
駄々を捏ねて見せてもどこ吹く風。突然光が差し込み、それはどんどん強くなっていった。
『英雄に道を示せ』
「はあ?」
『彼女達に道を示せたその時に、再びお会いしましょう』
なにが言いてえのかさっぱりだ、と抗議しようとした瞬間には、意識が途切れていた。
漂流譚
「……ですか!!大丈夫ですか!?」
「Wake up!!起きてください!!」
知らない大声がする。頬を叩かれる感覚がする。
「っ……」
頭痛を覚えながらなんとか目を開ければ、
奇怪な格好をしたオイラと同い年くらいの少女と、白衣を着た何処か見覚えのある男がこちらを覗き込んできていた。
「!?」
「あっ、」
一瞬で目が冴えて飛び起きる。そのまま後退り、二人組と距離を取った。
「ご、ごめんなさい!驚かせてしまって!」
警戒しながらほぼ反射で腰に手を伸ばした。いつもならここに手持ちのモンスターボールが
…………無い。
「……!!ブリジュラス!!カイリュー!!オノノクス!!」
立ち上がって辺りを見る。無い。居ない。何処にも、オイラのポケモン、
「ジュカイン!!キングドラ!!フライゴン!!」
近くに海がある。まさか、と嫌な想像が過ぎって、気付けば水に飛び込もうとしていた。
「Noooo!!!」
「ちょ、お、落ち着いてっ!!大丈夫!!大丈夫ですから!!死んじゃいますって!!!」
「だってポケモンが!!俺のっ、探さないと!!」
「ポケモン!?」
「よく分かんないですけど、貴方はここに一人で落ちてきたんです!!ポケモン達が流されたりなんてしてません!!本当です!!!」
さっきの二人にしがみ掴まれて止められる。振り払おうとするも流石に大人の男も居る、呆気なく引き摺り戻されてしまった。
三人揃って座り込んで息を切らす。
「ぜーっ……ぜーっ……また随分クレイジーな子が来ましたね……」
「え、『また』って博士、もしかして私のことクレイジーだと思ってたんですか……?」
びしょびしょになった靴が気持ち悪い。マントとズボンが張り付く。
ただその冷たい感覚に、パニックに陥っていた頭が幾らか落ち着いた。
ポケモンが居ないのにビビって、気付いてなかったけど。ここは一体何処だ?見覚えが無さ過ぎる。少なくともイッシュではない。
それにこの二人は?オイラを叩き起こしたのはコイツらか?なんだかどっかで見た顔な気がするが。
まだ夢を見てるのか、と頬をつねる。痛い。ってことは、ここは現実なのか?
いやでも、オイラ普通に寝てただけ…………
「それにしても、キテレツな身なりですね。まるでこの地に来たばかりのショウくんのような……」
「お兄さん、名前は?あ、私はショウ!ギンガ団調査隊の一員です!こちらはポケモン博士のラベン博士」
「………………………………」
ショウに、ラベン博士。聞いたことはあるが『歴史上で』だ。偶然同じ名前、なん、だよな……?知った容貌なのも偶然だよな……?
だってもし本人だとしたら、そいつはつまり
「……お名前はなんですか?もしかして、思い出せないとか……?」
「………………………………」
「えと、」
信用出来ない。
オイラが打ち出した答えはそうだった。だから沈黙を貫いて再び腰を上げようとする。
「っ、」
「!!」
が、直ぐにフラついて倒れそうになった。慌てた様子のショウに支えられる。別に砂浜なんだから顔面から落ちても痛くなんて、
「だ、大丈夫ですか!?」
「もしかしたら落ちてきた時に頭を打ったのかも……!博士、一先ず彼を村まで運びましょう!」
「オフコース!!……少し揺れますよ!」
不可解なことに抵抗する余力も無く、大人しく背負われた。「ワッツ!?軽過ぎます!!」という叫び声が。失礼だねぃ。
「皆さん通して!急患です!」
「シマボシ隊長ーっ!Help〜!!」
朦朧とし出す意識の中、騒めきがやけに耳に届いた。
「おぅ、目が覚めたか」
「……!!」
気付けば意識を失っていたようで、オイラは覚醒した瞬間また飛び起きた。
途端に頭に痛みが走り、目眩に襲われる。
「っ、」
「おいおい、急に動くな!落ち着け!怪我をしているんだからよ!」
どうやらベッドに横たえられていたらしい。傍らに居た青色が基調の服を着た長髪の男に宥められて、しかし睨みつけてやった。
男はどうにも肝が据わっているらしい。老若男女問わずよく「怖い」と言われる目を向けても、特に怯む様子は無く。
