乙女のタイミング敬愛する上司からの相談は、とても可愛らしいものだった。
「えっ、私とショッピングに?」
思いもよらぬ頼みに、ミリアリアは驚いて声をあげた。身体が軽く揺れて、手元で琥珀色の紅茶がゆったりと波を立てる。
カガリに呼ばれたとき、話がある、と彼女は神妙な顔で切り出した。だから、もう少し重い話かと身構えていた。たとえば、彼女の想い人であるアスラン・ザラと何かこじれたとか、仕事のことで悩みがあるとか。しかし、蓋を開けてみれば、ショッピングのお誘いだ。拍子抜けするのも無理ないだろう。
目の前のカガリは、「ああ」と、頷いた。彼女はミリアリアの座するソファの隣に腰かけているから、顔がすぐそばに見える。その表情は妙に真剣だ。少し太めの眉がぐっと上がり、どこか緊張しているのか、膝上に置かれた手はこぶしが握られ、頬が薄く紅潮している。
「この間、ミリィの服借りただろ?」
「ええ貸したわね。ミニスカートを。彼、喜んでたでしょ?」
先日、ミリアリアはカガリにスカートを貸した。ミニ丈のものを。「アスランともんじゃを食べに行く」と告げるカガリの上機嫌なさまを見ていて、ふと、思いついてしまったのだ。
スカートを履いてみたらどうだろうかと。
ふだん、彼女とその想い人はいわゆる「ふつう」とはかけ離れた生活を送っている。ただの男女が行うような、好きなときに、好きな場所で、ふたりだけでデート、ということすら叶わない。
ところが、今回は護衛も置いていくようで、カガリの話から判断すると、限りなく一般的なデートに近いだろう。(カガリは息抜き、と言い張るが、どう考えてもこれはデートだとミリアリアは思った。)
ならば、いっそのこと、「ふつうの女の子」がするようなお洒落をしてみたらどうかと閃いたのだ。
それに、あの朴念仁でも、いつもと雰囲気の違う可愛らしいカガリの姿には心打たれることだろう。彼女たちのデートが、ことさら充実したものになるといい。
そういうわけで、ミリアリアは、変装にどう?と若干ごまかしを入れながら、自分のお気に入りのミニスカートとトップスをカガリに貸与した。いささかキューピッドにでもなった気分で。
少しおおらかな我が上司は、その言葉を真に受けて本当に逢瀬の際に、ミリアリアの服を着ていったらしい。
まぁ、結局、アスラン・ザラが突飛な行動をしたせいで、「日常的風デート」どころか完全に「非日常」なひとときになってしまったようだが。
喜んでいたか、と問いにカガリはこくこくと、連続して首を縦に振った。あら、とミリアリアはにんまりと口元をゆるめる。どうやらキューピッドのお導きはうまくいったみたいだ。
「かわいいって言われた?」
カガリのはじめてのミニスカートだ。とっておきもとっておき。これで褒めなくてはただのマヌケだろう。わくわくとしてミリアリアは尋ねたが、その期待は見事に裏切られる。
「それは、言われてない」
「はぁ?」
愕然として、思わずあんぐりと口を開けてしまう。
(信じられない)
大切な子の、意外なおしゃれ姿を褒めない男がこの世にいるなんて。
頭を抱えるミリアリアとは裏腹に、カガリはけろりとしていて、さほど気にしていないようだ。
「まあ、あいつはそういうの口に出さないから」
「そうね……。そうだったわね……」
でも、一拍置いてとカガリがはにかむようにして続けた。
「……でも、なんか気にいった感じでたまにチロチロ見てた。多分あいつはばれてないと思ってるけど」
「なんだ。じゃあ、彼も満更じゃなかったってことね。それなら良かった」
なんでもない振りをしつつ、隙を見てカガリを眺めみる藍色の髪の彼。目に浮かぶようだ。
なんだかすっかり呆れかえってしまったが、カガリ本人が満足げであったので、深くは問わないことにした。
アスラン・ザラというひとは内に秘めた感情や気持ちを素直に言葉にしないことが多いが、カガリも言葉そのものを必要としていない節がある。独特のやりかたとはいえ、二人がうまく通じあえているのならば、ミリアリアが口を挟むべきではない。
「うん。あと、服借りたとき、自分でもなんかちょっと嬉しくて……。だから、少しだけああいう服を買ってみようかと思って。ほら、私、パンツとドレスくらいしか持っていないし」
