「なんでもおねがいをかなえるけん」 黄色い小さなハサミで画用紙を慎重に切っていた。
いつもより少しだけ浮かれた雰囲気の金曜日。休み時間だと歓声を上げながらボールを持って外に駆け出していく級友達に目もくれず、先の丸い小さなハサミを動かし続ける。
きれいな長方形に切れた画用紙を机の上に並べて、出来栄えを精査するように勇はじっと見つめる。
切り口がガタガタしていない真っ直ぐ切れた紙だけを選んで、残りは引き出しのお道具箱へ片付けた。
名前を書くための油性ペンのキャップを開けて、よし、とイサミは集中した。
一文字一文字丁寧に書きこんでいく。
『なんでもおねがいをかなえるけん』
週末に兄が帰宅することを知ったのは昨夜のことだった。
土曜日の夜にお泊まりをして次の日に帰る、そう母親に聞かされて勇は小さな体で飛び跳ねた。しかも、友達も一緒だという。
「兄ちゃんのともだちってリュウジくん?」
わざわざ家に泊めるぐらい仲の良い友達はひとりしか思い浮かばない。
「リュウジくんもうちにおとまりするの?」
誕生日が近いから気晴らしも兼ねての外泊だと聞かされた勇は、布団に入ってからもなかなか寝付けなかった。
大好きな兄が仲良くしている友達であり勇とも快く遊んでくれる佐竹隆二のことは気に入っていた。
兄と同じ大学に通う佐竹が泊まりにくるのは今回が初めてではなかった。
兄も含めて3人でゲームをしたり一緒に風呂に入ったり、僅か2日間にも満たない時間をいつも楽しく過ごしていた。
「リュウジくん、なにあげたらよろこんでくれるかな」
ころころと布団の上を転がり、チクタクとなる時計の音に合わせてクフクフと笑う。
考え過ぎて眠れない勇の頭の中は年の離れた友達のことでいっぱいだった。
そのため、金曜日の授業のことはあまり覚えていない。
授業中も休み時間も給食の時間でさえ勇の心を占めるのは兄と佐竹のことばかり。
いつもより寝不足だった勇は金曜日の夜に放送されるアニメを見ていた途中で眠ってしまった。
テレビの前のローテーブルの上に完成間近の手作りの券を置いたまま、ソファで丸まってすやすやと寝息を立てていた。
「勇、勇。おーい、いさみー、起きろー」
ゆさゆさと体を揺さぶられて勇はむずがるように首を横に振った。
「ラッパでも吹いてやるか?」
「やめろ。勇の将来の夢は俺達とは違う。俺の可愛い勇を起床ラッパで飛び起きるような世界に巻き込むな」
「らっぱ……?」
音楽の教科書に載っていた歌のワンフレーズが目覚ましのように夢の中で流れ始める。
「んー……?」
まだ眠い目を擦りながら勇はうっすらと片目を開けた。
「兄ちゃん!!」
勢いよく飛び起きた。
「おはよう、よく寝てたな」
勇は兄の腕の中に飛び込んで抱きついた。
「おかえり! 兄ちゃん!」
「元気にしてたか、勇ぃ。ぬくぬくだなぁ!」
「うん! げんきにしてた」
いつの間にか布団の中にいて窓の外は明るくなっていた。
兄の隣にいる佐竹に気付く。
「リュウジくんだ!」
次に勇はぎゅっと佐竹に抱きついた。
蒸し立ての饅頭のような体温に驚いたような顔をしたが、佐竹も勇を抱き返した。
「どうだ、うちの勇は可愛いだろ」
「そうだな」
得意気な顔をする兄とよく似た勇の頭を佐竹はよしよしと撫でた。
「あっ」
勇は作りかけだった誕生日プレゼントのことを思い出して、佐竹の腕の中から立ち上がった。
トタトタと駆け出す小さな背中を2人はゆっくり歩いて追った。
ローテーブルの上は昨夜のままになっていて勇はほっとした。
「勇が作ったのか?」
「うん。リュウジくん、おたんじょうびなんでしょ」
本当なら昨日完成していたはずなのに寝てしまった自分が不甲斐なくて、勇は唇を尖らせて頬を膨らませた。
「すごいな、もう字が書けるようになったんだな」
佐竹は勇の隣に腰を下ろした。
「リュウジくん、兄ちゃんといっしょにカッコイイのにのるんだよね」
描きかけのロボットのような四角い絵を見ながら佐竹は正解を導き出す。
「これは……烈華だな」
「本当だ、烈華だ。上手に描けてるなぁ、勇ぃ!」
「ちゃんと足元の車輪まで再現してある、いい観察眼だ」
手放しに褒められて勇は照れくさそうに頬を染めて、嬉しそうに笑った。
「リュウジくん、なんさいになったの?」
「二十歳だよ」
「これで大手を振って飲酒できるな」
「いんしゅ?」
「隆二はもうお酒が飲める大人になったってことだ」
「おとな……!」
勇はキラキラと瞳を輝かせて佐竹を見上げた。
「勇も二十歳になったら俺達と一晩中飲み明かそうな」
そう兄に言われた勇はわけも分からず「うん!」と元気よく返事をした。
「たのしみ、だね?」
兄と佐竹の仲間に入れるということは何となく分かった。それがとても嬉しくて、待ち遠しくて勇は背伸びをするようにピョンピョンと跳ねた。
テーブルに当たってクレパスが転がる。
勇は当初の目的を思い出してテーブルの上に転がったままのクレパスを手に取った。
「もうすぐできるからね。できたらリュウジくんにあげる」
「『なんでもおねがいをかなえるけん』? それはすごいな」
緑色に塗られていく烈華を見ながら佐竹が文字を読み上げる。
