コーヒーより先に酸辣湯麺 指定された報告会議の五分前であることを確認し、アーサーは艦長室の前で呼び出しアラームを鳴らした。
「失礼します。艦長、アーサーです」
『ああ、アーサー。もうそんな時間か、入りたまえ』
「はいっ!」
何度来ても、艦長室に入る際は背筋が伸びる。まだ慣れないのかとコノエには苦笑されるが、自分は抜けているからこのくらい気を引き締めたほうがいいのだ。
室内に招かれると、目を見開く。
入った先には部屋の主であるコノエの他にもう一人、先客がいたのだ。
「あれ? ハインライン大尉? あれっ!? す、すみませんっ!自分、時間まちがえましたか!?」
思ったそばからヘマをしたのかと、あわてて端末の時刻とスケジュールアプリを見ようとすると、コノエが違う違うと手を振った。
「いやいや、君は時間通り。先に彼からの開発スケジュールの進捗報告があってね。そっちはもう終わってるから」
「そうですか…… よかったぁ~~」
コノエはデスクではなく、応接用のソファでゆったりと足を組んでいる。
その向かいに座るハインラインはというと、近付くアーサーを見もしない。彼にスルーされるなんていつもの事だが、どうも様子がおかしい。
(怖っ! いや、この人のおっかない顔はよく見るけど……)
イライラしているというより、途方にくれているように見えるのは気の所為だろうか。眉間に皺が刻まれたしかめっ面で、固く腕を組んだ姿。近寄りがたさすら絵になる男だが、ここではないどこかを見るような眼差しはそわそわと落ち着かない。情緒不安定?あのハインライン大尉が?
「か、艦長。大尉、どうしちゃったんですか?」
どうせハインラインには聞こえているんだろうけど(そして無視されるんだろうけど)、一応声を落とし、こそこそコノエの元に尋ねに行く。
「んーー。特定人物とのコミュニケーションに際し壁にぶつかっている……とでも言ったものかね」
「特定人物?」
「そう。その件で、仕事とは別に相談を受けていたんだ」
君も知っているだろう、とコノエは肩を竦める。
「ノイマン大尉さ。任務や技術的な話し合いで会う機会は増えたんだけど……もう一押し、親密になりたいらしくてね」
「はぁ~~…… ぁあ~~~!」
間抜けな声が出てしまったが、ようやく要点を掴めて、ぽん、と手を打つ。
オーブから出向してきた艦船操舵士、アーノルド・ノイマンに「卓越した技術と判断力を併せ持つ逸材」として興味を示し、この技術大尉が質問攻めにする一幕は一部で有名だ。
アーサーの反応に「そうそうそれ、」と言いたげに、コノエは頷く。
「最初は若干引かれてたけど、業務上のやりとりは随分スムーズになってきたんだ。そこまではよかったんだけど、プライベートの付き合いにうまく運べないらしい。ここ数日苦労して同じ日に休暇が取れるよう調整したのに、結局遊びに誘えなかったんだって」
「はえーー、そんなことが」
まさかこのハインラインが、ビジネスライクと知的好奇心の垣根を越えて親密になりたいとは。
ファウンデーションとの一戦後、輪をかけてご執心だとは知っていたが、それは能力だけでなくノイマン個人のパーソナリティにまで及んでいたのか。
青天の霹靂とはこのことだろう。
神が如し天才も、きちんと人の子だったのか。
(ノイマン大尉かぁ)
その『特定人物』であるノイマンの事を思い出す。経験実績は十分。自分などより随分胆の据わった軍人だ。時折覗くシビアさは経歴を考えれば当然だが、身内にはきさくで頼られるのを厭わない様子が、とても好感が持てた。
「……あれ?」
「どうしたね、アーサー」
「あの人って、そこまで気構える必要のある人ですかね? 大尉は何に行き詰まってるんでしょう」
「というと?」
考えを自分の言葉で述べてみたまえと、コノエは促す。
「え~っと。ノイマン大尉は話していると、しっかりしていて筋が通ってる感じで。基本は穿った考えはせずフェアな人で。いい事はいい、悪いことはよくないってちゃんと言う人で……だから見てると、大尉との仕事もミーティングも円滑に進んでるんじゃないですか」
「確かに。アルバートのあの圧力迫力に屈して自分の意見が言えない……なんて逃げ腰な性格じゃないね」
「はいっ。大変な経験してるのに、陰険さや卑屈さもあまりないというか。サバけた感じなので……かつての敵対戦艦に乗艦していた自分とも、もう自然にやりとりしてくれますし!」
「そうか。かつての所属・陣営というレッテルではなく、アーサーの個を見て受け入れてくれたわけだ。それは喜ばしいねぇ」
「はい!嬉しいです!」
コノエに笑ってそう言われると、改めて思う。コンパスは大変な使命を持つ組織だが、かつて敵対した相手と仲間になれたのだ。殺し合うより、ずっといいじゃないか。おめでたい頭と言われようが、来て良かった。
