雨、降りて　雨が降っている。
　五月雨江はその音を聞いて真っ先に、自室に残してきた同室者のことを案じた。彼は元来から腹痛を起こしやすい体質であるが、雨天時には特に顕著なのだ。
「雲さんが、お腹を痛めているかもしれません」
「わかるのか」
「はい。このように強い雨が降っているときは、調子を崩しやすいそうなのです」
「そうか……」
　つい先ほどまで五月雨と手合わせをしていた相手は、何かを思案するようにその碧い瞳を動かした。かつて肌身離さず被っていた布を脱いでから、彼の感情は瞳によく表れるのだと五月雨は知った。
「ここから広間へ行く途中の廊下に、冬物の寝具を保管している部屋がある。そこに薄手の毛布があるはずだから、一枚持っていけ。わからなければ近くの部屋の男士に聞くといい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」　
　山姥切国広は、表情を崩さずに頷いた。


　雨が降っている。
　先ほどよりは少し弱まったようだが、まだサァサァととめどなく音が聞こえている。
　五月雨が自室へ戻ると、同室者は予想通り畳に寝転がっていた。具合が悪いのなら起きずに布団に入っていればよいのに、律儀に畳んで端へ寄せ、寝巻から内番着に着替えたようだ。
「雲さん、ただ今戻りました」
　村雲江はその手に「手合わせに行ってきます」と書かれた便箋を持っていた。今朝、五月雨がこの部屋を出るときに残した書き置きだ。
「……おかえり、雨さん。手合わせは……えっと、勝った……？」
「手合わせですから、勝ち負けはありませんよ。……強いていうなら、私の負けでしょう。有難い助言を頂くことができました」
「そっか。よかったね」
　村雲は寝転がったまま五月雨の方へと顔を向け、口元だけで笑った。
「それより雲さん、お腹は大丈夫でしょうか」
「……痛い」　
　大丈夫か、という聞き方はよくなかったかもしれない。平気でないことは見ればわかるのだから。
　五月雨は片手に持っていたブランケットを村雲の腰から下を覆うように掛けた。鍛錬場を出たところで会った堀川国広に、訳を話して出してもらったものだ。
「雨さん、これは……？」
「ブランケットです。雲さんがお腹を痛めているかと思いまして」
「わざわざ、俺のために？」
「造作もないことです」
　村雲は「そっか……」と呟いて、ブランケットの端をさわさわと弄んだ。反対の手ではまだ便箋を大切そうに持っている。何か言いたげであるように思われて、五月雨は村雲の近くに腰掛けた。
「あの、そろそろ朝餉の時間じゃない？」
「ええ、雲さんはどうなさいますか」
「俺は……今はいいや。あとで厨に行って、適当に何か貰うから」
「それなら、今日は私も雲さんと一緒に、この部屋でいただくことにします。私が貰ってきますが、おむすびならば食べられそうですか」
「雨さん……」
　五月雨を呼ぶ声が震えている。村雲はのそりと状態を起こし、五月雨を見つめた。
「優しすぎるよ。どうして。俺が……俺が、本当はお腹痛くなんてなくて、雨さんに構ってほしくて仮病を使っているだけだったら、どうするの」
　瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。五月雨が甲斐甲斐しく村雲の面倒を見ることなど今に始まったことではないのに。
「どうもしませんよ。同じことです。お腹が痛くても、そうでなくても」
　五月雨はブランケットの上から、村雲の柔らかな腹部に手を当てた。
　
「雨さん、あのね」
　
　雨が降っている。
　村雲の瞳から、小さな雨粒が溢れて、流れ出す。温かい水滴は頬を伝って、五月雨の手の甲を濡らした。

「俺、雨さんのことが好き」
　
　
　──────────◆◇　おわり