火点し頃アーサーが騎士団に入ってもう8ヶ月が過ぎる。夕方だというのに夏の暑さは薄らぐことも無く、少し動いただけで汗が滝のように流れて仕事の邪魔をする。それをおざなりに腕で拭いながら作業を続ければ今日の仕事もまた終わりに近付く。
あと一ヶ月もすればこの暑さも和らぎ、秋へと木々も色付き始めるだろう。それが少し寂しいと思ってしまうのは自分の誕生日が夏の終わりを告げる頃だからだろうか?
昼間は青色の高い空に眩しい白い光が燦々と降り注いでいたのに、今空は藍色に落ち着き太陽は金色に近い色で地平線の向こうへ落ちかけている。
夕方の蝉の声も気付けば初夏とは違う種類になっている。次気付いた時には空には赤いトンボと鈴虫など秋の虫の声に変わっているかも知れない。
だがまだ明日は今日と同じく太陽が昇り暑くなるのだろう。
繰り返される毎日だが少しずつ移り変わっていく。
あの日からアーサーの停まっていた時計の針は動き出し日常は非日常へと変化した。
朝から晩まで畑仕事しかしてなかった腐り切っていた自分が、今では朝から晩まで憧れの騎士達と一緒に汗を流している。
しかも毎日のように城へ行きステイルと手合わせをし、プライドとティアラとも顔を合わせる日々が続いている。
あの日、プライドによって全て変えられた未来を今確実に自分の脚で歩んでいると実感できている。
生きる希望を与えられ、今も色褪せる事がないあの日を胸に大切に過ごせている。
(あの人が居てくれたからこそ、今の俺があるンだ)
あの人の騎士になれる、待っていて貰える、なんて幸せなことなんだと噛み締める。
あの人はこれからも変わることはないだろう。
たった一人の民の為に銃弾飛び交う戦場に立ち、また自分のように苦しみ藻掻いている人を救い、その目も眩むような眩しい光で幸福な未来へと導いて行く。
その光の側に立てるよう、立っても恥ずかしくないようにしなくてはならない。だからこそ今は新兵として自分ができる仕事と鍛錬を続けていけることに心はとても充実していた。
あの人を守れる騎士になってみせる!!
今ではそう強く言い切れる様になった。
まだまだ親父のような揺るぎない強さも威厳も全くない自分だが、それでも日々邁進、進むのみだ。
「おーい、新兵、これ洗っとけよ」
本隊騎士が汚れた団服を洗濯籠に入れるのを見て「はい!」と返事を返せば「あ、なんだアーサーか」と返された。さっきまでぶっきらぼうだった本隊騎士がニッと笑い「頼んだぞ!」と手を上げて去って行く。
ロデリックのお陰でアーサーの顔と名前は騎士団に浸透している。それがなければ今の騎士は自分に興味もなく、ただの新兵としての扱いしかしなかっただろう。
例え親父の七光りのお陰だとしても、憧れの騎士からそうやって名前を呼ばれ笑顔を向けられて頼まれるのはとても嬉しいことだ。
(マジでかっけぇ!!)
アーサーにとっては小さい頃からずっとずっと憧れてきた騎士。自分の親父にして騎士団長のロデリックを始め、騎士というだけで憧れの対象である。
騎士の一人一人が己の矜持を持ち、日々鍛錬に励んでいる姿を間近に見てアーサーの心が震えないわけがない。いつかは自分もあの純白の団服を着ることを夢見ながら毎日汗をかいているのだ。
そして毎日毎日キラキラ輝く目で騎士達を尊敬する騎士団長の息子を騎士達が可愛がらない理由はどこにもなかった。
アーサーが騎士に可愛がられるのは〝団長の息子〟だからではなくアーサー自身が可愛いがられる要素の塊だからである事にアーサーは全く気付いていない。
アーサーは今もたまに思い返す。
あの頃の自分は自分が大っ嫌いで大っ嫌いで仕方なくて腐っていた。
幼いガキはただ泣き喚き「親父を助けろよ」と無理難題を騎士に押し付けた。
あの時動けなかった騎士の気持ちも、騎士達がどれだけ親父を尊敬していたのかも何も知らずに、知ろうともせずに。今思い出しても情けなさに死にたくなるほどの羞恥心に苛われる。
あの時一番悔しい思いをしていたのは間違いなくあの場にいた騎士達だと今なら分かる。
現場にさえ駆け付けられれば救える力があったのにも関わらず、見ているしか出来ず、更に泣いて喚くしか出来ないガキに罵られていたのだ。
そしてあの人が全てを救ってくれた。
救いようのない腐った自分すらも。
だからあの人が何かに怯えているのなら自分がそれから救わなければならない。
それには強くなるしかない。
あの人は勿論のこと、自分も、周りも、見える範囲全てを守りきる絶対的な強さを手に入れなければ救えない!!
