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    Tuk1ko

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    雑渡さんの火傷について
    個人的メモと吐き出し。
    つどい等もあるので苦手な方はご注意。
    ※妄言ですので悪しからず
    ※漢方については有資格なのですが、まだ勉強不足かも知れないです…

    受傷、治療療養、リハビリ・9年前に部下(尊奈門の父)を火災から救助して受傷。(燃えながら帰ってきた?)
    ・部下は無傷

    ・左半身に強く火傷の影響がある
    ・火傷の深度は1〜3度で全身
    ・左目失明(眼球はある)
    ・左耳は聞こえない
    ・口の周りが痛むので食事は柔らかい物を好む
    ・いまだに全身に包帯を巻いている
    ・火傷の薬はごま油、豚脂、薬草1〜2種類を混ぜたもので、痔にも効く。(記憶が曖昧)

    拾った情報と絵、公式(原作巻末)から

    ※以下は推測※

    火災発生から救出
    ・火災から救出時は濡れた大きな布等を持参、部下に巻きつけて消防士搬送(ファイヤーマンズキャリー/左肩に部下の頭、右肩に部下の足がくる形と思われる)
    ・保定していた右手、尊奈門父の頭部を庇う左手は濡れた布の中に巻きつける形で固定→手首〜甲は無事、それ以下が火傷を負う。
    ・部下の足がある右側はある程度無事(恐らく)
    ・火は高いところに登り、高い所ほど高温なので当時かなり高身長な雑渡さんは顔の火傷が酷くなった、煙や炎を避けて這ってではなく火の中に猛ダッシュして猛ダッシュで帰ってきた。


    救出後
    ・重度の火傷から顔面蒼白、チアノーゼ、徐脈、徐々に高熱、意識障害、数時間後より熱傷による血流阻害から全身性の浮腫が出現。
    ・この時熱や炎による呼吸系の影響はないと思われる。(呼吸器に熱傷を生じると喉の浮腫みから呼吸困難になり、気道切開してチューブを入れるような技術が無い時代では早期に死亡する可能性がある為)

    余談として尊奈門の父は火災に巻き込まれた後、一酸化炭素中毒になったのでは?と予想。
    一酸化炭素濃度、さらされた時間によって軽度、重度となりますが、一酸化炭素中毒の最初の症状として、頭痛、吐き気、視力障害があります。
    これにより避難が遅れた、出来なかった状態だったのでは。重度の場合では痙攣や意識障害となるので、尊奈門の父に意識障害があり、なりふり構わず突破したのかも。


    診断
    ・全身の熱傷と浮腫、高熱、意識障害から判断して生存は不可能と診断(素人目にも分かる重度)
    ・公式絵、包帯の範囲をみると体表面積の40%以上を火傷しており、生命の維持はこの時代の医療では不可能と診断される(手のひら一つの面積を1%とす)
    ・楽にしてやれ。←嫌です!(尊奈門)


    治療に至るまで
    ・救出された尊奈門父とお父さんを助けてもらった尊奈門は恐らく異議申し立てする。
    ・父親は口頭説明で説得可能だけど諦めきれない尊奈門には現状見せる(むごいけどありえる)
    ・もう無理だよ←私が治療します!(尊奈門)
    ・尊奈門の看病生活始まり

    余談
    ここでネットの海の中でいつだかにみた、先生の
    雑渡さんの薬の話
    ・ごま油、豚の油、薬草を1〜2混ぜた薬で痔にも効くもの。
    漢方由来の火傷に使える軟膏で有名なのは「紫雲膏」「神仙太乙膏」「中黄膏」などがありますが、ごま油と豚の油が入っているものはこのうち「紫雲膏」と「神仙太乙膏」のみ。
    ですが「紫雲膏」とは江戸時代に華岡青洲が、明の「外科正宗」の白禿瘡門に記載されている「潤肌膏」に肌馴染みを良くするため、猪脂を加えて作ったもので、「中黄膏」も江戸時代に華岡青洲が作った薬になるので室町時代には存在しません。
    そして「神仙太乙膏」は7種類の生薬を使用するので除外。
    なので室町時代にあった薬は「紫雲膏」の元となった「潤肌膏」
    ネットで拾った情報で曖昧になりますが、私の知る中で一番生薬の使用量が少ない軟膏も「潤肌膏」になります。(当帰、紫根、蜜蝋、ごま油の構成)
    ので、雑渡さんが使っていた薬はこれかと。


