吸血鬼ルシアダ第一話:出会い夜の帳が静かに降り、世界が闇に包まれるころ。
山あいにひっそりと建つ古びた石造りの屋敷が、ようやく目を覚ます。
屋敷の主は、今日もひとりだった。
高い天井に吊るされた燭台に、赤く炎が揺れる。
広すぎる広間。磨かれた大理石の床には、誰の影も映らない。
長い指先でワイングラスをなぞる。その中身はもちろんワインではない――けれど、今宵は飲む気も起きなかった。
数百年もの時を、夜と過ごしてきた。客人もなく、声を交わす相手もいない。彼の周りにあるのは、魔法で動くつまらない玩具と、忘れ去られた古き記憶だけだった。
壁に掛けられた仲睦まじい家族の絵画はもう半世紀以上前の物だった。
広間の玉座に腰掛けて長い指先が、手元のグラスを持ち上げる。中に満たされているのは赤黒く濃い液体。遠く街から密かにやって来た信徒どもが、悪魔の力を求めて差し出したものだ。
彼らはこのルシファーを「夜の王」「不滅の存在」などと崇めている。
だが当の本人は、そんな崇敬などとうの昔に飽きていた。
「……味がしない」
ひとりごちて、ルシファーは赤い液体から唇を離した。
繰り返されるこの生活は心の底から虚しく思えるのだった。
夜も更け、屋敷の扉を叩く鈍い音が響いた。この館に人が訪れるのは決まって闇深き刻。悪魔を信奉する者たちが、恐れと憧れを抱きながら捧げものを携えてくるのだ。
私は悪魔ではないのだがな、と呆れながら入る許可を出す。
古びた重い扉が音をたてて開く。
蝋燭の明かりの中、ローブをまとった数人の信者たちが慎重に運び込んできたのは、ひとりの若い男だった。
その青年は手足を縛られ、顔も覆われぐったりして意識もないようだった。
隙間から血の気の引いた頬にかかる乱れた髪が見える。
信者のひとりが畏れ多げにひざまずく。
「ルシファー様……これは、特別な捧げものでございます。街の名家の当主が息子……清き血と気高き魂の持ち主と聞き及びまして……どうか、ルシファー様が永らえていただけますよう」
「…………。」
ルシファーは信者を無視して玉座からゆるやかに立ち上がった。
静かに青年のもとへ歩み寄る。
彼の顔にかけられた布をめくって顔を覗き込むと、目の前に横たえられたその姿に、胸の奥がざわめいた。
何百年もの時を生きてきて、こんな感覚は初めてだった。
白い指先で、そっと青年の頬にふれる。
オイシソウ
ルシファーは静かに目を細める。
「……これは面白い夜になりそうだ」
それは、長き孤独の夜に差し込んだ――かすかな光だった。
すぐに食べてしまうのはもったいない気さえする。
しかしこの美しい男を前にして渇きが収まらない。喉の奥から、疼くような渇きがせり上がってきた。この美しい青年の香りが、血の気配が、身体の奥底まで染み渡る。
「……そうだなぁ」
顎に手を添え考えこむようなしぐさを取るルシファー。
次の瞬間、ルシファーはその場に控えていた信者たちへと身を翻す。
「ル、ルシファー様……!?」
信者たちが怯えた声をあげる間もなく、漆黒の影が舞う。
闇が覆うようにルシファーは一人の信者に飛びかかり、喉笛を裂いた。血潮が床に飛び散り、空気を紅に染める。
「や、やめ――ッ!」
逃げ惑う信者たちに、もはや容赦はなかった。
信者たちの白いローブは真っ赤に染まる。
「ああ、服にしみてしまった。もったいないな。」
そう言いながら、ひとり、またひとりと血を啜ってゆく。
広間に響くのは悲鳴と、血を吸う音。
鉄の匂いが部屋に床にしみつき、壁に悲鳴がぶつかる。
やがて、すべては静寂に戻った。
倒れた信者たちの屍の中、ルシファーはゆっくりと振り返る。
白い肌に紅が染みつき雑に手の甲で拭う。
そしてただ一人、まだ無傷のまま残された青年の方を見つめた。
赤く濡れた唇が、わずかに笑みを浮かべる。
信者の血では満たされない。渇きで震えた手が青年の首にのびた。
「!!、おっ…といけないいけない、勢い余ってしまうところだった!」
まだ瞳も声も知らないのに惜しいことをするところだった。
★☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆
静けさの中に、かすかな衣擦れの音が響いた。
……まぶたの裏に、薄く光が差し込んでいる。青年はゆっくりと意識を取り戻した。
「……ん……」
重たいまぶたを持ち上げると、そこには見知らぬ天蓋付きのベッドがあった。
天井は高く、壁には古びたタペストリーがかかっている。
やわらかなシーツの感触。けれど――ここはどこだ?
