握手冬が残した冷たさと、春先の暖かさが混ざり合い、曖昧に共存する3月の晴れた日だった。 リヒター・ベルモンドは、何も身に着けていない首を攻撃する風を防ぐために、コートをそっと羽織り、素早く近くに見えるタバーンに足を踏み入れた。 一歩足を踏み入れると、水を飲んだ木の匂いとウイスキーの香りが鼻を突いた。 まだ午後6時半だというのに、週末ということもあり、店内は結構な人出で賑わっていた。 リヒターは隅のほうの空いているテーブルに適当に腰を下ろし、軽く手を挙げてバーテンダーを呼んだ。 エールを2杯と、付け合わせのナッツを注文。 バーテンダーがこの店はポテトチップスが美味しいと提案するが、首をかしげる。 脂っこいものはあまり食べたくないからだ。 今年で二十八、三十の門出を迎えた彼は、健康に専念するために飲酒を大幅に減らした。 そのため、こうして酒場に立ち寄る日はかなり少なくなった。 しかし、特に苦しいことがあるわけでも、心に抱える悩みがあるわけでもなく、ただ胸のどこかに穴が開いたような気分だった。 その隙間に押し寄せるのが単純な寂しさなのか、気まぐれな憂鬱なのかわからないし、深く考える気もなかった。 人は本来、一人で暮らせば空っぽになる生き物である。 しかし、人は誰でもいつか一人になる。 だから人は誰でも最終的には孤独になるしかないのだ。 その事実があまり悲しくなかった。

ほどなくしてお酒とおつまみが運ばれてきた。 リヒターは塩をまぶしたナッツをひとつつまんで口に入れ、ゆっくりと噛みしめ、エールを数口飲んで塩辛い口内を洗い流す。 高価な種類ではなかったが、そこそこの風味が感じられた。 このわけのわからない虚しい気分もチクチクするような感覚の下で溶けていくことを願うが、世の中そんなに簡単なことではない。 リヒターは自嘲気味に苦笑する。 隣のテーブルに座っていた若い男女は、酔っ払って耳まで真っ赤になりながら、何がそんなに楽しいのか膝を激しく叩きながらクスクス笑っていた。 その姿を見て、リヒターは遠い過去に埋もれていた淡い記憶を思い出す。 好きな人と一緒にいる時間に興奮して恥ずかしさも知らずに喋りまくっていた自分、そのすべての未熟さの産物を笑顔で受け入れてくれたあの人、酔いが目に映るすべてを曇らせる中で唯一鮮明だったあの顔─ そこまで狂った瞬間、リヒターは猛烈な吐き気を感じる。 グラスはいつの間にか底まで空になっていた。 彼はほとんど手付かずのナッツの皿をちらりと見て、もう一個か二個ほどをつまみ食いし、席を離れて会計を済ませた。 お釣りはチップのつもりでもらわなかった。 バーテンダーが挨拶を兼ねて一言。 「穏やかな夜をお過ごしください。」 リヒターも同じ言葉を返す。 「平穏な夜を。」

外は深い闇に包まれていた。 寒気はさらに強くなり、やや寒さを感じるほどだった。 リヒターはコートのボタンを一番上まで留め、片手をポケットに入れたまま、誰もいない通りを歩いていた。 ぽつぽつと置かれたガス灯の明かりが周囲をほのかに照らす。 路地の隅に身を丸めている白い猫が目を引いたが、それも一瞬。 あえて近寄って驚かせたくなかった。 耳の片側が何かに噛まれたように不自然に引き裂かれているのが少し気になったが、どうしようもないのも事実なので諦める。 マリアが見ていたら、連れて行って何かしてあげようと言い張るだろうか、それともその場ですぐに行動を起こしただろうか。 いずれにせよ、放っておくわけにはいかないだろう。 彼もそうだが、マリアは手の届くことなら何でも助けようとする人だったから。 だからあの時もそんな決断をしたのかもしれない─ 。 助けられないなら、せめて敬意でも示すのが彼の務めだった。 だからリヒターはマリアを止められなかった。 そんな資格もなかった。

リヒターがマリアと会ってから一年が経った。 特にトラブルがあったわけでも、仲が悪くなったわけでもなく、どうしても会わなければならない理由がない限り、なるべくマリアが新たに構築した日常に割り込みたくないからだった。 彼女の同居人は、決して社交的でも、優しい性格でもなかったが、少なくとも信頼を裏切らない人だった。 何よりも、彼はマリアが自らの意志で一緒になりたいという意思を示した。 つまり、マリアの選択であった。 だから付け加える不満も未練もなかった。 たとえそれが自分を永遠に孤独の中に置き去りにするものであったとしても。 あれこれと雑念を抱えながら歩いていると、いつの間にか小屋の前にいた。 リヒターの家である。 彼は古びた扉を開けて入る。 水浸しの木の匂い、飾り気のない単調な居間、静かに冷えた空気、どの要素も生きていることを感じさせない。

黙々とドアを閉めたリヒターは、玄関前の靴箱に小さな手紙の封筒が一つ落ちているのを見つけた。 彼の家には郵便受けがなかったので、おそらくドアの隙間から入ってきたのだろう。 彼は腰をかがめて手紙を拾い上げ、手の甲でほこりを払った。 真っ白な空白の隅には、小さくてきれいな字で何かが書かれていた。 リヒター・ベルモンドへ、マリア・ラネットから。 彼女から手紙が届いたのはほぼ半年ぶりだった。 もしかして何かあったのだろうか。 リヒターは慌てて靴を脱いでテーブルに座り、封筒を開けて手紙を確認した。 整然と折りたたまれた便箋を丁寧に広げると、独特の端正できれいな字体で書かれた文章が浮かび上がった。



