お持ち帰り祭囃子が遠くに響く。
初めて来た土地の、楽しいお祭り…オモテ祭りに参加した帰り道。
まだまだお祭りは続くみたいだけれど、はしゃぎすぎて疲れてしまったわたしは、襲いくる眠気には勝てなかった。
提灯の明かりが届かない木々の間を歩く。
さっきまでの熱気とは打って変わって、夜独特の冷たい空気が頬を撫で、木の葉が風に揺れてカサカサと音を立てる。
がさり
草を分けるような音と共に、目の前に長い黒髪の女の人が現れた。
和服の裾が月光に映え、鋭い金の瞳と視線が絡む。
「誰?」
こちらを警戒するような低い声。
えっと、と突然のことにびっくりしたせいで言葉が出ない。
「この辺じゃ見かけない顔ね。何、よそ者?」
訝しむような、鋭い視線。
「その…。」
しどろもどろになりながら、なんて答えようかと恐々様子を伺う。
わたしがもじもじしていると、彼女の表情が急に変わった。
口角がゆるりと上がり、金色の瞳が妖しく揺れる。
ジロジロとわたしを見て、一言。
「へえ…?あんた、狐?かわいいわね。」
その言葉に警戒心がぶわっと湧き上がった。
(バレた!?)
お祭りでも誰にもバレなかったのに、目の前の彼女はにやにやと、さも当然のようにわたしの正体を見抜いてきた。
只者じゃない、と慌てて変化を解く。
狐耳がピョンと立ち、ぶわりとしっぽが膨らんで、牙と爪が伸びる。
ぐるると喉を鳴らして、警戒体制に入った。
「わたし、強いよ!」
強気な声で言い放ち、口を大きく開けて牙を見せつける。
狐妖怪の世界では口と牙が大きい方が勝ち。
今までだって、誰にも負けたことはない。
わたしは自信満々にガバッと口を開く。
ぎゃうぎゃうと唸り声を上げて威嚇するけど、彼女は首を傾げて、意味がわからないというような顔をする。
「何それ?」
こう?彼女が呟くと、わたしの真似をするようにガバリと口を開けた。
「…え?」
彼女の口があまりに大きく、鋭い牙が月光に光る。
(やっぱり、人間じゃない…!)
狼狽えるわたしに、「そうそう、あたしは鬼だから。」と彼女は思い出したように言う。
にょきりと額からツノが生え、背後の月がゆらりと彼女の姿を照らした。
牙なんて、わたしの2倍くらいはありそうなほど長くて鋭い。
これは…。
「負けた…。」
唖然として、耳がぺたんと倒れる。
「よくわからないけど、あたしの勝ち?」
うふふ、と楽しそうに笑っている。
負けたとわかった瞬間、わたしはきゅんきゅんと鳴きながら地面に転がり、お腹を見せた。
…狐妖怪の本能が嫌でも出てしまう。
「うう…。」
恥ずかしさで、顔が熱くなる。
しゃがんで顔を覗き込む鬼。怖くてギュッと目を閉じた。
「かわいい、かわいい。お腹まで見せちゃって…。」
彼女の手が頭を撫でてくる。
気が強い声なのに触れる手は優しくて、ついしっぽがパタパタ動いてしまう。
ぎゃう!と吠えても、はい、あーん!と口を大きく開いて見せつけられたら、きゅんきゅん鼻が鳴る。
「目的は何…?」
狐妖怪の妖気は美味しいから、他の妖怪が欲しがると聞いたことがある。
わたしも食べられちゃうのかな、と考えて、ブルリと震えた。
「あんたがかわいいから、連れて帰りたくなっただけ。」
彼女はわたしの手を握り、立ち上がらせてくる。
「連れて帰る…?」
心臓が跳ねる。やっぱり食べられちゃうんだ…。
怖くて、不安で、しっぽもだらりと垂れ下がってしまった。
急に静かになったわたしを不思議に思ったのか、じっと見つめてくる。
「なに…?」
「あたしはゼイユ。あんたは?」
これから食べるのに名前なんて、と思ったけれど、負けたわたしに拒否権はない。
「わたしはアオイ。」
「ふうん。」
アオイ、アオイね。と噛み締めるように繰り返すゼイユ。
「あたしの家、近くにあるの。静かでいいとこだから、気に入るよ。」
ニタリと笑うゼイユに返す言葉が見つからないまま、手を引かれる。
満月の光がゼイユの背中を照らし、祭囃子が遠くに聞こえた。
まるでどこにも行かせないと言うように、わたしの腕は硬く握られている。
サクサクと夜の道を歩くわたしたちの足音だけが暗い森に響いた。