僕の前を誰かが歩いている。相手の方が僕よりもずっと大きくて歩くのも早くて、追いつけなくて『待ってよ!』と叫ぶと足を止めてゆっくりと後ろを振り返った。相手が止まった隙に竹林の中を走り抜けて追いつく。足にしがみつけば相手はひょいと僕を持ち上げて顔を近づけた。
『〝〇〇!〟』
相手の顔はよく見えないけどきっと笑っていたと思う。おでこをくっつけて二人でおかしくて一頻り笑って。『母さんが待ってるから早く帰ろう』と僕を抱き抱えたままお父さんは黄色い雲へ飛び乗った。頬を撫でる風が冷たくてぎゅうとさらにしがみつけば、お父さんは優しく撫で返してくれる。僕の僕はこの温もりが大好きだった。いつまでもこんな温かい日々が続けばいいのに……。
§
「おとうさん、おかあさん……」
幸せな夢の中から現実へ引き戻される。瞼を開いて周囲を見回すと、そこは見覚えのない場所だった。見たことがないような謎の機器が並び、絶えず点滅を繰り返している。中でも一際目を引くのは壁一面に埋め込まれた巨大な窓、ただし外は真っ暗で何も見えない。他には机とソファと、今僕がいるベッドがあるだけで、部屋の大きさの割には物が少なく寂しい印象を受けた。
ここはいったいどこなのだろう。不思議な機械と言えば地球ではカプセルコーポレーションくらいなものだけれど――と考えていると、部屋の唯一の出入口である自動扉が開いた。扉の方へ振り向くと期待していた人物とは真逆の姿があった。
「よう小僧、お目覚めか?」
「おまえは……!」
瞬時に気を失う前の記憶が蘇ってくる。神精樹という星の栄養を吸い尽くしてしまうやっかいな木が突然現れて、地球を守るべく元凶である宇宙人達と戦うことになった。なんと敵のリーダーはサイヤ人で、驚くことに顔も声もお父さんに瓜二つで――まさに今目の前にいる男のことだ。名前はたしか……
「ターレス……!」
「ほぉ、俺の名前を覚えていたか。嬉しいぜ、小僧」
「どうしてお前がここにいる!?」
「ハハハ、おかしなことを言うガキだ。ここは俺の船の中なんだから居て当たり前だろう?」
「ターレスの船……? ……っ!?」
高級そうなベッドから飛び降りて巨大な窓へと駆け寄る。てっきり夜だから暗いなのだとばかり思っていたけど、どこまでも続く暗闇は地球の夜空と似ても似つかない。つまりここは……
「もしかして、宇宙、なの……?」
「ご名答。歓迎するぜ小僧、ようこそクラッシャーターレス軍団へ」
芝居がかったように腰を曲げて差し伸べてくる手を強くふりはらった。
「ふざけるな!! 誰がお前の仲間なんかに……今すぐ地球に帰る!!」
「帰る? あの赤茶けた乾いた星にか?」
「は……? なにを言って……」
「そういえば小僧は大猿から戻った後ずっと眠り続けていたから知らないか。お前にも見せたかったぜ、無様に負けたカカロット達の姿をな」
「な……っ!?」
「枯れ果て砂漠と化していく星からお前だけを連れて助けてやったんだ。命の恩人に対して感謝の一つくらい欲しいもんだ」
男の口から発せられた言葉は衝撃的だった。お父さんが目の前の男に負けた? ――嘘だ。だってお父さんは僕に約束してくれた。僕のことを守ると、そしてこの男を絶対に倒すと。でもそれならどうして僕の目の前にいるのはお父さんじゃなくてこの男なのだろう。なんでこの男の宇宙船に乗せられているのだろう。状況証拠から最悪のケースを導くのに時間はかからなかった。
「ぅ……、わああぁぁ――――!!」
激情に身を任せて拳を握り宙を蹴った。しかしその拳が相手に届くことはなく、あっさりと避けられて代わりに重いカウンターを喰らう。相手の膝が鳩尾にめり込み内蔵が圧迫されて血反吐を吐く。
「がはっ……! ぐ、っ、うううぅぅ……」
「バカめ、俺に敵うと思ったか?」
蹲っている隙に頭を踏みつけられ、さらに痛めつけられる。痛い、苦しい、辛い。脳が命の危機を感じ取り、根源的な恐怖を与えてくる相手を反射的に恐れてしまう。力では敵わない強大な敵に勝てるはずもなく。必死に痛みに悶えていると、ふと踏みつけていた相手の足が離れていった。
「別に俺はお前を殺したいワケじゃない、むしろその逆だ。お前の潜在能力の高さを買っているんだ」
胸倉を掴み上げられて首が絞まり、呼吸ができない。
「小僧、俺と一緒に来い。同じサイヤ人同士、仲良くしようや」
「だ、れが、おまえなんかに……」
「フフフ、強情なガキだ。それでこそサイヤ人だ。ますます気に入った」
「ぐ……っ……、うぅ……」