[こんにちは、リヒター。 久しぶりのお便りね、突然で驚いたかもしれないわね。 突然で、ちょっと驚いたかもしれないけど、ごめんね。 この間、いろいろと忙しくて連絡が取れなかったんだ。 別に危険な事件があったわけじゃないから、心配させたかな？ でも私は元気だよ、本当に。 アルカドも元気だし、何より以前より少しは素直になったみたいで、数年前みたいにギクシャクしてないから、良かったね？ リヒター、もし万が一彼が私に乱暴をしたら、必ず言ってくれって念を押したでしょ。 二度とそんなことさせないようにするって。 リヒターもね、まだ私を子供扱いしてくれるから困るわ。 でも、そういうところが逆に頼りになることもあるわ。 リヒターがいれば、どんな壁も脅威とは思えない。 初めて会った時から、手を繋いだ時から、友達になろうって約束した時から、インキュバスにやられそうになった私とアルカドを救ってくれた時から、私たちが一緒に過ごした全ての瞬間、いつもそうだった。 リヒターはいつも私の盾であり、力になってくれた。 でもね、本当に不思議なことがあるんだ。

どうしてもう来てくれないの？

リヒターがなかなか頼りない性格なのは分かってる。 決して先に辛いと言わないのも分かってる。 一人に慣れてるのも分かってる。 でも、リヒター、それじゃあ寂しいだろ。 私はいつも寂しい時にリヒターに助けられたんだから、一度くらいは頼ってもいいじゃない。 だって、私たちは──家族なんだ。 血よりも濃い運命で結ばれた。 家族同士は何も隠さないで、何かあったら助け合おう、そう言ったのはリヒターだったのに。 隠すのは卑怯だ。

あのね、もし─ また来てくれる気になったら、その時はアルカードと三人で旅に出よう。 どこでもいいから、できれば夜、星がよく見えるところだといいけど。 私、初めてリヒターと一緒に悪者を倒した日の夜、一緒に見た夜空が今でも鮮明に記憶に残ってるんだ。 長い時間を離れて暮らしたけど、一度もリヒターが恋しくないと思ったことはなかった。 覚えてるか、リヒター？ 会うときの握手の意味と、別れるときの握手の意味。 ...答えは言わないよ！ 覚えていると信じているから！

だから、どうか─ その両方を覚えているのなら、いつでもいいから来てくれ。 そして、もう一度手を繋ごう。 そうしたい。 そうしないか？ 言いたいことはたくさんあるけど、この辺で。 一生使っても尽きない幸せがあなたのそばにありますように、またね。

愛を込めて、マリアが。]


リヒターはしばらくぼんやりと静かに手紙を眺めていたが、やがてそれを大切に抱きしめた。 皺にならないかと心配しながら、ずっとそうしていた。 しばらくして手紙を再びテーブルの上に置いた彼は、握手の意味を思い出す。 もちろん覚えている。 忘れるに越したことはない。 長い記憶が頭の中でフィルムのように再生された。

それはリヒターが十九歳の頃、つまりヴァンパイアハンターとして働き盛りの頃のことだ。 ベルモンドの宿命によりドラキュラ城に向かう途中、偶然出会い、救った少女、マリア・ラネット。 リヒターは彼女と協力関係を結び、ドラキュラの勢力を倒すための旅に同行することにした。 当初は彼女の幼い年齢を考慮して連れて行こうとしなかったが、自分にもできると言い張るので仕方なかった。 思い出すと、小さく笑みがこぼれる。 同盟を約束し、再び握り合った手は小さくても温かかった。 ゆっくりと手を離すと、マリアは口を覆って小さく笑った。

「お兄ちゃん、知ってる？」

「何を？」

「前にママが言ってたんだけど、会うときの握手と別れるときの握手は意味が違うって！ 会うときの握手は、お互いに仲良くなるための呪文だって、お兄ちゃんも知ってるよね？」

「うん、もちろんだよ。 じゃあ、別れるときの握手は何なの？」

「秘密だよ！ でも、特別にお兄ちゃんにだけ教えてあげる。」

マリアはいたずらっぽく笑いながら近づいてきた。 そして、リヒターの耳元で小声でささやいた。

それはね─ 。

再会のための呪文だって！


好きであろうとなかろうと、時間はあっという間に過ぎ去った。 アルカドが二度目の父を阻止した後、マリアが彼の心を慰めるために彼の後を追うことを決めた瞬間を、リヒターは改めて思い出す。 「それじゃ、元気でね。」 その時、マリアはどんな顔をしていたか。 「マリアこそ、元気でな。」 あの時もそうだった。 マリアはリヒターと別れる前に、約束でもしたかのように手を差し伸べた。 彼が先に手を差し伸べる前に、いつも。 マグヌスの策略を挫折させた日も、マリアが熱病にかかった時も、一年前に最後に会った日も。 手を合わせるたびに少しずつ大きくなっていた手、しかし変わらない温度、それほど大げさな行為でもないのに深い安らぎをもたらした手。 ふと、それをもう一度握ってみたいと思う、 リヒターは。

結論を出したリヒターは、席を立ち上がり、奥の部屋に向かう。 折りたたんだ手紙を本棚に置き、埃をかぶったカバンを取り出し、軽く荷造りを始めた。 目的地まではかなり距離があるので、早朝に起きて出発しなければならない。 星が見える場所が遠すぎないことを願いながら。