「それ、おいしそうですね」
隣の操縦席から南風が横目で風信のほうを見る。
「これか? ああ、うまいぞ」
風信は、手の中のチョコレートを口に放り込んだ。
二人の目の前には綺麗な青空が広がっている。大気の様子を知らせてくれる程度には雲があり、だが避けねばいけないような危険は見当たらない。気を抜くことはできないが、自動操縦に任せ、穏やかな時間が流れる。
「一つくださいよ」
南風の声に風信は短く答える。
「だめだ」
不服そうな顔をする南風をちらりと見る。
「同乗するパイロットは同じものを口にしてはいけない。知ってるだろ」
「ええ……でもお菓子くらい……」
「もし、これに毒が入ってたらどうする」
「そんな……それに、風信機長がいま食べててなんともないじゃないですか」
南風が食い下がる。
「遅く効く毒かもしれんぞ。それに、今食べたやつが大丈夫だっただけかも」
そう言いながら、風信はもう一粒を口に入れる。
「いいか、南風。パイロットは常に——」
「あらゆる可能性を頭においておかねばならない、わかってますよ」
南風はサングラスを上げ、目を細めて風信の手元の箱を確認した。
「わかりました。じゃあ、今度俺も買おうっと——」
「いや、これ期間限定だからなぁ。コンビニですでに安売りコーナーにあったから、まだ売ってるかどうか」
「ええー、そんなぁ」
南風の口がへの字に曲がる。
「焦がし生キャラメル……絶対おいしいやつじゃないですか」
別に高級チョコレートでもなく、普通にコンビニで売っている箱菓子だ。だが、暖かな赤茶色の箱に描かれたチョコレートと、とろけるキャラメルの絵に南風の喉が鳴る。もちろん、その先で美味しそうに咀嚼する風信の顔が、南風の喉から伸びる手をさらに長くさせていることは間違いない。
「あ、じゃあ——」
だがそこで折よく管制から無線が入り、風信が対応する。南風も画面と手元のタブレット端末を確認する。しばし静寂が流れたのち、南風が口を開く。
「じゃあ着いたら一個ください。着陸してからなら——」
「悪い、これが最後の一個だ」
風信が親指と人差し指で摘まんだチョコレートは、フロントガラスごしの眩い日光を浴びながら、無常にも風信の唇の中へ消えていく。
「ひ、ひどい……!」
「今日の食事、軽かったから腹がへってるんだ」
「だからって……」
チョコレートで膨らむ風信の頬をみて、南風の頬も膨らむ。
「あ、いいこと思いつきました」南風がにやっと笑う。
「いま機長の口の中にあるやつをください。それなら安全確認済んで——」
「はあ?!」
思わず口からチョコレートが飛び出そうになり、風信は慌てて口を押さえる。
「おまえ何を言って……っていうか、そんな馬鹿なこと言ってないで、操縦を担当してる時は常に計器の確認をしろ……!」
「ちゃんと見てますって。異常なしです」南風が冷静に答える。
「機長もちゃんと確認……」
と、その時、後ろからぷっと吹き出す声がした。二人がさっと振り向く。
「いやはや、ほんとに君たちは」
操縦席の後ろの補助座席で面白そうに顔を歪めているのは、風信よりも少し年上の機長だ。今日は三人体制のフライトだった。
「……まだお休み中かと……!」
「いやあ、君たちを見ているほうが気分転換になる」
気まずさで死にそうな顔の風信と、急いで前に向き直った南風の真っ赤な耳を見比べて、クスクスと笑った。
「どんなチョコレートよりも甘かったよ、ご馳走さん」
さてそろそろ交代しようか、という言葉に風信がぎこちなく交代の準備を始める。席を立った風信と入れ替わり際、前方を見つめたまま固まっている南風をちらりと見ると彼は風信に囁いた。
「邪魔して悪いな」
いえそんな、ともごもご答える風信に、彼はニヤッと笑って付け足した。
「まあ、可愛さをゆっくり反芻してこい」