「だから、ハインライン大尉と私的な時間に移っても、軍務の時と同じように真摯に向き合ってくれる。そんな誠実な人物だとアーサーは言いたいんだね」
「仰るとおりです。仕事中とプライベートで相手への態度をガラッと変えちゃうような人じゃないですよ。だから、いつもどおりお話すればいいんじゃないかなと」
「あなたに言われずとも理解しています」
二人に勝手に話させていたが、ようやくここでハインラインは口を挟んだ。
「彼は……そんな心の狭い人間ではありません」
「わかってるならなんで声かけられなかったんですか?」
「あなたには関係ない」
「えぇ~~~っ?」
「勇気を振り絞って誘うんだ。断られた時のことを想像し、臆病になって言葉が詰まるのも仕方ないよ。相手が本命ならね」
「余計なことを言わないで下さい!艦長!」
「なーんだ、緊張しちゃったんですかぁ。ハインライン大尉も可愛いところがあるんですねー!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「こ わ い ! 怖いです!無言で睨まないで下さいよぉ!」
今にも舌打ちしそうな眼光で「馴れ馴れしくするな」と睨めつけられ、アーサーは咄嗟にコノエが座るソファの後ろに隠れた。
「アルバート、やめなさい」と嗜めるコノエは、背後にやってきたアーサーの言葉を反芻しているようだった。
「でもアーサーの言う通りだ。今回に関しては複雑に考えない方がいい。アルバート、私から見てもノイマン大尉は同僚として仲間として、君のことを受け入れてくれたと思う。親しくなった仕事仲間と出かけるのは何もおかしいことではないよ」
「そっ、そーですよ!もっと気軽に誘ってみましょうよ」
アーサーの言葉が届いたかは怪しいが、人として敬意を払っているコノエの太鼓判はかなり効いたらしい。ハインラインの冴えた青い瞳は、ここでようやく打開策を求めて前を向いた。
「ですが、いつどうやってその話に持っていけば、」
「ふむ、話を切り出す具体的なタイミングか……アーサー、君ならどうするね?こんな時」
ソファの背もたれから頭をのぞかせていると、ちょうどコノエの顔が近くにくる。
こちらへ振り向いて問うコノエの顔は、まるで授業中に例題を解く生徒を当てる教師そのものだ。
「えぇっ、自分ですか? え~~~っと……」
ハインラインの厳しい視線を窺うと顔が「貴方如きが僕にアドバイスを?」と雄弁に語っている……が、コノエが気を利かせて「自分では妙案が浮かばないのでアーサーの意見を聞いてみた」という体裁を取っているので、何も言わない選択をとるようだ。
(め、面倒くさいなぁ……ハインライン大尉)
「じゃ、じゃあ例えばですけど。ノイマン大尉とのお仕事が終わったとするじゃないですか。お疲れ様でした~の流れで『よければ一服どうぞ。驕りますよ』って、コーヒーなど差し入れる……」
「簡易的だけど『一緒にお茶をする』という形にはなるね」
「はい!これを何度か重ねれば『この人とは既に一緒に飲食したことがある』って経験が相手の意識に残ります。オフでお茶や食事に誘った時ハードルが下がるかも……。勤務時間外ってのもミソで、直前に終わったお仕事以外の話を蒸し返さず、色々私的な会話へ持っていきやすいんじゃないでしょうか。それこそ、『次のお休みどうされます?』『ご予定ありますか?』とか」
「……そもそも驕りに遠慮を示されて、会話にならなかったら?」
まだ若干訝しげだが、今度はハインライン自らこちらへ問いを投げかけてきた。
「またよろしくの気持ちです~って渡せば、ノイマン大尉は嫌がりませんよぉ。その場で一緒に飲まなくてもコーヒー渡すだけにして、『じゃあ、今度は奢って下さい』って、逆に次の約束をとりつけるんです!」
「おぉ……、スマートだ。金銭や物の貸し借りで生まれる遠慮をとんとんにするという口実で、次の機会をちゃっかり手に入れると」
「そうです!あと単純に、一緒にゆっくりする時間が増えるのも(大尉にとっては)嬉しいんじゃないかと…… ど、どうでしょう?」
「うんうん。それくらいならアルバートも実践しやすいんじゃないかね? 気軽に自然に、だ。 それにしてもアーサーは老若男女、色んな部署のメンバーとコミニュケーションをとるだけあって、こういう事には慣れているねぇ。流石だ」
「えぇっ!? き、恐縮です……? えへへ……」
色々と迂闊な人間なので、こんな風に褒められることはお世辞でも滅多にない。それも相手は上官のコノエとあって、アーサーは年甲斐もなく嬉しくて、へらりと頬が緩むのを必死に抑えようとした。
―――そのコノエはお世辞でもなんでもなく、「コミュ力お化け、というやつだなぁ…」と内心舌を巻いていたのだが。