「いいなぁ、隆二。俺も貰ったことない激レアプレゼントだ。ありがたく頂戴しろよ」
勇は大きく頷いた。
「このけんつかって、ひとりじめしていいよ。おたんじょうびだから」
それを聞いて2人は思わず吹き出した。
なぜ笑われているのか分からず、手を止めた勇は首を傾げる。
「勇を独り占めしていいって。良かったな隆二! だけど、それじゃ兄ちゃん寂しい」
愛されていることを疑いもしない純粋無垢な勇を抱きしめて兄は頬擦りした。
「どうする? せっかくのプレゼントだけど、使わずに持って帰っていいか?」
勇は兄の腕の中で2人の顔を見比べた。
「いいよ」
出来上がった手作りの券を小さな両手で差し出す。
「はい、あげる。リュウジくん、おたんじょうびおめでとう」
+++
画用紙でできた手作りの券を眺めて、佐竹はフッと笑った。
常に財布に入れて持ち歩いていたため端が少しよれているが保存状態は悪くなかった。
「リュウジさん? 飲み会、そろそろ集合時間じゃ……」
窓辺で風に涼むように風に吹かれていた佐竹に勇が声をかける。
ようやく秋の気配が感じられるようになってきた。
「何見てるんですか?」
覗き込むように顔を近づけて、佐竹の指先で揺れる紙を見る。
「なんでもおねがいを……あぁっ!? えっ、まだ持ってたんスか!?」
幼い頃の自分が渡した手作りの券だと分かって、勇は取り返そうと手を伸ばす。
それをひらりとかわして佐竹は立ち上がった。
届かないように腕を高く上げてククッと楽しげに笑った。
佐竹の自宅で勇とふたり、カレンダー通りの休日を穏やかに過ごしていた。さっきまで。
「ちょっ! 恥ずかしいんで、返してください!!」
佐竹は何も答えずに、耳まで真っ赤になった勇の顔を目を細めて見つめていた。
「俺の二十歳のお祝いにくれたプレゼントだ。今更、返せはないだろ?」
「もう有効期限切れです!」
佐竹は券の裏表をまじまじと見て「ん?」と首を傾げて見せる。
「有効期限や使用期限の記載が見当たらないが?」
「作った本人が言ってるんですから、その券はもう使えません!」
佐竹の胸筋に片手をついて、半ばもたれかかるような姿勢で勇は背伸びをして腕を伸ばす。
先に諦めたのは勇の方だった。
「分かりました、もう返せって言わないんで……そろそろ出る準備した方がいいんじゃないですか」
相手を油断させた隙に取り返しにくる可能性も捨てきれないと、佐竹は警戒を緩めずに勇の挙動を注意深く見ていた。
「もうっ、そんな不意打ちみたいな真似しませんって」
勇は佐竹から離れてソファに腰を下ろした。
「慎重にもなるさ。ありがたく頂戴した激レアプレゼントだからな」
「何すか、激レアって」
まだ幼かった勇はあの日の会話ややり取りまでは覚えていなかった。覚えているのが今はもう自分だけという事実に少し寂しさを感じながら佐竹は勇の隣に座った。
「勇。飲み会だけどな」
ちらっと時計を見た。
「別日に変更済みだ」
「……は?」
聞いてない、と勇は幹事を買って出たヒビキの顔を思い浮かべた。
「俺と勇は参加できなくなっただけで、飲みたい連中は集まって勝手に飲んでるだろ」
いつもの行きつけの店の予定だった。
「いや、え……リュウジさんの誕生日のお祝いも兼ねた飲み会だったはず」
特に用事もないのに何故断ったのか理解が追いつかず勇は動揺していた。
「よかったんですか、せっかく誕生日当日にダイダラの皆で集まれそうだったのに」
「また別の日に改めて奢ってやるさ」
「みんな、隊長のこと祝いたがってましたよ。クラッカー鳴らすとか鳴らさないとか計画してたし」
「まぁ今月中なら誤差だろ」
「随分と大きな誤差だと思いますけど」
体調がすぐれないのではないかと勇は心配になっていた。
「勇」
目の前に『なんでもおねがいをかなえるけん』を差し出されて勇は首を傾げた。
「勇を独り占めして過ごしたいんだが、きいてくれるよな」
「俺をひとりじめ……?」
「せっかく祝ってくれようとしたアイツらには悪いが、誕生日ぐらい勇を独り占めして過ごしたかったんだ」
呆けたような顔をして勇は曖昧に頷く。
「えっ、わざわざ、そんな券なんか使わなくても……いつでも、リュウジさんなら」
目の前の古い手作りの券におそるおそる手を伸ばす。
「使うんですか、その券」
「やっと使う決心がついたからな。一晩中飲み明かすから付き合え」
勇は子どもらしい文字が書かれたかつての自分が作った券をじっと見た。
「いいですよ」
勇は伸ばしかけた手を引っ込めた。
「あと、その券……たった今、誕生日ボーナスで使用回数制限無しの無期限になりましたんで」
じっと佐竹の目を見つめて勇が言う。
「つまり?」
「いつでも俺を独り占めしていいってことです!」
勇は佐竹の胸の中に飛び込むように抱きついた。
「もともと、今日は……飲み会が終わったら、何でも言うこと聞くつもりだったし」
佐竹の胸元に顔を埋めて勇が小声で言う。
「何でも?」
色を含んだ声色で囁かれて勇の顔が赤く染まる。
「何でも……」
佐竹は勇の背中に腕を回して抱きしめた。
「最高のプレゼントだな」
end