なるほど、と思いながら、ミリアリアはすっかり冷めてしまった紅茶を口に運んだ。それが、自分とショッピングに行きたい、につながるわけだ。
つまりはカガリは、トレンドの女子向けの服が欲しいのだ。それもスカートの。
「変かな?」
「まさか。お洒落って自己満だもの。あなたが嬉しいと思う服を着ればいいと思うわ」
ミリアリアの服を借りて、彼女はなにが嬉しかったのかはわからない。ミニスカートの解放感か、いつもとは違うファッションに対する高揚感か、はたまたアスランの好反応か。けれど、若い女性が、今風の服装をして何が悪いのだ。国家元首とはいえ、カガリもまだ十代の少女なのだから。
そうだよな、とカガリが安心したようにほほえんだ。膝上に握られていた拳はすでにほどけている。
カガリがショッピングに行きたい理由はわかった。ただし、懸念点がひとつある。
「でも、私でいいの? カガリが一声かければ、ご贔屓の外商さんが来てくれるんじゃない?」
ミリアリアが買っているのはたいてい、街のファッションビルで、買うのも若い女性向けの既製品だ。みすぼらしいものを身に着けてはいないが、決して上等なものではない。
先日は「変装」という名目もあり、気にせず貸し出したがカガリが身に着けるにはお手頃すぎやしないか。
なんせ、彼女はこの国のトップで、身に着ける品もたいてい一級品だ。ラフな格好をしているな、と思ってもよくよく見れば生地も縫製も密かに上等であったりする。
けれども、カガリの希望はそれではないようだ。
「いや、そういうのがよくて……、というか、ミリアリアに選んでもらいたくって」
「あら、光栄。あなたが気にしないなら大丈夫!」
二つ返事で引き受けると、ぱあっと、カガリが顔を輝かした。とりたててファッションに自信があるわけではないけれど、ショッピングのお供くらい、お安い御用だ。
「……それに、好評だったのならまた見てもらいたいものね、スカート姿」
目を細めて茶化すように言うと、彼女の顔が赤くなる。本当に、わかりやすい子だ。つい、くすりと小さく笑ってしまう。
なんでも持っているかのように見える彼女が欲する、素朴すぎる願い。
あの朴念仁はわかっているのだろうか。
たぶん、今は知らないだろう。
やがて、わかることになるとしても、ミリアリアは彼に伝えたくないと思う。彼自身が気付くまで。
だって、こんな愛しいもの、可愛いのひとことも伝えないやつに教えたら惜しいと思う。
彼が気付くまで、カガリの願いはミリアリアの心の奥にしまっておくことにしよう。いとしい宝物として。
それにしても、恋をするって楽しそうだ。好きな相手が、手に届くところにいるなら尚更だろう。一瞬、遠く離れた場所にいる、とある人間の笑顔がよぎり、ミリアリアの胸を柔らかく締めつける。簡単に会えない、ミリアリアが大事に想っている、金髪のひと。彼と会うには、大気圏を超えて宇宙を漕ぐ必要がある。
「羨ましいたらないわね」
つい口からこぼれた言葉に、カガリがきょとんとした顔をした。
***
愛しいひとからの連絡を受け、彼女の家に向かうと、上階のバルコニーに通された。
広々としたアスハ邸のバルコニーには、こげ茶のウッドデッキが敷かれ、ホワイトのティーテーブルが鎮座していた。促されるままアスランが着席すると、燦燦と昼下がりの陽光が降り注ぐなか、メイドたちがテキパキと何やら準備を始める。
呆然としたまま、目の前でケーキやサンドウィッチがティースタンドに盛り付けられるのを眺める。
いったい、何がはじまったんだろうか。
みるみるうちにティーフードが盛り付けられ、メイドがティーポットを置く。お茶会でもするのだろうか。こんなことは初めてだった。
つくりの精巧な茶器や、見栄えの良いティーフードに囲まれると、自分がひどくこの場にそぐわない気分にさせられる。
居心地悪くアスランが座っていると、バルコニードアが思い切り開かれた。
「待たせたな」
家の主人が、明るい声でバルコニーへと入ってくる。ようやく来たと安堵したものの、やってきたカガリの姿を目にして、アスランはぎょっと目を見開いた。
「……なんなんだ、その格好は」
「なにって、ミニスカートだが?」
