陸奥紫月と手当について「はい、李夭ちょい待ち」
陸奥紫月にやんわりと進路を遮られ、祀蛇李夭は眉根を寄せた。
今夜の妖異の殲滅も無事に終わった。誰にも迷惑はかけていないし、都への被害も最小限だった。
「俺はお前に用はねえ」
「李夭になくとも、ウチにはあるんや」
それ、と指し示されたのは、李夭の頬。妖異の攻撃で、一本の切り傷が走っている。
「……かすっただけだ。食って寝たら治る」
実際、大したことはない。既に血も止まっているし、決して大きい傷ではない。
陸奥の横をすり抜けようとするが、片手で制される。
「だめやで。バイキン入ったら困るからな」
するりと伸びてきた手が、李夭の頬にかざされ、温かな光が染み込んでくる。
ひりつく痛みがおさまった頬に手をやれば、傷はきれいに消えていた。
「……上手いもんだな」
「おおきに」
にこりと笑った陸奥は、懐から煙管を取り出し煙草を詰め始めた。
「褒めてもろて嬉しいけどな、李夭は見慣れてるやろ。陽葵ちゃんとか」
「天雨は時々失敗する」
「言わんといてあげて」
切って捨てるような李夭の言い草に、陸奥は苦笑いした。
「陽葵ちゃんは、他の人をそらぁ大事にしとる。どうしても治したくて、焦ってしまうんやろなあ」
言われて浮かぶのは、自分の傷を全て無視して他者を癒す、天雨の姿だ。ついこの間も見たばかりなので、流れる血の色まで鮮明に思い出せる。思い出したくもないが。
顔をしかめた李夭の肩を、陸奥は軽く叩いた。
「ほな李夭、帰ろか」
歩き出す陸奥の背に、意を決して言葉を投げる。
「……陸奥、飯を食って行かねえか」
驚いたように目を瞠った陸奥だったが、鷹揚に頷いて李夭に着いてきた。
ただ静かに星だけが見下ろす夜道を、黙って二人で歩く。
後ろから漂ってくる紫煙のにおいは、質量がないのにそこに確実に陸奥がいることを感じさせる。
酒と煙草と、呑むならどちらの方がましなのだろうか。言わなければならないことから目をそらし、ぼんやりととりとめのないことを考える。
煙草は臭いし、舌が鈍ると聞いた。酒は飲めば判断力が鈍るし、二日酔いだってする。
「どっちもろくでもねえ」
「何がや?」
思わず呟いてしまった結論への思わぬ応えに、ぐ、と息をつめる。
「……なんでもねえ」
「そうか」
踏み込んでこない陸奥の優しさは、ありがたいが少し居心地が悪くもある。腹の据わりが悪いというか、いたたまれないというか。
ごまかすように足を速めて家路を急ぐ。陸奥の足音が追いかけてくるのに、理由はわからないがほっとした。
家につき、台所に急ぐ。
夕食はほとんど作り終わっている。食べる暇はなかったが。
米を炊き終わった後に召集がかかったため、白米は既に冷え切っていた。雑炊にしたいところだが、時間がないので湯を沸かして茶を淹れ、茶漬けにする。煮物はむしろ味が染みて、良い具合だ。温め直す時間が無いのが惜しい。
手早く二人分の膳を用意し、陸奥の前に置けば、陸奥は顔を綻ばせた。
「李夭は、ほんまに料理が上手いなあ」
「……我流だ。大したものは作れねえ」
いやいや、と陸奥はかぶりを振る。
「作れるだけ大したもんや。いただきます」
手を合わせ、箸を持つ。李夭も無言で手を合わせて食器を手にした。
陸奥の食べ方は思い切りが良い。決して汚くはないが、上品とは形容しがたい。普段の、どこかはんなりとでも表現できる佇まいと比べ、いつも意外に思う。
無言で空きっ腹に飯をかきこみ、落ち着いたところで陸奥が口を開いた。
「それで、どうしたんや、李夭。うちに何か言いたいこと、あるんやろ」
ぐ、と息を詰める。視線を彷徨わせ、膝の上で手を握り直し、覚悟を決めて陸奥へ顔を向けた。
「……俺に、手当の仕方を教えてほしい」
陸奥は目を瞠った。口を引き結び、その目を見返す。暫しの沈黙の後、陸奥は、ふ、とふきだした。
あっはっは、と夜の静寂に笑い声が響く。
「なんや、そない深刻な顔して何言い出すのかと思たら、そんなことか!」
あーおかしい、と目尻の涙を拭う陸奥を、李夭はぎり、と睨んだ。
こっちは真剣だというのに、何を面白がっているのか。
「あーすまん、すまんなあ笑て。馬鹿にしたつもりはないんや、堪忍、堪忍」
既に彼に頼んだことを後悔し始めていた李夭は、ふい、と横を向いた。
「教えるつもりがないなら帰れ」
「そんなこと言うてへんやろ。せっかちやなあ」
煙管を取り出し、火をつけて紫煙を吐く。
「なんで、手当の仕方学びたい思たんや?」
教えてくれるか? と問う声は優しい。李夭は渋々口を開いた。
「……天雨は、自分を後回しにするだろ」
今にも自分が倒れそうなのに、他人に手当を施す様をただ黙って見ているのは、ひどく嫌な気持ちだった。
天雨が自分を治療しないなら、自分ができるようになればいい。思いついたのは、先程陸奥に手当を受けてからだ。
勢いのまま陸奥を連れてきたが、言い出すのには勇気が要った。こんな夜更けだし、あまりにも唐突だし、自分は態度が悪いし、教えたくないと言われたって仕方ない。
「そうかあ」
目を細めた陸奥は、ぱしんと膝を叩いた。
「よっし、うちに任しとき。できることが増えるのは、いいことや。きっちり教えたるさかい、李夭もしっかり学ぶんやで」
ほ、と息を吐いて姿勢を崩しかけ、慌てて背筋を伸ばす。
「……言い出したからには、覚悟はできてる」
よろしく、頼む。
頭を下げる。
仲間を失わずにすむ力は、いくらあったっていい。結んだ縁が切られないよう。奪われないよう。学び、身に着けよう。
戦うばかりが力ではないのだ。