彼女を初めて見た時。
この世界の人間じゃないと思った。
根拠も証拠も無い、ただの一目の勘違い。
だけれど、それほど彼女は酷く儚げだった。
名を「咲鳥」。
武に秀でていない、語り部業に尽くしていない、友人もさほど多くはない。
強いて言うなれば、彼女はその頃名の売れていた誰よりも熱心で上手かった。
私が彼女へ心酔しているからこそ、そう思ったのかもしれないが。それでも彼女の名が大陸全土に広まっている理由はそれ以外に考えがつかないのだ。
彼女は随分乱暴だった。
相手を気遣う様子は無かった、自らを取り繕う様子も無かった。
ただ、飄々と孤独に立っていた。
友人が彼女へ話しかけようとそれを軽々とあしらって。暴漢が彼女を襲おうともそれを冷たい目で睨み付けて。
彼女は本当に一人で生き、一人で死んだのだ。
私が彼女を見たのはもう随分と昔だ。
愛する者の手を取った時、横顔を見た。
愛する子が誕生した時、背中を見た。
愛する子が家を出た時、遠くに見た。
愛する子が子を為した時、
彼女はもう何処にもいなかった。
後悔、というよりかは。
喪失感が先立った。
神出鬼没の語り部達は、それでも各地を魅了しながら語り歩く。それはもう、本当に何よりも分かっていたはずだった。…分かっていた、はずだったのだ。
だというのに。
私は随分と、欲深くなってしまったようで。
愛する者も旅立ち、子も家を出て滅多に帰らなくなった頃。私はもう一度、語り部を探すことにした。
千輪、羽弥芝、将戡、夜嘉瀬、虎兎、日和に、徠栖。
私が彼らに夢中になっていた頃の顔がまだある事に安堵した。
麒麟、瞳鏃、桃道、華倖、鹿嬭、埜薇に、音磨。
あの時はまだ青臭かった新参たちも良い顔をするようになっていた。
紫狒々、名瀬、船良、峰露、茶朋。
聞いたことも無い語り部が世に出て、また名を広めていた。
ああ、やはり。
いつ戻ってきても良い…。いつ知っても良い…。
あの時私を魅了した彼らは途切れる事無く続いていた。
そんな旅の中で私はとうとう動けなくなった。
もう彼らに会うことすら、叶わなくなった。
そんな時だった。
「第二の咲鳥」、そんな身勝手な通り名を聞いた。
要らない、要らない。あの人はあの人きりだ。
彼女は一人でいい。第二だなんて要らない要らない。
途端に焦りと嫉妬でどうにかなってしまいそうだった。
そうしたら、急にもう動かないと思っていた身体がまるでバネをつけたように跳ね起きた。
会わねば、その「第二の咲鳥」なんていう不届きな名前を“騙る”、語り部と。
私はもう一度歩き出した。
道中にも様々な語り部に会った。
中には語り追でしかなかった私を覚えている語り部も居た。先を急ぐからと挨拶半ばに別れた。
会わねば、会わねば、とそんな事を朦朧と呟きながら歩いた先で………居た、
随分と平凡な顔をした男だった。
歳は三十と前半くらいだろうか。
どうやら狐の親子に化かされた哀れな男の御伽噺を語っているらしい。
……、私が彼女に見い出したような儚さはどこにも無かった。勘違いを起こすことも無く、ただの人間に見えていた。
だというのに、彼という若い語り部から目が離せない。楽しそうに、愉しそうに、こんな事があってあんな事があってと話す素振りは全くもって彼女になんか似ても似つかないのに。
だというのに。
だというのに。
「第二の咲鳥」とはよく言ったものだと、それを言った誰かを抱きしめたくなったのだ。
あわよくば、目の前で語る若い語り部を抱き締めてしまいたくなったのだ。
ああ、名を知りたい。
名を知って、謝りたい。身勝手にも彼に怒りを向けた事を。
「そんじゃあ、あっしはこの辺で!
語り部亀八郎、今日は失礼致しやす! またどこかで!」
ハッと、した。
宿屋の布団の上で目を覚ました。
夢、だったのか。今のは全て。
身体が動かない。ああ、夢だったのか今のは。
…いいや、でも。
嘘のように身体は動いた。
嘘のような出来事に出くわした。
嘘と思うには、勿体ない語り部に出会った。
名を「亀八郎」。
夢の話か、はたまた正夢か。
……、
ああ、もう、考える事も億劫だ。
すごく、すごく…眠たい。
ああ、もういちど、
もういちどだけ、
「あの語り部」にあいたかった……