鬼道有人について鬼道有人とは何だろうかと考えてみる
一つに束ねたドレッドヘアー、走る度に靡くマント、チームの司令塔的役割にイリュージョンボール、ペンギンさん、そしてゴーグル
この特徴を上げた時、誰もが鬼道有人を想像するだろう
さて、90話にて初登場したチームKのキャプテン、デモーニオは鬼道有人だったのだろうか
多くの者はデモーニオ・ストラーダはデモーニオ・ストラーダであり鬼道有人ではないという答えるだろう
しかし、この影山の支配を受けたデモーニオ・ストラーダは紛れもなく「作品・鬼道有人」なのである
以下ここでは分かりやすく差別化するため影山の作り上げた鬼道有人の事を「作品・鬼道有人」と称する
彼の名前をイタリア語に直すとDemonio Strada、これを分かりやすくするためにそのまま英語に変換するとDemon Road つまり鬼道になるのは有名な話である
実際彼がしっかり描かれる92話のタイトルは「戦慄!もう一人の「鬼道」!!」であり、鬼道有人を知る誰もがデモーニオ・ストラーダの事を「鬼道だ」と言った
なぜか、それは彼が鬼道有人を鬼道有人たらしめる要素を持っていたからである
つまり彼は影山の手によって「作品・鬼道有人」になったのだ
さて、今度はイナズマジャパンに所属する鬼道有人の事を見てみよう
彼自身はもう影山とは縁を切ったと言っている
ここで初めに挙げた鬼道有人とは何かを思い出して欲しい
当たり前な話だが、彼もまた鬼道有人を鬼道有人たらしめる要素を全て持ち合わせている
では、その鬼道有人を作ったのは誰だろうか
もちろん、ご存知の通り影山零治である
鬼道有人は影山零治の手によって"作り出された"のだ
実際に影山は鬼道有人の事を「作品」と呼んでいる
鬼道有人はそう育ったのではなくこうなるように育て上げられた人間なのだ
一方で「作品・鬼道有人」を作り上げた本人である影山零治は別の人間をも「作品・鬼道有人」に作り変えることができることが今回判明した
問題はここである
「作品・鬼道有人」に作り変えられた人間は作り変えられる前、つまりオリジナルが存在する
それこそが束ねたドレッドヘアーでもなくマントもしていなければチームの司令塔でもない、強力な必殺技も持っていない、もちろんゴーグルもしていないデモーニオ・ストラーダ本人である
あの街でイタリア代表に憧れを抱き友人とサッカーするデモーニオ・ストラーダを見てあれは鬼道だと指差す人間はまずいないであろう
何故なら彼は「作品・鬼道有人」ではなく、デモーニオ・ストラーダだから
彼は影山によって「作品・鬼道有人」に作り変えられた人間であった
影山の影響から脱した後のデモーニオのことを鬼道だと言う者は誰もいないであろう
では、影山から離れた鬼道有人はオリジナルの状態だから鬼道有人ではないのか、と聞かれればそれは違う
鬼道有人は帝国に居る時も雷門に居る時もイナズマジャパンとして居る時も鬼道有人である
たとえ影山の指示下にいなくても鬼道有人は鬼道有人のままなのである
何故なら鬼道有人は影山零治によって"作られた"人間なのだから
「作品・鬼道有人」は帝国に居る時も雷門に居る時もイナズマジャパンとして居る時も「作品・鬼道有人」であり、たとえ影山の指示下にいなくても「作品・鬼道有人」は作品のままなのである
これが影山の言う「お前は私から逃れられない」であると考える
デモーニオ・ストラーダが「作品・鬼道有人」でなくなった様に、鬼道有人が「作品・鬼道有人」でなくなったとき鬼道有人は何になる?
答えは何も残らない
鬼道有人はこれに絶望したのではないか
鬼道有人は影山を完全に全て断ち切った時、この世から消滅する
何故ならサッカープレイヤーとして今まで育てられてきた鬼道有人は「作品・鬼道有人」がオリジナルなのだから作り変えられる前が存在しない
幼少期は存在したとしても、デモーニオの様に並列に存在する別の作品でないオリジナルの自分がないから
その証明こそが帝国に居る時も雷門に居る時もイナズマジャパンとして居る時も「作品・鬼道有人」である事だ
鬼道はどこでどんな役職で居る時も、鬼道有人を「作品・鬼道有人」たらしめる部分を変えようとはしていないから
と、ここで口を出したのが不動である
彼は過去に囚われるなと言い放った
円堂に出会ってから、雷門に入ってから、影山の手の入っていない鬼道のあの日々は「作品・鬼道有人」ではなかったのか
無論先程述べたように「作品・鬼道有人」であった
しかし、「鬼道有人」でもあったのだ
影山の手から離れた後のこれらの出来事は影山零治が「作品・鬼道有人」を作るために作った道では決して無かったと言えるだろう
鬼道有人のこれからの道は鬼道有人が作るのだ
影山零治ではない
鬼道有人はきっとそれに気づくことができたのだ
影山零治の作り上げた「作品・鬼道有人」は、円堂と出会った
そして鬼道有人は「作品・鬼道有人」としてではなく鬼道有人の人生を鬼道有人自身が作り上げられる事に初めてちゃんと気づけた
これが90話〜93話のお話だと思ってる
鬼道有人に関して上手いなと思うのは、10年後鬼道について
昨日影山に作られた鬼道有人とは何かについて一つに束ねたドレッドヘアーを挙げたけれどこれは影山の元に行く前からこの髪型だったねとだけ訂正しておく
10年後鬼道に関しては外見と、プロだったが後に帝国学園の総帥にってことだけ知ってる。
どういう経緯でこうなったかは全く知らないんだけどこの時点でもちろんだけどマントはしてなくて、サッカーも選手としての活動はまぁしてるかしてないか知らんけど少なくとも部活と違ってお仕事にしてる訳じゃないから普段はしてないでしょ
ゴーグルも辞めて
ポニーテールも辞めた
でもね、よく見るとスーツのジャケットが長くてマントを思い起こさせるし、ゴーグルは辞めたけどサングラスでやっぱり瞳は見えない
司令塔ではないけれど総帥としてリーダーであることに違いはない
髪型をハーフアップに変えたけれど昔からの一つ結びであることはそのまま
そして更には総帥=影山零治のイメージを自身の手で塗り替えている
10年も経つ頃には鬼道有人のシルエットはそのままに影山の鬼道有人はもうそこにはいないんだなって事に気づいてしまった
バイト中に残り30話だけど影山ともう一悶着あってもおかしくなさそうって言ってたけど、鬼道の影山否定が鬼道有人による作品・鬼道有人の否定となってしまうというのなら、それを否定するには影山の元にいる鬼道有人オリジナルを知っている人がいなくちゃ……ハッ音無春奈だそういえばだけど帝国の話だからいなかったなとなった
ここから今付け足す追記
↑(※これらのツイートは影山の最後のシーンを視聴する前のツイートです)
今思えば佐久間は「作品・鬼道有人」に心酔してたからあのチームK戦で鬼道を救う事はできないってのがまた皮肉だなとふと思うなどした