そこら辺に生えている草にでもなりたい 彼の腹の中は、暖かいというよりも生温いと表現するに相応しい。滲む竜血はいまだに地面を湿らせ、その生命力をもって、深紅色の植物たちを育て続けている。
自分もこれら植物のように……ただそこにあるだけで、「正しい姿だ」と認められるような生き物だったらよかった。
物言わず、吹き荒ぶ風によって体を揺らし、寒さに耐え、種を保存するためだけに生きる。この先に更なる繁栄が待っていると信じ、根を下ろしたままでいられたなら。それならきっと……真実になんて、気付かなかっただろう。
自分は、どこまでいっても「失敗作」だ。
叩きつけられてしまった現実を前に、こうして膝を抱え、植物になりたいなんて空想して。それすらきっと、ボクが「なりそこない」である証だ。
……自信はあった。アルベドと同じ姿、アルベドと同じ声、知識量だって彼に相当する……違うのは、過去と経験。そして、「積極性」だ。
アルベドは奥手だ。正確には、確証のないことは一切口にせず、証拠が手に入るまで静かに待つ。憶測や想像だけでものを言うのを避けて、常に現実的な視線で世の中を見ている。
だから……彼が。旅人に「好きだ」と伝えようとするなんてこと、あり得ないと思っていた。
……ボクたちは、ひとりの同じ人間を好きになった。初めのころ、ボク自身は彼……空と話したことはほとんど無かったけど。アルベドの実験記録に挟まれていた、彼の観察記録と、数行の手記。それだけでも……ボクは、彼がどれだけ魅力的な相手か理解できた。
アルベド曰く――空は偏見を向けてこない。「天才」だと持て囃される自分の本質を見つめてくれる。ボクは彼にとって、特別でもなんでもない。
……特別、ではないのだ。
どこにでもいる人間として、自分を見てくれる。ただの友人として自分と接してくれる。そんな幸福を、彼が手放そうとするなんて、思わなかった。
だからボクは、その生活を奪ってしまおうと思った。
――アルベドを「普通の友人」という席から追い出してやろうと、企んだのだ。
まず空に、ボクを……いいや。「アルベド」を恋愛対象だと意識させて、好きになってもらう。アルベドを巻き込んで、ボクとアルベドを、空に比較させるのだ。
アルベドは表情に乏しい。恋愛に関して奥手で、本当は空を独占したいと思っているくせに、それを言い出さない。「特別」になってしまえば、そのレッテルから逃れられないと思っているのだろう。
ボクは、彼とは違う。
空の隣という特別な席を貰えれば……空に、ひとりの人間として、愛してもらえる。
恋すらまともにできない、そんなアルベドよりも、ボクのほうが優れている。その証明にもなる。
そう考えたボクは、空に好意を示すために色々なことをした。わざとらしくならないようにしながら……それでも、必死だった。彼に頼んで、実験を手伝ってもらったり、二人きりになるための時間を作ってもらったり。
……積極性のあるボクのほうが、空の恋人としてふさわしいはずだ。素直に感情を伝えられる、可愛らしい恋人でいられる。そんな自信があった。
……あったのに。
嫌がるアルベドの手を引いて、隣に並ばせ……今にも泣き出しそうな顔をするそれとは真逆の、自信に満ちた笑みを浮かべながら。ボクは空に、告白をした。
「キミのことが好きだ。ボクも……この「アルベド」も」
気難しい顔をして唇を引き結ぶ空の顔が、なんだかおかしかった。
本当はボクの……いいや。ボクたち「アルベド」のことが好きなくせに、どちらかを選べない。摘むべき蕾の判別すらつかない、未熟な庭師。
「ボクは、キミのために尽くすと誓おう。何があろうと、キミを守る。キミが言うなら、なんだってしてみせる。……本当だよ」
そこまで言って、空の反応を窺う。彼は相変わらず何も言わないまま、ボクとアルベドの顔を交互に見ては、おろおろと視線を泳がせるのだ。
「ボクは、……そんな、っ」
その反応を見たアルベドは……そもそも空に、告白を受け入れてもらえるとは思っていない様子で。青ざめて嫌々と首を振り、ボクの手を振り解こうと必死になっていた。
それに対してボクは、「キミの気持ちなんて、誰が見てもばればれなんだから、今更だよ」と……皮肉を言ってやりながら、その手首を掴んだまま、離してやらなかった。
「……アルベド」
空が口を開く。そうすればアルベドはびくりと肩を震わせて、「やめてくれ」と言うように首を振った。
「……お願いだ、何も、答えないでくれ……」
懇願するように呟かれた言葉に、空は困り果てた顔をしながら……それでも、優しく微笑んで見せる。
それから、アルベドの手首を掴むボクの手を握ってきた。そこでボクはようやくアルベドの手を離してやった。……だというのに、アルベドはボクの顔を見て、まるで離してほしくなかったとでもいうように眉根を寄せる。自信がないから、一人にしてほしくない……とでもいうのか? 馬鹿馬鹿しい。
