愛をくれし君の ゴーニトルクの宝浜の白砂を、夕日のオレンジが染め上げる。西陽に照らされキラキラと輝く海を一望しながらの食事を楽しめるシェバーブチェは、トライヨラでも1、2位を争う人気を誇るレストランだ。メインディッシュのタコス以外にも串焼きのシュラスコやチップスのナチョス、この地で採れる新鮮な果物を使ったカクテル等メニューは充実している。海に面したパラソル付きのラウンドテーブルの下、武王ウクラマトお墨付きのタコスを頬張りながら、エスティニアンはのんびりとメスカルを煽る。アガベと呼ばれる植物の茎から採った樹液を蒸留して作られたその酒は、イシュガルドで慣れ親しんだワインやエール、クガネで好んで飲んでいた清酒等とは全く異なる味とスモーキーな香りがした。未知を楽しむは冒険者の醍醐味だという、冒険者の先輩である相棒の言を最近ようやっと理解できてきたように思う。どれつまみにシュラスコでも、と串焼きにされたロネーク肉を手に伸ばすと、聞き馴染みのある声が背中に掛けられた。
「お、エスティニアンだ」
「ブライトか」
己の相棒であるブライトは、最近はどちらかといえば職人業に力をいれているらしく、作業着の姿でビーチに駆け出した。
「晩飯か?」
「あぁ。お前、今日のノルマとやらは?」
「終わった終わった。なあ、折角だし相席していいか?」
「構わん」
やった、と機嫌良く隣の席に座る相棒にメスカルを注いでやる。ルガディン族でありそれなりに立派な体格であるこの女は酒もそれなりにいける口だ。基本的に一人酒を好む質だが、相席が彼女ならば何の不満もない。小さなショットグラスを受け取ったブライトはメスカルを豪快に喉に流し込んだ。高いアルコールが喉を焼く感覚が心地よい。
「ッアーーー…仕事終わりの酒美味いな」
「熱心な事だ。今日は何を納品してきたんだ」
「槍。なんか訓練に使った槍がほとんど傷んじまったらしくてなぁ…凄腕の槍術士とやらのせいで」
「それはそれは。随分と腕の立つ「槍術士」殿だな」
「お前さあ…」
どこかトゲのある言葉をのらりくらりと交わす。そうしてじゃれついていると、ブライトが注文したであろう料理が続々と運ばれてきた。焼いたアルパカ肉と新鮮な野菜がたっぷり入ったタコス、ぷりぷりとした茹でエビが皿に敷き詰められたシュリンプカクテル、取っ手のついた四角いガラスコップにたっぷりのフルーツと共に注がれたカクテルドリンク。
「へへ、美味そう…」
「お前、調理師としても活動していなかったか?」
「調理師だってオフの時は人が作った飯食べたいんだよ」
調理師で思い出されるのは、いつぞや狂ったように大量の人参を刻んでいたブライトの姿だ。恐らく納品したのだろうが、あの量の人参の何に需要があったのか、エスティニアンには結局分からずじまいだった。きっと依頼主は相当な人参好きに違いない。
愚痴を溢すブライトにそういうものか、と返しながら、エスティニアンは己のグラスにメスカルを注ぐ。丁度空になってしまったようで、エスティニアンは近くの席に配膳していたウェイターに声をかけ追加を注文する。
「気に入ったのか?メスカル。エオルゼアじゃ見ない酒だからな」
「少なくとも、お前が今口にしてる甘ったるそうなのよりはな」
怪訝そうに目の前でカクテルを口にするブライトを見る。万年雪化粧で、体を温めるため甘くて温かい紅茶や茶菓子を口にする風習が根付いたイシュガルド出身でありながら、エスティニアンは然程甘いものを好まなかった。酒にもどちらかといえば渋さや辛さを求めるもので、甘い酒は好んで口にはしない。対するブライトは酒の好みというものがほぼ無かった。美味ければ甘かろうが辛かろうが何でも飲む。
「いやでも、果物使ってるからさっぱりしてて飲みやすいんだぜ。これもメスカル使ってるみたい」
「ほお」
「飲んでみるか?」
ほい、とストローの刺さった四角いグラスをずいと差し出しながら、ブライトが笑う。黄色く見えるが、実はドリンク自体に色はなく、中に入ったパイナップルの果肉の色を反射しているだけだった。別に今更人が口にしたものだのなんだの気にするつもりはないが、一応目の前の女に懸想している身の上であるエスティニアンとしては面食らう他無い。とはいえ、そんなもので長考出来るほど年若くも青臭くもないためそのままストローに口をつけた。