だがどう頑張っても自分1人であの人も周りもを救う力はない。
だからこそステイルや騎士団の騎士達全員の力が必要なのだ。
騎士達もみんながあの人を守ろうと強くなろうとしている。そんな騎士達と一緒に戦えること、あの人を守れる事、それがどんだけ心強いことかと、それを許してくれた、受け入れてくれた全ての騎士にアーサーは毎日感謝していた。
「おい、誰か洗濯して来てくれねぇ?」
「あ、俺行きます!!」
「おう!頼む!!」
洗濯物、主に本隊騎士の団服が入っている籠を持つ。本隊騎士の団服を洗濯し、ほつれがあれば直すのも新兵がやる仕事だ。重たい洗濯籠を持ちながら洗い場へと足を進める。
このあとは──とやることを頭に思い浮かべながら今日の鍛錬の時間を楽しみに仕事に取り組む。
洗い場の近くに来ると水の音がした。先客がいることも別段珍しくはない。ちょっとした汚れなら自分で洗濯する本隊騎士もいる。そういう騎士とここで話すのもアーサーにとってはとても有意義な時間である。今は誰がいるんだろ?とウキウキしながら足を進めるが──
(なンで!?)
その人を認識した瞬間に思わず物陰に隠れてしまった。心臓がドクンドクンと大きく脈打ち思わず手で押さえる。
本隊騎士が自分で団服を洗う者もいるが、それでも隊長格で洗う者はアーサーの知っている限りでは一番隊のアランくらいだ。そしてアランなら良かったが、残念ながらそこにいるのはアーサーが会いたくないと思っている隊長の1人だ。
赤毛交じりの赤茶色の髪、少し冷たくも感じる真剣な赤茶色の目で今着ていたのだろう団服を洗っている。いつもならどんなに暑くても一切乱れることが無い姿が今は団服を脱いだ薄着である。
しかも髪も濡れているからもしかしたら水浴び後なのかも知れない。頭から首筋まで水か汗か分からないが水滴が流れて、時折それを腕や手で拭っている。
滅多に見れないその隊長の乱れた姿に何かあったのかと物凄く焦るものの、自分が話し掛けていいのかと考えれば物陰から出ることさえ戸惑う。
本隊騎士に対して新兵が挨拶以外で話しかけてはいけないのがこの騎士団の暗黙のルールだ。
それが隊長格になれば新兵からすれば更に雲の上の人だ。挨拶する事も緊張する。
だが何処にでも例外というのはあるわけで、その筆頭なのが一番隊隊長と、三番隊隊長だ。
明らかに他の隊長よりも若く、それぞれが才に溢れた2人は存在だけでも騎士の憧れだというのに、本隊騎士も新兵も関係なしに話し掛けてくれる。
アーサーも2人と何度か話す機会があったが、アランは言葉を選べばとても〝フレンドリー〟で緊張する要素が一切ない人だ。正直、隊長としてどうなんだ?と思う時もある。
その真逆なのが三番隊隊長のカラムだ。
最優秀騎士隊長、常に騎士として振る舞いを忘れず、まさに騎士の見本の様な隊長である。
そして今団服を洗っている隊長こそ、その三番隊のカラム隊長である。
アーサーはどうしてもカラムと話すと緊張し、上手く話せなくなってしまう。それは隊長を相手にしているからではない。
カラム隊長はあの日、親父が死んだと思い込み、全てを拒絶した自分に対して、プライド様とはまた違う形で自分を救ってくれた騎士だからだ。
(頭上がらねぇよ……)
思わず頭を抱え蹲る。
あの大混乱の中で自分に寄り添ってくれた心優しい若い騎士が、まさかの三番隊の隊長で尚且つ特殊能力を知れば、再びあの時泣き喚いた内容に羞恥が身体を駆け回った。
あの大混乱で指揮を執らなければならない三番隊隊長が暇なわけが無い、そして彼ならばあの親父の足を挟んでいた岩を退かせられた。それを一番分かっていたのは彼自身だ。
あの時自分の幼稚な八つ当たりを聞いて彼はどんな思いだったのだろう。
それでも泣き喚くガキに優しく寄添ってくれた。
そんな騎士隊長に改めて何を話したらいいか分からないし、ガキの自分が挨拶をするのも烏滸がましいと思ってしまう。
(う〜、何時までも隠れてるわけにはいかねぇけど、どう話しかけりゃいいンだ……)
チラリと覗き見ればまだ団服を洗っている。今洗い始めたのか、それとも汚れが酷いのか。だが自分も何時までもここに隠れているわけにはいかない。日が沈んだら汚れも見えにくくなるし、新兵だからこそ仕事はまだある。