青年は勢いよく上体を起こした。
「っ……!」
昨夜の記憶はおぼろげだった。父の言いつけ通り仕事を手伝って帰路についたころを突然拉致され、何者かに縛られ……それから――闇。
いま目の前に広がるのは、重厚な調度品に囲まれた広々とした寝室。窓辺には厚いカーテンが引かれ、その隙間から、朝の光がほんの少し差し込んでいた。
「…どこだここ…誰か……いるのか?」
声を上げてみたものの、返事はない。青年は、まだしびれる腕をさすりながらベッドを降りた。自分の服はきちんと整えられており、拘束は解かれていた。
だが、この不気味な静けさ――ここが自分のいるべき場所ではないことは、すぐに理解した。青年の胸に、警戒と不安がじわじわと広がっていくのだった。頭が重い。けれど、身体に痛みはない。
恐る恐るベッドを降り、扉へ向かおうとしたとき。
「おはよう、目が覚めたかい?」
いきなり背後から陽気な声がして、青年は心臓が跳ねた。
すらりとした小さい男が現れた。
年齢は分からない。だが、整った顔立ちと鮮やかな紅の瞳が、妙に印象的だった。
端正な顔立ちだが2周ぐらいはやり遅れの貴族ファッションで若干ダサい。
「……あなたは?」
知らぬ相手に自然と距離を取る。
だがその男は気さくな笑顔で、まるで旧知の友人でも訪ねてきたかのように振る舞った。
「私はルシファー。吸血鬼さ!でも怖がらなくていいよ、君に害を加えるつもりはない」
青年は耳を疑った。
噂に聞く森奥の吸血屋敷かと身をすくめる。子供の頃よく悪いことをすると攫われて食べられちゃうぞと脅かされる場所だ。実在していて目の前の男は自分が吸血鬼だという。
「信じられない、という顔だね。無理もないさ」
ルシファーは楽しげに肩をすくめた。
「昨日の晩、君は一部の信者に“捧げもの”としてここに連れて来られた。私は困ってね……でも、君を見て気が変わった。だからこうして、丁重にお世話させてもらったんだっ!」
……捧げもの? 信者? さっぱり状況が飲み込めなかった。
だが、少なくとも自分は無傷で、目の前の男も敵意はなさそうだ。
青年は慎重に言葉を選んだ。
「……そ、か。それは、どうも……」
青年がぎこちなく頭を下げるとルシファーはにこりと微笑む。
「きみ、名前は?」
「……アダム」
「アダム、アダムか……ふふ、いい名前だ。」
本当にいい名だ。唆すのにもってこいで、運命すら感じる。
「えっ……とルシファー、さん?」
「ルシファーがいい」
「ルシファー…その…助けてくれた?のはありがとう。
えっと、それで…」
アダムは、少し緊張しながら告げる。
昨夜の記憶はほとんど曖昧だったが、どうやらこの男に命を救われた形らしい。しかしアダムの心は落ち着かない。この重苦しい屋敷。どこか空気が澱んでいるような気がする。このまま長居するべき場所ではない――本能がそう訴えていた。
「……それで、私、もう帰っても――」
言いかけたところで、ルシファーがすっと手を挙げた。微笑みはそのままだが、どこか含みのある目つきで言う。
「いや、まだ外は危険だ」
「……危険?」
「うん。昨夜、君を連れてきた信者たちは……君を“捧げもの”にしようとしていたわけだ。私が追い払ったものの、まだ屋敷の周囲に潜んでいるかもしれない」
ルシファーはさらりと嘘を口にした。
本当は、信者どもは昨夜すでに血を啜り尽くし、屍となっている。
しかしせっかく現れたこの興味深い青年を、すぐに外に出す気はさらさらなかった。
「しばらくは、ここにいた方が安全だよ。少なくとも、君が彼らに狙われる心配がなくなるまでね」
ルシファーは軽やかに微笑むが、その瞳にはどこか抗いがたい力が宿っているように見えた。アダムは戸惑いながらもう一度周囲を見回す。
気味の悪い屋敷――早く出たい。しかし、無理に逆らえばどうなるか……それもわからなかった。
