CHARGE! ミレニアム内の自室で、ノイマンは目を覚ました。
〈ハロハロ! アラーム鳴動、一時間マエ!〉
すぐに持ち主の起床をセンサーで察知した健気なロボットが、コロコロと顔の横に転がってくる。
〈ハロー!アーノルド、ニドネー?〉
「いや、もう起きるよ」
シーツの上でゆらゆらと揺れた後、ハロは〈アラーム オフ!〉と告げた。両手に収まる程度の球体は学習スピードが早く、どんどん指示パターンや言語を蓄積・精査していく。作成者に似て優秀だ。腕を伸ばし、つるりとした表面をぽんぽん撫でてやりながら、のそのそと体を起こす。せめて次の仕事までと取った仮眠だが、心身共にスッキリしない。眠りも浅かったように思う。
―――なんとなく理由はわかっている。寝る前の一件が心のどこかにずっと居座っていたのだろう。
地上での作業を終え、ミレニアムは本部へと寄港した。
アプリリウスの宇宙港に停泊後、作業の引き継ぎを終えたノイマンはミーティングまで休息をとるように言われた。今回の役割はメインクルーのサポート。あくまでサブだったが、合間合間にやることはいくらでもあった。しかし休める時に休むのも仕事、とは経験則。有り難い時間は仮眠に当てようかと、固くなった肩をほぐしながら艦内を移動していた。
(小腹が空いた時の為に、何か部屋に持ってくか)
途中立ち寄った食堂で持ち帰れる軽食を見繕い、自室に戻ろうとした。
「―――……から、前も話した…ろう?」
なにやら穏やかではない声音が聞こえたのはその時のこと。食事提供カウンターの隣、ドリンクサーバーを挟んだ奥にある、パーテーションで区切った半個室が並ぶ休息ブース。そこから覗いている背中の制服は同じ色、背格好から歳は同じくらいか少し下か。
(揉めごとか……? いや、)
話相手はそこにはおらず、ビデオチャットのようだった。隠れ聞いてそれを察するまでの間に、彼はプラントから出向したコンパススタッフであること。通話相手は彼の友人かつ、恐らくはザフト軍の兵士であることがわかってしまった。
(これ以上は盗み聞きだな)
その場のトラブルでないならと立ち去ろうとした時に、聞こえてしまった。
『いつまでナチュラルの奴らに合わせるつもりだよ、さっさとザフトに戻ってこい』
足が動かなくなった。周囲に人影はない。ボリュームを落としても辛辣に響くその言葉を聞いたのは、おそらく自分だけだ。通信相手は、強い語気に蔑みと不快感を込めていた。
ナチュラルへの偏見。そのナチュラルとコーディネーターが、一つの組織を動かすというコンパスへの不信と不要説。そして、先のファウンデーション戦での『一部のナチュラル達のスタンドプレー』への非難。
苛立ち、痛み、後ろめたさ―――一言言いたい気持ちと、否定出来ない部分。ノイマンの内側には、あの戦いの記憶と共に様々な感情が混ざり合っていくようで。ただ気配を消して、手にしたパウチバックを握りしめるしか出来なかった。
『あんな奴らを信じるなんてどうかしている!大戦であんなに同胞を殺した艦の奴らだぞ。そいつらがザフトの技術を費やした艦を奪って、今回だってやりたい放題じゃないか。それで本当に組織と言えるか⁉』
そこまでが限界で、その場を後にした。無意識に舌を噛み締めながら、自室のベットにふて寝するように転がり込んだのだ。
「あ~~~………ッ」
ベッドの端に腰掛けたまま、溜まった鬱憤を吐き出した。
別に万人に理解して貰いたいわけじゃない。結果がどうあれ、この艦をハイジャックしたのも、好き放題したのも事実は事実だ。勝ったから赦されているという点は忘れてはいけない。これからは模範となる実績、任務の態度で、コンパスの内外から信用を取り戻していくしかない。やることはわかっているのに、ザフト兵の正論が、どうにも今の自分には重く伸し掛かったままだ。
(彼は、俺たちを信じてくれたのに、)
