犬も歩けば猫に出会う「俺……もう、だめです……」
「が、頑張れ、南風……! おい、見ろ! 助かったぞ!」
有能なパイロット二人とは思えぬ足取りで、風信と南風がよろよろと這うように歩いているのは、寒風吹きすさぶ山奥の雪原――ではなく、古めかしい石造りの建物が立ち並ぶ石畳の通りだ。――寒風は吹きすさんでいるが。
古い旧市街は、よそ者を嘲笑うかのように曲がりくねった道と複雑な交差路が張り巡らされている。夜のフライトまで時間があった二人は、この見知らぬ街で買い物にでも行こうと軽い気持ちで繰り出した。だが、朝から歩き続けているのに、目指していた店は一向に見つからない。中心部を外れると、何か食べる店すら見つからず、もうとうにランチの時間も過ぎている。
悲し気に鳴る腹を擦りながら、南風は風信の指さした先を見た。
「カフェ……!」
二人は、吹雪の中で山小屋を見つけたかのように、店のドアを開けた。
こんな裏通りなのに、店内は混んでいた。運よく空いていた二人掛けのテーブルに案内されたところで、突然風信がぎくりと立ち止まった。背中にぶつかりそうになった南風が後ろから覗き込む。
「あっ……!」
風信の野太い声に、隣のテーブルの客二人が揃って顔を上げる。
「えっ……!」年の若い方が目を丸くする。向かいに座るもう一人も驚いたように口を開けた。
「慕情、なんでここに」「扶揺、なんでお前が」
南陽航空の二人の声に、テーブルから「それはこっちのセリフだ……!」と二人の声が返ってくる。
「お知り合いでしたら――」横から店員が声をかける。「テーブル、お付けしましょうか?」
「結構です!」
四人から同時に否定された店員は、すごすごと引き下がった。
風信と南風がどすんと椅子に腰を下ろすのを、隣のテーブルの二人は差すような目で見つめた。
「そういえば、空港に南陽航空の目ざわりな飛行機がとまっていたが、あれお前たちだったのか」慕情が目を細める。
「どうりで駐機の仕方が不細工だと思った」
風信はふんと聞き流しながらメニューをさっと手に取った。「南風、何にする」
南風は、メニューを一瞬見たあと、横のテーブルを見た。
「扶揺、それは?」
玄真航空の二人のテーブルには、三段重ねのトレーが置かれている。
扶揺がニヤリと笑う。「アフタヌーンティーセット」
ふーん、と言ったあと南風は風信の方に顔を戻した。
「俺たちも、アレにしません?」「……は?」
コーヒーとサンドイッチか何かで済まそうと思っていた風信は思わず聞き返した。慕情がハハっと乾いた笑い声を漏らす。
「諦めろ、南風。風信の奴ではこんな洒落たものは手に負えん」
風信は目を怒らせて横を睨みつけたあと、通りかかった店員を呼び止めた。「アフタヌーンティーセットを」
慕情がぐるりと目を回して見せた。
二つのテーブルの間の沈黙が居たたまれなくなってきた頃、風信と南風のテーブルにトレーが運ばれてきた。店員がうやうやしくカップに紅茶を注ぐ。
南風は目を丸くすると、カバンからスマートフォンを取り出した。
「何をしている?」風信が聞くと、南風はきょとんとした。
「食べる前に写真撮ってるんですけど」「写真?」
撮るよな? と南風が隣の扶揺に聞くと扶揺もコクコクと頷いた。
「最近の若い奴らはそうなのか?」思わず風信が横を見ると慕情は眉を上げた。
「お前は撮らないのか?」「……え」
「年寄り」慕情が口の端を上げると、風信はむっと口を曲げた。
「食べ物を撮ってどうする。さっさと食べるものだろう!」
風信はゴクリと紅茶を一口飲むと、トレーを覗き込んだ。一通り撮り終わった南風もごくりと唾を飲み込む。
「美味しそう……! 俺腹ペコなんです」
「お前、それをがっついて食べたりしたら……」扶揺が隣から見下したような視線を投げる。慕情も腕組みをして冷たい視線で隣のテーブルを見る。
「ここのアフタヌーンティは有名なのに、何も知らない犬どもに食べられるとは気の毒だ」