「……わかり、ました」
渋々ながら、アダムはうなずいた。ここはまだ、様子を見るべきだと、理性が告げていた。
(しばらくって……いったいいつまでなんだ……)そう思わずにはいられなかったが、結局アダムは屋敷に滞在することになった。ルシファーの言葉に逆らえば、どうなるかは分からない。だが無理に外へ出て信者とやらに捕まるのも御免だった。
屋敷には使用人の姿もなく、静まり返っていた。
代わりに、ルシファーが事あるごとにアダムのもとを訪れる。
「おや、まだ部屋にこもっているのかい?屋敷内なら好きにしてくれていいのに。
せっかく天気もいいんだ。少し庭でも歩こうよ」
「……あんた、昼間も平気なんだな……吸血鬼なのに」
「ふふ、昼間もそれなりに活動できるのさ。頑張れば外にも出れる!ただ、ちょっと……火傷するがなぁ」
そのあともとにかくルシファーは饒舌だった。
言われた通りうわべだけでも好きにしようと書庫に行ってアダムが本を読もうとしているのに、窓辺でワインを片手に話しかけてくる。
食べろと言われた出された食事をドキドキしながら食べてみれば、隣に腰掛けて世間話を始める。それに食事も手作りではなさそうだから次第に警戒心も薄れた。
「アダム、君は何をしていた人なの?」「どんな街で育ったんだい?」
「好きなものは? 嫌いなものは? 趣味は? 恋人はいるのかい?」
矢継ぎ早の質問に、アダムはうんざりしつつも、相手が悪意を持っているようには見えなかった。むしろ、どこか嬉しそうに、楽しげに自分との会話を楽しんでいるようだった。
(……妙な吸血鬼だ……)
そう思いつつ、逃げ場もなく、仕方なくルシファーのおしゃべりに付き合う毎日が始まったのだった。
☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆
気がつけば、あれから何日が経ったのか分からなくなっていた。
朝になればベッドの脇に食事が用意され、昼頃になるとルシファーが部屋に現れる。
「今日はどんな話をしようか」と、まるで親しい友人のような口ぶりで話しかけてくる。
「えっ、料理の味見もできるのか? 吸血鬼なのに?」
「まあね。人間ほど繊細には感じ取れないけど昔作ってもらった料理がうれしかったから練習したんだ。ほら、これなんかどうだい?」
口に無理やり詰め込まれてむせたが、にこにこしたルシファーの顔を見るとつい笑ってしまった。
そんな他愛のないやりとりを重ねるうちに、アダムは徐々にルシファーという存在に慣れていった。陽気でよく喋り、やたらとアダムに関心を示すが、それ以上に何か強制してくるわけでもない。むしろ世話をしてもらっている。
(このまま、こんな日々が続くのか……?)と、妙な焦りと居心地のよさが入り混じった感情さえ芽生え始めていた。
「ねえアダム、今日は夕方から音楽室を案内しようと思うんだが、君は楽器は弾けるかい?」
「まあ……ギターなら」
「なら決まりだね。」
ルシファーの無邪気な笑顔に、アダムは思わず小さくため息をついた。
(この生活が楽しいと思ってしまっている)
そんな奇妙な日常が、今日も静かに続いていた午後だった。
ルシファーと二人、音楽室のソファに並んで座り、古いレコードから流れる優雅な旋律を聴いていた時――
ふと、アダムは隣にいるルシファーの横顔に目をやった。
(……?)
――青い。
はじめて見たとき印象的だった鮮やかな紅色の瞳が、深い蒼の色に変わっていたのだ。まるで澄んだ湖面のような、静かな青。
「……おい、ルシファー」
「ん? なんだい?」
「目の色……青だったか?」
そう問うと、ルシファーは目をぱちりと瞬かせた。
「何を言ってるんだい、アダム。最初からこの色だったろう?」
さらりとした口調でそう返され、アダムは言葉に詰まった。
(いや……確かに赤かったはずだ……見間違いか?)