きっと自分たちより付き合いが長い筈の友人に、彼――コンパススタッフは言ったのだ。
「……君にこんな事を言うのは辛いけど、そういう言い方はやめてくれ。俺は合わせてなんかいない。コンパスにいる人はリスペクトにたる人たちばかりだよ。多くの各セクションの人が、だ」
「先の戦いで、その考えは強くなったよ。俺は今、ここで、彼らと互いに出来ることで補い合って、任務にあたっている。まずは、今はそれだけだ。スムーズな事ばかりじゃないが……今はまだプラントを外から見て、一つ一つ考えたいんだ。
『彼ら』とのことも」
だからまだ原隊に戻るつもりはないと、彼ははっきり伝えていた。友人の極端な物言いに慣れている節もあったが、声には鎮痛さが滲んでいたかもしれない。結局顔も見れなかったそのスタッフと面識はない。どんなきっかけかは知らないが、彼は自分たちを擁護し、信頼してくれていた。考えも立派だ。
そして、彼のような理解者の誠意に甘えてばかりもいられない。
(能力や出来ることが違っても、人として。俺は『あいつ』と対等でいたい)
〈アーノルド、オコナノ~?〉
「……オコ? あー、いや。怒ってるんじゃない」
〈ハロ~~…… マダ ヤスムー?〉
「いや、早いけど支度をしよう」
膝を打って立ち上がり、シャワーへ直行した。少し熱めの湯を浴びれば、全身の血行と同時に思考も動き出す気がした。鏡に映った顔はまだ冴えないけれど、時間は待ってくれない。仕事はこの後もあるのだと自分を叱咤する。
やること。やると決めたこと。やりたいこと。
「…………、」
ぱん!と両手で頬を叩いてシャワールームを出る。髪をさっと乾かして新しいシャツに着替えながら野菜ドリンクのチューブを啜った。本当はシャワー同様、熱いコーヒーをカップでといきたい気分だが仕方ない。持ってきたサンドイッチを平らげながら身支度を整え、会議のデータを端末とハロでチェックして、必要な物を持って部屋を出た。二枚のカバーを器用に動かしてハロもついて来る。
〈ハロハロ! ブリーフィングルーム、ハンタイ!ハンタイ!〉
「そうだよ、これは寄り道」
居住区画を出ると、無重力エリアになった。やがて艦内の後尾、格納庫の近くまで来たところで震え上がるような叱責が聞こえてくる。
「―――おい!そこ!寝ぼけているのか さっさと移動させろ!」
どうやら我らが技術大尉は、今日も絶好調のようだ。
・・・・・・
搬出・搬入のチェック完了。
周囲では技師や運搬スタッフが動き回っており、今日の格納庫は特に忙しない。タブレットに表示した機材リストを自分でも確認しつつ、この後の段取りに微調整を加えていく。
「アイボリー、三十分後に作業を再開しますよ。それから、開発部に例の進捗を急かしておいて下さい」
肘を置いた大きな球体を、指先でコツコツと叩く。カラーでの識別コードは今のところ仮のものだ。
〈ハロ! 了解!〉
暫くはミミミ、とデータを読み込んでは送信する微かな音が聞こえていたが、突然アイライトがチカチカと点滅する。
〈ハロ!友軍!セッキンチュー!〉
何事かとタブレットから顔を上げたその時、見覚えのあるネイビーブルーが視界の脇をスーッと掠めていった。
「おや?」
〈アルバート!アルバート!ハロハロ~!〉
自分の大型ハロにコツンとぶつかり、反動でまたくるくると宙を舞う小型の別タイプ。このブルーの個体は、自分がザラ一佐から「お役に立てば」と譲ってもらった設計図に改良を加え、恋人に贈ったものだ。兄弟機がぱたつかせる大きなカバーにじゃれ合いながら、無重力下を楽しんでいる。
「どうしたのです?こんなところに」
そのままハインラインの手の中にやってきたブルーに尋ねると、〈ヨリミチ!ヨリミチ!〉と威勢の良い応答が返ってきた。こちらの疑問には微妙に答えていないが。
〈ハロ~……、アーノルド、オツカレチャン~〉
ふむ。寄り道はともかく、お疲れちゃん、とは?
