【ルカヒョナ】one and only「誕生日おめでと!ルカ!」
ぱらぱら、視界を遮るように舞う赤い花弁。支配の象徴である青からルカを守るようにヒョナの影が頭上に降りる。常より数段弾んで少しばかり高く響くヒョナの声に導かれるように首を上に向けた。
目が合った途端ヒョナの元々細められていた目がより力を込めてぎゅう、と弧を描く。得意げに横に広がったヒョナの口から言葉が紡がれていくのを見ていた。
「へへ、びっくりしたでしょ!」
「…別に」
「びっくりしたくせに」
「してない、……ほら」
隣に座ったヒョナの手を掴んで心臓に当てた。いつも通りの心拍数、統一された速度。ヒョナはえ〜?と不満そうな声を出して反対の手で自分の心臓に手を当てている。どうやら二人の歩む鼓動の速さは変わらなかったらしくつまらなさそうな声でちぇ、とヒョナがぶすくれた。
「あーあ!びっくりさせたかったのに」
「どうして?」
「ルカいっつもおんなじ顔だから、たまには違う顔も見たいだろ」
「なんで見たいの」
「何で?なんで……そういうもんなの!そういうもん!」
考える素振りを見せたものの上手く答えを見つけ出せなかったヒョナが誤魔化すように大きな声で滅茶苦茶なことを言う。「そういうもん」って全く答えになってない。言語化能力に欠けてる。そう詰る前にヒョナがルカより大きい身体をより丸めて覗き込むようにして意味もなく笑ってくるものだから、ルカはどうしようも出来なくなる。ヒョナの笑顔って変だ。言葉を紡ぐ気が失せて、ただ見つめていたくなる。
ヒョナが唐突に口を丸く開けてあ!と叫んで背筋を伸ばした。ヒョナの瞳からルカが消えたと思えばヒョナはすぐにルカに迫る。両肩をがしり、と掴まれてやわく揺さぶられた。
「欲しいもの!欲しいものある!?」
「欲しいもの」
「そう!誕生日だからあたしがルカのお願い何でも叶えてあげる!」
だから教えて!与える側に回っているくせに懇願するような声でヒョナはルカに強請る。欲しいもの。そんなの今までなかった。ヒョナのせいで欲が出来た。君だけが与えることの出来るもの。僕はそれが欲しい。
「……ヒョナが欲しい」
「あたし?」
「うん、君の人生、それしか要らない」
ルカを揺さぶる手が止まってヒョナの目が何度か大きく瞬く。その後すぐに合点の行った表情になったかと思えば「寿命ってこと!?」なんて喧しくするものだからうんざりする。君ってどうしてそんなに分からないの。
「違う、君の人生」
「もーちゃんと答えろよ!ルカがあたしのこと好きなのはよく分かったからさ」
分かってないよ。ヒョナは何も分かってない。肩に置かれていた手がパ、と離れて身体が解放されたと思ったら今度は肩を抱かれる。寄せ合って触れたヒョナの肩の温度を享受しながらもルカは不服そうに溜め息を吐いた。
「勝手に貰うからもう良い」
「それじゃ駄目!あたしがあげたいのに勝手にもらわれたら意味ないじゃん」
「もう貰ったから良い」
「ホント勝手な奴だな、じゃあこれも要らないわけ?」
ヒョナはそう言って脇横に置いてあった花弁がこんもりと盛られている籠を漁り始めた。その中から見つけたそれを突き出すようにしてルカに見せつけてくる。チョコレート、飴、キャラメル。様々な種類のお菓子が一つの袋に纏められていた。最初から準備していたのにルカに欲しいものをわざわざ聞いたのか。袋には絵が貼ってあった。じっとしながら絵を描くのは好きじゃないと言っていたくせに。丁寧に色までつけて。やっぱりヒョナって僕のことが好きだ。ルカはヒョナの特例だと言ってよい行為を当たり前の事実であるかのようにそう理由付けた。
「なあ、これもいらない?」
じ、とただ袋を見つめるルカにヒョナが再度聞く。ルカが応答しない間にヒョナの眉毛がちょっぴり下がる。ヒョナの口角まで下がり切ってしまう前に口を開いた。
「ヒョナがあげたいんでしょ」
差し出されたそれを緩慢な動きで受け取った。描かれた絵には二人しかいない。ルカとヒョナ、ただふたりだけが存在する世界。紙に描かれたルカは馬鹿みたく笑っていて、そんな顔をしたことなんてないのにヒョナの描く世界では何でもありみたいだ。袋を開けることもせずぼんやりと絵の中にいるヒョナを指で撫ぜる。ルカのために用意されたもの。ルカのためにヒョナが準備したもの。ルカが絵みたいに笑うと思って。笑わないけれど。なんだか不思議な気分だった。
折り畳んだ脚と腹の間に袋を置いて抱きしめるように背中を丸めた。
「んは、ルカってほんとかわいー!」
何に喜んだのかヒョナは急に笑ってルカの頭を撫でる。ヒョナはあたたかい。ルカに伝わる温度を持っている。ヒョナの温度だけをルカは知っている。ヒョナだけで良かった。ヒョナしか要らなかった。
「…君の人生はもう僕のものだから」