「賢い坊ちゃんなら少し考えれば分かるはずだ。父親の仇を討ちたくないか? それならここで無駄死にするより、俺の傍で寝首を掻くタイミングを見計らった方が何倍も得だろう」
「うっ……、うわぁ!?」
ぱっ、と手を離されて床に尻もちをついた。痛がる暇もなく顔の前に相手の手が翳される。
「これが最後の忠告だ。俺に従うか、それとも死ぬか?」
もしもここで僕がノーと言えば、容赦なく気で僕のことを木っ端微塵に吹き飛ばすつもりだろう。今目の前にいるのはそういう男だ。
この男はお父さんが〝死んだ〟とは言わなかった。気休めかもしれないが、最悪の想定以外だって考えてもいいはずだ。僕のお父さんは絶対にこんなやつに負けたりしない。ピッコロさん達も生きているなら、地球はドラゴンボールで元に戻る。先日ハイヤードラゴン達の森を元通りにしてもらったばかりだから、すぐにとはいかないだろうけど。僕は帰らなきゃいけない、お父さんとお母さん、おじいちゃん、ピッコロさん達が待っている地球へ。その為には、ここで死ぬワケにはいかない。
――熟考の末、僕は首を縦に振った。
「わ、かったよ。おまえの、なかまに……なる」
「ハッハッハ、物分かりが早くて助かる。これからよろしく頼むぜ、小僧」
「……小僧じゃない、僕の名前は孫悟飯だ」
「おっと失礼、よろしくな悟飯クン」
相手は空いている僕の腕を取り、手の甲に口付けた。あまりに激動の展開に気を取られ、相手の気障ったらしい行動やその意味、忠誠を誓うという意味であれば普通逆ではないだろうかとか、そんなことを考えている余裕は微塵もなかった。
「――というワケで、今日から仲間になった悟飯クンだ。お前ら、仲良くしてやってくれ」
先程まで居たボスの私室を出て、宇宙船のリビングスペースに集まっていた他の仲間達へ僕のことを紹介している。ターレスに肩を抱かれている事実に目を背けながら、他の者達の方へ視線を向けた。イレギュラーな存在である僕に奇異の目が注がれているのが、酷く居た堪れない。
「サイヤ人のガキ……?」
「カカロットの息子でっせい」
「ダ」
「おいラカセイ、あの時お前を倒したガキじゃないか?」
「うるせぇレズン! 一言余計なんだよ! ……まあこうして仲間になったんだ、お互い今までのことは水に流そうぜ」
次々と僕に対しての感想を述べていく中で、ラカセイと呼ばれた双子の片方が手を差し伸べてきた。僕はそれを一瞥した後、無視してそっぽを向いた。
「このガキ……、人が優しくすればつけ上がりやがって!」
「ラカセイ、まあそうかっかするな。小僧もいきなり連れてこられてまだ緊張しているんだ。大目に見てやってくれないか?」
「ちっ、ターレス様がそう言うなら……」
「カカオ、お前の部屋にベッドが一つ空いていたよな? 小僧を案内してやれ」
「ダ」
大柄なサイボーグが僕の前を歩いた。着いてこい、という意味だろうか。肩に置かれていた手がいつの間にか背中を押していた。振り返って顎で指示をするターレスの姿を確認した後、小走りでカカオの後ろ姿を追いかける。すれ違いざまに緑色で髪を一つに結んだ男にガンを飛ばされたが、何かあっただろうか。彼とは手合わせをしていないはずだ。不思議に思いながらも、リビングを後にする。
廊下を歩いて案内された部屋はベッドが二つと小さい棚が置いてあるだけで、本当に必要最低限寝起きができる部屋といったところだ。
「ダ」
カカオは片方のベッドを指さした。そっちを使えということだろうか。
「えっと……、ありがとう?」
「ダッ」
ぽんと頭に相手の手が置かれた。撫でるワケでもないその手はやがて離れていき、そしてカカオは部屋から出ていく。一人残された僕は案内してもらったベッドで横になりシーツにくるまった。
「……絶対に、地球に、帰るんだ」
決意を胸に重い瞼を閉じた。
§
誘拐されてから数日、案外機会は早く訪れた。地球同様、神精樹の実を育てる為に新たな星の侵略。宇宙船では逃げ場がなかったが、星に降りると言ったら話は別だ。戦闘のどさくさに紛れて逃げ出し、どこかから他の宇宙船を借りて地球へ帰れる。初めて生まれたチャンスに心が高鳴る。
聞いた話によれば普段はターレスは宇宙船で待機し、それ以外の者で侵略活動を行うらしい。予想外の問題が起こった時だけターレスが対処に当たるという流れだ。つまり一番の障害であったターレスから離れる隙ができるということ。後は僕の同室兼お目付け役となっているカカオと、何故か初日から敵対視され何かと監視してくるダイーズの二人をなんとかすれば脱走の成功率は格段に上がる。