掩蔽 南出ほろかは人見知りで友達こそ少ないが、人当たりは悪くなく。彼女から話しかける事は友人以外そうそうないが、誰かから話しかけられれば毎度はにかみながら答えている。
故に彼女は「シャイな人」以上でも以下でもない印象を持たれていた。
そんな彼女だが「最近よく笑う様になった」と密かに囁かれている。
ただし「いつもスマホを見て笑っている」と付け加えられ、それを不思議がる者やら不気味がる者やら。
形はどうあれ、噂好きな者達の目に留まった様で近頃一体何事か?としばしば井戸端会議のネタにされているらしい。
本日の放課後もまた『南出ほろかの笑う理由』を議題に語らう声が廊下に響いている。
「やっぱさ〜あれ恋人できたとかなんじゃね?」
「え〜?でも南出だよ?」
「けど最近急にってなるとそういうのしか考えられんくない?」
「いやそんな事ないやろ」
「南出さんが誰かと一緒に居るのって巡ちゃん位しか見たことないなぁ」
「なら他校?それともネットとか?」
「気になるなら聞いてみりゃいいじゃん」
「え〜?!いきなりそんなの聞きづらいって」
ガヤガヤ喋りながら歩いていた三人の学生達が教室へ入ろうとした時、噂の人物が席に座っているのが目に入ったらしい。彼女の存在を認識した途端ヤバ……聞こえたかな……等と小声で漏らしていた。
「南出さん、帰らないの?」
その内の一人が近くの席まで来ると帰り支度を始めつつ、頬杖をついてスマホを見る彼女に声をかけた。
一瞬ピタリと動きを止めた後、いつもの薄い笑顔で其方へ振り向きおどおどと話し始める。
「うん。巡ちゃんを待ってるんだ」
そっか〜と相槌を打ちながら手を動かしている間にも支度が済んだらしい残りの二人が近付いてきて彼女の方を見る。
「あのさ〜、その、南出って最近なんかちょっと変わった?」
「えっ……。そ、そう、かなぁ……?そんな事ないと思うけど……」
彼女はただでさえ下がり眉だというのに唐突な問いかけでより一層眉尻を下げていた。
「なんかさぁ休み時間とかよくスマホ見て笑ってんじゃん。何見てんの?」
「もしかして恋人でもできた?」
「…………???」
好機と言わんばかりに捩じ込んだ片割れへバッカお前……という一言を皮切りに軽く言い合い始める二人と、それを宥めながら気まずそうにチラチラと様子を伺っている一人。
それらを前にした彼女は、先程の問いで首を傾げて固まって、今もそのままだ。
「で、実際どーなのよ?」
諍いも程々にそんな言葉が発されればビクリ、と漸く動いた彼女に皆の視線が揃う。
「……違うよ。私、恋人なんて居ないよ」
「え〜?違うの?なぁんだ」
明確に否定され質問者が肩を落とすのを見た彼女はなんかごめんね……?と若干申し訳なさそうにしている。
「南出さんが気にする事じゃないと思うよ」
「ま、まぁそれはそうなんだけど……」
「むしろこっちが謝るべきっしょ。こいつがいきなりごめんね〜?」
気にしていないからと控えめな笑顔で彼女が答えると一先ず場の雰囲気も和らいだ。
「でも実際いつも何見てんの?」
「え?えーと……なんて言えばいいのかな……」
追加の質問に再び困り顔で考えて──だが、彼女が答えを出す前に教室の入口から声が届けられた。
「ほろかちゃーん!おまたせ!帰ろ〜!」
「あっ、巡ちゃん」
自らの席へと向かう巡に返事をするとすぐに三人の方を見てあたふたしている。
「えっと……」
「わたし達も今日はもう帰ろうよ」
それを聞き各自別れの挨拶を交わしながら三人が教室の出口へ歩き去っていく。
彼女は席から立ち上がり、荷物を持つと丁度帰る支度が完了した巡の元へと向かって行った。
────
「君のこと、何て言えばよかったんだろうね?」