誰にもあげたりしたら駄目だよ。そう言葉を紡いで迫ってくる眠気に従いヒョナの肩に頭を預けた。ヒョナはルカの言葉の一切を理解していないと言った音色で返答することもなくただ「はは、眠いの?」と言ってヒョナにしてはやわく細やかな旋律を奏で始める。頭を撫ぜる手つきに流されるように意識が落ちた。
*
言葉だけじゃ何の効力も持たないのだと気付いたのはその場面を目にしてからだった。同級生の女がヒョナの頬に唇を当てる。おまじないなんだよ、おまじない。顔を無様にも赤く染めながら言い放った彼女はヒョナが納得する前に背を向けて去っていった。
湧き上がる激情の抑え方が分からなかった。君は僕のだから君の何であっても他人から奪われるのは駄目だ。絶対に駄目なのに。ヒョナ達からは死角になっていただろう木陰から離れる。ルカを目の前にして呆けたように突っ立っていたヒョナはあまつさえいつも通りに「ルカ」と安心したようにはにかんだ。ルカをまるで意識していない態度。ルカの所有物である自覚を持たずして自身の一部を奪われたことにも気付かない愚かなヒョナ。あんだけ何度も口にしたのに。君は僕のものだと。ヒョナには何も届いていなかった。全て一方的であったのだと突き付けられたようで許せなかった。
ルカの居場所である木陰に入り込んでヒョナは足を広げる。無防備なその姿に胸の周りが気持ち悪くなる。こんな想いを抱いたことがないから感情の形容の仕方さえ分からない。ヒョナばかりがルカをおかしくさせる。今限りはそのことを酷く不快に感じた。
ヒョナの脚の間に地面についた膝を割り込ませてそのまま体を押し倒す。ヒョナの服を芝生に押し付けて動きを固定した。誰かに奪われることをヒョナが構わないとするなら余すことなくルカが奪ってしまえば良い。ヒョナに何もかもが伝わっていなかったのなら思い知らせれば良い。ヒョナはルカのものなのだから。
ひどく衝動的な行動だった。
「、は」
間の抜けた声を息ごと塞ぐ。そのまま重ね続けた。ヒョナの首元の光が警告の色へと変色する。突き飛ばされたのはその少し後だった。
「な、に、なんで、ルカ」
恐怖の滲んだ声。困惑して歪んだ表情。その反応が受け入れ難くてヒョナがあの女のように自分の元を去っていくのにも目がいかなかった。ヒョナの瞳の色が脳裏に焼き付いて離れない。それは拒絶の色をしていた。
ヒョナにとってのルカは何でもなかったのだ。一番じゃなかった。特別じゃなかった。唯一でも何でもなくて、周りと同じただの有象無象。だから受け入れてもらえなかったのだ。そう思った。ルカを撫でるあたたかい手も感情を凝縮したような笑顔も、名前を呼ぶ声色でさえヒョナからしたらなんでもなかった。なにでもなかったのだ。
「ッ、…は、…」
心臓が痛い。苦しい。手で胸をおさえる。こんな痛みは知らない。内側から訴えるような、それでいて気を狂わせることもできないじわじわと炙られているような痛み。
ヒョナのせいだ。ヒョナはルカのものなのに。そうではなかったから。
どうすれば君は僕のものになる?ヒョナにとっての唯一になりたい。願いはただそれだけだったのに。
「は、…っは、っ、ぅ、…」
ああ、支配して仕舞えば良いんだ。そうすれば、君の心に住むのは僕だけになる。
訳もわからないままに乱れる呼吸の中で思考を回した。
受け入れてもらえないなら、心に無理矢理ルカの存在を植え付ければ良い。ヒョナの特別になるために。そうしないと、特別にはなれないから。
ヒョナから与えられた温度も笑顔も、ルカへの受容も、ヒョナが呼ぶ時だけ「ルカ」は自分なのだと認識する瞬間だって、ヒョナの唯一になるためならその一切を切り捨てることができた。
ルカの恋心はかくしてこの瞬間、姿形を変えた何かに成り果てたのだ。
*
ヒョナのトラウマとして心に住みつき支配した瞬間、どうしようもなく嬉しかった。早くこうすれば良かったのだと心底思った。君が有象無象に向けるものを僕に与えることはもうない代わりに、僕は君の唯一になったんだよ。ヒョナが僕の名前を呼ばなくても、僕に触れることがなくなっても、ヒョナの心にはずっと僕が居る。それってまさに唯一だ。そうでしょう、ねえ、ヒョナ。
「僕が欲しいのは一つだけだって言ったでしょ」
今の君がその証拠だよ。腰を抱く力をより強めて引き寄せる。肩に置かれたヒョナの手がルカを拒むように圧力がかけられた。
ルカがヒョナしか見ていないように、ヒョナもまたルカだけを視界に映す。ヒョナの全ての感情がルカに向かう。そう仕向けたのはルカだ。ルカの思うままにヒョナの感情が動く。ヒョナさえ制御の出来ない場所をルカが握っている。確かに己がヒョナを支配している。とてつもない幸福だった。
視界が微かに狭くなる。自分が微笑んでいるのだと気付いた。君は僕のものなんだよ。これからも、生きている限り君の心の支配者は僕だ。
こぼれるように落ちた笑い声は、ひどく甘美に響いた。