「おまえ、彼についてオーブに行くようになってから、どんどん変わった言い回しを覚えますね……」
まじまじと目の前に掲げる。自分の個体とはすっかり違う趣の語彙パターンを確立しつつあるようだ。さて、その持ち主も近くにいるはずなのだが……。視線を巡らせると、ブルーが来た方向から彼の人がゆっくりと向かってくる。
「ノイマン大尉」
仕事中はこちらで呼ぶのが二人で決めたルールの一つ。
悪くない、と思っている。
彼と出会った時から呼んでいるから馴染みがあり、そしてプライベートで名前を呼び変える時の喜びもひとしおになる。
彼も宇宙船活動が長いので無重力下は慣れたものだが、今は少し勢いがついているようだ。ブルーをアイボリーの方へ転がし、宙へ両手を差し伸べる。まもなく接近した彼も、ごく自然にその手を取ってくれた。キャッチ。とん、と手から腕へ、そして全身に伝わる一人分の重みが心地よい。
「―――っと、ありがとう」
「いえ、こちらまで来て下さって。如何されましたか?」
ブルーは「お疲れ」と言っていたが……、見た限り彼の疲労具合はわからない。元々夢中になるとよく生活習慣が乱れる自分と違い、ノイマンは自己管理がしっかりしている。何より、忍耐強い。
「ちょっとな。今、少しいいか?」
「ええ、もちろん……?」
今度は逆にノイマンがこちらの手を引いた。場所を変えての話ということか。コツコツとじゃれあいながら無線でもデータを交流させるハロたちから離れ、二人は格納庫の隅に向かう。機材や配線の影の奥、防犯安全用のカメラの死角でもあった。
大人男二人ともなるとやや狭い。キャッチした時より近づいたので、ノイマンの肌つやがすっきりしているのに気付いた。シャワーを浴びたのかもしれない、と少々下心をときめかせた瞬間は確かに油断していた。
「――― ッ!?」
完全に二人きりになった空間で、ノイマンが思いっきり抱きついてきたのだ。勢いが強すぎて背後の壁にぶつかる。
「ノ、 あ、アーノルド…!?」
もしや本当に具合が悪いのかと刹那背筋が凍ったが、どうやら違う。
「んん―――………」
きゅうきゅう、と肩に背中に回される腕。窮屈さより心地よさが勝る密着具合。時折顔の角度をかえて、胸元や肩へぐりぐりと押し付けてくる。すぐ側で聞こえる声は、唸っているのではない……
(これは、あれでは……)
一緒の朝。自分が早く起きた時たまにだけ聞ける、まだ半覚醒の無防備な声……察した途端、ドッと全身の血流が激しく巡る気がした。
―――いつもは自分が彼にしている、熱烈なハグ。
「ど、どどどどどどうしたのです!?!?」
心臓が破裂しそうなほど脈動しているのが、間違いなく彼にもバレてしまっている。だが仕方あるまい。あの!公私でもしっかり者のノイマンが、すぐそこに第三者がいる場所でこんな事!
「はは、すげぇどもってる。 なあ、お前この後は何するの?」
「はい!? えっ??」
この行動と今の発言に、何ら関連性が見出だせない。やはり彼は自分にとって未知の可能性を秘めた存在……とパニックのあまり逃避しだした思考を、必死に引き止める。
「す、スタッフと……搬入物を開封して、急ぎの機材や装備は設置と稼働のチェックをして。今晩中にこちらのデータを移行し、起動テストを。その後も色々と……」
「おー…… 」
スーーーッと、何やら吸い込む音がするのは気の所為ではない。さっきから彼は合間合間で自分を吸っている。
(吸……何を?服か髪か。何故に??? 最後にシャワーを浴びたのはいつだ。できればそれなりに動いていて汗の匂いもすると思うので、ご容赦願いたいのですがアーノルド…… ああ、!それにしても体温が!あなたの匂いが……!)
