「はぐれた・・・」
後悔の滲む声を出したのは四季神社で神主業を学ぶ弟子の美冬だった。その傍に師である秋彩と酒好きの猫又の姿は無い。周りは異形な者達が歩き連ねていてそこが虚世と分かる。美冬は周りを見渡してこそりと溜息を吐いた
事の始まりはいつもの如く、神社に届いた妖からの手紙だった。師はそれを読んで「出掛けなければいけなくなった」と忙しく準備をしていた。美冬は留守の番をする気満々だったが、「美冬君も行くんだよ」と言われ驚いたのは言うまでもないだろう。そして何故か十又すらも着いてきてしまい、
神社の番は伊苅さんに任せる事になってしまった。随分戸惑っていたが大丈夫だろうか。まぁそんなこんなで「依頼を済ませよう」と慣れたように虚世を進んでいく秋彩と十又に着いていくことが出来ずに美冬はとうとうはぐれてしまったのだ。今頃少し反省していればいいのに、と思いながら美冬は足を進めた
周りには出店があり、いわく付きの壺だとか魔女の血で作った万年筆だとかよく分からないものが取引されている。美冬はそれを横目に道を抜けた。そしてふと、道の端にボロボロの着物を着た男が一人、蹲っているのを見つけた
「あの・・・、大丈夫・・・ですか?」『嗚呼、青年。ちょいと頼まれてくれやしないか』男は声を掛けた美冬の姿を確認するや否やそう言葉を紡いだ。声は随分と嗄れていて頬も痩けている。目の下には隈があり、一目で“ワケあり”だと分かる風貌だ。
美冬は迷ったがアテもなく、秋彩を探しても見つかる確率なんぞそう低いだろうと、ならば男の“頼まれ事”やらをこなしながら探した方が余計な事を考えなくて済むだろうと男の要求に頷いた。男は美冬の返答に少し瞬いてそれから有り難そうに笑った。笑うと案外可愛いものだと美冬は思った
「それで頼まれてほしいとは」『ああ、いや。大したことでは無い。これくらいの河童を見なかったか』・・・男は三角座りをした自分の顔の鼻くらいの高さに手の平を立てた。河童・・・。あの街でもたまに見掛ける、師が言うには警戒の必要の無い穏やかな妖怪らしいが。
「その河童を探して欲しいと」『生憎オレは足を挫いてな。ここから動けん。青年よ、頼まれてくれ』悲願するように言った男に美冬は頷く。にしても特徴が無いと探せないだろう、と美冬は口を開いた。「他の河童には見ない特徴とかありますか?」『頬に傷がある。目立つ傷だ』男は不気味に笑った
その笑いに美冬は身を引きそうになった。それを寸での所で耐えて分かったと頷いて取り敢えずといったふうに男の隣にある細い路地へと入っていった
「ちゃんと見ていてくれって言ったよね、僕」「知らんのぉ」ゴンッと鈍い音を響かせて十又の頭を殴ったのは美冬の師、秋彩だった。依頼主の所へ向かう途中で美冬の霊力を感じ取れなくなった秋彩が振り返れば十又は少し前の店で酒を浴びていた。見ていてくれと頼んだはずだと言えば先程の返事だ
「な、な何をするんじゃっ!」「当然の報いだと思うよ」などと会話している場合ではない、困った。美冬の霊力は細くて感じ取りにくい。ましてや沢山の霊力が混ざりに混ざった虚世。自分もよく見ておくべきだったと反省する。器用に頭を摩る黒猫を見下ろした秋彩はこそりと溜息を吐いた。
仕方ない、と掌から水玉を作り出す。表面に水紋を描く水玉は徐々に透明から紅色に変わっていく。暫くそれを見つめていた秋彩はやがてパシャンと水玉を握り潰した。「誰かが邪魔をしている」呟いた秋彩に十又は面倒そうな顔をした。「全く世話の焼ける奴じゃのぉ」
秋彩は“乾いた”拳を広げ、掌を陽に晒す。そうして目を閉じた秋彩を十又は黙って見つめる。随分と長い間そうしていた秋彩だったが、漸く目を開けて十又を見遣る。「どうやら少し厄介なものが紛れ込んでいるみたいだね」「・・・八百万の一柱か。こりゃまた骨が折れるわい」
「・・・仕方あるまい」そう呟いた十又はぐっ、と身体に力を入れる。秋彩が瞬いた次の瞬間には紺色の着物を着た老齢の男が立っていた。「おや、そっちの姿になるのかい?」「こちら側ではこっちの方が楽じゃて。・・・さて、儂は“奴”を探すとするかのぉ」そう言ってゆっくりと二本の足で歩いていった
「さて、僕はどうしようか」秋彩は十又の歩いていった方を見ていたが背中が見えなくなるとそれも止め、考え込んだ。十又が“奴”を探すのなら自分は“美冬”を探すべきだと思い立って歩き出す。勿論宛がない訳では無い。秋彩は自らの生まれを少しだけ利用することにした。
「少し、いいかい?」『何でィ兄ちゃん。カモにでもなりにきたのかい?』暗い路地に入れば案の定絡んでくる程度の知れる者達。秋彩はほくそ笑んでから話題を振った。「この辺で八百万の一柱が何の為か厄介な事をしているらしいんだけど知らないかい?」『し、知らねぇ!』言い淀む男達に秋彩は嗤う
「神の前での戯言は止してもらおうか」
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「んー、あんまり為になる事は聞けなかったね」
路地に倒れ込んだ男達を見下ろしながら言った秋彩はそれでもふふと含み笑ってその場をあとにする。「さて、次はあっちだね」、笑みは絶やさないながらもどうやらこの師は弟子が何やら厄介事に巻き込まれている事に腹を立てているらしかった。
十又は猫の名残なのか足音も立てずに道の真ん中を進んでいた。顔を少し下げ、表情を伺えないようにした十又はちらりとその視線を横にずらす。酒屋だ。
しかし普段なら脇目も振らず飛び付く彼も視線を戻してひたすらに進む。どうやらこの酒好きの“猫”も少なからずお人好しを好いているらしい
続