(それにしてもなんで今日は自分で洗ってンだ?あの人の団服ならどんなに汚れていても皆自分が洗うっつて取り合いになるぐれぇなのに……)
本隊騎士の団服だけでも新兵には憧れの対象、それが隊長格なら別格だ。それも三番隊隊長の彼の団服なら毎回取り合いになる。
新兵を心配し、時々夜中に演習場を見回ってはお悩み相談を行う程お人好しで面倒見のよい隊長だからこそ皆から慕われ、あの人の力になりたいと彼の隊への希望者が殺到する。
そんな人の団服を洗えるのは光栄と思う新兵が多いのも頷ける話だ。
なら洗濯を代わるのもいいかも知れない。どっちにしろ早く洗い物をやっつけなければならないのだからここでモタモタしているわけにはいかない。そうと決まればとやっと重たい足を洗い場へと進めた。
「お疲れ様です!カラム隊長!!」
洗濯するカラムに勢いよく頭を下げると親父譲りの銀色の髪がパサリと重力に引っ張られて落ちる。
カラムはその声の主を団服、手荷物、その髪の動きをチラリと見て誰かを即座に判断した。
「ああ、アーサーか。洗濯か?すまないが少し使わせて貰っている」
カラムはそう告げるとすぐに洗濯に戻った。
そこに愛想も愛嬌もない、もの凄く素っ気ない対応であるがこれが彼の普通である。
他の騎士と違いカラムはアーサーだからといって特別なことは何もない。新兵の名前を呼ぶのも彼からすれば当たり前のことである。
今までカラムからあの日のことを話題に出された事もないし、彼がその話をしようとも思っていないのはアーサーにも分かる。
だからこそアーサーも話を出せず困っていた。
もし、アーサーが寄添ってくれた騎士を覚えていなかったら、他の新兵たちと同じく目を輝かせてカラムと話が出来たかも知れない。そう思う反面、それはとても悲しい事に感じた。
「はい!あの、ですのでカラム隊長の団服も代わりに洗わせてください!!」
カラムの手元を見るがもう汚れは落ちたのか真っ白だ。自分の着る新兵とも、本隊騎士とも違う更にかっこいい団服に思わず目を奪われた。
そんな団服に目を輝かせる様子のアーサーを見て濡れた前髪の水を払いながら言う。
「いや、これはいい。さっき子供に吐き戻されてな。それを人に洗ってもらうわけにもいかない。から洗っていただけだ。それにもう終わる」
カラムを見ながらアーサーは首を傾げる。
そういう汚れもたまにあることだし、そういう汚れこそ新兵に任せる騎士も多い。
ならば尚の事だ。
「いえ、では濯ぎだけでもやりますンで!!」
カラムがチラリとアーサーを見ればいつもの様に肩に力が入っている。自分が隊長だから緊張をしているのだろうが、アーサーがアランと話している時を思い出せば、差を見せつけられているようだと思わず顔を顰めてしまいそうになる。だからと言って自分はアランのような振る舞いは出来ないことは一番良く分かっている。
アーサーの隊長の団服への憧れも見てしまった今、渡さないのも意地悪かも知れない。それに隊長の自分がいつまでもここにいるのも彼に気を使わせるだけかと考え直し場所を明け渡す事を伝えれば、アーサーから元気な返事が返ってきた。
その様子に寂しさを覚える。
やはりアランのように振る舞える器用さが自分にもあれば、アーサーとの間にある壁も無くなるのではないかとため息を付きたくなる。それを誤魔化す為にカラムは髪から滴る煩わしい水を手で払った。
水浴びで身体の汚れは落とせたものの、誰かにタオルを持って来るよう頼むんだったと後悔する。
髪の水を払い息を吐くカラムの姿にアーサーはカラムの髪も汚れたから洗ったのだろうとやっと思い当たった。それと同時にカラムと出会った時自分も戻したことを思い出せば、すっごく居た堪れなくなる。
やはりこの人の前では変にあの頃を思い出して後ろめたくなる。
「では頼むな、アーサー」
「はい!!」
悟られないように腹筋に力を込め再び頭を下げる。
カラムはその元気な返事に頷きそのまま水場を去ろう、とするもあることを思い出し立ち止まった。
「アーサー」
夏の終わりが近付く夕暮れ時、日も落ちかけて周りも薄暗くなり掛けている。蝉の五月蝿い声だけが響いている中、突然静かで優しい声が周囲に響いた。
「は、はい!?」
突然呼ばれ思わず声がひっくり返る。