空へと視線を戻す。空は、ボクたちの手をそれぞれ取って、ぎゅっと手を握ってくれた。……暖かくて心地よい。ついその手を持ち上げて、自分の頬へと寄せようとして、それで。
……それで……。
「ごめん」
――その呟きと共に。ボクの手から、熱が離れていく。もう一度と掴もうとした指は届かず、宙を切った。
何が起こったのか分からなかった。どうして空は謝っているんだろう。
分からないままに固まっているうちに、空の手が「アルベド」の肩を掴んで引き寄せる。ボクは呆然としながら、それを見ていた。
「……本当は、答えなんて出すつもり、なかったんだよ」
空の優しい声が聞こえる。視界に彼の姿がない。知らぬ間に自分が俯いてしまっていたことに気がついた。
空は続ける。
「もしも、選べって言われた時は……選べないって、答えるつもりだった。あくまで、今までは……だけど」
空の声が遠ざかるような気がした。違う。遠ざかっているのは自分のほうだ。後ずさってしまっている。逃げる必要なんてないのに。空がまた、言葉を紡ぐ。聞きたくなくて耳を塞ぐ。それでも、声は。
「俺は確かに、アルベドのことが好きだよ。……でも、君のやり方は卑怯だと思う。俺がアルベドを好きなのを知ってて、からかうようなことして、それで……選んでくれだなんて。そんなこと、できるわけないよ」
空の語る言葉の意味が理解できなかった。何を……言っているんだ?
……ボクは、空のことが好きだから、空が喜んでくれるならと思って、彼に尽くしてきた。空も、ボクと一緒にいる時間を楽しんでいたはずだ。手を握れば握り返してくれて、肩を寄せても拒まなかった、それなのに。
……ボクの好意が、……ボクが、卑怯だと?
「からかってなんか、ない」
震える声で反論した。空は何も言わない。アルベドも。誰も彼も口を閉ざしたまま、ただ、風雪の音が耳に響くだけだ。
……沈黙に、耐えられない。
「あっ、ちょっと、待って!」
ボクはその場から駆け出した。背後で空が何か言っていたけれど、そんなの構っていられなかった。雪道に足を取られながらも必死に走って、逃げて。
……そうしてボクは、この「心臓」へと辿り着いたのだ。
あの日以来、ボクはずっとここに引き籠もったままでいる。もはや誰にも会いたくなくて。誰と話しても、ボクは「アルベド」として振る舞わなければならないから……今はもう、そんな余裕はなかった。
洞窟の奥、脈打つ心臓に背中を預けて、静かに呼吸を繰り返す。……本当は、そんなもの必要ないけれど。「彼ら」に似せて作った肺や心臓は、正しい動きをしようとするから。
「……ボクは。人間には、なれないのかな……」
つい。……つい、言葉にしてしまって。途端に涙が溢れてくる。嗚咽を漏らすたびに胸が痛む。こんなに苦しい思いをするくらいなら、いっそ死んでしまいたかった。
「……いや。もう人間なんかいいや。スイートフラワーか、ミントにでもなりたい」
そんなことを言ったって、意味がないことは分かってる。誰も聞いてなんかいない。この心臓は、ただ脈打ち続けるだけ。この竜はとっくの昔に死んでいる。だからこれは、……ただの独り言だ。
「ミントよりも、スイートフラワーがいいな。アルベドに摘んでもらって、砂糖にしてもらうんだ。それからお茶や、ケーキなんかに入れられて……そうしたらきっと、彼になれる……」
彼ならきっと、最後の一粒まで使ってくれる。ボクは溶けてなくなって、この世界から居なくなる。ああ、良い死に方だ。どうせ消えるなら、跡形もないほうがいい……。
……それでも。
生まれなければよかった、とは、どうしても思えなかった。
「……空」
名前を呼んだだけで、心が満たされていくのを感じる。ボクはまだ、キミのことを諦めきれないらしい。キミのことを想えば、少し、息苦しさが和らいでいく。キミのことを考えている間は、ボクはボクのままでいられる。アルベドではなく「ボク」として。
ああ、会いたいな。……キミに会いたい。会って話がしたい。卑怯だなんて、ひどい言い方をしないでと、そう言って殴ってやりたい。アルベドを貶めようとしたのは……事実だけど。
ボクは彼に喜んで欲しかった。笑ってほしかった。そして、ボクを好きになってほしかった。……それだけだ。
……ゆっくりと、地面から立ち上がる。
ボクは、スイートフラワーにも、ミントにも、夕暮れの実にもなれない。ボクがなれるのは「ボク自身」と……「アルベド」だけだ。
ボクが持つのは根などではない、ヒトの脚だ。
ボクが渇望するものは、日差しだとか、水だとか、そんなものではない。
欲しいものは、たった一つ。
人間としての、幸福だ。