前にも同じ会話をしたな、とカガリが答えた途端に思い出す。しかし、聞かずにはいられなかった。
カガリが、スカートを履いている。またしても、ミニ丈の。
プライベートでカガリがアスハ邸にいるとき、彼女はラフにパンツにTシャツなどを合わせている場合が多い。しかし、今日の服装は、先日の「息抜き」のときのような、若い女性が着るようなよそいきだ。
ついつい視線が健康的な脚に動きそうになり、アスランは必死の思いで彼女の顔へと目のやり場を固定する。
今日は、先日の逃避行の際のスポーティな装いとは違い、もっと若者のトレンドに乗ったような服装だ。ハイウエストのタイトなスカートが彼女の骨格を引き立てている。このような服装のカガリがいつもよりあどけなく見える。胸をかき乱されて、アスランは唸りそうになったが、ぐっとこらえた。
カガリは、どうだ、と言いたげに座らず、ティーテーブルの前に立っている。どきどきするから座ってほしい、とは言えなかった。
平常心を保とうとしながら、カガリに尋ねる。
「ミリアリアにまた借りたのか?」
「いや、自分で買った」
「買ったのか? 君が? それを?」
カガリがニツと笑いながら答える。彼女の意外な言葉に、アスランは声が大きくなった。今日は驚いてばかりだ。
ドレス以外のスカート今まで履きたがらないカガリが、自ら買いにいくなんて。しかも、再び自分に見せてくれている。
「今回は借りたんじゃなくて、ミリアリアにはショッピングに付き合ってもらったんだ」
試着室なんて初めて入ったけど面白かった、と彼女はあっけらかんと話した。護衛体制などを問いたくなったが、嬉しそうな彼女の気持ちに水を差す気がしてアスランは済んでのところで耐えた。
カガリは満足そうな笑みを浮かべながら、ようやく着席した。彼女の脚が見えなくなって、アスランは少し安堵する。
「もうひとつ聞くが、今日は何か特別な日なのか?」
ティースタンドを指して、尋ねる。アスハ邸に住んでいたこともあるが、こんなシチュエーションは初めてだ。
「最近流行ってるらしいぞ、カフェでアフタヌーンティー。これも、ミリアリアに教えてもらった」
「へぇ、そうなのか」
アスランは眉を上げる。これも、友人からの情報だったとは。買い物に、トレンドの情報提供。カガリが親密に過ごせる友人がそばにいることは喜ばしい。アスランはひそかにミリアリアに感謝していた。
でもさ、とカガリは苦笑しながら続けた。
「本当は、この間みたいにお前とカフェに行きたかったんだけど、今は……その、護衛が絶対にたくさん着いてきちゃうから」
「……だろうな」
先日の咄嗟にとってしまった行動を仄めかされ、声が低くなる。
あれだけの大立ち回りをしたのだ。アスランと外で食事、ともなれば護衛チームも厳戒態勢で臨むことだろう。
咄嗟にやってしまった行動で、もう二度と――カガリという個人が害されることがなければ二度と――あんな逃避行を繰り広げる気はないが、いくらアスランが説明したところで信用はされないだろう。
それでも、カガリの「個」を一瞬でも大切にできたことに、ほとんど後悔はしていないのだが。
「まあ、だから、それならうちが一番気楽かなって」
「たしかに」
アスハ邸自体に警護体制が整備されてはいるが、護衛が変装して勝手に潜り込むことはないし、何よりカガリがリラックスして過ごせる。
外出はまた別の楽しさがあるのは事実だが、アスランが彼女に触れやすいことも含めて、アスハ邸の逢瀬が一番ベストだろう。
カガリに薦められ、サンドウィッチを口に運ぶ。小さなハムサンド。
何口か咀嚼し、呑み込んだところでふと思い至る。
「ところで、短いスカート、気に入ったのか?」
「へ?」
「前も履いてたから。楽なのか?」
先程はつい流してしまったが、わざわざ買って履くくらいだ。前のスカートは借り物だったとは、今回はカガリ本人が選択している。もっと動きやすいショートパンツや、ロングスカートだって選べたのに。
アスランが尋ねると、カガリの歯切れがなぜか急に悪くなる。彼女のキャラメル色の瞳がせわしなく揺れる。
うぅ、と小さく呻いてから彼女は照れたように言った。
「この間、初めて履いて、う、嬉しかったから、な。いろいろ……」