「自然。気軽に……」
当のアルバートは、今の話を脳内でシミュレーションしているのか、口元に手を当ててぶつぶつと呟いている。
「………それで本当に、違和感を抱かれる事なく、彼との距離を縮めていけるでしょうか」
ようやく。暗中模索の中見出した光明に縋るように、ハインライン大尉は零した。
いつもより固い声にはしかし、噛みしめるような期待が籠もっている。
「大尉、何事もトライ・アンド・エラーだ。君の天職と一緒だよ。いっそノイマン大尉の人柄に身を委ねる気持ちで、やってみなさい」
迷える生徒を導くようなコノエの後ろで、アーサーも思わず拳を握る。
「大丈夫ですよっ、ハインライン大尉!」
実際、仔細を知らなかったアーサーの目にすら、最近の両大尉は『よき同僚』に映っていた。決して無理難題ではない筈だ。
「―――わかりました。では今お聞きした一連の手順を細分化し、ノイマン大尉がどのような反応をしても対処出来るよう何通りものシュミレーションを行い、明後日のミーティングに備えます」
すっかり通常モードに切り替わったハインラインに対し、「だから気軽にだってば」と、アーサーとコノエは言いかけたが、せっかく本人の気持ちが前向きになったのだ。水を刺さないようここは飲み込む。やはりアルバート・ハインラインはこうでなければ。
「トライン副長。一応礼を言っておきます」
「へっ。 ええぇっっ!!??」
しかし、次にハインラインが軽く会釈を返したのには、アーサーもいつもより割増で飛び上がった。
自分の求める基準に達しない無能には、上官だろうが話す時間すら惜しいと態度で語って久しい天才が!(上から目線とはいえ)自分にお礼を言うなんて!
コノエは「もっと言い方があるだろう。せっかく色々考えてくれたのに」と嗜めているが……、アーサーとしては急にハインラインに敬意を払われてもおっかないので、これくらいで丁度いい。
「いえいえっ!自分はそんな大したこと言ってないです! それより明後日、がんばってくださいね、大尉!」
心からの気持ちで、アーサーはエールを贈った。
艦長室は、ようやく和やかな空気に包まれた所だった。
「僕の時はそんな感じで誘ったら、なんかオッケーしてくれましたよ!ノイマン大尉!楽しくごはん食べました!
そしてその直後、氷点下まで下がった。
「・・・・・・・・・ は?」
その直後、ミレニアムでも指折りに安全であるはずの艦長室の方から、破壊音と断末魔が聞こえてきた。たまたま居合わせたクルー達は、すわ何事かと身構える。
艦長室からは這々の体で副長が飛び出してきた、それを追うように「アーサー! 呼ぶまでどこかに隠れてなさい!」と、泰然自若のコノエらしからぬ切迫した声が放たれた。
「で、でも! 自分の失言のせいで艦長にお手を煩わせるわけにも、」
「そんな事はいいから今は離れなさい! アルバートが収まるまでは!」
アルバート、とは天才・鬼の技術大尉のことか、と目を合わせるクルーたち。
その答え合わせのように怨嗟の声が響いてくる。
「貴様ァ……!私をさしおいて、よくものうのうとノイマン大尉と食事を!」
己を羽交い締めにする白服艦長を引きずりながら艦長室から姿を表すハインラインの顔は、トライン副長でなくとも震え上がる程だった。
白皙の美貌にピキピキと筋が浮かび、目が爛々と剣呑な光を放つ。
淡くウェーブを帯びている筈の金髪が熱気で逆立っているように見えるのは幻覚か?
廊下に尻餅をつく副長を指差しながら、ドスの効いた怒声を撒き散らしている。
「貴様!? とうとう副長ですらなくなったぁ!」
「やめなさいアルバート!流石に逆恨みだ!」
あのコノエのフォローすら、今のハインラインにはちっとも届かない。獣のような荒い呼吸を吐いて、すっかり我を忘れている。
「だ、だって、夕方ばったり会って、お互い昼食抜きでお腹が空いてて、同い年だからもっと話したいって思ってたけどなかなか時間合わなかったね~~って流れになってぇ~~~!」
「アーサー!君ももう黙ってなさい!(何故焼け石に水を注ぐんだ君は!)」
「黙れ! 覚悟しろ、アーサー・トライン。 ミレニアムの中にいて私から逃げおおられると思うなよ……!」
「ひぃぃっ! ごごご、ごめんなさーーい!!!」
何度も転びそうになりながら逃げ出していく副長を、物陰に隠れたクルーたちは真っ青な顔で見送った。
後には唸り声を上げる技術大尉とそれを苦心して鎮めようとする、我らが艦長が残された。
正直、見なかった事にしてこの場を離れたいが……世界平和監視機構コンパスの一員として、その主戦力である最新鋭艦のクルーとして。艦の司令官が体を張っているこの惨状を見過ごしてよいものか……。
ミレニアムの進退は、善良かつ不運な一兵卒たちに託されることとなった。