「大変だな……」
「え。ええ、まあ。 しかし私の仕事ですので……」
度重なるイレギュラーに、自慢の頭脳はショート寸前で。彼がこんなことをしているワケを知らねばという理性と、そんなことよりこのまま彼の温もりに身を委ねてしまえという欲求がせめぎあって。
「そうか ……」
「あ、アーノルド?」
きゅう、と。とどめのように強く抱きつかれた。掻き毟るような手のひらの動きには、勘違いではなく親愛がある。
ぐっと、心臓ごと掴まれる。嗚呼、己は生殺与奪を握られているのだ、この人に!
ふは、と溜めた息が耳元を掠めて、ぞくりと首から背中へ電流のような痺れが走る。
やがて、丸い頭が傾いて、こてん、とこちらの頭蓋を揺さぶった。
「 お前の、そういうのがスッと出てくるとこ、ほんと尊敬する 」
―――今、何か……?
「・・・・・・・ よしっ!」
された時と同様、突然ぱっと代えがたい温もりは離れた。密着の間見れなかったノイマンの顔はというと、いつものきさくな笑みを浮かべている。
「ごめんな。仕事中に時間とらせて」
抱きついてできたこちらの軍服の皺をササッと伸ばして型を整えて。髪をいつもどおりに流して。はい、完成。
「ありがとうな!俺もがんばるわ。あ、これお礼」
呆然とするこちらの手に何かを握らせて、てきぱきと彼は物陰の外へと向かっている。
(え、待ってくれ。本当にもう行ってしまう?)
「あ、アーノルド、今のは一体……」
「んー、 充電!」
わけがわからない。何なのだ。あってたまるか!この自分が理解不能など。それも恋人のことで……なのに。
「じゃあ、またあとでな!」
―――そんなに晴れやかな笑顔を見せられては、また何も言えなくなってしまう!
「いくぞ~、ハロ」
ブルーを呼び寄せて、ノイマンは吹き抜けのフロアをすいすい上がって行ってしまった。
〈アルバート! ゴキゲンヨウ~~!〉
「お前そんなのどこで覚えた?」
後には、物陰で一人呆然とするハインラインだけが残される。
「……………」
なんだったのだ、今のは。
充電?手に握らされた物を見ると『Charge Vitamin』とプリントされたゼリー飲料だった。
「? ? ?」
アイボリーの元に戻るべく、ふらふらと物陰から出ると格納庫を照らす工業ライトがハインラインを照らす。まるでフラッシュのようなその鮮烈さに目を眇めたその時、ただ一つだけわかったことがある。
「――――しまった!」
意図がわからずとも、アーノルドからのハグとあらば自分も抱きしめ返せばよかったのに!
「なんて勿体ないことを!くっ……我、一生の不覚ッ!」
膝を着き床を拳で叩くハインラインの側に、アイボリーがやってくる。
〈アルバート、ダイジョウブ、カ~?〉
さらにそんなハインラインを呼ぶ、開発スタッフの声も聞こえ始める。
作業に 戻らなくては。まだ余韻が全身に残っていたとしても。
彼もがんばると言っていたから……ならば自分も。
まだまだ仕事は山積みだ。
・・・・・・
「お疲れちゃん」はチャンドラさんから。
「ごきげんよう」はピンクちゃん由来の蓄積データ(つまり総裁)から出てきた言葉。
カラーリングでのお名前は仮。お互いのハロちゃんへネーミングを考えてるところ。でも色呼びがもう慣れてきてしまった。
〈ワレ!ハロ! ナマエハマダナイ!〉