それどころか中身が溢れて濡れているコップと不恰好に切られたきのみを差し出してきた。
「気分はどうよ。食欲はあるかい?とりあえず水くらいは飲んでおきな」
「…………………………」
「……ショウから聞いた通りだな。警戒するのは分かるがよ、飲まず食わずじゃあ遅かれ早かれ死んじまうぜ。受けれる施しは受けておくべきだ」
無視しても構わず、ほら、と突き出される。
確かに男の言うことは尤もだ。オイラだって死にたいわけじゃない。この身体じゃ逃げ回るなんてのも難しそうだし、渋々コップと皿を受け取った。
自覚が無いだけで相当喉が渇いていたようで、水はあっという間に飲み干せた。青色が少し安堵したように笑う。
「オレは医療隊のヤツを呼んでくる。アンタは少し頭冷やして状況を整理しておきな」
無言で頷くと、男は立ち上がり何処かへ消えていった。
「…………………………」
しかし、状況。状況の整理と言われても。
グルリと今自身の居る部屋の中を見渡す。壁は煉瓦で出来ているようで、中々立派なカーペットも敷かれているが……病室、と言うには設備が半端だ。隠し切れない古臭さがあちこちに漂っている。
その上、歴史の本でよく見る『ラベン博士』と『ショウ』という名前。あの容姿。ギンガ団という組織。
そして、アルセウスと名乗る何者か。
繋ぎ合わせれば、大体今なにが起きてるかは……分かってしまった。あまり分かりたくはないが。
試しにもう一度肌を強く摘むも、ちゃんと痛い。頭も相変わらず痛い。トチ狂った夢であればよかったのに。
「はぁ〜〜〜〜っ」
溜め息を吐きながらカットされたモモンのみを口に含んだ。甘ったるい果汁が口内に広がる。
「クレイジーボーイ!起きてくれたのですね!」
間も無く、さっきの男がラベン博士と医者らしき女性を連れて戻ってきた。
「気分はどうでしょうか?」
「……まあ、ぼちぼち」
「煮え切らねえ答えだな。まあ顔色は悪いが、死にそうって程ではなさそうだ」
「モモンのみも食べられていますね。思っていたよりも元気そうで安心しました」
医者に触診されながら、大袈裟なと溜め息を吐く。確かに頭は打ったがそこまで重傷じゃない。なにもそんなに心配しなくたって……
…………いや、"この時代"の設備じゃ小さな怪我でも大事なのかもしれないが。
「改めて自己紹介です!ボクはポケモン博士のラベンと申します!」
「オレはコンゴウ団リーダーのセキ。長ってのは古臭えから勘弁な」
「…………コンゴウ団……長………」
そちらも、歴史で聞いたことがあるような、無いような。生憎勉強家でも歴史好きでもないので詳細は自信が無い。
「アンタの名前は?憶えてるかい?」
……さっきから、なんで思い出せない可能性前提で質問してくるのか。
不思議になりつつ、敵意や悪意は見えなかったので流石に回答してやることにした。
「カキツバタ」
「また変わったお名前ですね」
「少なくともヒスイの人間じゃあねえよな?何処から来たか、言えるかい?」
「……イッシュ地方」
「イッシュですって!?遠いですね!?」
もうハッキリここがヒスイであるとまで言われて、ダメ押しレベルの確信を押し付けられる。
向こうも向こうでオイラの出自に驚いていた。
「どうやってここまで来たんだ?」
「さあ……普通に部屋で寝てただけなんだがねぃ。気付いたらコロっと」
「ううん…………」
そのうち診察は終わって、「命に別状は無さそうですが、暫く安静に」と言い含めて医者は立ち去った。
残ったのは、オイラとラベン博士とセキさんの三人。さっきのショウってヤツは不在らしい。まあ普通に考えて得体の知れない余所者に大人数で構うほど暇ではないだろう。
「そうだ、服。オイラの服は?」
考えてふと、自身が和服に着替えさせられていることに今更気付き、元着用していた服の行方を訊いた。
無くても困らないだろうが、せめてマントくらいは返してもらいたい。
目の前の二人は「ああ」と手や拳を叩いて、セキさんが一旦何処かへ行き。
「ほら、ちゃんとあるぜ。ずぶ濡れだったから乾かしてたんだ」
「勝手に着替えさせたのはソーリーです」
そうオイラのマントとジャージ、ついでにリーグ部のタンクトップと制服のズボンを持って戻った。
少し汚れているが新しい傷は見当たらず、ホッとしながら受け取る。マントは元々それなりにボロボロだが。それとこれとはなんか違うのだ。