自分の記憶に自信がなくなってくる。ルシファーは変わらず優雅な微笑みを浮かべて、手元のティーカップに視線を落としていた。
「……ま、そうか」
それ以上は深く追及せず、アダムは目を逸らした。
しかし、胸の奥にうっすらとした違和感が残った。
――この男、本当にすべてを素直に話しているのだろうか?
☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆
夜が深まり、館は静まり返っていた。アダムはもう眠っている。さきほど本を片手にうとうとし始めたのを、ルシファーはそっと見届けていた。
(……さて)
静かに部屋を出ると、長い廊下を音もなく進む。館の奥、誰にも知られていない勝手口。そこには今夜もまた――
「ふっ……、愚かだな」
誰が手配したのか、あるいは噂を聞きつけた狂信者たちが、自らの意志でやってきたのか――
ルシファーは細い指先で一人の喉元をなぞり、そのまましなやかに腰を屈めた。
「全く人間はおもしろい。信仰のために命を差し出すなんて……」
唇を寄せると、牙がわずかにのぞく。
――チュッ、チュウゥ……
甘い鉄の香りが、喉奥を潤していく。飲めば飲むほど、体内の渇きが満たされ、同時に昂揚感が胸の奥に満ちていった。ルシファーの瞳が、ふたたび紅く染まってゆく。
妖しく、血のように濃い深紅の輝き。
「はあ……どうにも収まらぬものだな」
舌なめずりしながら、ルシファーは床に横たわったままの信者を一瞥した。
静かに立ち上がり、自分では血の跡を片付けることなくその場を後にし、魔法を使って掃除用具を操り自動で掃除をしておく。
そして赤く光る瞳のまま、夜の館を静かに歩く。
その顔にはどこか満たされたような、けれどどこか寂しげな微笑が浮かんでいた。
夜半、ふと目が覚めた。
(……喉が渇いた)
部屋に用意されていた水差しは空になっていた。館の中は静まり返っている。どこかに飲み物はないかと、アダムはそっと部屋を出た。
廊下を歩いていると、ふと――開け放たれた扉の向こう、庭の方から微かな気配を感じた。
(……人影?)
月明かりに誘われるようにしてアダムは中庭へと向かう。
そして――目にした。
ブロンドの髪が月光に照らされ、静かにたたずむ影。
ルシファーだった。
彼は顔についた返り血を指先を静かにぬぐり口元を真っ赤に染めていた。指では拭いきれないそれをハンカチでふき取っていく。
――赤い液体が、白いハンカチに滲んでいる。
(……血……?)
息を呑んだ。声をかけようか迷う。だが身体が動かない。
その場に立ちすくんだまま、アダムはルシファーの背中をじっと見つめていた。
風がそっと吹き抜ける。
「…ん…アダム?」
その一言に、背筋が凍りついた。
(やばいバレて――!)
ルシファーがこちらを振り返るより早く、アダムは踵を返して駆け出した。
音を立てないよう細心の注意を払っていたはずが、心臓の鼓動が響く。
カツン――
廊下に一歩、靴音が鳴った。
(しまっ……!)
慌てて自室に戻り、扉をそっと閉める。背中をぴたりと扉に押し付けたまま、息を潜める。
「はぁ……はぁ……はぁ……。」
(……今の……血……だよ、な……?)
冷たい汗が額を流れた。
どこか気さくな彼は優しいし金髪碧眼で人間のようだったから、吸血鬼だということを忘れていた。それを無理やり思い出さされた気がした。いや曖昧にしていた現実が形となって見えたというべきか。
庭に残ったルシファーは、血のついたハンカチをそっと仕舞いながら、わずかに口元を綻ばせた。
(見られたなぁ……さて、どうしたものか)
怯えられて焦るべきなのだが、まっすぐこちらを見つけていたことを嬉しく思ってしまって顔が緩む。青い瞳が月を映し、冷ややかに細められた。次にどう動くべきかを思案しながら、ルシファーはゆっくりと館の中へ戻っていった――。
☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆
翌朝――
アダムはよく眠れなかった。
夜中に見た、あの血に染まったルシファーの姿が脳裏を離れない。
……見られた、気づかれた……? いや、気のせいかもしれない
バレたらどうなる、わたし、も……いやいやいやいや!