途端にアスランの胸が、鷲掴みされたような感覚に陥った。思わず息を呑む。
ああ、そうだ。自分も、初めて彼女のミニスカート姿をみた瞬間、何よりも嬉しそうな彼女に胸が高鳴り、心奪われたのだった。
見たこともない姿や、無防備に翻ったスカートの際どさや、衆人環境で脚の出る格好をしているという事実にすぐさま動転してしまったけれど、最初に彼女を見たとき、シンプルに浮かんだ感情は「かわいい」だったのだ。
あの、無邪気に回る彼女が、もう一度見たい。
「カガリ、前みたいに回ってほしい」
ほろりと、口から願望がこぼれでた。カガリが怪訝そうな顔でこちらを見る。
「は?」
「この前はくるっと一周してみせただろう、俺の前で」
あの時の姿を思い描きながら、人差し指で円を描くと、彼女がぼそぼそと言い返す。
「だってあの時は初めて履いたから……」
「二度目は回っちゃいけないのか?」
食い下がると彼女は慌てたように、さらに言い返してくる。
「でも、でも、これ回ってもひらひらしないやつだぞ」
「関係ない」
”それ”が見たいんじゃない。
「見せてくれないか」
じっと彼女の目を見つめる。これは、切実な願いだ。ただただ懇願するように見つめていると、やがて、折れたのはカガリだ。わかったよ!回ればいいんだろう!と叫んで彼女は立ち上がった。アスランは、カガリのそのやけくそじみた言い方に、小さく笑った。残念ながら根くらべには自信があるのだ。あきらめが誰よりも悪いから。
おずおずとカガリがアスランの前に立つ。バレエの発表会直前の子供のような、緊張が顔じゅうに貼り付いている。
「い、いくぞ」
「いつでも」
自分でも、何をしているんだろうと頭の端で思いつつも、どこかわくわくしている。
前よりもずうっとぎこちなく、カガリが回って見せる。少し腰を捻って、彼女の身体が一回転していく。スカートの裾は翻らない。
回れとこちらから言ったせいだろう。あの時のような無邪気な可愛さはなかった。だいぶんぎくしゃくしていて、軽やかさはゼロだ。
しかし、これはこれで愛おしいと感じてしまう。
もう彼女のどの姿を見ても、胸が浮かれるくらい、自分は首ったけなのだ。仕方ないことに。
「これでいいだろ!」
「もう一回?」
「いやだ!」
繰り返しを乞うと、きっぱり断られた。ほら、冷めるぞ!と、まだ飲みかけのものが入っていたにも関わらず、カップに追加の紅茶が注がれる。
席に乱暴に座り直した彼女の頬はまだ少し赤く見える。
いつもと違うシチュエーション、いつもと違うカガリの服装。
胸がぞんぶんに満たされて、アスランはつぶやく。
「いいな、こういうの」
「お!気に入ったか? アフタヌーンティー!」
気を取り直したらしい彼女が、やってみてよかっただろ、と誇らしげに言う。
「まぁ、そうだな」
気に入ったのはアフタヌーンティーではないんだけど。
繊細な指先でカップをとらえてから、彼女が不意に目を細める。
「……いつか、行きたいな。本物のアフタヌーンティー。お前とふたりで。誰も連れずに」
彼女のつぶやきは、どこか切なさを伴っているように聞こえた。
アスランは、彼女を連れて行っていってあげたいと思う。
――彼女が誰の目をも気にすることなく、羽を伸ばして、自由に、好きなことができる場所に。
今はまだ、うまく叶わないけれど、それでもいつか。絶対に。
「いけるよ、護衛は俺がいれば大丈夫なんだろ?」
「そうだな、お前ひとりで十分だ」
カガリが小さく笑った。
「その時は、またこういうふうにお洒落してくれるか?」
「してほしいのか?」
「勿論」
当たり前すぎる問いに、アスランはふかぶかと頷いた。
「可愛いからな、君のミニスカートも」
いつもは素直に言葉を伝えられない自分だが、今日はするりと言葉が出た。自分でも驚くぐらいに簡単に。先日は言えなかったのに。
カガリは一瞬固まってから、顔をかあっと真っ赤に染め、やがてうつむいた。
「なんで言うんだよ……」
絞り出すような声色の、彼女の呻きが聞こえる。
愛嬌のある彼女のつむじを眺めながら、アスランは少しぬるくなってしまった紅茶を口に届ける。
砂糖は入れていないはずだが、ひどく甘く感じた。