「…飲みやすくはあるな」
「だろ〜?これはパイナップルだけど、他にもいろいろ種類があったから、今度は別のやつ頼んでみる」
「あぁ。…酒もいいが、飯を食ったらどうだ。冷めるぞ」
「おっと」
いただきます、とブライトが上機嫌に食事に手を伸ばす。まずは茹でエビをひょいと摘み上げ、トマトベースのチリソースをたっぷりとつけ、口の中に放り込む。一度二度、咀嚼をする毎に彼女の顔が喜色ばむ。どうやら美味いらしい。二回目は添え付けのレモンを少しばかり絞って、ソースの海へ。
「!レモン、レモン絶対絞った方がイイ!」
「ほう。一つ貰っていいか」
「食べろ食べろ」
目の前で、こうも美味そうに食べられては然程食い意地張って無くとも気になるもので。こくこくと子供のように頷く様に苦笑してやりながら、一尾分けてもらう。ぷりぷりとしたエビの歯応えと、甘辛いチリソース、爽やかなレモンの酸味と香りがたまらなく相性が良い。調理師をしているだけあって、やはり彼女の美味いは全幅の信頼を寄せられる。
「美味いな」
「だろ!?」
自分で作った料理でも無いのに、まるで自分のことのように無邪気に喜んでいる。自分が美味いと思ったものは、出来る限り共有したい、喜んでもらいたい質なのだ。
ストローを咥えカクテルを口にすると、今度はタコスを手に取る。舌をリセットしたのだろうが、甘い酒が果たして口直しになるのか、エスティニアンには甚だ疑問だった。マナーも外面も気にせず、口いっぱいにタコスを頬張る。余程美味かったのだろう、遂に笑みまで溢れ出した。
「うまっ…美味しい〜。なあ食べたか?これ」
「食った食った。美味いな」
「な〜!…お前はもう食べないのか?」
「食うさ。今は酒だけでいい」
「ふうん?」
暫くうまうまと食事を楽しんでいたブライトだったが、次第に目をきょときょとと外に走らせるようになった。照れくさそうに眉を八の字にしながら、しかしそれ程不快に感じている訳でもなさそうな顔で。
「…どうした。満腹か」
「いやぁ〜…飯はまだ食べられるけどそのぉ〜、落ち着かないっていうか」
「何が」
歯切れの悪い言葉に気恥ずかしそうに泳ぐ眼差しが、チラチラとエスティニアンに向けられる。ムウっと照れから唇を尖らせながら、ブライトは続けた。
「え〜っと…み、見過ぎ…」
「…何が、何を」
「…お、お前が、私を」
「………」
何とも言えず沈黙が走る。あぁ、気づいていたのかと、照れる相手を見つめながら他人事のように感心する。
「……あ、見るのは止めないのか」
「他に見るものもないからな。嫌なら止めるが」
「嫌っていうか〜〜〜…あ、星!星出てるぞエスティニアン!綺麗だな〜」
「そうだな」
傾いた日は疾うに沈み、景色はさざ波と降り注いできそうな星々が彩る夜空に移り変わる。卓上ランプに照らされながら自分から意識をそらそうとしているブライトを、しかしエスティニアンは変わらずじっと見つめた。
「………、人が飯食べるの見るの、楽しい?」
「お前だからな」
「そんなに面白い顔してた?」
「面白がって見てた訳じゃない」
この女は、本当に美味そうに飯を食うのだ。幸福だと、全身を使って表現してみせる。柄でもないが、それを見ているだけで、こちらまでどこか満たされた気持ちになるのだ。…ぱっと花開くように笑う、幸せそうな顔が好きだ。
「美味いものをたらふく飲んで、食っている時の呑気で、健やかなお前の顔を見ているとな、それだけで酒が進む」
「………酔ってる?」
「酔ってない」
照れ隠しに額へ手を当てようとするのをやんわり退けながら、エスティニアンは鼻を鳴らす。酔ってはいない。意識もはっきりしている。ただ、あまりにも平和で穏やかな夜だから。自分が愛する女が目の前にいて、酒も美味い。それが酷く心地よくて。テーブルランプが放つ暖かなオレンジ色の光を、キラリと萌黄色の瞳が反射させる。
「………」
「なになになになに今度は」
釣り上がり、鋭さを感じる双眸。それをもっとしっかりと眺めたくて、エスティニアンはブライトの頬に手を添え自分と向かい合わせた。突然の出来事に目をまあるくさせているのが可愛らしい。夜空と、暖色の明かりという条件であるからか、何処か深い色を湛えた今の色も嫌いでは無いが、やはりこの女の目は青空の下、太陽の光を受けて煌めく春の新芽のような色が一番綺麗だ、とエスティニアンは確信した。