そう自分に言い聞かせていた矢先、扉が静かに開いた。
「おはよう、アダム」
明るい声とともに現れたルシファーは、いつもの軽やかな微笑みを浮かべていた。
青い瞳がやけに澄んでいる。
「……おはよう」
どうしても目を合わせられない。アダムはうつむいたまま、ぎこちなく挨拶を返した。
するとルシファーは、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
思わず体をちぢこめていると
「ねえ、アダム――昨夜、庭で私を見ていたろ?」
ピクリ、と肩が跳ねた。
(やはり……バレてた……!)
返事ができず、身をこわばらせていると――
「ああ……見てしまったか。
そう、か……残念だ、
君にはずっと知られずにいたかったのに」
ルシファーはわざと低く囁く。
赤い瞳が鋭く光り、アダムの背筋に冷たいものが走る。
「……っ!!!!!」
声も出せずに固まっていると――
次の瞬間、ルシファーはふっと破顔した。
「――なんてね。冗談さ」
今度はいつもの陽気な声だった。
「そんなに怯えた顔をしないで。私は君に何もしないさ」
くすくすと愉しげに笑いながら、ルシファーはティーカップに紅茶を注ぎ始めた。アダムは戸惑いながらも、ひとまずその場の空気に安堵するしかなかった。
(……この人はいったい……何を考えてるんだ……?)
疑念と恐怖は残るが、こっそりアダムは息をついたのだった。
――冗談さ
そう言った途端、アダムの顔がぱっと緩んだ。警戒と恐怖が少しだけほどけていくのが見て取れる。
ルシファーはティーカップを手に取りながら、その様子を横目に眺めた。
(……ちょろすぎるな)内心で小さく嗤う。
自分が冗談だと言えば、すぐにほっとしてしまう。昨夜のあの光景を見たというのに、まだ信じきっていない――いや、信じたくないのだろう。
―――――――――ズキンッ
「さ、紅茶でもどうだい? 今日はちょっといい葉を入れてあるんだ」
何でもない風を装って話しかける。アダムはまだ戸惑いの色を残しつつも、差し出されたカップを受け取った。
(……かわいいものだ)
ルシファーは蒼い瞳を細めた。
その無垢な反応すら、どこか愛おしく思えてしまう自分にふと気づき――
その感情に、また小さく笑ったのだった。
ふと、視線を上げたときルシファーが小さく笑ったのが見えた。
ふわりと微笑んだ。
(……?)
それは先ほどの冗談めいた笑みではない。どこか柔らかく、優しさすら感じさせる表情。
吸血鬼――そんな存在であることすら一瞬忘れてしまいそうになるほど、自然な、穏やかな微笑みだった。やはり昨日の彼は見間違いだったのかと思うほどに。
(……なんでそんな顔……)
胸が、どきんと跳ねた。気のせいだと自分に言い聞かせながらも、目を逸らすまでに数秒かかってしまった。
紅茶の湯気がゆらゆらと揺れて、妙に熱く感じられた。
ときめき――そう言ってしまえば単純すぎるが、間違いなく心が揺れている。
しかし昨日の記憶がサッと揺らいだ想いを消す。
昼間のルシファーは穏やかでつい勘違いしてしまうが彼は吸血鬼で、きっと昨日も誰か殺めている。
(……落ち着け、私…本当に勘違いだ…)
だが、胸の鼓動がやたらとうるさい。こんなふうに気を許していては危ない――頭ではわかっているのに、ルシファーの微笑みがどうしても気になってしまう。
「……きょ、今日は……あれをしよう。昨日話してた、屋敷の本を……」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
誤魔化すように椅子を押しのけて立ち上がり、ルシファーに背を向ける。
でもどうにも恥ずかしくて、首元から耳の先までじんわりと熱くなっていた。
(……見られてないよな……)
けれど、その紅潮したうなじと耳を――ルシファーの視線は見逃していなかった。
ゾクッ……
視線を釘付けにされ、ふと喉の奥が疼いた。薄く透けるような若い肌。すぐそこに、温かな血が脈打っている。
(だめだ、我慢だ……)理性がそう告げる。
けれど次の瞬間には、もう無意識に体が動いていた。
ルシファーは静かに立ち上がり、そっとアダムに歩み寄る。
近くまで近づき――吐息がかかるほどの距離。
目の前にさらされた白いうなじに、ついに耐えきれず、舌先がゆっくりと這う。
「ひゃぁっ……!?♡」
ぴくん――
アダムの体が小さく震えた。
唇が肌に触れかけたそのとき、ルシファーは
(続きは次回💕)