帰路の途中、巡とも別れて間もなく。
彼女はいつも通りに耳にスマホを当てると、隣を歩く此方を見やりつつ早速尋ねてきた。
「さぁ……。それを俺に聞かれてもな」
「君の事なのに?」
「確かに俺の事だろうが、ほろかの話だろ」
「それもそうか。何より──君のことだからおいそれと話す訳にはいかないもんね?」
わざとらしく言いながらクスクス笑っている。
どうやら素直に話すつもりなど始めからなかったらしい。アプモンが見える人間はそう多くないので当然と言えば当然だが、何かが少し違う気もした。
「それにしてもスコープ……。私の事とはいえども、他の人から盗み聞きするのは流石にどうかと思うのだが……?見てないからって勝手に覗くのはやめといた方がいい」
彼女にしては珍しい表情だ。その口元には笑みこそ残るものの──ほんの一瞬、ジトリとした目で此方を見た──眉間に若干皺を寄せている。
「偶然聞こえてしまったのだから仕方ないだろう」
「……そうかな?」
「……」
困った様に小さく息を吐くのが聞こえた。噂を聞いた事自体は本当に偶然であったのに。
だが恐らくきっと「そういう事ではない」と言われるのが目に見えたのでそのまま沈黙し続ける事を選んだ。
──声を出せない時の会話はさながら筆談である。俺はメッセージを画面に表示させ、彼女はキーボードで打ち込む。
『教室の外の奴等がほろかの話をしているのが聞こえる』
『私の?』
『そうだ。お前が"時々スマホを見ながら笑っているのは何故か?"とな』
『えぇ……何だか恥ずかしい話だった。私、いつも笑ってるの?』
『堪えてるつもりなんだろうが……』
『そっか……気を付けないとね』
恐らく笑う以外にも表情全般を抑えないと意味が無いのでは?と俺は思った。しかし迂闊に言って本当にそんな事をされたら困るのでやめておく。
……最も、気をつけた所で彼女には──無意識に顔に出やすいらしく、現時点でも抑えていてこの有様な以上──どうにもならないとも思うが。
「……スコープ?」
彼女に名を呼ばれて意識を其方に向け直すと、黙り込んだ俺を責めるでもなくただ不思議そうに見ていた。
「そういう所……か」
「えっいきなり何だい?君、今違う事でも考えてたのかい?」
この瞬間にもコロコロと表情を変える彼女の感情が溢れ出す様はいつだって見飽きる事はない。
大抵の者に対するぎこちない笑顔も、素の時にしか見せない様々な顔も、顔だけに留まっていないその挙動すらも。
「お前は実に分かりやすい奴だな、と」
そう告げれば彼女は困惑の声を漏らし目線を落としてしまった。
「それ昔からよく言われるんだよねぇ……。まぁ君も割と大概だと思うけど」
「……ほろかだけだぞ、そんなこと言うのは」
「確かに君はあまり多くを語らないし、そういう事ならともかく、よく見ればかなり分かりやすい所もあるよ」
さっきだって目を逸らしたでしょ、と指摘されて思わず言葉を詰まらせれば正にそれもだと彼女が笑った。
「ほんとに君ってば面白いよねぇ。言葉は少ないし、顔なんて目元──それも片方だけしかよく見えないのに、こんなにも分かりやすいって何だか不思議!目は口ほどに物を言うなんて言葉がピッタリだね?」
相変わらず眩みそうな表情をする。
そんなものを此方に思い切り向けられてしまえば、尚更言葉に詰まってしまうだろう。だがそれでは通話のフリをしている意味が無いなどと思うのは無粋だ。
「まぁ実際には目だけじゃないんだけど、それは言葉の綾かな」
「……台無しだ」
「何が……?」
合点のいかない顔でとりあえず軽く謝っている。語尾に疑問符を添えて。
それが何だかおかしく思え、ついフッと笑えば更に怪訝そうにしていった。
