楓可不『シンデレラを帰せない』 雨具、タオル、飲み物、もしもの時のための救急セット……。可不可が作った準備物リストと照らし合わせながら最終確認した荷物をリュックに収めていく。宿泊用の荷物はリュックとは別にボストンバッグに詰めてある。旅慣れしている楓にとって一泊二日プラスハイキング程度の荷造りならばそれほど時間はかからない。整えた荷物を明日着る服と一緒に部屋の隅にまとめて置き、時計を見ると時刻は一九時五三分。
「可不可、そろそろかなあ……」
もう歯は磨いてしまっただろうか。だとしても必要ならもう一度磨いたっていい。今朝届いたばかりの椛からの荷物の中から軽くつまめそうなドライフルーツを選んでテーブルに置いたのと、楓の部屋のドアがコンコンと音を立てたのはほぼ同時だった。
「楓ちゃん? いる?」
「いるよ、どうぞ」
約束の時間、のぴったり五分前。ドアが開き、Tシャツにスウェット姿の可不可がひょこりと顔を出したら、くるくると捲り上げられたスウェットの裾から足首がのぞく。
「あ、俺のスウェット。ないと思ってたら可不可が持ってたのか」
「この前借りてそのままだったね。着心地良くてつい……ごめんね」
「別にいいよ」
そう? と可不可は首を傾げてみせたけれど、多分楓の反応は可不可の想定内なのだろう。可不可が気に入ったならそのままあげたっていい。本当ならサイズが合っている方がいいのだろうが、まあ可不可が気にしていないのなら大した問題ではない。
ソファに腰掛けた可不可がドライフルーツに手を伸ばす。美味しい、と綻ばせた横顔を見ながら楓もベッドに腰を下ろした。
「それより、楓ちゃんが部屋に呼んでくれるの久しぶりだね」
「トレーニングで忙しかったでしょ」
「まあ……でも前日に何の用事? 言われた通りトレッキングシューズも持ってきたけど」
可不可が手に持っていた袋を揺らすとガサガサと音を立てる。ドライフルーツは端に寄せて、可不可から受け取ったトレッキングシューズを取り出した。先日買ったばかりのはずのトレッキングシューズはところどころ汚れている。楓も研修旅行に向けて足を慣らすために何回か履いていたが、可不可のもののほうがだいぶくたびれて見えた。可不可の頑張りの証であるその汚れを指先でなぞり、楓は自分のポケットに手を入れた。
「これをあげたくて」
楓が取り出したのは束ねられた長い紐だった。勘のいい可不可はそれが何かすぐにわかったようで目を丸くして楓を見た。
「靴紐?」
「そう。俺とお揃い」
楓が視線を向けた先には先に紐を付け替えた楓のトレッキングシューズがある。それを見た可不可はさらに金の瞳を輝かせた。
「ちゃんと替え方も教えてもらってきたんだ。いい?」
「あ、待って! 僕も片方やりたいから教えて!」
ぴょんと音がしそうな軽やかさ立ち上がった可不可が楓の隣に座り直す。うっすらと汚れた靴紐を抜き取り、ハイキングにおすすめだというやり方を可不可にも教えながら紐を通していく。全て通し終えると使い込まれたトレッキングシューズに新品の靴紐が少しちぐはぐに見えたが、可不可は満足そうに頬を緩めている。
「ありがとう楓ちゃん。明日は何時間だって歩けそうだよ」
「喜んでくれてよかったよ。可不可が俺と二人でお揃いがよかったのにって怒ってくれたでしょ。それが、その……」
肩が触れる距離から楓を少し見上げた可不可が首を傾げた。楓は丸い瞳を満たす自分の顔からすいっと目を逸らす。
可愛かったから。声にはならなかったが、楓が言おうとしたことが可不可にはバレていたようだ。満足げに笑った可不可が抱きついた勢いを受け止めきれず、二人揃ってベッドに倒れ込んだ。
「ね。今日楓ちゃんの部屋で寝ていい?」
「明日も朝早いんだからダメです」
「え? わかってるよ。だから寝るだけ」
少し意地悪に口角を上げた可不可が三日月型に目を細めた。からかわれてる、とわかっても可不可が楽しそうにしていると何でも許してしまいそうになる。
「ああもう! 寝るだけだよ! 本当に!」
「わかってま~す……ああ、でも楓ちゃん」
少しだけ身を離した可不可が寝転んだまま器用に上目遣いで楓の顔を覗き込む。
「ちゅーだけ、ダメ?」
「ダメです!」