「春の訪れ…」
「は??」
「…俺が幼い頃の話だ。まだイシュガルドが雪に閉ざされる前、ファーンデールにも春があった」
相棒の突然の奇行に驚いていたブライトは、一先ず居住まいを正した。エスティニアンは、何処か懐かしむような口振りで言葉を紡ぐ。
「雪が溶けると羊達の餌になる若草が、一斉に芽吹くんだ。それは見事で美しい萌黄色の絨毯が、辺り一面に広がってな。…まさにお前の瞳の色にそっくりなんだ」
すりっと添えた手の親指がブライトの目尻を優しく撫でる。その仕草の熱っぽさに、ブライトは沸々と、満更でもない気恥ずかしさを感じた。女一人捕まえて瞳に春の訪れを彷彿する等、中々どうしてロマンチックな文句ではないか。頬を滑り落ちた古傷だらけの手は、その指で艷やかな銀髪をゆるりと巻き取った。人によってはルガディン族の髪を針金のようなどと揶揄するらしいが、決してそんなことはないのだとエスティニアンは否定する。少なくとも目の前の女は、それなりの手間暇をかけて髪を、肌を、手入れしているのだと、長くなった付き合いで知った。身嗜みに無頓着なエスティニアンとて、その拘りに掛ける情熱や努力には敬意を払う。そうして誰のためでもなく、己の心の為に美しくあろうとする姿は好ましかった。
「…そういえば、その時期に羊を放牧してるとな。若草の草原の中に、ポツポツと白い花が咲いていた。豪華でも華やかでもないが、綺麗で…お前を見ていたらそれも思い出した」
「どうした今日サンクレッドみたいだな!?」
「おい、無粋だぞ。他の男の名を出すな」
「ムギュッ」
仕置きだと言わんばかりに軽く鼻を摘まれ、ブライトはいよいよどうして黙ってしまった。然程ガタイの変わらない、自分みたいな女を花などと。そんな間柄でもないだろうに。心地よい波の音だけが響く、妙に甘ったるい空気を変えようと口を開き、そして何も浮かばず閉じるという無意味な行為を続けているブライトを、エスティニアンは見つめている。イシュガルドにいた頃は尖りに尖っていた雰囲気は今や消え失せ、優しく和らいだグレーの瞳は、光の反射で夜空のインディゴを思わせた。
「リピア」
呼ばれた名に、ブライトはきょとりと固まる。ローエンガルデに姓は無い。どちらも等しく己が名だが、大多数の種族が姓を持つエオルゼアではその名は姓と扱われる事の方が多い。親しくなればなるほど呼ばれなくなる名。
「その名を持つお前を見て、花を浮かべる事の何が悪い」
「おうぅ…」
白く素朴な、小さな花。リピアの花。
「お前には、春が似合う。命の息吹を引き連れてやってくる、…冷たい雪を溶かしてくれる、春が」
「…吟遊詩人になれる才能あるぜ、お前」
「…俺も、自分の才能に驚いているところだ」
くすくすと上機嫌に笑うエスティニアンの手から、ブライトはそっとショットグラスを取り上げようと手を伸ばす。もう先ほどから呂律が怪しい。やはり慣れない酒を飲みすぎたのだ。グラスを包む指をやんわり解いてやると、代わりに、と言わんばかりに褐色の指を骨張った色素の薄い指が捉えた。絡ませ、優しく握り締める手は存外体温が高い。少し迷ったが、ブライトは好きにさせてやる事にした。
「……お前が」
「うん」
「帰ってきてくれた事が………、今、隣で生きてくれている事が、……何より嬉しい」
「…うん」
「…何処に旅立とうと…必ず、帰ってこい……俺の春は、おまえだけ、だ………」
柔らかな笑みを浮かべ、夢見心地のまま溢れる言葉は、何より情熱的で、愛に満ちていた。照れ臭さと、それ以上の胸を掻きむしってしまいたくなるような衝動に、ブライトは繋がれた方とは逆の手で唇を撫でた。
ウルティマトゥーレから帰還し、シャーレアンの病院で想いを一方的に与えられてからというもの、ブライトはその整理の付け方に四苦八苦していた。何せ、生まれてこの方傭兵育ち…色恋等、家族や友人以外の形の愛を向けられた事など初めてだったから。
「春、なんてお上品なタマじゃねえのに…」
ポツリと溢すその顔は、英雄と呼ぶにはあまりに初々しく、愛される喜びに戸惑う娘のそれだった。