「む」
「あ」
*****
仙台市国分町。
日が沈み、疲れ切った大人が疲れと愚痴を酒と食で吹き飛ばす場所。
そこで縁下もまた、生ビールとホヤ酢で疲れを吹き飛ばしていた。
「っ〜〜」
炭酸が喉を通り、麦の香りが鼻を通り出ていく。すぐさまホヤを口に入れれば、酢とホヤの磯と甘さが口いっぱいに広がる。
生き返る~
縁下の仕事は理学療法士である。
患者一人一人、症状はバラバラで対応が同じなんて事はない。患者ごとに覚える事も考える事も多いし、体力はあれど仕事はしんどい。けれども、だんだんと回復していく患者の様子は嬉しいしやり甲斐もある。
でもやりがいとしんどいは別だ。
だからこうやってたまに吹き飛ばしにくる。
大概は同僚や友人らと来るが、今日は一人で来ていた。
みんなと飲むのも楽しいが、一人だと気兼ねなく飲めるし楽だ。最近はおひとり様も多く、肩身の狭い思いもせず済む。
もう一度頼んだホヤ酢がきた所で、たった今入店してきたであろう「一人でも構わないだろうか」と後ろからどこかで聞いた事のある、低い声が聞こえた。
なんとなく振り返るとそこには見知った男が立っており、ぱちりと目線が合ってしまった。
「む」
「あ」
昨今、世間を歴代最強クラスと賑わせ始めている天照ジャパンの主将でラリーの出口。世界が怯える左の大砲。牛島若利がそこに居た。
なんとまあ、居酒屋に似つかわしくない男だと、薄い感想が縁下の脳裏を過ぎる。まさかこんなところで会うなんて。
だが、縁下は関係のない事だと思った。高校二年の秋、春高予選決勝で戦った相手ではあるが、縁下はコートに立っていない。
一方的に知っているだけの間柄であると。
目が合ってしまった手前、無視するわけにもいかず、軽く会釈をする。なんたって相手はプロバレーボール選手だ。人としての前に、いちバレーボーラーとして敬わなければ。
それで終わると思っていた。
しかし、縁下の予想を裏切るように、牛島は縁下の方へ近付いてくる。
そして縁下の隣でぴたりと止まった。
何…何なになに…
ある程度度胸は付いているとはいえ、相手は日本代表である。
久々に心臓がどっどっどっとうるさい。
「う、牛島さ…選手…?」
「貴殿は確か、烏野の」
「…え、縁下、です」
「そうか、貴殿が縁下か。息災だったか」
「はい。おかげさまで。……牛島さんもお元気で何よりです。ネーションズリーグもお疲れ様でした」
「ああ、ありがとう。ところで、一人で飲んでいるのか?」
縁下が話を聞くと、久々に帰国したので白鳥沢の同期と飲む話になったらしいが時間があるので一人飲みというものにチャレンジしてみよう、と来てみたとの事だった。
「もし良ければ一人飲みというものを享受させてもらえないだろうか」
「……え」
ぎ、と牛島は縁下の隣の椅子を引っ張って座る。どうやら拒否権はないらしい。
「とりあえず生ビールだな。それは、ホヤ酢…か?」
「あ、はい…」
「ホヤは食べた事がほとんど無いが…美味いのか?」
「えと、美味いっすよ…?」
「そうか。ではそれを頼もう」
牛島が呼び出しボタンを押すとはーい!ただいまぁ!と店員の声が遠くから聞こえる。
あっという間に店員がやって来て、牛島の注文を取っていく。
ちびりとビールを口にするが、あんなに美味しかったビールの味も今はよく分からない。
どうしてあの牛島若利が?俺の隣で?
うるさい心臓を抱えたまま縁下は混乱していた。
「よく、影山や日向翔陽から縁下たちの話を聞いていた」
「っへ?」
「生意気な後輩だったのによくしてもらったと。練習でも試合でもたくさん学んだと。だから一度、話がしてみたかった」
日向も影山も、今や世界で活躍する選手だ。縁下はその二人の高校生活のほんの二年しか関わっていない。
たが二人は縁下たちを今でも慕っていているし、縁下にとって二人ともカッコいい日本代表である前にかわいい後輩であることは今でも変わらない。
それをこの、日本代表の主将で、あのラスボスであった白鳥沢の主将だった男に。
人のダメな所は言うが悪い事はそうそう言わない二人であるが。
ウシワカの気ィ惹くとかあの二人は何を言ったんだ……!!
縁下の顔を見ながら静かに、そして楽しそうに笑みを浮かべる牛島に言われて、縁下の顔に熱が集まる。
そんな中、比較的早く運ばれて来た生ビールとホヤ酢。
ジョッキを持った牛島が縁下へ向き合う。
「では、出会いに乾杯」
「……いや合コンか!」
この後、なぜかLINEを交換することとなり、少なくとも二日に一度のペースでやり取りをし、牛島が帰国する際も必ず会い食事やそれ以外も共にするようになる事を。
縁下はまだ、知らない。