振り返ったカラムの赤茶色の目がとても優しく自分を慈しむように笑ったのをアーサーは見た。
「誕生日おめでとう」
「………へぇ?」
まさかの言葉に思考が止まる。
固まったアーサーにカラムは眉を下げて「今日だと記憶していたが、間違ったか?」と聞けば慌てて大きく首を振る。
「いいいいえ!!今日です!!あ、あっああありがとうございます!!!」
「んっ」
カラムは慌てて頭を下げるアーサーに近付き、肩にぽんと手を軽く置いた。
思わずアーサーの肩が思いっきり跳ねてしまった。
あの日、この人に強く肩を掴まれた痛みと、怖い程必死な形相で、世界を拒絶していた自分を呼び戻してくれた事を思い出す。
アーサーが恐る恐るそっと顔を上げれば、あの日とは全く違う、とても優しい赤茶色の眼差しと笑顔がそこにあった。
目が合った瞬間バチンと頭の中で音が鳴り、全てを見透かされそうとも、吸い込まれそうとも思える綺麗な赤茶色の目に射抜かれ、時が止まったかのような感覚になった。
何も言われていないのにその表情からカラムの色んな感情や想いが読めるようで、何よりも自分が騎士団に入ったことを〝歓迎〟されたような気分になった。
「頼むな、アーサー」
そう一層優しく微笑まれ言い残したカラムが去って行くのをボンヤリと見つめてしまった。
カラムは今、団服を着ていないのにアーサーの目にははっきりと見えた。
夕闇の中、誇り高き騎士団の純白の騎士隊長の団服を纏い背筋をピンと張り歩いていく騎士の頼もしい後ろ姿が。
アーサーの目から見てもカラムは他の隊長と比べて細身で、戦闘においては親父のような絶対的な強さも威厳も誇っているわけではない。
だが、彼はたった20歳で三番隊という騎士団の要である隊を任さられ、さらに隊長に就任してからは最優秀騎士隊長に選ばれ続けている。
「っ〜〜!!」
思わず赤面して蹲る。
(また触れられた!!)
何をと聞かれても分からない、強いて言うならばアーサーの心の一番奥底だ。
腐っていたあの頃を否定し、踏みつけ、絶対にあの頃には戻らないと箱に閉じ込めて沈めていたその箱を、触れられ、優しく掬い上げられ、『大丈夫だ』とそっと撫でられた感覚を覚えた。
微笑まれ目が合ったあの一瞬で『そのままでいい』と過去も現在も全て引っくるめて〝肯定〟された気がした。
言葉で伝えられたわけではないから勘違いも十分考えられる、だがアーサーはそう感じてしまったのだ。
まるで泣き叫んでいるガキの背中を撫でるように、あの時のことも含めて全てを受け入れて許していると言われた様に。
じわりと温かな涙が頬を伝った。
彼の凄さは口で説明できるようなものでは無い。
接して初めて知り得るものである。
プライドとは似て異なる温かさだ。
言うならばランプの明かりのような温かさだろうか?
カラムは間違いなくこの騎士団の中心にいる人物の1人だ。
そんな人から声をかけられただけでも心臓がドキドキするのにまさか誕生日をお祝いされるとは思いもしなかった。
自身の誕生日など、両親とクラークと友人や店の常連しか知らない筈なのに。
自分に対して友好的に接してくれている本隊騎士だって誰一人として知らない筈だ。
「ずりぃ〜……」
涙を拭いながら、言い逃げのような形で去って行った上官にアーサーが呟けたのはそれだけだった。
泣くのはガキみたいで恥ずかしい筈なのに、涙が止まらないし、止めようとも思えない。
あの頃の苦しみとか悲しみとか怒りとか悔しさとかが涙として自身の中から出ていくのを感じる。
浄化、そんな言葉が自然と出て来る。
だって、こんなにも温かな涙なのだから。
おまけ
いつまでも泣いているわけにもいかない。
他の騎士や新兵が来るかも知れないと、涙を拭ってカラムの団服を濯ぐ。
あの人が今日何で子供に汚されたのかなんて知らない。新兵の自分が知ることは今後も無いだろう。
だが、もし今日誕生日の自分の願いが叶うなら願いたい。
その子供が今は元気になっていればいい、と。
カラム隊長に会えたのだから。
「てか、なんであの人俺の誕生日知ってンだッ!?」
カラムが騎士団全員の誕生日を記憶していることも、アーサーがプライドの騎士として守り抜くようにとカラムから頼まれたことも、この時のアーサーには知るよしもなかった。