「その紫色の布、随分手触りの良い素材だが。アンタは何処かの富豪の生まれだったりするのか?」
「いやそんなこた………………無い、とも、あんま言えないなあ…………」
「どういう意味です?」
「………否定はしないけど、お坊ちゃん扱いは止して欲しいのよ。あんまり良い気しねーから」
二人は顔を見合わせ、「しないけど」と不思議そうにする。金持ちは威張るモンとでも思ってんのかな。そういうのが嫌なんだけど。
「兎にも角にも、アンタは記憶がハッキリしているようだな。出身の詳細も言えるんだろ?」
「…………ソウリュウシティ」
「ソウリュウ……博士さん、知ってるか?」
「ええ。確か由緒正しきドラゴン使いの一族が治める町ですね。よく見てみれば、カキツバタくんの持つそのマントの刺繍も一族の者の印かと」
「へえー。オレには印とかよく分かんねえが、つまり嘘ではねえと。なら早いとこイッシュ行きの船の手配を、」
「あーーー待ってくれぃそれなんだがよ」
「?」
話の流れで"この時代"のイッシュに行かされそうになって、オイラは慌てて止めた。
多分、というか絶対、ここでイッシュに行ったところでなにも意味は無い。それどころか一族を騙る狼藉者と扱われる可能性ばかりで都合が悪いんだ。事情を説明したところで現代でも頭の硬い連中は絶対納得しない。オイラ今ポケモンも持ってねーし。
なんだか知らんが今のところ攻撃の意思も見えねえし、どうにかここに留まる……いや、オイラが居るべき元の世界、元の時代に戻れるまでは厄介になれないだろうか。
「実はそこまで単純な話じゃないんだ。多分だけど、オイラの知ってる世界とこの世界は、なんか違うというか」
「……そういや、アンタも空から落ちてきたってショウも言ってたな。ここのイッシュとアンタの知るイッシュは違うかもしれねえってかい?」
「まあ、うん、そうなるかな」
「へえー」
「成る程……では船は出してもらわない方がいいかもしれませんね」
あれ、思ったよりあっさり鵜呑みにしたな?もしかしてオイラ以外にも似たような人居るとか?
「元の世界に戻る方法に心当たりは?」
「無いことも無いが……ポケモンも持ってねえし、その方法を今直ぐ掴みに行くのは無理があるかなあ」
『英雄に道を示せ』。その意味もよく分からない。
ただアルセウスが原因だとすれば、その役目を果たすまで戻れないかもしれない。せめてあの最悪なカミサマに太刀打ち出来る手段が欲しい。
「ならどうする?暫くコトブキ村に滞在するかい?」
「…………ご迷惑でなければ、そうさせていただきたいかね」
「もしかしたらショウくんの助けになるかもしれません!それに拾ってしまった以上はボク達にも責任があるのです!無償でとはお約束出来ませんが、勿論歓迎しますよ、カキツバタくん!」
どうにも疎ましがられたりはしないらしい。逆に胡散臭いくらいの歓迎ムードだったが、ラベン博士とセキさんはオイラを受け入れると言ってくれた。
……有難いが、まだ警戒を緩めるつもりは無い。それは多分お互い様かもだけど。オイラは「じゃあ、お世話になります」と頭を下げた。
「とにかく今はゆっくり休みな。変に彷徨いて傷が悪化しちまったら世話ねえからよ」
「我が隊長や団長、シンジュ団やコンゴウ団にもボク達とショウくんで報告するのでご安心を!」
「一つも知らねえけど助かるぜーい。んじゃよろしくーおやすみー」
「図太いヤツだぜ。後でイモモチでも持って来るわ」
まあ、なんとなく話は纏まってくれたようだし、一回寝れば案外ヌルッと戻ってるかもしれない。
ロクに見えもしない希望をなんとか想像しながら、皿やコップを置いて衣類も退け横になった。
二人の他人は、本当に動くな、なにかあったら医者に言え、と念押ししてから消えて行く。オイラは営業スマイルでその背を見送ったのだった。
「……あーあ、かったりぃの」
帰ったら怒られっかなあ。まあオイラが消えたことなんざ誰も気にしてないかもしれねえけど。
どの道ポケモンまで置いて行っちまったからちゃんと帰るつもりだけど……なんか長期戦になりそうな予感がするねえ……はぁー折角頑張って進級決まった矢先に、これ………
疲れていたのか、どうしようもないことをぼんやり考えているうちに、意識は落ちて消えた。