「……やっぱり私も君が分からないな」
そっぽを向いて言う彼女の口端は上がっていて、チラリと此方を盗み見る目もにやけが抑えきれていない。
──やがて小さく声を漏らすと、軽く辺りを見渡してから真っ直ぐ此方を向いて眼をじっと見つめてきた。
「半分は本当だから、見てるだけじゃなくてちゃんと言葉で教えてくれないかい?君の考えてる事、感じてる事、私はできる限り知りたいんだ」
いつもと違う少し照れ臭さの混じった微笑み。後ろにやった両手はきっとまた、握り締めるなりぎこちなく動かすなりして感情の逃げ場にしているのだろう。
「……善処する。が、期待はするな」
こんな短くて無愛想な言葉──にも関わらず、彼女は満足そうににっこりとしてくれた。
「ふふ、ありがとうね。……あぁでも無理はしなくていいからね?それは違うと思うからさ」
不安げに慌てて付け足したばかりに、嬉しそうだった筈の顔はすぐに上書きされ消えてしまう。
名残惜しさを覚えつつも、瞬間を半永久にできる己の頭には問題ないと言い聞かせる事にした。
「……。スコープ?今何を考えてるかは分からないけど、君、そういうとこだよ」
ジッと彼女を見つめながらあれこれと考えている内に早速苦言を呈されてしまった。だが苦笑いであるものの、何となく先程よりはマシな気もする辺りどうやら機嫌は損ねていないらしい。
「分からないからこそ考えるのもまた楽しいものと思うけどね?それよりも、その……──」
「──お前の事を考えていた」
端的にそう伝えれば、直前まで難しい顔で話していた彼女は突然立ち止まる。
「……?」
当惑した面持ちで此方を見たまま何も言わない。
気まずくて微妙な時間。──恐らく問いこそ決まっているのに、それを切り出せないのだろう事は分かった。
「ほろかは、いつもすぐに表情が変わる。故に見ていて飽きず、例え一瞬でも俺には充分な筈なのに、何故かそれを惜しく思う時も少なくない、と……。そう考えていた」
ゆっくり言葉を選びながら伝えれば、益々彼女の動く気配が遠のいたように思えた。
シン……と静まり返る空気に先程とは比にならない息苦しさを覚え、それに耐えきれなくなった頃。重々しい気持ちで何かしらの言葉を紡ごうとする。
「その、なんだ……。さっき何となくそう思ったんだ。……もう少し具体的に言った方がいいのか?ならば──」
「あああぁ!いい!今じゃなくていい!続きは、まぁすごく気になるけども……。とにかく、帰ってからにしてくれないかい?私がもたないから…………」
堰を切ったように声を発し始めたかと思いきや、すぐさま顔を覆い隠してそのまま他所へ向けてしまった。
「な、なんでそんな不満気なの……?」
彼女はいつもより小さめな声で辿々しく聞いてくる。指の隙間からチラチラと此方を伺っていて、目を合わせようとすれば逸らされてしまう。
「そう見えるか?」
「えっと、はい。そう見えます……」
何故敬語なのか──と反射的に言いかけたが、恐らくこの調子で聞けば余計に萎縮しまともに答えてくれなくなるだろう。
「……とりあえず帰ろっか。もうすぐそこ、なんだし……」
観念した様にそろそろと手を退けるも、相変わらず顔を背けて此方を見やしない。……一瞬不自然に止まったのも何だったんだ?
それでもとりあえず顔を見れただけ良いかと思い直しつつ頷いた。
もはやスマホを構えることもしないまま静かに歩く彼女は何処かよそよそしく思える。俺にとってはそれもまた珍しい。
そんな風に考えながら見つめていれば彼女の口からボソリとそういうとこ、と呟くのが聞こえてくる。
帰ってから続きを話す際にそれはどういう意味か?とついでに聞くことを決めたのだった。