隣から送られる冷たい空気を無視して風信が手を伸ばす。
「おい風信、下からだぞ」慕情が言う。
「わかってる! 俺だって初めてじゃない」
「へえ、お前そんな洒落たことするのか」
「子供の時のことだ」風信が言うと、「このお坊ちゃんめ……」と慕情はそっぽを向いた。
風信が一番下のトレーに手をのばす。小ぶりなサンドイッチは、一口で風信の口の中に消えた。
南風も一つ取ると、指先でパンをめくった。
「キュウリ?」眉根を寄せる。隣からふんと鼻を鳴らす音がして、南風はむっとしながら、それを口に放り込んだ。
瞬く間に一段目は空になり、二段目のスコーンも、みるみるうちにすきっ腹の二人の腹に収まった。
「ちゃんと味わって食え」隣から慕情が嫌そうに顔を顰めながら囁く。
「味わってるさ」指についたクリームをちろっと舌先で舐めながら風信が言う。
「確かにここのは、味が違うな」
「美味しいですね」南風も嬉しそうに笑う。
三段目を前にして、風信と南風は「ふーむ」と呟いた。三段目には、綺麗な装飾が施された小ぶりのケーキらしきものが載っていて目移りしてしまう。しかも、見ただけではどれが何かさっぱりだ。
風信がとりあえず手前のものを摘まんでそっと口に入れる。
「……上にのってるの、なんでした?」南風が尋ねたが、風信は無言で首を傾げた。
「甘いものがお好きな機長にもわからないとは……!」感心か落胆かよくわからない南風のセリフに風信は眉を下げる。隣から吹き出す声が聞こえた気がしたが風信は無視した。
「苺のゼリー、か…?」もぐもぐと口を動かしながら風信が言う。
「フランボワーズのジュレだ、馬鹿」
隣で同じものを一口齧りながら慕情が言う。「これぞまさに豚に真珠」
風信も黙っておられず、さっと横を向いた。「いい加減黙れ!」
慕情もぐっと眉を上げる。
「まったく、せっかく扶揺と二人で優雅な時間を過ごそうと思ったのに、下品な犬の乱入で台無しだ」
「こっちも、せっかく美味いものにありつけたと思ったら、嫌味な猫の横で食わにゃならんとはな」
テーブルの間で、優雅な空間には似つかわしくない火花が飛ぶ。
「お前たちに台無しにされるのは嫌だからな。こっちはこっちで愉しませてもらおう。
慕情はテーブルの方に向き直り、フォークでもう一つケーキをとってゆっくりと口に運ぶ。
「お、扶揺、これも美味しいぞ」
「ほんとですか? では私も……」扶揺が目を輝かせる。
「うむ」慕情はもう一つの方をフォークに差して、腕を扶揺の方に伸ばした。扶揺も少し身を乗り出し、それをパクッと口に入れた。
「美味しいですね。チョコレートが甘すぎないのが丁度いい」
「だろう? これぞフルーツとチョコレートの最高のマリアージュといった感じだな」
ぽかんと口を開けてそれを見つめていた風信は、視線を感じて顔を前に戻した。
南風が仔犬のような目で風信を見つめていた。その顔が何を強請っているのかは一目瞭然だ。
「……だ、だめだ」風信は目を泳がせる。だが、南風の熱い視線に折れた。
風信はフォークを手にすると、一つをぐさっと差し、南風の方に突き出した。南風が嬉しそうにぱくりと口に含む。
「張り合ってどうする」
慕情の声に風信の頬がさっと赤らむ。「いちいち絡んでくるな!」
もぐもぐと幸福感に浸っていた南風は、スマートフォンの画面に通知が光ったのに気づき手元を見た。
『ほんとに来るとは思わなかったぞ』
南風はちらりと横目で隣を伺ったが、扶揺はスマートフォンを持って、素知らぬ顔をしている。
『偶然だ』
風信が慕情との言い争いに夢中になっているのを見て、南風もこっそりと返す。『まさか本当にお前たちと一緒になるなんてな』
『まあでも、良かったな』
二人の視線の先では、有能と誉れ高い機長二人がピンクのマカロンを手に互いを詰り合っている。
同時にカメラのシャッター音がなったことに、当の本人達は気づいていなかった。