    療養〜リハビリ
    ・失明は特筆しなくても良いかな
    ・耳が聞こえないのは鼓膜云々よりは耳が焼けて穴が癒着により塞がったのでは?と仮定してる。
    ・タソガレドキは織田信長がモデル?と思っているので山に薬草園を持っていると推測
    ・南蛮渡来の珍しい薬草も育てていそう
    ・紫根、当帰は簡単に手に入るとしてごま油は高かったんじゃ無いだろうか
    ・意識がなく高熱で朦朧としているので内服は恐らくしていない
    ・この時代まだ火傷は乾かしていたのですが、(というか現代の7〜8年前までは火傷は乾かすのが割と常識で、湿潤療法はなかなか実施されていなかった)尊奈門は新しい皮膚が取れちゃうのを懸念して包帯や包布類をまめに交換している。
    ・必然的に皮膚は軟膏と体液で覆われるので湿潤療法が行われていた
    ・深度の浅い火傷は早ければ数週間で回復出来たと思われる。
    ・意識回復後〜からは内服開始、内服薬は武家、流派で様々ありますが(伴越前、尼子、山田、長井流等)、善鬼流の「白朝散」が幅広い症状に対応する総合内服薬となっており、加減方もできるので白朝散を服用していて欲しい
    白朝散は処方の構成生薬内で調合を変える「内加減」が可能な薬なので、戦で薬が不足していても、戦場で持ち出しの薬が少なくても調合が可能。私が楽しい。
    ・体力回復後からは越婢加朮湯、黄連解毒湯、桔梗石膏あたり処方
    ・顔の左側面の火傷により開口障害が生じる。
    ・唇〜頬の皮膚が焼け爛れた後、肉芽形成、その後肥厚性瘢痕、またはケロイドのせいで口が開けにくく、つっぱり感があり食事の摂取がしにくくなる
    ・受傷後一ヶ月から軽度だった手指のリハビリ開始?
    ・下肢は範囲の広い火傷で皮膚の拘縮があり、徐々に動かしにくさが出る
    ・のでちょっと焦りが出て動かしまくる
    ・早い段階で外に出て紫外線を浴びた為、色素沈着がおこる(顔が褐色)
    ・多分普通に訓練しているので新しい皮膚は裂け、治りは遅くなる
    ・深度3熱傷の場合、痛覚もなくなってるのでひどい火傷の場所ほど痛みはない。
    ・一ヶ月程度でケロイド(もしくは瘢痕)が形成される。三ヶ月程度で皮膚っぽくはなるが、赤い盛り上がりのあるもの。寒いところに出ると色が悪くなり、黒っぽくなったり紫になったりする。
    ・半年〜一年で徐々に盛り上がりが落ち着き、肌に馴染む
    ・三年程で完全に肌に馴染み、拘縮も軽減
    ・この頃以降から、脱色した皮膚の色(白っぽい)、褐色の色素沈着に分かれるはず。
    ・受傷部位の感覚は鈍い、もしくはないので、どんどん運動していく、結果としてケロイドは広がる。
    ・拘縮があるので尚更元の状態に戻ろうと訓練や運動、筋トレは積極的にしていたと思われる。


    余談
    ケロイドか肥厚性瘢痕か、でずっと迷ってるけど治療期間考えても雑渡さんはケロイド体質で、傷が治りにくく、また傷の範囲を超えて肉芽が形成され、関節は盛り上がった皮膚のせいで曲がりにくさ、伸びにくさが出てくる。拘縮あったのでは?と予想。
    横座りは「個性」って言い張ってるだけでケロイドの拘縮により皮膚が突っ張る、痛むとかで痛く無い角度で座ってるのかも。
    9年前の火傷にいまだに包帯巻いてるのは傷隠しかな…ただケロイドなら痒みとかピリピリした痛みが定期的に、しかもふとした瞬間ずっと続くので寝ている間の掻きむしりとか痛くて触ったらとか刺激でなかなか治らないのでいまだにちょっと傷広がってるのかな。
    頭巾取らないで食事するのも、「見られたくない」じゃなくて「見せたくない」な気がする
    皆気を使うだろうし。
    つどいの侍大将との婚約〜に関しては、「楽にしてやれ=殺してやれ=生きる見込みがない」人間との婚約を続けるよりも破談にして次の婚約者探した方が早いからと思われる。(女性はこの時代結婚とほぼ同時に裳着の儀式をするので)
    せっかく成人させたのに生き延びたとして元通りに動けるか、稼げるかもわからない男のところに娘をわざわざ差し出すなら、今すでに健康な人と婚約した方が早いし現実的。
    だからマジで受傷直後当時からでは想像もつかないような驚異的な回復を果たしている雑渡さん。


    肥厚性瘢痕かケロイドか
    ・個人的にはケロイド体質を推していく
    ・炎症が強くて自然治癒は不可能なので、あの時代なら治療に今よりも数倍時間がかかるかも知れない。
    ・肥厚性瘢痕とケロイドの違いは傷の範囲を超えるか否かで、傷の真上にぼこっとなれば肥厚性瘢痕、周囲組織を巻き込んで受傷した範囲を超えて大きく広がっていくのがケロイド。
    分かりやすい例を上手く言えないけどデッドプールの素顔は肥厚性瘢痕(彼は火傷じゃないけど)にすごく近い見た目をしてる。
    ・ケロイドは受傷部位だけでなく周囲の組織を巻き込んで大きく膨らんでいき、艶が出て丸っこい膨らみになる。痛みや痒みも強いのも特徴で、傷自体は治ってもケロイドはちくちくした痛みが定期的にある。
    ・受傷から数年は部位の感覚は鈍い。
    ・9年経ってればある程度熱い、冷たい、とかは感覚が戻ってきてると思われるが、痛覚は鈍い。
    ・押しても痛くないが撫でると痛かったりする。(なんでや)

    以上妄言の吐き出し。
    自分の火傷の経験と関わってきた人の火傷、資料から総合して考えてたら一回吐き出したくなった。












    本当に本当に余談だけど、経験談を語るなら15年前に二の腕、7年前に左二の腕から手の甲までを受傷、深度3で皮膚は黒〜白で植皮を勧められた時のこと。(読まなくても良い)


    15年前は学生の時ふざけてて仲間内で花火中
    7年前はケトルの蓋がちゃんと閉まってない状態で湧き立てのお湯が落ち、慌てた拍子に調理中の油鍋を落とし、一瞬で色んな事考えだけど転倒。
    受傷直後は熱い!のあと一瞬「あれ。冷たい…氷当ててるみたい…」という感覚があり、皮膚がぎゅっと圧縮されるような感じ。
    痛みも感覚もなく、その時は肌が白くなったのみだったので冷やし、翌日受診しようと寝る。
    翌朝腕が2倍くらいに腫れて拳大の水膨れが手の甲から二の腕にかけて無数に出来、寝相で一部が潰れて布団が水浸し状態。
    流石にやばいことした…と思ってすぐ受診。
    左側の首までに違和感、腕は浮腫。
    皮膚は黒くなっている部分もある
    急いで受診、緊急処置「なんで寝たの?」って詰められる。皮膚が白いのは大丈夫だった部位ではなく、茹でられてしまった状態。
    突然の高熱
    病院でじゃぶじゃぶ水洗いされても痛くも痒くも無い。
    植皮は取った場所も目立つし、したからと言って綺麗に定着しないで網状の模様が出ることもあるからしないと選択。
    湿潤療法施行、一ヶ月で手の甲、腕に赤い薄い皮膚が張る。
    手首の関節にケロイド形成が始まり左手首に拘縮
    半年で傷の範囲の3倍程のケロイドになる
    一年で赤いケロイド、拘縮続き手首が曲がらない。

    紫外線に晒さないようにと医師より。
    2年目から色素脱色、3年目には肌にケロイドが馴染み、拘縮も薄れる。

    痒みと電気が走ったようなビリッとした痛みが突然、定期的にあり、皮膚を刺激してしまう癖が抜けず、7年経ったいまだに痒みが強くあり、掻きむしりでケロイド形成が続いている、ので雑渡さんもこのパターンかな〜という気持ち。
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